2007年07月01日

●三木義一『日本の税金』

 ミクロなライフハックが自己啓発なら、マクロのライフハックの一部は、「税金」に行き着く・・という考えで、税金問題勉強中。

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「毎年の税制改革に対するマスコミの取り上げ方は、税の財政面や経済面への効果ばかりに着目し、税制改正が法律改正であり、憲法問題でもあることをまったく意識していない。そのため、技術的な問題に目を奪われ、税制改革がもたらす私たちの生活への影響が憲法の理念からみて望ましいことなのかどうか、ほとんど検討されてこなかった。その背景には、裁判所が租税立法に広範な立法裁量を認めてきたため、不公正な税制が放置されてきたことも影響しているかもしれない。」
「税制のあり方を、経済学や財政学の問題としてだけではなく、憲法の問題として受け止め、何のために誰から税金を取り、何のために使うのかを確認しよう。そのことによって、私たちの自由と権利は大きな影響を受けるからである。……税制は一見技術的かつ難解で、市民が発言しにくいように思われがちだが、税制によって影響をうけるのは私たちの生活である。消費税を上げる前に、市民の常識と憲法という観点から税制を再検討してみよう。それが、21世紀の税制改革の第一歩である。」

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2007年05月19日

●岩田規久男『そもそも株式会社とは』

 世間でよく語られているが、それらが感情的で非論理的な論議ばかりで、"そもそも……"な視点が必要なことは多い。「会社はだれのものか」といった議論でもそうなのだろう。マクロな経済問題に関して、"そもそも"を語らせたら、やはりこの方。株主主権か従業員主権かの対立、日米の企業統治の違いを検証しながら、「株式会社とは?」を考える。
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「1995年に発表されたある調査では、「会社はだれのものか」という質問に、米国では約八割弱、英国では約七割の人が「株主」と回答したのに対し、ドイツやフランスでは約八割の人が、日本では97%の人が、「ステークホルダーすべて」と回答しているそうです。」
「「会社はだれのものか」と問いかけ、もっぱら「そのだれかの利益のためにだけ会社を経営すべきだ」と考える従来の「会社はだれのものか論」は、利害関係者の間に誤解を生みやすく、お互いの感情を逆なでしあって、熱くなるだけで、実りのある結論に到達できないことがわかります」

・・途中まで、とても段階的にわかりやすく構成されているのだが、終盤がやや物足りないように思えるのは、読み方が悪いのかな・・。あとがきに、初稿への批判や改善の指摘を受けて、大幅に修正した、とあるけれど、そのあたりの影響もあるのだろうか・・。

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2007年05月18日

●斎藤孝男『源泉徴収と年末調整』

 以前から、今一般に言われているような意味ではなく、まさに"人生をハックする"という意味での「ライフハック」に関心がある(橘玲『永遠の旅行者』のエントリー)。国家と個人との経済的関わり、ということでは、マクロの経済政策も大きくは関係があるけれど、よりダイレクトに関わりがあるとなると"税金"だ。先のエントリーの橘玲氏も、結局は、そこにいきつく。で、この本は、サラリーマンの場合の税金との関わり"源泉徴収と年末調整"についてまとめてある。96年に出されたものなので、現在の状況はやや変更が行なわれいるかもしれないが、おおよそ変わりはないのだろう。

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「1947年の年末調整制度導入以来、日本社会のいわば「与件」となった源泉徴収・年末調整システムは、源泉徴収義務者たる企業をして、その構成員のプライバシーを認めさせない。結婚しているのかいないのか。配偶者の年収、場合によっては勤務先。・・
 思えば源泉徴収・年末調整システムは、終身雇用・年功序列を旨とする日本的経営あればこそ成立し、進化してきた。企業や官庁は「家」であり、サラリーマンは「家族」である。だからこそ勤務先による社員のプライバシー侵害は黙認されてきたのだろうし、思想・信条の自由も平気で踏みにじられてきたのだろう。」
「失礼きわまる言い方を許してもらえば、サラリーマンは納税の義務だけを負い、納税者としての権利を放棄した客体であると国家に見なされているだけでなく、真実、単なる客体なのだ。」
「ダイエーの中内功会長は、・・意識的に挑発的な発言を重ねてきた。「われわれの豊かさは実現されていていない。本当の意味の市民社会をどう作って行くかを考えたい。会社が税金を集めて納める源泉徴収のような悪法はやめなければ。一人一人の市民が税金を払っているという実感がないということが、日本において市民社会がdけいない一番の原因だ」」
「勤務先に年末調整を任せるほうが、自分で確定申告を行なうよりもはるかに楽である。……それでも、たとえばこうすることで、わが国のサラリーマンたちはもっと自由になれる、企業優先だけではない社会に、少しでも近づくことができる。ひ弱ではない、将来の日本経済を支えてくれる、エネルギッシュでクリエイティグなアントレプレナーの登場を促す環境が作れる──。」

 サラリーマンの立場を離れて、もうしばらくたつのでこの現状の意味をわからないでいた。さらに学習が必要だ・・。

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2007年05月05日

●門倉貴史『世界の[下半身]経済が儲かる理由』

 この人は、BRICsやインド経済を論じていたかと思うと、マネーロンダリングや地下経済を論じていて、専門の幅が広い。ややマージナルな分野を、エコノミストとして培った手法で分析する・・というスタイルなんだろうか。

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 日本と世界のセックス産業の状況と歴史が、豊富なデータとエピソードで語られる。
数字としては、例えば、「デリヘルの市場規模(2兆4000億円)は島根県の経済規模に匹敵し、ファッションヘルス+イメクラの市場規模(6780億円)は2006年度ODA関係予算に迫り、ピンサロの市場規模(6457)は2006年度地方交付金予算を上回ってしまう」。

 個人的な興味としは、IT業界とセックス産業の関わり。新しいメディアが登場する時は、いつでもセックスビジネスは大きな役割を担うものだが、インターネットでも同様だ。が、そのあたりの分析をほとんど読んだことがない。それだけ実態がつかみにくいということだろうけれど。しっかり分析する価値はあると思う・・。

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2007年03月28日

●ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』

 まさに"まっとうな経済学書"。このまっとうさが、日本ではありそうでなかなかない。スタバのコーヒーの値段といった、ごく身近な題材から、ロンドンの交通、アメリカの医療、そして環境問題、さらにカメルーンや中国への旅の経験から、経済の発展、貿易の意味まで解説。それでいて、経済学書にありがちな、ただ学説を説明するための本でもなく、敵対するエコノミストを罵倒するわけでもなく、「経済学者は世界をどのように見ているか」ということが、まさに"まっとうに"書かれている。

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「経済学の大部分はGDPはほとんど関係しない。経済学とは、誰が、何を、どのような理由で手に入れるのかを知るための学問だ。この意味では、きれいな空気や円滑な交通は「経済」の一部である。……人生には、経済指標で測れるものよりずっと大切なことがある。それは経済学者だって知っている。」
「現時点で最も切迫している環境問題、そして、気候変動の脅威を考慮に入れても、私たちの未来にとって最も深刻であろうと思われる環境問題は、世界の非常に貧しい人々が苦しんでいる問題でもある。その一例が、失明や命にかかわる呼吸器疾患を引き起こす致命的な薪ストーブによる家庭内汚染だ。不衛生な飲料水も、何百万もの命を奪っている。こうした環境問題の解決策は経済成長の実現することであり、貿易はその後押しをする。」
「「フェアトレードコーヒー」や「無搾取衣料品」といった局所的な対応で、何百万という人びとの生活が大幅に改善することは絶対にない。……貧困国が広範囲にわたって発展しないかぎり、最貧民層の生活水準が向上することも、コーヒー価格が上昇することも、製靴工場の賃金と労働条件が改善することもけっしてない。
 こうした広範囲な発展は起こりえるのだろうか。それは間違いなく起こりえる。発展途上国の何十億という人びとは親の世代に比べてはるかに豊かになっている。平均寿命は伸び、教育水準は高まっている。」

 類書と言われるレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』のほうが、オリジナリティのある切れ味の鋭さが際立つけれど、"まっとうな経済解説"が、メディアでなかなか拝見できない日本では、この『まっとうな経済学』が多く読まれたほうが有益な気がする。

投稿者 esaka : 14:36 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月23日

●レヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』

 今さら僕が、この本について何かを書く必要はないのだけれど(例えば、山形さんのブログの記事を参照してください)・・自分のためにメモ。
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「経済学は突き詰めるとインセンティブの学問だ。つまり、人は自分の欲しいものをどうやって手に入れるか、とくに他の人も同じものが欲しいと思っているときにどうするか、それを考えるのが経済学だ。……インセンティブは銃弾であり、てこであり、鍵である。ほんのちょっとしたことだが状況を変えてしまえる大変な力を持つ。……
 インセンティブの味付けは基本的に三つある。経済的、社会的、そして道徳的の三つだ。」
「「ヤバい経済学」には一貫したテーマなんてないけれど、ヤバい経済学を日々のあれこれに応用するとき、少なくとも一つ、いつも底のほうに流れているものがある。それは、現実の世界で人がどんなふうに動くかについて、筋の通った考え方をするということだ。そのために必要なのは、新しい見方をする、新しい理解の仕方をする、新しい測り方をする、そんなことだ。」

 "思考ツール"としての経済学の切れ味の鋭さと汎用性の広さを充分に知らしめてくれます。

投稿者 esaka : 02:40 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月22日

●飯田泰之『ダメな議論』

 飯田氏の前著『経済学思考の技術』は、"経済"に興味を持った人がまず手に取るべき教科書になりうる本だった(以前のエントリーはこちら)。今回の『ダメな議論』は、基本的な考え方はその延長にありながら、アプローチや表現を新書向けにかなり間口を広くしている。
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「本書の基本的な方針は、さまざまな言説の中から、"ダメな議論"──「誤ったもの」「無用なもの」「有害なもの」を見抜く方法を考え、それを現実に応用していくというものです。"ダメな議論"を除外していけば、残されたものは「正しく、有用なもの」である可能性が高くなります。その意味で、本書の方法によって導かれる「正しく、有用なもの」とは100%正しいとか間違いないとかいったものではなく、他の考え方に比べ相対的に「正しそうだ」というものです。」

 「言うまでもないことですが、何ひとつ問題のない社会は存在しません。……さらに構造改革論は、「構造」というう言葉の多義性によって、大多数の日本国民に「自分が日ごろ問題だと考えていることを改革するのだ」というイメージを抱かせることができます。……「構造問題」とは「根本的問題」「重要で基礎的な問題」のことなのですから、「構造問題が重要だ」という主張は誰にも否定できません。…誰にも否定できない主張と、プラスイメージの単語を組み合わせた構造改革論はヒットする要素満載の言説だったのです。」

 "ダメな議論"の例として、よくTVのコメンテーターや雑誌で語られる構造改革論、食料安保論、バブル悪玉説、創造的破壊論、国際競争力、アジア共通通貨圏構想、といった具体例を示しながら、その曖昧さとダメさを具体的に示してくれる。

 あとがきに、参照した本としてロバート・J・グーラ『論理で人をだます法』、ハリー・G・フランクファート『ウンコな議論』、スティーブン・レヴィット『ヤバい経済学』が挙げられているが、新書ながらこれらの本に匹敵する役割は充分果たしていると思う。こういう新書が増えると嬉しいな〜。

投稿者 esaka : 01:57 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月21日

●ビル・エモット『これから10年、新黄金時代の日本』

 『日はまた沈む』や『日はまた昇る』は、読んだことないけれど、93年から06年まで「エコノミスト」誌編集長だったとのことなので、手に取る。
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「今後十年、日本にもっとも必要とされるのは、生産性、つまり効率をいっそう大きく引き上げることである。その効率とは、一時間当たりの労働力、あるいは資本の投入量によって獲得した生産物の価値を意味する。生産性を向上しなければ、生活水準を引き上げることはできないのだ。なぜなら、生産性こそが、より高い賃金や利益を生むお金をつくり出すからである。」
「さらに極めて重要なのは、研究開発分野に対し、多額の投資が必要だということである。その目的は、日本企業が世界のリーダ−になるために、広範な産業分野において、新製品と革新的産業技術を見つけることにある。」

というわけで、来る十年、日本は"新たな黄金時代を迎える"という割に、その必要条件はあまりにまっとうとも言えて、タイトルから感じられるほどは決して楽観的なものではないということだろう。

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●橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』

というわけで、読み直し。(以前のエントリーはこちら
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「人生を経済的側面から語るなら、その目的は何ものにも依存せずに自分と家庭の生活を守ることのできる経済的自立を達成することにある。
 自由とは人生に複数の選択肢を持つことだ。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存し、そこにしがみつくしか生きる術がないのなら、新たな一歩は永遠に踏み出せないだろう。
 自由に生きるために一定量の貨幣が必要なら、与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に達成することで人生はより豊かになるはずだ。経済合理的に行動すべき理由がここにある──。
 自由や富が幸福な人生を約束するわけではない。それは未知の世界を旅する通行証のようなものではないだろうか。
 いつの日かその扉を開けてみたいと、私はずっと夢見てきた。」

 巻末に挙げられている参考文献をメモ。
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ゲーリー・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』
ロバート・バロー『経済学の正しい使用法』
ロバート・バロー『バロー教授の経済学でここまでできる!』
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
森村進『自由はどこまで可能か』
稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』
デイヴィッド・ボウツ『リバータリアニズム入門』
副島隆彦『世界覇権国家アメリカを動かす政治家と知識人たち』
有賀・伊藤・松井編『ポスト・リベラリズム─社会的規範理論への招待』

 冷徹とも言えるが誠実。橘氏の魅力は、徹底した合理性にもあるけれど、行間に感じられる著者の誠実さでもある。橘玲のペンネームと使って文章を書くにあたっての制約を記載している。「自分自身の体験のみから語ること」「制度を批判することはあっても、それを担う個人を批判しないこと」。こうした執筆に当たっての真摯な姿勢に、"美意識"をも感じさせて"かっこいい"のだ。

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2007年01月18日

●ウォルター・ブロック『不道徳教育』

 著者よりも翻訳の橘玲氏の存在があらためて際立つ。アメリカでは76年に出版されたものを橘氏が見いだし、事例を日本に置き換え、わかりやすく"超訳"したもの。前文として付け加えられた橘氏の「はじめてのリバタリアニズム」が、リバタリアニズムの意味、意義をわかりやすく解説している。これが相変わらずいい。
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 本文のほうは、売春やドラッグなどの全面自由化を求めて、刺激的ではあるけれど、ゲーリー・ベッカーを先鋭化させた感じで、今となっては想定内。
 橘氏の前文から。

「近代的な主体の虚構性をえぐり出すポストモダニズムの根源的な批判は魅力的だが、社会の変革にはなんの役にも立たず、いつしか無意味な言葉遊びに堕していった。それに対してフランス革命とアメリカ独立宣言を出自に持つ古色蒼然たるリバタリアニズムは、200年の時を経てもなお「改革」のヴィジョンを示すことができる。超近代はいつまで待っても訪れず、私たちはいまだに近代の枠組みのなかで生きており、それを「越えて」いくことはできないのだ。
 リバタリアニズムの本質は、「自由な個人」という近代の虚構(というかウソ)を徹底する過激さにある。その無謀な試みの先に、国家なき世界という無政府資本主義(アナルコキャピタリズム)のユートピアが蜃気楼のように浮かぶとき、人はそれを「希望」と呼ぶのかもしれない。」

 橘氏個人のリバタリアニズム的主張は、『雨の降る日曜は幸福について考えよう』がよかった。もう一度、こちらをチェックしてみよう。

投稿者 esaka : 21:27 | コメント (0) | トラックバック

●トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

 以前、「ミドルクラスの仕事について」は、「編集の行方」のほうに書いたが、その他の部分をいまさらだけど、こっちで整理メモ。

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○フラット化の要因
・ベルリンの壁の崩壊と、創造性の新時代
・インターネットの普及と、接続の新時代(ネットスケープ)
・共同作業を可能にした新しいソフトウェア(HTML、XML、AJAX……)
・アップローディング:コミュニティの力を利用する(オープンソース、ウィキペディア、ブログ)
  フラット化の要因10のうち、アップローディングは最も破壊的にひろがる力を秘めている。
・アウトソーシング:Y2Kとインドの目覚め(真夜中の雇用)
・オフショアリング:中国のWTO加盟(国内と海外の工場の使い分け)
・サプライチェーン:ウォルマートはなぜ強いのか("作っている"のは、超効率的なサプライチェーンだけ)
・インソーシング:UPSの新しいビジネス(第三者によるロジスティクス管理)
・インフォーミング:知りたいことはグーグルに聞け
・ステロイド:新テクノロジーがさらに加速する(デジタル、モバイル、バーチャル、パーソナル)

「世界がフラット化しても、壁を設けようとせず、これまでどおり自由貿易の一般原則を貫くほうが、アメリカの国全体として大きな利益が得られる。

 いまのアメリカの若者は、中国やインドやブラジルの若者と競争することになるのを、肝に銘じたほうがいいだろう。グローバリゼーション1.0では、国が、グローバルに栄える方法か、最低でも生き残る途だけは考えなければならなかった。ゴローバリゼーション2.0では、企業が。今のグロバリゼーション3.0では、個人が、グローバルに栄えるか、せめて生き残れる方法を考えなければならない。

 生涯にわたって「雇用される能力」という筋肉をつけるうえで、政府には重要な役割がある。アメリカの労働人口全体の教育水準を高め、刷新することだ。

 いまの生活水準の向上を続けるには、未来を創りつづける人間を生み出すような社会を築くほかに手はない。

 インドと中国は、まず安い労働力と高度のテクノロジーと高度の創造力で、問題の解決に専念し、自分たちの未来を描き直す。そのあとで、アメリカに的を絞る。アメリカも、同じことが出来る人々をおおぜい抱えなければならない。そう、これが最後の警告だ。」

 ベルリンの壁崩壊とインターネットの普及がもたらした90年代以降の世界的な社会変化の趨勢をかっちりと捉えている。インドや中国との競争を強いられるこれからの若者に何が必要なのかという視点で書かれる後半が面白い。アメリカの国益や、アメリカ人の教育論に至るわけだが、そのあたりの事情は日本もまったく同じだろう。やや煽り過ぎ、だと思うけど。

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●野村総研『2010年日本の経営』

"2010年"シリーズをぞくぞくと出す野村総研。これからの日本の経営について、「最大のフォースである人材の変容(量的な不足感+質的な仕事感の変化)の問題を解決する中心的なソリューションは理念・ビジョンの再構築・再活用である」という提言を柱とするもの。
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「NRIは企業経営者と議論を積み重ねる過程で、人材の変化に経営者が頭を悩ませていることを感じた。 

 ネコ型は、おもしろいと思う仕事、自己形成に役立つ仕事・企業には強い興味を示す一方で、会社や組織への忠誠心は希薄。若い人に多い。……背景には、社会人になるまでの成長環境の影響がある。少子高齢化のなかで、一人の子供を・・多くの大人が取り囲み、その結果、幼少期から自尊感情を強く持ち、実態以上に有能感を持ってしまった。また幼少期から豊かな生活を送っているため、高度成長期のような「豊かになりたい」は目標ではなく、より高度な自己実現を追求する。

 人材がネコ化すると、個々人が異なったベクトルに力強く走ってしまい、企業には「遠心力」が働く。新しい製品・サービスなどの新しい発想は異才から生まれやすいが、さらに新しい発想がより大きな力になるためには、異才を融合し、一定の求心力を持って組織化されていることが望ましい。そこで求心力をいかに生じさせるか。具体的な指示命令や計画・戦略というよりも、心の奥底に響かせることが重要である。

 ネコの時代に求心力おtなる手段は「理念・ビジョン」だと考える。
 日本企業の経営において理念・ビジョン(古くは社是・社訓)は古くから存在していた。しかしマネジメントの施策として効果的かつ本質的に機能してきた時期は、過去に二回存在し、2010年代は、理念・ビジョンが重視される3度目の時代となる。
一度目 江戸時代の商家時代
二度目 戦前戦後の起業時代
三度目 2010年代へ向けて

{時代を越えた共通項}
・多様な人材のマネジメント基盤
・困難に立ち向かう局面で必要な拠り所
・経済的処遇を補完する求心力

 2010年代にあるべき理念・ビジョンを起点にした経営モデルを、NRIは「ビジョナリー・エクセレンス」と名付けた。ビジョナリー・エクセレンスとは、理念・ビジョンを従業員に響かせ、持続的に体現する好循環を生み、他のステークホルダーも響かせ、企業価値を高める経営モデルである。」

 従業員に対しても、顧客に対しても、何を提供できるのか、という根本的なところで、混乱している今、改めて、"ビジョン"を再構築し、提言しようというのは、経営者のみならず、政治家を含めて、あらゆる個人が考え直す必要がある・・ように思う。それは、これからどう生きるのか、というような価値観の問題とも言えて、そんなことをシンクタンクに言われなくてはならないというのも・・なかなか難しい時代だということだろう。

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2007年01月17日

「電子立国」日本の悲しい現実?

1月8日付日経「経営の視点 「電子立国」日本の悲しい現実」からメモ。
・自動車と並んで日本経済を牽引してきたエレクトロニクス産業が弱体化している。
・大手電機企業の不振は日本経済全体に暗い影を落としている。
・1980年代半ば、90年代に記録した最高益を更新できず、売上に対する営業利益率も低落し、衰退産業のよう。
・この間、世界のIT産業は、ネットや携帯電話で大きく成長。
・NECも、NTTの次世代ネットワーク計画に期待するなど、国内に「ひきこもる」。
・かつて世界トップ水準だった一人あたり国内総生産は、今ではアイルランドにも抜かれ欧州各国の中では中位レベルに。
・理由は様々だが、IT化の波を捉えられないかった、電機産業の不振がその象徴ではないか。
・松下電気産業が日本ビクター売却を検討するなど、再編の芽も出てきているが、復活に向けた残り時間は少ない。

 確かに、ウェブサービスの世界的な流れに、日本の企業は取り残されている感じはあるし、結果的に国内市場内だけで争うことになったケータイの戦略は、大きく誤ったと思う。けれど、それが一人あたり国内総生産の下落とどう関係があるんだろう・・。だいたい"一人あたり国内総生産"が持つ意味というのもよくわからない。

 先日の「日本の1人あたり名目GDP、14位に後退」という報道も、日本の衰退感を感じさせてショッキングなものではあった。内閣府で確認(OECD諸国の一人当たり国内総生産 PDF)すると、88年から2000年あたりまで、おおよそ5位以内だが、それから下降をはじめて、2002年に7位、03年10位、04年11位、05年に14位に。確かに、たいへんな凋落だが・・これってユーロ高の影響のほうが単純に大きいような・・(為替相場推移)。05年の上位は、1位からルクセンブルク、ノルウェー、アイスランド、スイス、デンマーク、アメリカ、スウェーデン、オランダ、イギリス・・。
 大手電機企業の不振は、憂うべきものがあるけれど、"一人あたり国内総生産"の順位が下降したこととは、あまり関係ないように思うな〜。

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2006年12月25日

●小島寛之『エコロジストのための経済学』

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「環境問題をなかなか解決できないのは、人間が愚かだからではなく、まったく逆で、賢く合理的に経済行動をする生き物だから、ということだ。つまりこの本では、人間の「合理的行動」がどのようなメカニズムで環境を毀損し、またどうしてそういう状態から自律的に脱出できないのか、それを説明している」

「現実の環境問題を解説し、それを受けて、その環境問題と関連のある経済理論を紹介する手順である。具体的には、地球温暖化問題からコモンズの理論へ、広域大気汚染問題から戦略的ゲーム理論へ、干拓問題・ダム問題からケインズ理論へ、水俣病からコースの定理へ、という具合だ。・・読者は、歴史的事例のおさらいできるばかりでなく、現代の経済理論をも総覧することができる。」

 環境問題をフォローしながら、経済理論の考え方がざっくりと理解できるというすごい構成。ロンボルグや山形氏の発言(浅田彰氏との論争にも)など広く目配りもされている。
 そして、「確かに経済システムは、環境問題の解決を邪魔している主犯格だが、逆に環境を主役に据えることで、現在のものよりもっと好ましい経済システムをつくれるかもしれない」という主旨で、現在の経済システムの代替案を検証。
 続編が読みたい。

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2006年12月20日

●小島寛之『確率的発想法』

"確率的発想法"とは、"不確実性をコントロールするための推論のテクニック"。ベイズ推定、ロールズの「正義論」……刺激的な展開。
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 中西準子の「リスク・ベネフィット」への批判もあった。

「環境リスクをある地域が受け入れる場合、損失余命の水準だけではなく、経済機構全体をよく理解し、ほんのわずかなトラブルが商品価格をカタストロフ的に変えてしまうことをきちんと見込んだ上でなければ、それは合理的な選択とはいえないでしょう。」

う〜む・・。

 自動車の社会的費用について・・1967年、運輸省は自動車の社会的費用は、一台あたり7万円と発表。自動車工業会は、1971年に一台あたり6622円と報告。野村総研は、17万8960円と発表。その後宇沢弘文は、一台当たり年間200万円と試算。運輸省の試算方法は、交通施設の整備、自動車事故の損失額、交通警察費、交通思想普及費、道路混雑による損失などを計算し、その合計額の増加分を自動車増加分で割る。野村総研は、これに排ガスによる環境汚染の費用も計上。

「宇沢は、まったく異なった発想から自動車の社会的費用を計算しました。基本に据えられていたのは、「自動車の存在によって何が失われているのか」、逆にいえば「自動車社会を選択しなければ何が享受できたのか」、という根本的問いかけです。宇沢はそれを、「市民の基本的な権利」としました。……市民的権利が保証されるために最低限度必要なこととして、車道を左右4メートルずつ広げ、歩道と車道を並木によって分離することが必要であることを主張し、これに必要な費用を一台当たり年間200万円と計上したのでした。」

 う〜む・・。

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2006年07月05日

スティグリッツ「温暖化ガス削減 環境税で」

 昨日の日経新聞「経済教室」欄。ジョセフ・スティグリッツによる、温暖化ガス排出量削減のためには、アメリカが批准していないうえに、発展途上国の不満が高い京都議定書方式よりも、排出量に応じて環境税を課税せよ、という提言。今秋にこの内容を含めた「Making Globalization Work」を出版するらしい。

「解決策はある。世界共通の環境税を排出量に課税すればよい。温暖化ガスを排出すれば社会的なコストが発生するから、それを全員で負担しようという発想である。これは、個人・企業を問わず限界生産費用は全額負担しなければならないという基本的な経済の原則とも一致する。もちろんそのためには排出に伴う社会的費用の評価が必要で、各国がこれに同意することが前提となる。…
 そもそも温暖化ガスの排出をはじめとする公害などの「バッズ」に課税するほうが、労働や貯金などの「グッズ」に課税するより理にかなっている。こうすれば、全体的な経済効率の向上にもつながる。…
 国民がかぶるコストは、環境税で発生する政府規制・税・補助金や独占などによる総余剰の減少と環境税の導入で軽減される税金との差額だけである。…
 京都議定書の目標達成のために世界は多額の投資をし、かなりの世界を挙げてきた。だが現在の行き詰まりの打開策はどの国からも提案されていない。今こそ新たな取り組みを考えるべきときである。…
 環境汚染で利益を得る石油企業などからの政治献金がモノを言うようないかがわしい政治制度とあれば、なおさらだ。すべきことはわかっているし、手段もある。あと必要なのは政治的決断だけだ。」

 う〜ん、スティグリッツの言葉なので、ひじょうに重いわけだけれど、京都会議の段階で、発想としてはより明快なこの世界共通環境税とならず、京都方式になったという政治力学が問題。さらには、CO2排出と温暖化の関係性を強く疑う人々も多いわけで、そのあたりの科学的な見地が共通認識とならないと話は進まない。が、ノーベル経済学賞受賞の巨匠の発言、ということでメモ。

・関連エントリー
ジョセフ・E・スティグリッツ『人間が幸福になる経済とは何か』

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2006年05月30日

山岸俊男「利他性のルーツ」

 5月第一週あたりに日経新聞「やさしい経済学」欄に掲載されていた小さな連載をメモ。山岸氏の本は読んだことがまだ読んだことがないのだけれど、以前話題になっていた『信頼と構造』は読まないと、と思っていたところ。

「従来の社会科学では、利他行動は理性と文化に由来すると考えられてきた。…これに対して、現在、人間の利他行動を進化の観点からとらえなおそうとする動きが生物学だけでなく、経済学を含めた社会科学のなかでも生まれている。すなわち、人類には利他行動を促進する「人間性」が種として備わっているのだ、人間は「協力種」なのだという考え方である。
…違いは、社会の制度設計にあたり大きな意味を持つはずである。」
「互恵的な行動を超えた利他行動は進化可能か、もしそうだとすれば、いかにして可能なのか。この問いに対しては現在、3つの筋道からの解答が試されている。
第一は、評判による説明である。…我々の祖先たちにとって、集団から追放されることは極めて重大な意味を持っていた。…追放など致命的なエラーを回避するためには、常に利他的にふるまうほうが長い目で見て有利な戦略となる。
第二の説明は、共感性による説明である。共感性とは、他人の痛みを自分の痛みとして感じ、他人の喜びを自分の喜びとして感じることをいう。…共感性が自己利益を生み出す可能性はいくつか考えられる。…他者がどう感じるかを自分で感じることができれば、他者の行動をうまく予測できるという説明である。この場合に得られる利益がどれほど大きいかは、他者の感情を感じられないある種の人たちが、普通の知能を持ちながら、社会適応のためにどれほど苦労するかを考えればよくわかる。
第三の説明は、集団淘汰による説明である。
人間社会での利他行動・協力行動の謎の解明は、人類の未来を明るいものとするために不可欠な研究である。…現在、米サンタフェ研究所を中心に経済学者、人類学者、生態学者、ゲーム理論家などからなる大型研究プロジェクトが進みつつある。」

 これは、面白い。ネット上での行動原理を考える上でも、こうした研究は重要だと思う。先行きをチェックだな。

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2006年05月25日

●吉本佳生『金融広告を読め』

 橘玲氏の本で紹介されていたので、少し読む。金融機関の広告の架空サンプルを具体的に取り上げて、その読み方を解説する、というもの。
 サンプルが大量にあるので、面倒なのだけれど、読めば読むほど、こんな広告が許されていていいのか、と驚くようなものばかり。それも、とんでもなく巧妙。金融機関の広告に感じられるある種の"胡散臭さ"が、具体的に示された、といったところ。

「筆者は、銀行や証券会社や保険会社などの金融機関は、歓楽街にある"風俗産業"と同じような商売のやり方をやっていると思っておけば、おおむね正しいイメージでつきあうことができる、と考えています。」
「実現はたぶん無理でしょうが、問題解決の考え方として、ぼったくり金融商品を社会から駆逐したければ、消費者ひとりひとりが判断力を高める以外に方法はない、との認識に立つべきです。」」

 結局、自己責任しかない、ということなのだが……昨日も、こんなニュース(「大手銀、空前の好決算」)を読んだところで、なにか笑うしかない。

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2006年05月22日

●橘玲『臆病者のための株入門』

 株や投資にはあまり積極的な関心がないのだけれど、橘玲氏が書いたものとなれば、とりあえず読まないわけにはいかない。
 投資関連の書籍は大量に出ているから、それだけ投資ノウハウの解説書は、多くの需要があり、また多くの説があるのだろうが、橘氏の論は、相変わらず、
論理的で明快。

「株式市場ではたらく人たちはこれまでずっと、
ギャンブルはうさんくさい。
株式投資はうさんくさくない。
だから、株式投資はうさんくさくない。
という三段論法でひとびとを納得させようと躍起になってきた。…困ったことに、どんなに否定しようとも、株はやっぱりギャンブル(偶然のゲーム)なのだ。
…考え方をコペルニクス的に転換して、株をギャンブルと認めてしまえばいいのである。
ギャンブルはうさんくさくない。
株式投資はギャンブルである。
だから、株式投資はうさんくさくない。
…だから、大事なのは、すべての参加者に公正で公平な投資機会が与えられる開かれた市場を作ることだ。そうなれば、株式投資についてのみんなの見方cはずいぶん変わるだろう。」
「未来の株価を必ず当てるアナリストがいるとすると、投資家は彼の予測のみにしたがって売買しようとす考えるから、特定の投資家が世界中のすべての富を独占するか、誰も儲からなくなるか、いずれかの結論になる。これは論理的な必然であり、そうした事態が起きていない以上、「必ず当たるアナリスト」が存在しないことが証明できる。」
「資本主義は自己増殖するシステムである。日々の経済活動のなかで差異を見つけ、それを富に変え、そこからまた差異が生まれ……。資源問題や環境問題など外的な制約がなければ、理論的には、この運動は無限につづく。だったら、「市場ポートフォリオ」への投資とは、グローバルな市場そのものに投資するということではないだろうか。」
 橘氏の投資法が、その筋の人たちにどう受け止められているのかはわからない。けれど、その論理的な展開はしごくまっとうに思える。また、株式市場関係者ではない、という冷めた視線も、かっこよく見えるところ。

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2006年01月31日

●西正『IT vs 放送 次世代メディアビジネスの攻防』

 既存のメディアが、ネットの登場によって、その将来を危ぶむ・・というのは、インターネット出現以降、よく見られてきた姿。思いつくところでも、津野海太郎『本とコンピューター』(93)、湯川鶴章『ネットは新聞を殺すのか』(03)、津田大介『だれが「音楽」を殺すのか?』といった本がそうした問題を扱っていて、出版、新聞、音楽産業の順で、デジタル化への対応に直面してきた。その流れでいえば、この本は、「ネットはテレビを殺すのか?」といったもの。

 去年から騒がれている"放送と通信の融合"というと、よくあるのはITを専門とする者が、通信が放送を飲み込む、というスタンスで話を展開させがちだが、この本は、どちらかというと既存のメディア側にたって、変化せざるをえない今後の対応、選択肢を詳細に模索するというもの。それゆえに、IT専門家が語るより、リアリティがあるともいえる。

 例えば、NHKの受信料制度や、民放のテレビ広告市場の縮小によって、地上派放送のビジネスモデルが限界に達し、無料放送が消滅することを恐れる。これによって、

「結局のところ、今の地上波放送のビジネスモデルが大きく変わることになれば、視聴者にとって不幸のシナリオしか描けそうにない。何事もほどほどにしておくことが肝要である。既存の地上波放送のビジネスモデルが壊れつつあるのは利便性優先主義によるものとはいえ、誰もが盤石と思って安心しきっていた足元の部分が少しずつぐらつき始めていることに、視聴者自身も早く気がつくべきだろう。」
まさに大人の発言だが、同じ立場にたっての"規制"は目にしたくないもの。

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2006年01月24日

●橘玲『永遠の旅行者』

 一般的には、"Lifehacks"というと、仕事の生産性をあげるための時間管理術やデジタルツール利用術だが、文字どおり人生をハックする、と捉えると、もう少し別の使われ方をすべきだと思っている。個人の人生をハックするには、社会システムを分析せねばならず、その社会システムに対して、個人が何をできるのかを考え、アプローチするのが、"Lifehacks"だと思うのだ。

 そうした意味で、橘玲氏はまさに真の"Lifehacker"。橘氏のこれまでの著作は、表面的には節税・利殖法が書かれているわけだが、現代社会の中で、「真に自由な人生を生きる」ということを合理的に考えた結論が、国家に拘束されない究極の自由=「PT(Perpetual Traveler)」という姿だ。よくある利殖本は、ただこの目的のための手法を解説しているわけだが、橘氏は、常に、"自由"というものがあり、PTや節税はその手段にすぎないのだ。橘氏の特徴は、その切れ味するどい合理的思考と、背景にある醒めた視線だ。

 この小説は、まさにそのPTが、本のタイトルとなっている。相変わらずの鋭い情報分析能力が披露されているが、小説という形式がよかったのかどうかは、少し疑問の残るところ。それもできてしまうところが、橘氏ならでは、なのだけれど。

投稿者 esaka : 21:20 | コメント (0) | トラックバック

「経済行為 脳科学で解明」

なかなかたいへんなことになっているが、先週の「This week in Hotwired Japan」あとがき に書いたものをここにも転載。

近頃読んだ本などから。
「お金は富ではない。富を移動する手段にすぎないんだ。だから、ある時点に決まった量のお金しかほかのものと交換するのに使えないからといって、世界中に決まった量の富しかないということにはならない。富は創り出すことができるんだ。」(『ハッカーと画家』ポール・グラハム)
「富裕四族。都市リッチはアイドルだ!」(『生活新聞』博報堂生活総合研究所)
「消費者金融で借金を重ね、自己破産する人が絶えないのはなぜなのか。経済学者と脳科学者が協力してこんな問題に挑んでいる。最近、高利の融資に手を出したり衝動買いしたりするのは脳本来の働きの一つで、「非合理な過ち」とは言えないことがわかってきた。」(『日本経済新聞 サイエンス欄』)
バブル的熱狂を近くで目にするのは、3度目。今回は、いまのところ一企業の話だが・・。

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2005年09月13日

●幸田昌則『下がり続ける時代の不動産の鉄則』

 『スクラップエコノミー』の資料にあげられていたので、手に取る。都市と地方の格差が広がっているとはよく言われるが、不動産価格の視点から見ても、2極化が急激に進行していて驚く。三大都市圏別の人口の転入超過数の推移がグラフ化されていて、転入超過しているのは首都圏で、大阪圏は1973年以降はずうっと転出超過。北海道では札幌市、九州では福岡市への一極集中が明らか。不動産価格の先行きというと、ときに抽象的に語られることがあるが、さまざまな数字をグラフ化して示していて、納得できること多し。

住宅取得への金融緩和
不況の進行
都心再開発化政策
 ↓
不況の進行、先安感による企業・個人の土地放出
 ↓
大量供給(マンション、建売住宅、オフィスビル)
 ↓
需給関係の悪化
価格の低下による一時的な利回りの上昇
 ↓
空室の増加、賃料の下落(都心オフィス、都心マンション、アパート)
 ↓
不動産全体の収益力の低下
 ↓
日本の不動産全体の価格再調整の兆し

「少なくとも「住宅」そのものの数はすでに全国ベースで見ても世帯数を上回っており、約660万戸近くの住宅が空家となっている」
「これからの日本の不動産価格の上昇は極めて限定的で、今後の不動産取引においては、「価格の下落、賃料の下落」を前提にして判断しておく方がリスクは小さい。」

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2005年09月08日

●石渡正桂『スクラップエコノミー』

 千葉県庁で産業廃棄物行政を担当して、産廃Gメンの設立に関与した著者は、この本では、都市再生政策や住宅の向け金融政策、さらに戦後日本の経済慣習を問題にする。産業廃棄物が不法投棄される社会的な構造を考えて行くうち、そういう視点に至ったんだろう。

「豊かさの中の貧困というジレンマから抜け出すには、フロー重視、ストック軽視の経済構造を改め、都市の破壊と建設を止め、住宅の財産としての価値、都市の社会資本としての価値を回復しなくければならない。そのためのキーワードになるのが、低回転社会モデルである。」
「住宅の寿命は、物理的、法的、経済的、歴史的という4つの捉え方ができる。常識的には、取り壊されることで住宅は物理的な死期を迎える。住宅の平均使用年数は、日本では26年、アメリカでは44年、イギリスでは75年と言われる。・・日本の住宅は自動車と同じ耐久消費財にすぎない。」
「莫大な公共投資を続けてきたのに、日本の都市がその投資額に見合うだけの社会資本を有していないのは、スクラップ&ビルドの都市建設の構造に原因がある。
 スクラップ&ビルドの伝統は、明治期以降の殖産興業と戦後の復興重要によって培われた、日本独特の都市開発の構造であるとも言えるし、殖産興業・戦後復興を永遠に続けるためのトリックであるとも言える。」
 ここ数年、ヨーロッパのライフスタイル、価値観に興味があるのは、ヨーロッパが、日本にない豊かさをヨーロッパが実現していて、それは、ここでの言葉で言えば、フローよりもストックを大切にする社会を実践している、と感じるからだ。身近なところでは、日本のお粗末な住宅に対しての不満があるし、モノを買うことでしか、豊かさを認識できない社会に属していることの苛立たしさが常にある。

 こうした差が生まれる原因には、税金や制度などの社会システムの違いと、習慣や倫理・価値観の違いがあるはずで、この本は、システム面を問題にしている。
 住宅問題については、中古住宅市場の確立、土地所有権の分割(所有と利用)、相続税の廃止、などが書かれているが、欧米との違いについては、もう少し勉強しないと・・。

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2005年08月23日

富裕層&オトコの消費

 かつてあったさまざまな境界 (日常と非日常、夜と昼、繁華街と住宅街、大人と子ども・・)が、ここ数年、急激に曖昧になっていて、多くの問題は、その混乱の中で起きている・・という気がしているのだが、その逆に、最近、目立ち始めた境界は、「富裕層」という区分けだ。

 団塊世代のプライドを刺激しながら、消費を煽るための道具として使われ始めている気もするのが、何か嫌な気分にさせる。さらに、「レオン」のようなファッション的な流行と結びつきつつあるのも、ゲンナリ。

 この流れをかなり煽っている感のある日経新聞は、先日から「目覚めたオトコの消費」という小連載をやっていて、「質のよさ、快適さの追求にお金を惜しまない豊かな男たちの消費が活発だ」という。

 富裕層は、「所得税の最高税率低下(86年70%→現在37%)や、起業・株式公開が容易になったこと、成果報酬の広まりで高所得者が増えている。戦後生まれが50代になり「金持ちでも生活は質素」を良しとする価値観が廃れ、豊かさを隠さない「顕示的消費」をする米国的富裕層が増えたことも、富裕型消費が目立ち始めた背景にある」とのこと。

 さらに、「優勝劣敗が明確になり、所得格差が開く方向にあるニッポン社会。こだわりを追求するリッチな男たちと、彼らへのあこがれを巻き込んで、富裕層消費が加速する」という。
 加速させようと、力んでる、と見えますが・・。

投稿者 esaka : 01:55 | コメント (2) | トラックバック

2005年08月20日

対ユーロ

 アムステルダムに滞在して気になったのは、円とユーロの為替だ。いろいろなものが高くて、アムステルダムの物価というよりも、円がユーロに対して、かなり安くなっている、という感じがした。1ユーロ 130円台だが、100円くらいでちょうどいい、と感じることが多かったのだ。
 クレジットカードの会員誌「GRAN」の連載で、村上龍氏が、フィレンツェのホテルがびっくりするほど高価だったたことを、こう書いている。
 「1ユーロが100円だったら何とか納得できる料金なのだが、ドルと並んで円はゆるやかな下落傾向にあるのでしょうがない」
 為替相場の推移を見ると、確かに 00年末から徐々にユーロが高くなっている。ちょっと詳しい方には、当たり前のことなんだろうけれど、円ードル間の動きしか知らなかった・・。ユーロの動向は、これからチェックしよう。

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2005年06月28日

●原田泰『世相でたどる日本経済』

 江戸時代から第二次世界大戦後までの日本経済を、様々な資料を駆使して、その実情をわかりやすく説明する。江戸末期や明治の生活というのは、歴史の出来事としてはなんとなくわかったつもりなのだが、実際、どんな生活が営まれていて、現代とどう違っていたのか、ということはなかなか理解しにくい。たとえば、エコロジーを強く指向する人に多いのだが、現代社会の過ちを正したいがために、過去を美化することもある。そこで「江戸時代のほうがよかった」「縄文時代は、美しかった」というような発言になりがちだ。では、実際、過去のその時代の社会というのはどういったものだったのか。これを理解するのはなかなか難しかったのだ。

「利用可能なデータは多くないが、維新前の 1846年〜55年に平均と比べて、東京の実質賃金は、1871~79年平均で、 67%上昇したという。居住移動が自由であり、この間に労働力人口が減少したこともない以上、この傾向は全国的であり、かつ全産業におよんだと考えても、それほど大きく誤ってはいないだろう。つまり、1850年前後から 1875年前後にかけて、日本経済は実質で3分の2ほど増大した(年率2%の増加)と考えることができるだろう。
 ・・ 1800年以降に、人口増加が見られたことから、徳川時代にも経済発展があったと言われているが、その成長率は 1%にすぎない。2%以上の成長は、幕末にとられた開国と、その後の明治維新の経済改革のゆえであると言ってもよいだろう。」
こんな具合で、経済学的視点に則った解釈で、切れ味抜群。こういった読みやすい本をベースに、経済学の門を叩く、というのはなかなかいいかも。

投稿者 esaka : 21:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月22日

●牧野洋『最強の投資家 バフェット』

 投資家の人生や投資ノウハウにはほとんど興味ないのだけれど、たまたま手に取ったこの本は意外に面白かった。ここで描かれるのは、アメリカ第二位の富豪、バフェットの投資経歴、企業買収遍歴を通して垣間見えるバフェット流「企業経営哲学」だ。
 ビル・ゲイツとの関係を描いた部分からメモ。

「経営者としてのゲイツを観察すれば、バフェット的な部分が浮かびあがる。まず、個人資産の大半をマイクロソフト株で保有し、バフェットが好む「マネージャー(経営者)はオーナー(株主)のように振る舞え」を実践している。バフェット同様の富の大半を株式保有で築き上げ、自社株の大量保有を続けることで株主とリスクを共有しているわけだ。」
“企業は誰のものか”を考える上でも、面白い。

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2005年03月10日

「日本の人口減少は悲劇じゃない」

インフルエンザからようやくなんとか復帰。参りました・・。

先々週の朝日新聞に出ていた「フィナンシャル・タイムズ社説」をメモ。詳細は異なるが、同じような主張は、以前エントリーした原田泰『奇妙な経済学を語る人々』でもあった。

・人口減少は、人口や生産力と関係する経済成長率に影響を及ぼすが、生産力を上げれば成長は可能だ。
・北欧型の政策を導入し、働く女性を手厚く支援すれば、女性の労働参加と出生率の両方を上向かせることができる。それができないなら、外国人労働者の受け入れを緩和するしかない。
・それでも、少子高齢化による人口減少は必ずしも悲劇とは言えない。
・人口増加の圧力が減るのは、地球にとっていい。温室効果ガス削減も達成が簡単になる。
・短期的に見ると、日本経済が弱くなるとは限らない。
・当分は労働人口は安定するし、金をよく使う傾向のある独身者が、国内消費力を支えると指摘する経済学者もいる。
・日本が軍国主義に戻るのではと危惧する周辺諸国も安心するだろう。

投稿者 esaka : 20:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月23日

●田中秀臣『経済論戦の読み方』

『エコノミスト・ミシュラン』で展開された、インフレ目標を導入し、より一層の金融緩和の推進すべき、というリフレ派の考え方は一貫している。かつ、竹中平蔵、木村剛、榊原英資、リチャード・クー、高橋乗宣、吉川元忠、野口悠紀雄はダメダメというのも一貫。とてもまっとうに思える。
この一貫したまっとうさが、いつまでも、今ひとつ一般的認識になりきらないのはなぜなのか。ブログも始められているようだが、テレビや新聞に露出して、わかりやすくねばり強く頑張ってもらうしかないのか・・。

投稿者 esaka : 03:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月11日

●ゲーリー・S・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』

この人の本も、もっと早く読むべきだったな・・。ここで展開される論理は明快。自由主義にもとづく市場経済原理で、世の中簡単。その鋭さ、明解さは、一部で‘経済学帝国主義’などと呼ぶ方もいるようだけれど。
目次から大まかにピックアップすると、
・宗教も自由市場によって栄える
・乱獲を断念させるために、漁獲に課税せよ
・最低賃金を引き上げると、失業者は増加する
・対価を払いさえすれば、迅速に移民できるようにしよう
・所得の不均衡は悪いことばかりではない
・いわゆる差別撤廃措置はやめるべきだ
・刑期を厳しくすれば、銃器携帯者による発砲は抑止されよう
・麻薬の合法化を肯定する人が増えつつある
・安い石油は歓迎すべきである
・高齢層へのパイの分け前は多すぎる
・日本株式会社が日本を強くしたわけではない
最良の産業政策とは、何もしないことである
・大きな政府は時代遅れだ
・スウェーデンを手本にするのは疑問がある
・通貨統合は忘れよう:通貨同士で競争を
・自由市場によって人口爆発に対処しよう
・冷めた頭で地球温暖化に対処しよう
・終末論を信じるな
・マイクロソフトに連邦政府は干渉するな

「教育・結婚から税金・通貨問題まで」論じられるテーマは幅広いが、展開のベースとなっている考え方はすべて同じ。環境や共生を語る側からは反発も大きいことは想像できる。しかし、無視できないほど強力だと思う。

投稿者 esaka : 23:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月19日

●岩田規久男『日本経済を学ぶ』

経済‘入門’書は、もう何冊目だろ・・笑。これは、岩田氏の著作の中でも、飛び抜けてやさしく解説してくれていて助かる。新書ならではの「公開講義」スタイルも読みやすい。コンパクトだけれど、戦後の高度成長から「失われた10年」までを丁寧に振り返り、今、必要な経済政策にしっかりと落とし込んでいて、しっかりツボを突いている。書かれた時期が、ちょうどイギリスに滞在して研究中だったこともあって、サッチャーの改革の話題が所々出てくるのも、日本の経済政策が相対化されて、これもわかりやすい。

「04年は、デフレからの脱却が予想される中、今度は、国債残高の増大で、長期金利が急騰するのではないかと危惧されるようになりました。長期金利が急騰するかどうかは、市場がデフレ脱却後に、日銀が1〜3%程度の穏やかなインフレを維持できると予想するかどうかにかかっています。・・そのためにも、インフレ目標政策を採用して、デフレ脱却ではなく、穏やかなインフレを目指す金融政策に転換すべきだと考えます」

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2005年01月04日

レスター・ブラウン「環境と成長は調和できるか」

同じく朝日新聞1月2日版「未来を語る」の2回目からメモ。

・温暖化が一つの原因となって、数年もしないうちに世界中で穀物が不足する。
・世界人口は増えていくのに、それに十分な麦、米、大豆を生産できなくなる。
・アメリカ、中国、インドの内陸の穀倉地帯で温暖化の影響を受けやすい。
・アジアでは、ヒマラヤ山脈の雪が溶け、インダス、ガンジス、メコン、黄河、揚子江などで洪水が起きやすくなり、農地が荒らされる。
・中国が、穀物の大輸入国になり、世界の穀物価格が上昇。貧しい国には死活問題。新たな南北問題、紛争の火種に。
これに続いて、温暖化を防ぐには省エネを進め、再生可能エネルギーを利用する技術と、それらを普及させるための各国政府の政策で危機は乗り越えられるだろう・・という。危機の内容に対して、提示された解決策が有効なのかはよくわからない。

投稿者 esaka : 18:56 | コメント (0) | トラックバック

ポール・クルーグマン「世界経済はどこへ」

朝日新聞1月1日版「未来を語る(1) ポール・クルーグマン」からメモ。

・現在の市場重視の政策は、大恐慌につながる1910年代と基本的に同じ。
・歴史上経験したことのない不均衡のなかにある。その象徴がアメリカの経常赤字。
・やがて中国は世界最大の経済国家になる。
・ドル急落で、日中に巨額の為替差損。
・アジアはすでに実質的な経済統合が実現している。が、欧州型の統合をめざすには、アジア各国は経済の発展段階が違いすぎる。
・中国の人口はアメリカの5倍。一人当たりの生産性がアメリカの5分の1になれば、世界最大の経済規模になる。
・中国の成長の壁になるのは、大気汚染、水不足などの環境問題だ。
・日本は、バブル時代の過剰投資のツケはほぼ解消され、復活の芽はある。が、過去12年間何度も失敗しており、復活には成長を3年続ける必要がある。
・10年後にはアジア経済の中心は中国で、日本は格下のパートナーになる。
ここでのクルーグマンの予測は、アメリカの巨額の経常赤字がドル急落を招いて、世界経済に大打撃を与えるというものと、いっぽうで中国の急成長という2つ。他でさんざん目にしたことでも、この人に語られるとインパクト強い・・。

投稿者 esaka : 18:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月21日

日韓FTA

「アジア型共同体への道」という20日に朝日新聞の記事から深川由紀子氏の「日韓FTA、突破口に」をメモ。

・日韓中の3カ国の思惑は複雑。
・中国は、日本とのFTAに強い意欲を示してきた。
・日本は、中国には慎重な姿勢だが、FTAで高い水準が可能な韓国を早くから重視。5年の対話を続けて03年末、ようやく正式交渉に入った。
・韓国は、対日貿易赤字の拡大を懸念して、反対世論が強い。
・日韓FTAの先行に神経をとがらせる中国は、韓国を取り込もうとするが、韓国の農産物関税は平均すると日本より高い。
・日本は、05年に日韓FTA合意を目指す。
・韓国は対日文化開放への懸念が杞憂に終わり、韓流ブームが起きる中で、日本との共存の可能性を考え始めた。
・FTAで日本が「対等な立場」を強調する半面、韓国側には経済力格差への配慮を期待する気持ちがある。これが「傲慢」「甘え」と映るすれ違いが続く限り、最後の感情論を超えられない。
日韓国交正常化40周年にあたる来年は、「日韓友情年2005」も企画されていて、さまざまなイベントが各地で催されるようだが、このところの韓国ブームは、何か過剰に仕組まれた文化交流という気がしてならない。その元になった「冬のソナタ」も、NHKがあの手この手のPRで煽りに煽って、ブームを作り上げたと感じる。(たぶん、予期していた以上の成果だったのではないか。今、NHKの不祥事が問題になっているが、番組構成の背後に何かの力を感じさせることが多いことのほうが問題だと思う)。その狙いが、FTAの締結というのでは国家間の交流の形としてあまりに歪だ。憶測だけど。

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2004年12月06日

食料自給率56%? 70%?

食料自給率に関して、記事2つ。
一つは、11月30日の「食料自給率、なぜか16%アップ」というもの。現在、日本の食料自給率は40%なのだが、「食べ残しや廃棄した食料を除き、消費者が実際に食べた食料の自給率は56%に達するという試算をまとめた」という。笑った。数字は、独り歩きするだけに、その中身に注意して使わないと危ない。今回の食料自給率も、「自給率を引き上げるために農業予算をさらに増額すべきだという農業団体や農林族議員らの主張には影響を及ぼしそうだ。 」というオチが付いていて、笑いを超えてもの悲しい。
16日の「続 食と農の再生」から。食料自給率は、カロリーをもとに計算していて、野菜はカロリーが低いし、花は食料でないので自給率に反映されない。だから、日本の農業の力を現す指標ならば、金額換算の自給率の方がぴったりくる、という。03年で、金額換算すると70%だ。
食料自給率が結局何を表すのか。それが低いとどうして問題なのか。そのあたりの視点がごっそり抜けたままの議論は滑稽だ。数字は、何かを表した気分にはなるが、使い方を気を付けないと、と自戒。

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2004年11月04日

FTA新時代

先週の朝日新聞「アジアが繋がる FTA新時代」からメモ。
貿易自由化の手段には、大きく分けて3つある。
1、2国間同士の自由貿易協定(FTA)
2、地域の経済統合
3、世界貿易機関(WTO)

第二次世界大戦前、世界がブロック化を進め、排他性を強めたことが、世界経済を縮小させたという反省から、戦後、GATT→WTOの多角的貿易交渉が主流だったのだが、ここへきて、FTAが主流となっている。
FTAは、多国間交渉に比べて、交渉に時間がかからず、互いに関心のある分野に限った交渉が可能で、互いに開放したくない分野は除外できる。
FTAの取り組みは、欧米が先行。EUはFTAを内包し、EUと中東欧との間でもFTAが結ばれている。94年には、アメリカを中心に北米自由貿易協定(NAFTA)が結ばれている。
日本は、90年代まで多角間自由貿易を基本方針にしていたが、90年代末に方針を変える。
02年にシンガポールと、タイ、フィリピン、マレーシアとは年内合意を目指す。来年は韓国、来年からASEANと交渉を始める。日本が各国に要求しているのは、鉱工業品関税の撤廃と投資・サービス規制の自由化・透明化。
・フィリピン
 自国関税の撤廃は、自動車・自動車部品、電気・電気機器、鉄鋼を例外
 砂糖、バナナ、パイナップル、マグロなどの日本関税撤廃
・タイ
 自国関税撤廃は、自動車・自動車部品、鉄鋼を例外化
 コメ、鶏肉、砂糖、でんぷんの日本側関税撤廃
 マッサージ師、料理人の市場開放
・マレーシア
 自国関税撤廃は、自動車、鉄鋼の段階的または柔軟な取り扱い
 合板の日本側関税の撤廃
・韓国
 のりなど水産物の輸入割当制の廃止
 短期ビザ免除
〜〜〜〜〜
韓国では、まだ日本文化が完全解放されていないが、NHKが煽りに煽って始まった「冬ソナ」→韓流ブームも、日本文化開放、さらには日韓FTAが関連がある気がするが穿った見方だろうか。外国ドラマにかけるPRとしてはほとんど例がないほど、自局の放送の合間に絨毯爆撃的に大量の宣伝を繰り返した様は、何か背後の大きな力を感じてしまう。

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2004年09月30日

●橘玲『得する生活』

タイトルやサブタイトル(お金持ちになる人の考え方)からは、ありがちな利殖ハウツゥー本を予想するが、以前のエントリーでも書いたように、この人はやっぱり凄いわ。経済学者ともエコノミストとも、ファイナンシャルプランナーとも違う、市井のケイザイ生活思想家、とでもいうような趣になってきた。
この本でも、真ん中のクレジットカードやリゾート会員権の話よりも、前書き、後書きにあたる部分がいい。今回は、ノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーの主張を積極的に翻案。

「国家が貧しい人たちの生活を支援すると、働かずに国家に寄生して生きていこうとする人が増える。このようにして、崇高な精神から悪徳が生まれる。・・
 人類の歴史は、平等な社会が独裁国家の恐怖政治を生み出すことを教えてくれる。完全な平等を実現するためには、大規模な国家の介入が不可欠だからだ。・・
 人類の理想である「平等な社会」は、「地獄」の別名なのだ。
 自由な競争は経済的な勝者と敗者を生み出し、平等を阻害する。平等な社会は、自由を抑圧することでしか実現しない。これが自由と平等のパラドクスだ。」
「学問は時として残酷な事実を私たちに告げる。
『貧しい人は心が美しく、金持ちはずる賢い』
これは世間一般の常識だが、残念ながら誤りである。各種の調査によれば、成功者ほど他人を信頼し、貧乏人ほど疑り深く、猜疑心が強いという傾向が顕著に現れている。・・
 人的資本の蓄積は経済的な成功をもたらし、成功者はお互いを信頼し合うことで関係資本を築き、より多くの収益機会を手に入れていく。信頼を失った者は誰からも相手にされず、人的資本も関係資本もやせ細り、ますます貧乏になっていく。
 これが、私たちの社会の身も蓋もない現実である。」
まさに、この身も蓋もないところから、始まるのだが、「あとがき」はこうだ。
「人生を豊かに生きるのにカネはさほど重要ではない。なければ困るが、所有するカネの量に比例して幸福が増大するわけではないからだ。・・
 生きるということは、与えられた有限の時間の中で自らの人的資本を最大限に活かし、より多くの効用を獲得することだ、カネはそのための手段であり、それ以上のものではない。・・
 すべての幸福をカネで購うことはできない。これは紛れもない真実だ。だからこそ、無駄なことに貴重な時間を費やしている余裕はない。
 経済合理的に生きる意味はここにある。」
リバタリアン?橘玲は、かっこいい。

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2004年08月31日

●小田中直樹『ライブ・経済学の歴史』

『歴史学ってなんだ?』の前に書かれたこの本をようやく。
経済学をめぐっては、ずうっと教科書レベル抜け出せずに右往左往しているのだけれど、「<経済学の見取り図>をつくろう」というコンセプトは、全体を俯瞰して手っ取り早くわかった気になりたい僕にはもってこいだ。また、経済学の入門書だけれど、「教養としての経済学は、アクチュアルな問題に対処するためのツールです」という視線が、貫徹しているのも、多くの経済学入門書と一線を画すところ。「経済学史」という一見、「生きてない」知識の集積と思われがちな分野を、「使える」ものへと整理・再構成しなおす力は素晴らしいと思う。このあたりは、『歴史学ってなんだ?』に共通する視線。「教養」ってことですね・・。
分配、再生産と価値、生存、政府、効用、企業、失業、の7つの主題を追うことで、経済学の歴史がわかっるという全体の構成。クルーグマンの「経済にとって大事なことというのは、つまりたくさんの人の生活水準を左右するものは、三つしかない。生産性、所得配分、失業、これだけ」という言葉に目から鱗を落とした者としても、これはもう一つの教科書だな。
真ん中、読み飛ばしたので、またいつかゆっくり追おう・・。

投稿者 esaka : 18:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年07月08日

●橘玲『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』

先日のエントリーの流れで、年金に関してもう少し勉強しようとしていたところ、手元にあった『ゴミ投資家のための人生設計入門』がよくできた本だったことを思い出す。さらに、この本が‘橘玲’名義で改題・文庫化されていることを知る。
橘玲の名前は、書店で目にしていたのだが、‘金持ち父さん〜〜’の二番煎じ的な利殖・投資本だと思い込んでいて手にしなかったのだ。
99年に刊行されたものと内容はほとんど同じだと思うが、内容は今でもまったく古びていない。中心で語られるのは不動産で、ちょうど引っ越したところなので、年金問題よりも思わずその部分を真剣に読み直してしまった(^^;)。
最近盛んに話題になっている年金の問題点も、ここですでにはっきり指摘されている。ただ、この本では、年金を改革しようという視点はなく、日本の年金や保険などの公的サービスは問題が多いことを前提に、‘公的サービスに頼らず、経済的に独立すること’を目標に書かれている。日本の社会的インフラの危うさを思うと、さすがに気分はネガティブになる。
そうした前提からの脱出法として海外数カ所に居住してどの国にも税金を払わない「PT(Perpetual Traveler)」が提案されているわけだが、これはどうなんだろ・・。思いつくところでは、大橋巨泉などは、ニュージーランド、カナダ、日本を行き来してたぶんこのスタイルを実践しているのだろうけれど。まぁ、リタイア後の節税、生活設計、としては楽しいかもしれない。
そういえば、この橘玲さんは、近頃インタビュー取材などを受けているのだろうか。98年にゴミ投資家シリーズの第一段として『ゴミ投資家のためのビッグバン入門』が刊行されたの