2006年11月28日

ネットユーザーによって作られる写真雑誌「JPG Magazine」

もうひとつのブログ「編集の行方」のほうに「ネットユーザーによって作られる写真雑誌「JPG Magazine」」をアップしました。

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2006年11月14日

サンダンス映画祭、携帯向け映画を制作

もうひとつのブログ「編集の行方」に「サンダンス映画祭、携帯向け映画を制作」をアップしました。

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2006年11月08日

スタジオボイス「90年代カルチャー 完全マニュアル」特集

スタジオボイス」12月号の「90年代カルチャー 完全マニュアル」特集でインタビューを受けた。
 僕の90年代というと、オウム事件とネットが一般化した95年あたりでくっきりと線が引かれていて、仕事としても、90年から95年までのスタジオボイス編集時代と、95年からのネットコンテンツ編集時代に別れている。感覚としては、記事のタイトルになっているが「DetachmentからCommitmentへ」という感じ。今回は主に、ボイス編集時期の話。スタジオボイスで、スタジオボイス編集時代を語るのも、何かおかしな気もしたが、編集スタッフもほとんど入れ替わっているし、僕の中でも、随分遠い昔のことのように思えたので、いくつか想い出話をさせてもらった、というところ。

sv061108.jpg

 95年という転換期からちょうど10年。ふたたびメディア環境としても、時代の流れとしても、大きな曲がり角にあることを感じる。
 

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2006年10月31日

バルセロナ のイベントなど

 更新が止まっていてすみません。ただいまバルセロナ滞在中。もうひとつのブログ「編集の行方」に、バルセロナで行なわれていたイベント「ArtFutura2006」と「SALON DEL MANGA」について少し書いてます。

manga061031.jpg

※YouTubeに「SALON DEL MANGA」の様子がアップされていた。凄いですw。

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2006年10月24日

ゼラチンシルバーセッション

 先週、不思議な郵便物が届いた。プラスティックのフィルムケースに紙が巻いてあり、そこに住所が印刷されている。「GELATINE SILVER SESSION 滝本幹也 平間至 広川泰士 藤井保」とある。フィルムケースを明けると、細長い紙と5カット分のネガフィルム。

photo061024.jpg

 写真家の広川さんからの展覧会の案内のようだ。凝っている。
 中に入っていた紙に、こうある。

「ネガは楽譜であり、プリンティングは演奏である。」

 この展覧会については、このHPを見てほしい。10月24日から11月26日まで。面白いと思うのは、4人の写真家がお互いが撮影したネガを交換して、それぞれの感性で解釈してプリントしあう、というもの。そこで、「ネガは楽譜であり、プリンティングは演奏である。」というアダムスの言葉が大きな意味をもってくる。

 デジタル写真が全盛になりつつある今だからこそ、フィルムにこだわり、プリントすることに大きな意味をあることを再認識しようという試み。11月には現像の過程を体験する参加型ワークショップも開かれるようだ。

 ケータイの数だけデジカメがある今、プロのカメラマンが"写真の味わい"を考え直そうという意図なのだろう。フィルムケースで送られてきた展覧会案内にも、そうした意味が込められている。

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2006年10月04日

●堀淵清治『萌えるアメリカ』

 サブタイトル「米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか」。アメリカで、小学館の出資でマンガの出版社を立ち上げ、ポケモンや「SHONEN JUNP」を成功させた著者が、いかにアメリカのマーケットでマンガを認知させ、拡大していったか語る。本を左開きにするために原稿を反転して印刷することや、性描写に対する感覚の違い、マンガ本のサイズの習慣・・など経験者でないとわからない苦労話は、「プロジェクトX」的な楽しみもある。

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 そして、ゼロから始めた成果がこれだ・・。

「2002年、北米における日本マンガ単行(グラフィックノベル)市場は、ついに1億ドル、日本円にして約120億円に達した。以降、アメリカのマンガ市場は約35%という高い年間成長率をキープし続けている。」

 また、アメリカの雑誌は定期購読が圧倒的に多いのだが、そういう習慣も、長年の流通の制度から来るものも大きく、そうしたアメリカの出版、流通事情がわかりひじょうに楽しめた。どんな分野でも、外国で新しい販路を拡大する苦労というのはあるものだろうが、マンガのような文化の輸出は、人々の人生に大きな影響を与えて、モノの輸出とはまた違った素晴らしさがあるものだとあらためて感じる。

「現在、ビズのマンガを読むアメリカ人ファンの多くも、自らを「OTAKU」と呼んで憚らない。……
 「OTAKU」現象の最も面白いところは、「japanophile=日本偏愛」という造語が現れるほど、マンガやアニメを入り口にして日本の文化や歴史、そして言語や政治、時事現象に至るまで並々ならず興味を持ってのめり込む「超親日」を生み出しているという点である。極端な例では、白人のアメリカ人であるにもかかわらず、とにかく日本に住みたい、日本人になりたい、というような「同一化願望」を抱く日本オタク(とくに白人)を揶揄する「wapanese(ホワパニーズ)」などというスラングまで造られ、インターネット上で密かに使われもいる。」

 素晴らしい。マンガだけでなく中島哲也監督『下妻物語(アメリカのサイト「kamikaze girls」、imdbでのレビューにリンク)』のような映画も配給したということで、さらに拍手!

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2006年09月30日

青山南「米国文化の原風景」最終回

 先日のエントリーの続き。小連載の4回目。最終回のテーマは「文学で台頭したユダヤ系」。ソール・ベロー、アイザック・バシェヴィス・シンガーを紹介。

「ユダヤ人が、帝政ロシア等での迫害を逃れてアメリカに移住しはじめたのは19世紀の末頃からで、その後のほぼ50年間に膨大なユダヤ人がアメリカに渡ってきた。・・そういうユダヤ人たちのなかから小説を書く者が出はじめたのが1940年代あたりからで、1960年代になる頃には一大勢力になっていたのである。・・
 こういったユダヤ人の台頭ではっきりしたのは、アメリカは移民の国であるということだった。それがあらためて確認された。
 アメリカは、ほんとうは、建国のときから移民の国である。しかし、19世紀までは、「移民」という意識はほとんどなく、新しい国「アメリカ」の新しい人間、すなわち「アメリカ人」になるという意識が強かった。しかし、20世紀になって、そういう意識とは縁のない「移民」が大量に入ってきたことで、言うなれば、あらたに移民の国になったのである。というか、そのことを絶えず考えていなければならない国になった。」

 さすがに4回で「アメリカの原風景」すべてを描き出すことは無理な注文だが、面白い連載だった。続編をどこかで読みたい。あれも、これも・・と何か想い出話を整理するような気分になってくるが、ふと考えると、"アメリカ"のことは、政治から文化の隅々まで、いつの間にかいろいろなことを知るようになっているが、他の地域、ヨーロッパでさえ、「文化の原風景」などといったことは、ほとんど知らない。知っていても、教科書で習ったような知識だ。好き嫌いの前に、情報量の差を思い知る。

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2006年08月29日

BRIAN ENO / DAVID BYRNE 『My Life in The Bush of Ghosts』

 いやぁ、懐かしい〜。すでにご存知の方も多いのだろうけれど、イーノとデビッド・バーンの「My Life in The Bush of Ghosts」のサイトができていることをようやく知る。81年に発売された『The Bush of Ghosts』がリマスターされて再発売。そのうち2曲をCreative Commonsライセンスで公開し、ユーザーがremixした作品もウェブにアップされている。デビッド・バーンは、2004年、こちらもCreative Commonsライセンスの「The WIRED CD」に参加していたが、こうした考えに共感するところは大きいのだろう。彼の作品の中でも、「My Life in The Bush of Ghosts」が、CCで提供されるのは、作品の内容をふまえても、まさにぴったり。

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 未知の音体験に刺激され、興奮した思いが甦る・・。いまさらこの作品について、僕などがとやかく言うつもりはない。このところ、"音楽"をめぐっては、その"流通"や"産業"のレベルの話だけが、そこらじゅうで語られているわけだが、こと"音楽"の中身をめぐってはどうなのだろう、と考えてしまう。もう何年も商業音楽の前線から興味を失っている者にとっては、そのあたり、情報が入っていないだけかもしれませんが・・。

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2006年07月10日

杉本博司「和風モダーン 十選」

left.jpg 現実時空と虚像の間に静かに鋭くナイフで切り込みを入れるような杉本博司の作品群は好きなのだが、その杉本が、日経新聞で、「和風モダーン 十選」という小文を連載中。

 これまで選ばれているのは、榎本千花俊「千人針」、蒲原重雄「小菅刑務所」佐野藤次郎「豊稔池ダム」、そして谷口吉郎「ホテルオークラ東京ロビー」。

 建築マニアではないけれど、「ホテルオークラ東京ロビー」は、以前から気に入っていて、それから東京国立博物館東洋館などを設計した谷口吉郎の名を知ることになった。この連載での文章は、その素晴らしさを的確に説明してくれているので、ちょっと長いがメモ。

「私は仕事がら外国人の友人が訪ねてくる事が多い。最近は外資系豪華ホテルの新築ラッシュだが、脇目もふらず宿泊先としてホテルオークラ東京を薦める。海外のどんなホテルにも無い和と洋の渾然一体となった秀逸なる空間があるからだ。
 設計者の谷口吉郎は戦前モダニスム運動の最後の世代に当たるが、戦後は新古典主義に逆行とも見える方向に向かう。しかしこれはモダニストすべてが抱えた、日本固有の歴史性とモダニズムはいかに調和するべきかという大問題なのだ。そしてホテルオークラはその一つの傑出した例となった。
 施主でありまた当代一流の趣味人だった大倉喜七郎はホテル設計に関して谷口に平家納経模本を見せ、その藤原期の雅を建築によって再現せよと難題を出したという。器量では施主が一枚上だ。私もそうだが、このような挑発がアーティストを燃え立たせるのだ。そんな施主はもういない。
 十年程前、新聞に小さな記事が載った。「ホテルオークラロビー 大改装が決定」。私は憤りを覚えた。私に出来る事といえばすべての外国の友人にチェックインの再に苦言を呈するよう指示する事だった。効果があったのかどうか、そのうち改装の話は立ち消えになった。やはり日本では外圧が一番功を奏するのだ。」

・関連エントリー
藤村記念館 by 谷口吉郎 in 小諸

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2006年01月11日

映画「ザ・コーポレーション」

 年末から公開されている映画「ザ・コーポレーション」のパンフとブログにコメントを寄せていることを忘れていた。マイケル・ムーアや、チョムスキー、ナオミ・クラインらが登場し、「私たちの社会は「企業」に支配されている」と訴えるわけだが・・。
 企業の反社会的行為を指弾することは重要だと心底思うが、それは、あくまで具体的な指摘であって、ただ単純に、企業=悪という構図を描いてイメージで語っていても個々の問題は解決しない。イメージに訴える手法は、しばしば環境運動にもみられるけれど、個人的にはあまり賛同できない。気づきの端緒としては有効なのだろうけれど・・。
 それにしても、また、バブルの再興を感じさせる今の日本で、どれほどの人々に、どんな感想をもたれるのかは、興味あるところ。
 そういえば、ブロガー割引などを行って、ブロガーの協力を仰ぐ映画のPR手法は、すでに一般化しているんですね。

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2005年11月26日

北斎展

 なんとか展覧会が終了する前にと、東京国立博物館に行く。いいだろうとは思っていたが、やはりとんでもなくいい。これだけの数が集められると、その作品の多彩さと画力に圧倒される。紙に刷り込まれた版画ならではの凹凸が作る陰影は、印刷ではなかなか感じることができない。それがよくわかるのも、実物に顔をすり寄せてみることができる今回の展示だからこそ。浮世絵そのもののサイズが小さいことと、細かなタッチを見るために、自然と顔が近づいてしまうのだが、誰もがそうして顔を近づけているので、ただでさえ混んでいる会場は、さらに大混雑。ゆっくり見たかった〜。

ネットで見つけたおまけ。これおもしろい。
北斎漫画制作キット

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2005年11月10日

●八木正一『ドラえもんの音楽おもしろ攻略 楽ふがよめる』

 素人向けの楽典書をいくつか読んでみたのだけれど・・青島広志「やさしくわかる楽典」、池辺晋一郎「おもしろく学ぶ楽典」、辻志郎「誰でもぜったい楽譜が読める!」・・"ド素人"には、どうもぴんとこないものばかり。

 結局たどりついたのが、「ドラえもんの学習シリーズ」。これはよくできている。さすがに情報量と深みには限界があるけれど、音楽の理論と楽譜の読み方をわかりやすく教える、という基本的なノウハウに関しては、他の本よりも優れているように思える。

 この「ドラえもんの学習シリーズ」、ほかのものも読みたくなった。気になるのは、「日本の産業がわかる」「力と電気・音・光がわかる」「俳句・短歌がわかる」「地図がわかる」「絵とデザインがとくいになる」。すげぇな、ドラえもん。「ドラえもんの リフレ政策入門」「ドラえもんの Web2.0攻略」なんかもあるといいかな・・w。

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2005年10月24日

西垣通「オタク肯定論を排す」

今日の日経新聞の「インタビュー領空侵犯」欄からメモ。見出しは「主体性なきニセ者 増殖」。

「・・世間で通用している支配的な価値観や流行に惑わされることなく、自分の好きな世界にのめり込む。損を承知でマイナーな世界に没頭する純粋さこそ、オタクの愛すべき持ち味です。ところが、オタクが肯定的な意味を持ち始めたことによって、その位置づけがすっかり変わってしまった。」
「漫画やアニマはふつうサブカルチャーと呼ばれますが、大衆的市場経済の中で今やサブどころかメインになってしまった。評論家や学者の中にもオタク文化を持ち上げる人がふえてきた。それにつられて若者たちは、しんどいハイカルチャーや売れない前衛作品なんか敬遠して、ヒットした娯楽作品ばかり追いかける。支配的な娯楽資本のただの消費者になってしまうわけです。」
「かつてのオタクが真性のオタクだったとしたら、今はまやかしというかニセのオタクが圧倒的に多い。非主流だった文化がいつの間にか主流になったのをいいことに、周囲から浮き上がることを恐れて、オタクのふりをする人が増えてきたという感じがしてなりません」

 長い取材の中から、ごく一部を抜き出したためか、ちょっと展開がわかりにくいところがあるけれど、勝手に積極的に言い換えると、「"真性オタク"たるもの、支配的な娯楽資本にまみれず、荒野を歩め!」ってことかな・・。サブがメイン化した今や、その"真性オタク"が"損を承知で没頭するマイナー世界"は、「ハイカルチャーや売れない前衛作品」や「地球上の、若者が取り組むべき大事」にある、ということか。勝手に言い換え過ぎか。

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2005年10月15日

「茶の味」&「下妻物語」

 気になっていた映画をようやくケーブルの「日本映画チャンネル」で観る。CM出身の監督だけあって、アニメーションとCGをインサートした映像処理は斬新で、笑いを散りばめるリズムは、同時代の感覚に溢れる。

 「茶の味」はカンヌでも上映されたが、この2本は、海外の映画祭でよく公開されているようだ。アムステルダムで行われた「日本映画祭」でもこの2本は入っていたし、6月に行われた「NEW YORK ASIAN FILM FESTIVAL 2005」では、「茶の味」はAudience Award で、次点が「下妻物語」(英語タイトルは「KAMIKAZE GIRLS」)。こうしたテイストへの理解は、タランティーノによって、準備されていたんだろう。「Internet movie database」でも「cha no aji」は、かなり好評。

 さらに、「茶の味」の美術監督が監修したドキュメンタリー「色と形のはなし」も観る。スタッフと監督のビジュアル表現へのこだわりが、予想以上で驚く。

 日本のクリエイターの「笑い」と「ビジュアル&デザイン 」のセンスは、これから海外で広くウケる気がする。タランティーノなんかにパクられるより、石井監督がハリウッドで活躍するのを期待。

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2005年10月06日

●芥川也寸志『音楽の基礎』

 そんなこんなで、パンク&ニューウェーブ育ちが、この本読むようになるとは。人生いろいろ、って言うのか、齢を重ねるっていうか……笑。静寂と音の関係から、記譜法、調性、和声、対位法と、まさに音楽の基礎の規則について書かれた本だが、最後の部分から、長いけれどメモ。

「遠い過去の社会では、作曲者は同時に演奏者であり、聴衆がいたとして、それはいつでも立場を逆転しうる一体のものであった。音楽はつねに、作り手、弾き手、聞き手の区別なく存在していた。この三者の関係は時代とともに分化し、現代では録音技術の進歩のおかげで、ついには聞き手はいついかなるところでも、一台のオーディオセットさえあれば、自由に作曲者は演奏者を選択し、わが家の居間でも思いのままにオーケストラを聞けるようになった。・・聞き手とは何の関係もなく、スピーカーは音楽を提供するのである。音楽は一見人間の生活を彩っているかに見える。
 しかし、もはやここには音楽の営みはない。音楽はただ聞き流されているにすぎず、私たちとその音楽とは、何のかかわりも生まれてこない。ちょうど、この世に何十万種類の植物や動物たちが生きていようとも、「植物」という名の植物、「動物」という名の動物、「生物」という名の生きものは実在しえないのと同じように、「音楽」という名の音楽、いわば<音楽そのもの>はつねに私たち自身の内部にしか存在しない。それは遠い昔においても、オーディオが発達した今日においても、また将来においても変わるところはない。私たちの内部にある音楽とは、いわばネガティブの音楽であり、作曲する、演奏するという行為は、それをポジティブな世界におきかえる作業にほかならない。音楽を聞こうとする態度もまた、新たなネガティブの音楽世界の喚起を期待することであり、作り手→弾き手→聞き手→作り手という循環のなかにこそ音楽の営みがあるということは、遠い昔もいまも変わりがない。積極的に聞くという行為、そして聞かないという行為は、つねに創造の世界へとつながっている。
 この創造的な営みこそ、あらゆる意味で音楽の基礎である。」
いやぁ、唸るな。"音楽文化"ということでは、今福龍太氏の『フットボールの新世紀』に収められたエッセイ「幼年期のサッカー」の中の一文を思い出す。

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2005年09月19日

チェロを買う

 なぜかチェロを買う。以前から、何か楽器を弾きたいと思っていて、最初は、サイレントチェロを買うつもりだったのだけれど ・・。都市生活者に、特別な存在だった楽器演奏を身近なものにしようというYAMAHAのサイレントシリーズのコンセプトに興味をもっていたのだ。
 音楽産業に関する考えは、以前のエントリーで書いた。そこでの思いは、ますます募る。iTMSスタートで、ようやく日本の音楽産業にも新しい風が吹き込みつつあるが、それはあくまで、音楽「産業」の話であって、「音楽」そのものの話ではない。その新しい風、 ipodから、さらにはPC用HDDから金をとれ、という「私的録音録画補償金」の動きも盛んで、なんとも情けない限り。
 音楽を愛する人たちは、どんどん既存の音楽権利管理産業から離れて行く・・
。しかし、そんなことより、チェロは弾けるようになる日は来るんかいな〜。cello050926.JPG

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2005年09月14日

「あなた方」と「おまえら」

 サンボマスターが、一般的にどう評価されているのか知らないのだけれど、ライブ映像などを見て面白いと思ったのは、観客を「あなた方」という呼びかけ方だ。かつてのロックな人たちというのは、「おまえら・・・だぜ〜」と、一方的に、ときにはゴリ押しとも言える形で、メッセージ(みたいなもの)を浴びせるように伝えるのが特徴だったものだが、その手の語り口は、今や恥ずかしい。(もちろん、相変わらずの人もいるわけだが)

 サンボマスターの「あなた方」には、一歩引いて、観客と対等、というスタンスが感じられ、その "距離感"に同時代性を感じさせる。一歩ひきつつも、「世界はそれを愛とよぶんだぜ」などと、最終的にはゴリ押ししてくるところが、伝統的なロック的であると思うけれど、多くの人々にとって、日常の中で、その "距離感"は、かつてより敏感で重要なことになっているように思うのだ。

 また、 "一歩引く"姿勢は、「あなたの範囲には侵入しない。だから、オレの範囲にも無神経に入ってこないでね」という姿勢でもある。

 この 一歩引きながら、自分の確固とした世界を守るというのは、いわゆる "オタク"に特徴的な心性でもある。その意味でも、「電車男」とサンボマスターのカップリングは、正解なんだろう。

 そして、かつてロックな人が、観客に向かって言い放っていた「お前ら・・」は、今、 2ちゃねらーが、住人に向かって語りかける語り口だ。ネットという匿名の海の中では、 "距離感"を気にすることなく、無神経に、そして無防備になれる・・。

MC by Yamaguchi

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2005年09月05日

「オランダの光」

原題 「Dutch light」。アムス旅行前に見たDVD。監督ピーター=リム・デ・クローン。フェルメールやレンブラントなどの17世紀のオランダ絵画は、周知にように光の描写に特徴があるのだけれど、それは、海と運河に乱反射した太陽光が、雲に映り込んで作り出したオランダ特有の光が影響しているという。しかし、20世紀に行われた開拓によって、湖が小さくなり、かつての光は失われてしまった、と語ったヨゼフ・ボイスの指摘を検証する、というドキュメンタリー。多数の名画と共に、ジェームズ・タレルなど光に意識的な現代美術家も登場。地味だが、圧倒的に美しい。
そんなこともあって、アムスで空の写真を撮った。
sky050905.JPG

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2005年08月19日

プラハ&アムステルダム

sky050818.JPGプラハの空
 戦災を免れ、歴史の遺産をそのままの形で残す街並は、突然、その中に放り込まれると唖然とするようなアートの集積。ただ、少し歩くと、その驚きが日常になってくるのは不思議なもの。そうなってくると、観光地として多くの人を集める建物よりも、今も、地元の人にしっかり利用されているような、 "生きた"施設のほうが、僕には楽しめた。 キュビズム博物館が入っている1910年代に建てられた黒い聖母の館の2階は、カフェになっていて、キュビズムの装飾、インテリアに囲まれながら、地元の伯父さんがコーヒーを飲む・・とんでもなく美しい場所。
 ビロード革命から、15年。プラハ郊外は、妙に大きな道路、大きな建物が並び、共産党支配の時代を感じさせる。そして、車は、チェコ国産のシュコダ。排気ガス規制が、まだ厳しくないのか、大通りを歩くと、ノドが痛くなる。
 ヨーロッパ中から大変な数の観光客が集まっていたけれど、日本人がそれほど多くなかったのは意外(アジア系は、韓国語、中国語のほうがよく耳にした)。それでも、お土産グッズが、パッとしないものばかりなのは、本格的な観光都市化は、これからなのだろうな、と感じさせる。

sky0508182.JPGアムスの空
  以前から一度行ってみたいと思っていたアムスにようやく。到着した日、ちょうど、運河でゲイ・パレード。凄い。ニューヨークの比じゃない。観光客も多いが、街そのものが大人の街だ。異邦人ならではの、厳しさもさっそく味わうことになったけれど、徹底した自己責任と、放っておかれる不自由さが、逆に自由を感じさせていい。

 オランダの出版物はデザインが面白いと思っていたけれど、国としてデザイン産業の育成とPRに力を入れている。
'The foreign affairs of Dutch design'
POST AMSTERDAM
 中央駅横にある旧郵便局ビルが、市営現代美術館(仮設)、デザイン事務所やインテリア展示場、クラブに変身していて、いい感じ。「 Mediamatic」の事務所もこのビルの中にあった。
 ・ MoCo Amsterdam

ちょうど、 
foamで、エルスケンの回顧展

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2005年06月10日

「ジャニーという名の「神」の国」

 先週の NEWSWEEKに、インディペンデント紙東京特派員デビッド・マクニールによる「ジャニーという名の「神」の国」という記事があった。日本のショービズ界を支配するジャニーズ事務所の裏の姿と、社長ジャニー喜多川の小児性愛スキャンダルを追ったもの。

「喜多川という人物には、小児性愛スキャンダルの影がつきまとう。あのマイケル・ジャクソンが、純真無垢なピーターラビットに見えるほどだ。
 喜多川の中には、子供を誘うハーメルンの笛吹男とエルビス・プレスリーの敏腕マネージャーだったトム・パーカー、大金持ちの世捨て人ハワード・ヒューズが奇妙に共存している。この 70代の老人は、嫌悪と尊敬の両方を一身に集める存在だ。」
この件に関しては、 99年の文春の記事と裁判結果に触れただけで、特に新しい情報はないのだが、ここでのインパクトは、それが NEWSWEEKという媒体に、外国人記者によって書かれた記事が載ったというところか。
 
 個人的に気になっているのは、小児性愛スキャンダルよりも、ジャニーズ事務所が、日本の芸能界を支配することで、ジャニー氏個人の嗜好が、芸能界全体、また日本全体の「カッコいい男」の基準に大きな影響を与えているということ。まぁ大げさに言うほどのことじゃないけど。所属タレントには、歌って踊れる?という特徴に他に、身長が低く童顔、中性的という似通った傾向がある。マッチョなタイプなどは稀だ。
 韓国の俳優が突発的にウケているのも、ジャニーズ系とは別の「かっこよさ」というのを持っていたから、とも言えるんじゃないかな。さらに悲しいのは、ジャニーズ的カッコ良さは、欧米ではほとんど理解されない、ということ。閉じたまま少数の者に、権力が過剰に集中している日本の芸能界、テレビ界は、そろそろ曲がり角、という感じがする。

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2005年06月09日

カーデザイナー/奥山清行

 NHKデジタルハイビジョンで「デザインルームの6ヶ月/イタリア・スーパーカー誕生」 (再放送)という番組を途中から見る。フェラーリなどのカーデザインを引き受けるピニンファリーナ社で、フェラーリの「未来の車」をコンセプトとした車をデザインする6ヶ月を追った番組。カーデザインの制作の過程を追う、というのも珍しいが、なんといってもその道の最高峰、フェラーリのコンセプトカーだ。その責任者が日本人だったということにまず驚く。寡聞にして奥山氏の存在をこれまで知らなかった。
 番組内では、4人の部下のデザイナーが出す案をピックアップし、ブラッシュアップしていく様が描かれる。年齢も出身も様々なデザイナー達が火花を散らして、自らの案を出す。それに対して、奥山氏から何度も厳しい要求がつきつけられる。
 クリエイティブな場でのリーダーから部下への指示というのは、なかなか難しいものだと思う。この製作現場では、グループ作業ではなく、それぞれのデザイナーが自分のデザイン、自分の感性に自信を持って者の集まりだ。そうした場で、部下を納得させるには、「それは、あなたの好き嫌いの問題でしょ」と言われても、相手を説得させるだけでの "力"がなくてはいけない。奥山氏の場合は、これまで彼がデザインしてきた数々の車がそうした説得力を持たせていたようだ。それでも、「毎朝、音楽かけて気合いをいれてます。これから肉食動物に中に入っていくんだ、みたいな感じで。ほんと虚勢張りまくってますから」と言う。ひさしぶりにとんでもなくカッコいい日本人を見た。
奥山清行(グッドデザインアワード)

二足歩行ロボット「 nuvo」のデザインも、奥山氏だった・・。

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2005年04月25日

●増田聡・谷口文和『音楽未来形』

いつの間にか、音楽を語ることは、なんだかとても面倒なことになってしまった。その面倒さを無視して、ひたすら音楽への熱情を唱えることも、ちょっとした気恥ずかしさを伴う。
で、その面倒になってしまった音楽について、
「音楽をめぐる環境は劇的に変わりつつあるのに、それを語り、議論する言葉の方が追いついていないのではないか」
そんな思いから構想された本。

「音楽テクノロジーの展開は音楽対象(作品)のあり方を変え、それまは考えもされなかった音楽行為を生み出した(DJ)。さらに、聴衆の意味や経済のあり方にも大きな影響を与えている。すなわち本書は、20世紀以降の音楽テクノロジーが、生産や流通、対象、聴取といった音楽を取り巻くコンテクストを、どのように変えていったのかを包括的に検討する試みにほかならない。」
音楽の「未来」は、「過去」の音楽の成り立ちと「現在」をしっかり把握してこそ描きうる、という意味で、「音楽未来形」なんだろう。

もうひとつ、先日のエントリー「創造性とは何か」に関連してメモ。

「創造性、独創性、オリジナリティ、表現といった一連の概念は、近代的な芸術思想と深く結びついた考え方であると同時に、とくにヨーロッパ大陸各国や日本の著作権に大きな影響を及ぼしている。・・
 もともと「オリジナル」という語は、「起源」「始まり」という意味しか持っていなかった。それがロマン主義的な思潮の高まりの中で、次第に「独創性」という意味と重ね合わされていく。・・
 誰かが独自に何かを作り出せば、そこにはほかとは異なる新たなものが自動的に生み出されるはずだ、という想定が著作権をめぐる考え方の中には強く根を張っている。・・
 だが、現実には起源と独創性はつねに一致しているものではない。」

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2005年04月04日

●中野晴行『マンガ産業論』

 マンガをとりまく状況がどう変化してきたのかを考察。面白い。その面白さは、マンガ産業がどうなっているのか、ということを知ることができるとともに、勃興→巨大化→低迷、という流れが他の分野にもかなり似かよったことが言えるからだ。

「マンガ市場はベビーブーマー世代を外皮とする巨大なゴムボールのような形で成長してきた。にもかかわらず、実際にもっとも市場が熱いのが、中学生、高校生をターゲットとした部分で、そこに出版社やマンガ家のエネルギーが集中することは、市場全体のバランスを損なう原因になる。
 つまりは、周辺にある消費者ニーズが満たされなくなるのだ。大人の読みたいマンガがない、子どもが読みたいマンガがない、という状況が生まれてしまうのだ。」
「ある学習塾の先生に聞いた話だが、最近ではマンガを読んでいる生徒はむしろ優秀な生徒なのだという。普通の生徒たちにとって、マンガを読むことすら難しくなっているのだ。一つの理由は、最近の少年週刊誌のマンガが小学生には高度すぎることだが、もう一つの理由は、ゲームで育った子どもたちの多くが、マンガの文法を理解できないというのだ。」
「マンガ市場は・・巨大なものになっており、大手出版社の発行する雑誌も単行本も、リスクを冒すにはあまりにも膨大な部数、膨大な販売金額になっている。安全に安全にと、リスクを排していけば、マンガは先進性を失わざるを得ない。
 「マンガはそろそろ衰退しつつあるのではないか」という声が一部で囁かれはじめたのは、92年頃であろう。ひとつには、強力なインパクトを持った新人マンガ家が登場しなくなった、ということがある。・・その一方で、増えすぎたマンガは読者の拡散を生み、描き手にとっても、出版社にとっても「読者が見えない」という現象を引き起こしていた。」
個人的には、山本直樹の『ありがとう』(94年)以降、急激にマンガ雑誌を追うことがなくなったので「衰退が囁かれ始めたのは92年頃」というのは体験的にも頷けるところ。

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2005年02月25日

「箱庭」で米国を無害化

23日朝日新聞、島田雅彦氏の「文芸時評」からメモ。

「グローバル商品を作る秘訣は誰も傷つけず、万人を心地よくすることである。それは、作品のディズニーランド化を図ることだといってもいい。読者は手軽に現実逃避できるテーマパークで、しばし日本の現実や日々の憂鬱を忘れることができる。村上(※春樹)ワールドは理想化された日本の箱庭でもあり、いかにアメリカを自国に取り込み、無害化するか、そのノウハウを示すモデルにもなっている。今後のアメリカとつき合い方が自分たちの未来を実質的に左右することになるロシアや中国で、村上春樹が流行るのはそうした事情による。」
村上春樹の小説にアメリカと日本の関係を見る視点は多いと思うが、先日、日本のユースカルチャーを紹介する番組を制作しているBBCのディレクターは、「今、面白いと思う日本のユースカルチャーを集めてみたら、アメリカからのやってきたものを、日本的に昇華しているものだった」というようなことを言っていたことを思い出す。
前のエントリーでも書いたが、「嗤い」と「カワイさ」とは、まさに「ディズニー化」だ。本家と異なるのは、子供向けという「境界」を超えて、どこでも誰にでもこの表現手法が浸透していることだろう。それは、コミュニケーションの間をあえて遠ざけるために、必要とされている、と言ってもいい。

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2005年02月19日

「嗤い」テイスト

1月末に、カタールでサッカーU-20代表の試合が行われていたのだが、日本ではまったく放映されていなかったので、仕方なく韓国のテレビ局のネット中継を見た。結果は、決勝で韓国に0-3で大敗したのだが、そこで印象に残ったのはCMだ。ネット用というわけではなく地上波向けCMがそのままネットでも流されていたのだと思う。自動車やパソコン、清涼飲料水などのCMが多く、最新のCGを使っている感じで、全体的にけっこうカッコイイ。が、日本のそれとは、ちょっと印象が違うのだ。何が違うのか、観ていた時はよくわからなかった。それから、あらためて日本のCMを観て気づいたのが、ダイレクトなカッコよさから半歩引いた「嗤い」の感覚の多用だ。確かに、あまりに「カッコイイ」のは恥ずかしい。
こうした感覚が、日本では広く共有されるようになったのはいつ頃からなのだろう。直接的には、お笑いブームを背景として醸成されたとも言えるだろうが、2ch内での共有感覚を見てみても、何かダイレクトなコミュニケーションを避けるための緩衝剤のようなものとして「嗤い」に傾いている気がする。
で、昨今、コンテンツの輸出が話題になることが多いが、この「嗤い」の感覚は、海外で受け入れられるんだろうか・・。ジャパニーズ・モダンの中心に位置づけられるテイストは、「カワイさ」の次に、「嗤い」じゃないかな。

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2005年01月25日

MIDEMにジャパン・パビリオン出展

カンヌで行われている世界最大の音楽見本市「MIDEM」に、ジェトロと国内音楽産業が共同で出展する、という22日の朝日新聞の記事(→asahi.com)。コンテンツ産業を先端的な新産業分野と位置づけた「新産業創造戦略」が策定されて以来の流れだ。
経済産業省商務情報制作局がまとめている2つの資料に「戦略」はまとめられている。
コンテンツ産業の国際展開と波及効果.pdf
これまでの我が国コンテンツ産業 国際展開に向けた取組.pdf

で、朝日の記事で気になったのはこの箇所。
「日本の01年の音楽市場は1兆6千億円程度とみられ、米国に次いで世界2位。しかし、輸出は、言葉の壁もあって約29億円と、約251億円の輸入額に対して、1割強にとどまっている」
日本の音楽産業は、世界の辺境にあるちっぽけな市場だと思っていたら、なんと世界2位だったのね。(1位のアメリカの市場規模やその他の国の市場規模は、検索したけれど、見あたらず)しかし、ここでの「音楽市場」が何を表しているのか、よくわからない。 先日のエントリーでは、04年の音楽ソフトの生産額推計値は4341億円。エライ違いだ・・。とりあえず、メモ。

ちなみに、政府の産業政策について、先週エントリーした岩田規久男『日本経済を学ぶ』では、こう言ってる。
「狭義の産業政策(旧通産省が行う産業政策)の根拠は薄弱で、むしろ、経済成長を阻害する可能性のほうが高いと思われます」
考えてみると、アメリカのカウンター・カルチャーや、イギリスのパンク、ニューウェーブ、それにエイズ全盛期のアメリカのアート....個人的に大きな影響を受けたカルチャー・ムーブメントは、その国が経済的に落ち込みんだ時代に生まれたものばかりだ。そんな「腐った」時代、場所からこそ、突出したカルチャーが生まれる。文化を創るのは若い世代で、鬱屈したエネルギーを溜めた若者が、そのエネルギーを表現に向けるのだろうから、当たり前といえば当たり前なのだ。そういう意味では、今の日本は、いい頃合いに腐っていると言えそうだ。そこから生まれるものは、役人が期待したものとは、まったく違うはずだけれど。

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2005年01月07日

オーディオレコード、ピークの38%減

昨日のエントリーの「ポピュラー音楽の国内・外国の比率」の元になったデータは、98年。この98年は、日本の音楽ソフト生産のピークだった。昨年末に日本レコード協会から出された04年の音楽ソフトの生産額推計値によると6年連続の前年割れで4341億円(この内、音楽関連DVDは、前年比5%増の532億円)(参考→asahi.comAVWatch)。特に、音楽ソフトからDVDなどを除いたCDシングル、アルバムの「オーディオレコード」は、前年比5%減の3788億円でピークの98年から38%減。
こうなると、昨日の「ポピュラー音楽の国内・外国の比率」も大きく変わっている可能性がある。
しかし、38%減とは・・去年も似たようなことをエントリーしているけれど、もう歯止めがかからない。音楽ソフト離れの理由はいろいろ言われているが、個人的な感覚では、ミリオンセラーを連発(48枚)していた98年頃、すでに今とは別の異常な状況が始まっていた気がする。周囲の誰も聴いていないのに‘大ヒット’、という状況が頻繁に起きていたのもこの頃だ。90年代後半から、市場に出回るCDの数と、実質的な購買数との間に解離があったのではないかな。

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2005年01月05日

ポピュラー音楽、映画の自国シェア

さらに1/1日付け朝日新聞から。気になる数字をメモ。

●ポピュラー音楽の国内・外国の比率 (98年 UNESCOによる)



































国内(%) 外国(%)
日本 78 22
韓国 48 52
フィリピン 31 69
インド 97 3
アメリカ 95 5
フランス 49 51
ロシア 72 28
エジプト 81 19
ニュージーランド 7 93
ブラジル 75 25

●アメリカ映画と自国映画のシェア(01年。International Networks Archive)


























米国映画(%) 自国映画(%)
アメリカ 93
イギリス 81 12
オーストラリア 81 8
スペイン 67 18
イタリア 60 19
フランス 51 39
日本 40 39

日本での国産ポップカルチャーのシェアは意外に高い。映画なども、アメリカ映画の輸入制限をしているフランスよりも、まだ日本のほうが輸入が少ない。ポピュラー音楽も、ロシアやブラジルと似かよった状況だ。言語の違いと、国内でそれなりに大きなマーケットが成り立ってきたからだろうけれど。それにしても、国内コンテンツ産業の危機をよく耳にするだけに、意外な数字だった。

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2004年11月26日

NHK教育「にほんごであそぼ」

まだ数度見ただけなのだが、NHK教育の子供向けエデュテイメント番組「にほんごであそぼ」(毎週月〜金曜午前8時:再放送午後5時35分)が凄い。すでに昨年の4月から放送しているようなので、一部でとんでもなく評判になっていたに違いない。野村萬斎が、かなり本気というか、「日本語を楽しむ」という形をとりながら、狂言表現のダイナミックさを表現している。各地の方言で語った宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の暗唱もとんでもなく力強い。小錦と子供の掛け合いも楽しい。さらに、番組全体のデザインが素晴らしい。と思ったら、今年のグッドデザイン賞大賞受賞だった。「にほんごであそぼ ファンサイト」もある。最近のNHKの番組作りには疑問に思うことが多いけれど、教育はかなり頑張っている。

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2004年11月01日

「佐武と市捕物控」

地震でたいへんなときに、こんな話題で申し訳ないですが・・。
ケーブルの「時代劇専門チャンネル」で、モノクロの石ノ森章太郎原作アニメ「佐武と市捕物控」を目にして、圧倒される。まず、映画のようなカット割り、しっかりとした脚本、そして、墨絵を思わせる背景、重厚な音楽。総監督はりんたろう、音楽は「水戸黄門」や「ルパン三世」の山下毅雄。大人向けの、それも、実写の時代劇を越えるアニメを作ろうという製作者に強い意志が感じられた。漫画は知っていたけれど、こんなアニメがあったなんて。1968年、夜9時台に放映されていたという。驚いた。

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2004年09月28日

萩原修「同世代の建築家とならば家づくりも楽しくなる」

自邸「9坪の家 スミレアオイハウス」で有名なデザインディレクターの萩原氏による『新鋭建築家50人の住宅ファイル』の前書きから。同世代の感覚がとてもよく出ている。

「最近、30代で建築家に依頼して、家をつくる人が増えているという。ぼくも家をつくろうと決めたのは、37歳であった。しかし、正直いって、それまで自分で家をつくろうなんて考えてことは一度もなかった。もちろん、家をつくるようなお金がないこともあったが、一生、賃貸暮らしも悪くないと思っていた。何より、家やその土地に縛られるのがたまらなく嫌だった。家をつくった時点で、自分のその後の人生がすべて決められ、ローンを払い続けるために生きていかなければいけないような気がしていた。しかし、その一方、ちゃんとデザインされた空間に住みたいという欲求も高まっていた。」
「日本の住環境は、諸外国に比べて貧しいとよく言われる。衣食住でいえば、服のデザインもよりどりみどりだし、食だってすごくバラエティがある。それなのに、住まいに関していえば、なんとも情けないように思う。もう少しまともなところに住みたいと誰もが考えてもおかしくない。とくに1960年代に生まれたぼくたちの世代は、デザインされたレストランやブティックなどの商業施設を体験して育ってきたし、自動車や家電製品といったデザインされた工業製品に囲まれて生活してきた。住まい以外の外部空間や、身のまわりのモノに関しては、いいデザインが増え、手に入りやすくまっているのに、こと住まいだけは、なんとも選択肢が少なすぎるように思う。」
こうした欲求はとてもわかる気がする。モノのカタログに囲まれて育った世代が最後に行き着いたのが「住宅」なのだ。90年代以降、日本社会は自由の幅を広げつつあるが、住宅はどうだろう。手元に与えられている選択肢が少なすぎる。昨今のインテリアや建築ブームもその流れにある。そうした不満への解答が、住宅をまるでファッションのように扱い、デザインやブランドで語ったりすることだとは思わないけれど。
そんな時、再び昨日書いたヨーロッパ的ライフスタイルが気になるな・・。

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2004年08月02日

●『REVOLUCION!』

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メキシコ帰りの家人から、なぜかキューバのポスターを集めた画集『REVOLUCION! CUBAN POSTER ART』をお土産でもらう。メキシコシティの空港の書店に中米繋がりってことで売っていたらしい(^^;)。
以前から、中国やソ連のポスターや看板の画集が好きだったのだ。共産圏のポスターには、メッセージをダイレクトに伝える独特の力がある。キューバのものは、今回初めて目にしただが、どれもユニーク。共産圏特有のモチーフや形式を踏襲しながら、中米独特の色彩を使っている。また70年代のものは、アメリカのサイケデリック系アートからの影響が感じられるのも面白い。一度、キューバに行ってみたい!

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2004年07月17日

青山ブックセンター営業中止

16日に青山ブックセンター全店舗が営業を中止した。14日に、久々に(数ヶ月ぶり?何年ぶり?)新宿ルミネ店を訪ねたのだが、何か以前のパワーが感じられず、「もうABCもダメになった」と家人に話していたところだった。その偶然に驚く。六本木や青山本店に比べれば、新宿店は以前からABCらしさが強く打ち出されている店ではなかったので、その感覚は新宿店ゆえだったのかもしれないが、新宿店よりもさらに久しく行っていなかった他の店舗もたぶん同じ状態ではないかと想像していた。
80年代後半から90年代の半ばまで、ABCには何度となく通っていた。Studio Voiceや、そのあとの仕事場が六本木、青山にあったので、企画を考えるために資料を探すには必須の場所だった。Studio Voiceをリニューアルした89年頃から数年は、毎日2,3回はSVの売り上げや手に取る人の様子を見るために雑誌売場の近くをぶらついていた。仕事場にいるよりも、ABCにいた時間のほうが長いかもしれない。当時のある時期のSVは、ABCの六本木店で売れることだけを目的に作っていたといってもいい。実際、2000〜3000冊は六本木店で売れていた号もあったはず。
ABCのすばらしさは、厳選された本の仕入れにあった。そう大きくない店舗でも、セレクトする本の特徴を出すことで、巨大な戦艦型の書店にも負けることのない存在感を放つことができていた。その分、仕入れ担当者には勉強が必要とされていて、ときどきアートや思想系のシンポジウムなどに行くと、ABCの仕入れ担当者さんの顔を見ることがあって驚いたものだ。
その後、僕のほうはカルチャー系のネタを、積極的に仕事に取り上げるのを止め、資料探索の場をネットに移したことで、自然とABCから足が遠のいていった。また近年は、ABCが切り開いてきたセレクトショップ型書店は、今や珍しいものではなくなったし、本を棚差しではなく、平台で大胆に構成する見せ方も、よりポップさを打ち出したヴィレッジヴァンガードが店舗を全国に増やして、ABCの存在意義が逆に薄れていったのだろう。
が、今のヴィレッジヴァンガードからかってのABCが放っていたような力が感じられるわけでもない(ヴィレッジヴァンガードは、東京より地方のほうがフィットしているんじゃないかな・・今は)。セレクトショップは、まさにセレクトする眼力が問われるわけで、それだけ時代にフィットした本棚を作ることが難しくなっている、とも思う。

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2004年07月10日

殻々工房 in 那須

kara040711.JPG那須高原の殻々工房にお邪魔した。建築家・秋山東一さん(blog)が考案されたセルフビルドできる建築システムBe-h@usのML、CITROHAN.net のオフ会だ。昨年もBe-h@usの見学ツアーで長野の蓼科を訪れている。
殻々工房は、野澤さんご夫妻がハーフビルドでこつこつと作り上げて、この4月にオープンしたカフェ・ギャラリー。太陽熱を屋内の空調に利用するソーラーウォールや緑化屋根、バイオ式浄化槽、ベンチレーターの空調・・ととても斬新なアイデアが凝縮されている。
そうした大きな機能だけでなく、ドアやトイレの取っ手やカウンター、エスプレッソマシン・・と至るところに細かなこだわりが散りばめられている。なんといっても、ご夫婦が建築前から現場にテントを張って、建築の経過と共に過ごされ、内装の壁塗りやカウンター、住居部分のロフトなど、かなりの部分をご自身の手で作られている。
住居部分の片隅には、まだ工事用の道具が置かれていて、今も少しずつ手が入れられているようだった。この「家」は、きっとずうっと未完成のまま進化し続けていくのだろう。
また今回お邪魔して感じたのだが、そうしたハードウェア部分とともに、料理やお酒、コーヒー、さらに柔らかい野澤さんご夫婦の接客ぶりといったソフトウェア部分も相まって、野澤さんご夫妻のライフスタイルを反映させた「作品」なのだ。
ちなみに、那須高原の大通りから殻々工房へと至る小道がかなりわかりにくい。道沿いに看板立てないんですか?とおうかがいしたところ、「看板が多すぎて、那須の景観を汚くしてるから立てるの止めました」とのこと・・。感激しました。

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2004年06月23日

宮本隆司写真展

80年代から「廃墟」写真で有名な宮本隆司だが、当時は磯崎新らポストモダン建築論ブームに絡め取られれていたイメージもあって、その後の活動をあまり積極的にフォローしていなかった。で、近所の世田谷美術館で回顧展が開かれているので散歩がてら訪れる。
阪神大震災直後の風景を写し取り、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品されたという高さ5m近い巨大な写真のインパクトはやはり凄いが、個人的には2002年の新作「ピンホールの家」シリーズがよかった。段ボールの家のような小屋型のカメラの中に入って、外の世界を撮す、という作品。このアイデアは、その前のシリーズ「ダンボールの家」から得たものだという(違ったかも・・)。写し取られる対象は、相変わらず建築や風景なのだが、80年代や90年代前期には感じられなかった「人」や「生活」の気配が、徐々に広がってきている。その変化の境界は95年あたりか・・。そのきっかけが神戸の震災なのかどうかはわからないが、そうした‘感覚’の変化は、妙にわかる気がする。

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2004年06月10日

「LIFE」復刊

久しぶりのエントリーになってしまった・・。

2000年に廃刊になっていた「LIFE」がこの秋から復刊されるという。書店で目にすることなくなって、あらためてその存在の大きさを感じていた。それに2000年からこの間、写真ジャーナリズムが影響を与えるはずだった事件があまりに多い。そうした時代の要請を、TIME社も感じ取ったのだろう。
廃刊から復刊の経緯を考えると、タイムワーナーとAOLの力関係の変化が如実に現れていて面白い。タイムワーナーとAOLが合併が電撃的に行われたのは2000年年頭。ドットコム企業がオールドメディア企業を買い取ったとして話題になったわけだが、あれがネットバブルのひとつの頂点だ。そして、「LIFE」は、赤字部門縮小ということで廃刊となる。ところが、その後、AOLの業績不振から、2003年の9月には社名AOL Time Warnerから「AOL」が削除された。そこで、また「LIFE」が復活、ということだろう。何かTIME社の思い入れが感じられる。
そして、今回は、書店売りではなく、シカゴ・トリビューンやロサンゼルス・タイムズ、マイアミ・ヘラルド、サンノゼ・マーキュリー・ニュースなどの50の新聞の金曜日版に織り込まれる予定で、手にする読者は2600万人。
日本とアメリカの雑誌でもっとも違うのは、写真のクオリティ、だと思っていたけれど、その中でも「LIFE」は、長年に渡って群を抜く質を誇る。復刊がひじょ〜に楽しみ。

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2004年04月29日

DSK 'GarageBandとLogic Pro 6'

アップル・ストア銀座で、GarageBandとLogic Pro 6を使った楽曲作りとライブを観る。出演者は、CRUE-L RecordsのギタリストDSK。この前アルバムを聴いて気に入っていたのだ。
予想以上にGarageBandがよくできていてビックリ。DSKは、GarageBandを使って、あっというまに‘それなり’の曲をつくりあげていた。GarageBandは、楽器をまったく演奏できない者でも、まるでブロックを組み合わせるようにして、‘それなり’の楽曲をつくることを可能にしている。このソフトは、多くの人に音楽を創る楽しみを圧倒的に身近なものにしそうだ。ここから、センスだけ突出したとんでもない楽曲が生まれても不思議じゃない。
その後、DSKはLogic Proを使って、ギターとMacを触りながら、手慣れた感じでDurutti Columnを思わせるリリカルなギターインストルメンタル曲を作った。この前聴いたアルバムに入っていた曲にそっくり。Logic Proは多くのミュージシャンが使っているらしいが、‘いまどき’の音楽創造の現場を覗いた気分だ。このあたりのソフトの進化を押さえていなかっただけに驚く。

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2004年04月10日

押井守『イノセンス』

宣伝期間が終わって、最近ではめっきり話題を聞かないし、もうすぐ劇場公開も打ち切りかと思い、押井守監督『イノセンス』を焦って観に行く。端からあまり期待してなかったのだが、始まった途端、画の力に圧倒される。やっぱり凄いわ。
前宣伝によると、途中でプロジェクトに参加したジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、『イノセンス』というタイトルや、テーマ曲、宣伝コピーを決めたというが、ことごとく外しているように思えた。‘売りにくい’作品であることは確かだけれど。
しかし、今年は、大友の『スチームボーイ』も公開されるし、大作アニメが目白押し。これら数本が、今後、アニメを語る上での新たな判断基準となりそうだ。
最近話題の政府のコンテンツ支援策が、アニメ界にどんな成果をもたらすのかも見物。

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2004年02月17日

音楽を愛する者の形

先日のエントリーに書いた「マーケット中心の流れとは一線を画す形で、音楽を愛する者の形も変わって来る、来ている?気がする。」という表現は、曖昧でわかりにくかったかもしれない。
音楽のネット配信に大きな期待をしているわけではない。問題は、流通方法ではないように思う。‘音楽を愛する者’の生活、という時、思い出されるのは、昼の農作業の後、ガムランを演奏するために集うバリの人々、タンゴを踊るためにダンスホールに集うアルゼンチンの老若男女、津軽三味線を聴きながらお酒を傾ける青森の民謡酒場・・といった光景だ。
音楽を愛する者が、ただ消費者として扱われるのではなく、音楽の創作者でもある姿。これから期待されるのは、サイレント・ギターとか、音楽スクールのような、誰もが音楽を作り出せるような場を支援する分野だと思うが、どうだろう。
ちょうど、先日のWIRED NEWSでも、アップルの音楽レコーディング用ソフトウェア『GarageBand』が人気だ、という記事を配信した。このソフトの方向性も同様のものだろう。そして、興味深いのは、このソフトで作った曲を共有し、そして共同創作できるサイトができていて、ライセンスに「クリエイティブ・コモンズ」が使われているということだ。レッシグ氏が、CCを使う場として想定していたのは、まさにこうした誰もが創作者である場、なのだろう。そして今の日本の社会こそ、‘ただ消費者として扱われるのではなく、誰もが創作者でもある’という状態が強く求められている気がする。

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2003年11月30日

『マイノリティ・リポート』

これまた、世間から忘れ去られた今頃、ようやく観る。監視社会とか、犯罪予知逮捕システム、とかは置いといて、描かれた近未来社会の「世界設定美術」が気になった。「未来」をビジュアル化するのは、なかなか難しい。特に設定が近未来で、現在の気配も感じさせつつ、かつ未来をイメージさせるビジュアルは、対象が、日常的な道具になるほど難しいものだと思う。下手な未来イメージは、後年、格好の物笑いの種になる(ディズニー・ワールドの「スペースシップ・アース館」のとんでもなさといったら・・)。
その点、『マイノリティ・リポート』は、かなり頑張っているように思えた。住宅、乗り物、テレビ系、PC系、電話系、ゴーグル、それぞれ、現在ある道具を延長させる形で造形している。ちょっと、不満は、スラムとスラムに住む住民の生活空間が、現在とほとんど同じで、手抜きだ。
しかし、原作が同じディックということもあってか、『ブレードランナー』のイメージを引きずっているのは明らか。あの作品が作られたのは、82年で、すでに20年がすぎている。この間、『ブレードランナー』を越える近未来美術(映画での。特に都市のインフラ面)というのは、なかなかなかった(と思う)。『トータル・リコール』や『A.I.』・・(個人的には、『ガタガ』の美術が好きだけれど)といくつもあったが、あまり成功しているように思えない。
やはりシド・ミードの影響力は、まだ絶大、ということか。まぁ、彼もロバート・ロンゴの『JM』など失敗作はたくさんありますが。このあたりを専門分野として、日本のマンガ家がハリウッドに進出する手もある気がする。

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2003年11月25日

ジャック・ペラン・インタビュー

いっこうに風邪が治まらず、絶不調。ちょうど特集の更新だし・・泣。
昨日の続き。ジャック・ペランへのインタビューと、DVD脚本レビューで、いくつか疑問が解けた。鳥と併走しての空撮は、「2人乗りの特製の軽飛行機を15台、気球やモーター付きのパラシュート」を使ったとのこと。さらに、フランス郊外に約40種類1,000羽を集めてトレーニングし、3年がかりでヒナを育て、撮影隊を「親」だと思いこませた。そのため、飛行中の鳥たちは、撮影隊の軽飛行機のエンジン音を聞くと、寄ってくるようになっていた。また、鳥たちが出発する日は、毎年決まっていて、2日とずれない。そのため、撮影隊は、いつどこで待ちかまえれば鳥の群が現れるか予測できた。
あとは、撮影隊を「親」と思いこませるまでトレーニングして、「渡り」に何かしらの影響が出ないものか、という疑念は抱くが、それさえ忘れさせるほどの映像であることは確か。

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2003年11月24日

ジャック・ペラン『WATARIDORI』

劇場公開されていた当初から一部で話題になっていたドキュメンタリー『WATARIDORI』。行こう行こうと思いつつ、結局・・ビデオで観ることに。100種類以上の渡り鳥が空を滑空する様をひたすら追った映像なのだけれど、予期した以上のすばらしさ。どうやって撮影したのか、未知の映像体験に謎は深まる。映像機材の進歩も寄与しているだろうが、CGを使わなくても、アイデアと工夫しだいで圧倒的な映像が作れること思い知らされる。しかし、フランスでは28万人を動員したというが、日本でももっと評判になってしかるべき映画だと思う。劇場で観なかったことが悔やまれる。

こんにちは。情報ありがとうございます。僕もサイトを見て、そうか〜、とちょっと納得しました。それにしても凄い映像でした。

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2003年11月20日

『ワン・フロム・ザ・ハート』

カゼで体調戻らない。少し治っては、打ち合わせ相手のカゼもらって悪化・・。毎年、この季節はこのパターンだな〜。
NHK-BSで途中から観る。久々。10数年ぶりか。凄い映画、という印象はあったけれど、ここまでとは。作品として破綻しそうなギリギリのところで、新しい試みをして、創造性を作品に織り込もうとする映画作家としてコッポラの欲望が垣間見えて、くらくらする。映画に限らないけれど、完璧な完成度を湛える作品よりも、なにかいびつでも、強烈な作り手の意志が感じられるような作品にひかれる。最近は、ますますその傾向が強い。体調が悪いけれど、ちょっと元気をもらう。

●追記
22日、「アクターズ・スタジオ コッポラ・インタビュー」再・再再放送? 影響を受けた映画監督に、エリア・カザン、黒澤、そしてフェリーニ。『ワン・フロム・ザ・ハート』は、フェリーニのような映画を作りたいに違いない、と思っていたところだっただけに、納得。コッポラの映画は、影響関係がそのまま出ていて、楽しいなぁ。

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2003年10月11日

坂本龍一+David Sylvian『WORLD CITIZEN 』

CD031011.JPG「WORLD CITIZEN - I won't be disappointed-」と「WORLD CITIZEN 」、各ショート&ロングバージョン入り。坂本氏の事務所からいただく。イラク戦争前に世界中で1000万人の反戦デモが行われたが、こうした「世界市民(WORLD CITIZEN)」的な動きに期待して作られた、という。J-WAVEの15周年記念テーマ曲というから、いわゆる企画モノだが、相変わらずクオリティは高い。デビッド・シルビアンの声もいい。
「WORLD CITIZEN 」のほうが、より直接的な言葉でのプロテスト・ソング。こちらの作詞はデビッド・シルビアン。「WORLD CITIZEN - I won't be disappointed-」の作詞は、坂本氏も加わり、より詩的でポジティブなものになっている。スケッチショーの二人も参加、ドラムスにスティーブ・ジャンセン、ということで、メンバーはまさに80年代前半を思い出させるわけだけれど、懐古、という気配はまったく感じさせない。コンセプトやメッセージには、好き嫌いがあるだろうが、音楽の質とメッセージ性を絶妙のバランスで組み立てるのはさすがだ。
そういえば、ジャケットは、世界地図を植物の森として描いたイラストが使われているが、この世界地図には、アメリカが入っていない・・。

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2003年09月28日

ALL THAT JAPAN〜日本まる見えTV〜

続けてテレビねた。土曜日深夜、レッジーナ vs ユベントスの試合があまりにつまらないので、チャンネルを変えているとフジTVの「ALL THAT JAPAN〜日本まる見えTV〜」で指が止まる。アメリカのケーブルテレビ局で放送されている番組(アメリカ人の視線で、日本の現在の風俗・流行を追う、という内容)を、オセロと日本の司会者が観る、というもの。
扱われたのが、秋葉原のコスプレ撮影会、アフリカ人経由のヒップホップ・ファッションブーム、茶髪ブーム、ラーメン屋の行列・・という流行を、アメリカ人がバカにする、という毒の効いたもの。
で、このアメリカのケーブルで放送されている、という番組そのものが架空のものというテロップと、番組の最後に「生まれ育った州から外へ出かけたことがない人たちが多いアメリカ人。私たちは、アメリカ人よりも、アメリカのことをよく知っている!」と言うコメントで終了。作り手のひねりを効かそうという意志が見えて、なかなか楽しめた。で、スタッフロールで気づいたのだが、構成作家は、町山広美さんだった。(HWJでのインタビュー

以前は、深夜枠のちょっと気になる企画モノといえば、金光修+小山薫堂の企画が多かったわけだけれど、最近は、各局ともにちょっとした冒険をする余裕もないようだ。
で、「カノッサの屈辱」「カルトQ」「料理の鉄人」で有名な金光修氏の最近は・・、ということでぐぐると、以下。
金光修インタビュー(2000年 by 高城剛)
金光修インタビュー(2003年 毎日新聞)
BSフジ編成局長兼編成部長兼データ放送事業部長・・とのこと。
さすが、デジタルTVに注目し、軸足を移すあたりは、TV界では目の付け所が圧倒的に早かったのだろうが、2000年と2003年では、発言の勢いに大きな違いがある。やはり、デジタルTVが思いどおりに行かなかったのか・・。

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2003年09月19日

「NODE246」ちょっと人気・・

 soft m@chineという会社で、95年に作ったウェブマガジン「NODE246 Tokyo Backbone」のデータを、用あって何年かぶりにMOから引っぱり出し、ついでにサーバーにアップしたのがこの4月。
Vol.1 「Expanding Japanimation 拡張するジャパニメーション」
Vol.2 「Rebels against J-pop」
Vol.3 「Japanese Models ジャパニーズモデルの新世紀」

 95年といえば、日本にはまともなウェブマガジンはほとんどなく、海外にもいくつか、という頃で、この「Node246」は、日本のサブカルチャーを海外に向けて紹介しようというコンセプト。
 今となっては、やや見にくいところが多いのだが、当時は、アニメgifはまだできないし(3号目の頃ようやく出来るように)、回線スピードも遅く、モニターで長文なんか読めないと言われてもいて、通信環境、技術、ウェブを受け入れる環境、が今とはまったく違う。そんな激烈な変化の中、それに合わせてインターフェイスを考えるのが、作り手の楽しみでもあった。

 再びサーバーにアップした後・・英語版もあるので、検索エンジンでひっかかるのか、海外からのアクセスが多い。先週は、アメリカ、フランス、スイス、台湾、メキシコ、ドイツ、アメリカ、カナダ、オランダ、イギリス、ハンガリー、そしてなぜかペルーから多数。それに、今週は、テクノ・ミュージック好きの若者が発見して、リンクしてくれたようで、さざ波のようなアクセスが・・。
 サブカルチャーねたの編集は、考えるところあって、これ以降止めていたわけだけれど、そろそろ再開してもいいかな、と思ったり。

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book030918.JPGその後、『Website Graphics──the best of global site design』で紹介され、海外からも数件の取材が来た。その紹介文の一部を以下抜粋。古い話を自慢モードですみません・・。

「Node246 shows that the Web can be a perfect medium for recreating and further enriching the lifestyle magazine. The content, look and feel of Node246 closely resemble the image and role of the English magazines The Face and i-D. Every feature has its own customized approach, jamming in hip dynamics along with groovy style experiments. By sticking to the conventions of producing a magazine, and sensible applying the bag of tricks provided by on-line technology, Node246 definitely has made a statement of its own webdesigne style. It forges a subtle blend of an old and a new medium, and offers an inspiring experience. ──Adam Eeuwens  」

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2003年09月04日

デザイン関連 3題

日本の‘デザイン’は、徐々に大きな産業になり、世界的な注目を集めているアニメやゲームとは直接的な関係なしでも、続々海外へと進出していくはずと予感して、幾星霜・・。賞狙いの活動は、相変わらず多いんだろうが、デザイン後の社会や生活に影響を与えるような成果はどうなんだろう。かって、SV在籍時に‘グラフィック・デザイナー・ブーム’のようなもののお先棒を担いでしまった反省もあって、最近の動向は、とんとフォローしていないのだけれど、ちょっと気になったデザイン関連イベントなど3つ。

深澤直人+佐藤卓「プロダクトアート イントロダクション」
トム・ケリー『発想する会社』(関連エントリー)の舞台となっているデザイン会社「IDEO」の日本法人代表・深澤直人氏が、佐藤卓氏とともに、タカラ、ダイアモンド社と家電や雑貨の新ブランドを立ち上げる。そのエキシビション。

デザインの解剖(4)=明治乳業・おいしい牛乳
その佐藤卓氏企画のシリーズ企画展。もうすぐ終了。

・シンポジウム『カルチュラル・ランドスケープ——景観デザインを超えて』
雑貨→家具・インテリア→建築ブームの先は、「景観デザイン」だろう。
松原隆一郎が出席、ということは、
「もはや「より多く、より安い」経済成果を追求したところで、日本人は満たされなくなっているのだ。むしろ景観という経済活動を規制するもののほうが豊かさを実感させるはずであろう」(『失われた景観──戦後日本が築いたもの』)
といった視点満載か。この分野はまだ、コンセプトの輸入学習段階。

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2003年08月22日

北野武インタビュー から

これまで避けてきたアップやロング、細かくカットを割るハリウッド映画ばりの‘当たり前の撮り方’について聞かれて・・
 「『映画におけるキュービスム』なんてことをずっと考えてたの。絵画のキュービスムが立体を一つの平面に描き込むことだとしたら、映画のキュービスムは時間と映像の落差。無関係なシーンが次々出てきても、最後に内容がわかればそれが映画の進化形だ、なんて。今回は抽象画家が『似顔絵描いてくんない? そっくりなやつ』って言われたようなものでね」
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これまでの自信が言わせているんだろうけれど、凄いことを言うな。映画そのものをまだ観てないので、何も言えないわけですが・・。asahi.comから。備忘メモ。

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