2011年05月22日

●池澤夏樹『やさしいオキナワ』

先日、沖縄に行ってから、沖縄のことが気になる。通り一遍の観光で大した旅行ではなかったし、現地の方とそう交流したわけでもないのだが、東京にいるのとは何か、確かに違う空気を感じ、それが何なのかと考えさせるのだ。
というわけで、沖縄の魅力の取り憑かれた先達、池澤夏樹氏の本を読む。

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「なぜ沖縄の人々の顔に惹かれるのか。彼らが正しい生活をしているからだと思う。その裏には、前に書いたように架空都市東京の宙に浮いた生き方がなんとなく日本全体の主流になってしまって、誰もが中がすかすかのまま外側だけを飾って生き方をしているということへの反発がある。」

この本は、移住前の94年に書かれたものと移住後の97年に書かれた2つの文章が収められている。前半は沖縄へのオマージュが熱く語られているが、後半は、そのあたりの熱がやや落ち着きつつも、より深く沖縄に立ち入った形だ。

「こういう沖縄社会を支えている沖縄人のもっとも重要な性格は何か? ぼくはずっとそれを考えてきて、どうやらそれは一人一人が自分でものごとを判断しているせいではないかという結論に至った。

自分の頭で考える。自分の中にある基準で判断する。他人と自分を比較しない。だから周囲が言うこと、世間が行っていること、法が決めたこと、先例として残っていることは誰にとっても参考条項でしかない。

五百年に亘ってヤマトからいじめられ、利用され、差別されても、まだ本土復帰から二十五年を経た今も県民の平均所得を見れば全国でもっとも下でありながら、やはり日本全体でいちばん元気で、風とおしのよい、明るい社会を維持している。」

池澤さんの南方紀行としては、「ハワイイ紀行」なども好きだけれど、楽園を求めたハワイ紀行とは、沖縄のそれは、同じ視点ではいられないものだろう。同じ日本国内で、より関わりが近く、そして、その関わりは、アメリカ軍基地など現在も進行形の問題として、考えざるを得ない。
それでいて、強烈に東京的なものとは異質でありえていることは確かで、国内ではそのためにとても貴重なのだ。
東京的なものを否定し、沖縄を非東京的な存在として、憧れることは簡単なのだが(そうしたい気持ちも強いのだが)、架空都市東京の生活をただ否定してオルタナティブを探すことが解決先に近づくのかという思いと、沖縄のことを知ればしるほど、結局、"観光者”として触れるしかないのではないのかという思いが募る・・。

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2010年01月03日

●矢部孝/山路達也『マグネシウム文明論』

山路さんには、前からお話をうかがっていたので、楽しみにして読む。ひじょうに面白い。

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海水を太陽熱を使って淡水化し、その過程でマグネシウムを取り出し、これを太陽光から作り出したレーザーで精錬し、燃料として利用する。自動車にはマグネシウムを利用した空気電池。燃えカスは、またレーザーをあててリサイクル・・という驚くべきエネルギー循環。

そしてすでに、このサイクルの要の技術の、海水を大量に淡水化する技術(よく知られた逆浸透膜方式ではなく)はビジネス化していて、太陽光からつくられたレーザーで精錬する技術もすでに現実化段階だという。

水とエネルギーと温暖化排出ガス削減、というこれからの人類の3大課題が一気に解決できるという、まさに壮大なプラン。壮大でいて、これまで代替と言われていた、燃料電池、水素、風力・・よりも、圧倒的にクリアしないといけない障害がすくないように思える。理念優先でなく、科学的研究の成果を、活用の場を探して行くことで、徐々にエネルギー循環の環がつくられたのも、ひじょうに好感が持てる。いやぁ、これまで、あまり知られていないのが不思議なほど。

循環サークルの最初の出発点の、太陽熱を使って海水の淡水化技術については、特許の問題もあるのかあまり詳細に説明されていなかったけれど、これだけでもひじょうにインパクトのある話だ。

あまりに壮大すぎて、問題はないのか? と疑ってしまうが、少なくとも今後の情報に注目したくなる。注目すべきでしょう。希望を託したくなる話を久々に聞いた感すらある。

『TIME』で2009年の Heroes of the Environment に選ばれたというが、日本での認知を一気に拡げることになるのは、やはり外からになるのかな・・。

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2009年12月30日

●三橋貴明『経済ニュースの裏を読め!』

中小企業診断士の資格を持ち"企業の財務分析で培った解析力をマクロ分析に応用する"という著者のよるデータと図解豊富な日本経済分析。経済学者による経済学ベースの分析でも、証券業界のエコノミストによる"市場の常識"的発想でもないところがユニーク。日本銀行や財務省、IMFのウェブから誰でも手に入れることができるデータをもとに図表を制作し、そこから結論を導きだす方法は明快。そして、導きだされた結論のいくつかもメディアで伝えられる「常識」とは異なっていて目を引く。

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・メディアが騒いでる日本の公的債務は、他国と比べて特に著しく増加しているわけではない。それに対し、公的債務対GDP比率は、ここ15年、G7諸国の中で唯一悪化している。
・日本の貿易黒字は、対GDP比で0.8%。数値的に見れば日本は内需立国。
・日本の就業者の過半数は、円高によりむしろ恩恵を受ける可能性が高い。
・人口減少が必ずしも、経済の低迷を引き起こすとは限らない。95年以降、ロシアは毎年80万人以上の自然減が続いているが、年平均6.75%の成長。
・02年から07年までの"好景気"時、給与所得者数が微増し、給与総額は減少。
・日本の公共投資は「絶対額」でも「対GDP比率」でも減り続けている。しかし、まだやるべき事業はたくさんある。
・大切なのは「変化に俊敏に対応すること」で、政府の大小ではない。
・フロー(GDP)に財源を求める景気対策は有害。
・日本の金融資産の6割は60歳以上が保有している。が、高齢者世代の世帯内でも、大きな隔たりがある。同世代相互扶助の考え方が、最も適切な解決策の可能性が高い。
・バランスシート不況下での緊縮財政は傷口を拡げるだけ。
・日本の個人消費は5年連続で増加を続けている。
・「所得格差は広がっている」はウソ。IMFが主要国のジニ係数を発表。世界的にも大きくはない。
・国債の94%が「国内」で発売され、さらに国外に販売した分も100%「日本円建て」の日本政府が破綻する可能性はゼロ。

う〜む。「バランスシート不況下」あたりに飛躍と断定は、意見の異なる経済学者の方も多いと思うが、プレゼン手法のわかりやすさは貴重かも。

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2009年04月26日

●岩田規久男『世界同時不況』

また岩田氏。半年ほどで3冊目? 当たり前だが基本的には同じ考え方が、少しずつ深みや対象を変えて展開されてきた。

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ここでは、1930年代の世界大恐慌と昭和恐慌を振り返り、以下のような展開。

「米国がデフレの脱出に成功した後に、大不況を終焉させたのは、戦時の財政支出の増加ではなく、欧州からの金の流入の結果生じたノーマルな記事を大幅に上回る貨幣供給量の急速な増加であった。

「2009年3月はじめ現在の各種経済統計から判断して、今回の不況は昭和恐慌以上の激しさである。しかし、日本銀行の政策を見ていると、それほどの危機感はないようであり、高橋財政に学べといっても、日本銀行はそれに学んで動きそうにない。
 この状況に至っては、政府は早急に、時限的に、財政法と日本銀行法を改正して、景気が回復するまで、国債の日本銀行引き受けを実施すべきである。その際、高橋蔵相亡き後のように、国債の日銀引き受けに歯止めがなくなることを防ぐためには、インフレ率に3%程度の上限を設定すべきである。」

これだけ読むと、素人からすると論理的には穴がないように読めるが、こうした考え方が、多くの経済学者やマスコミの中で大きな勢力になっているようには見えないし、どれほどの影響力を持ちつつあるのかもわからないのが虚しいところ。

経済学者の意見がいかに実際の経済政策に反映されるか、というルートがわかりにくく、たとえ経済学者の主調が行われたとして、それが実際の政策に何か影響を及ぼすものかどうかもよくわからない。また、政党間で経済政策の違いがそれほど明確なものでないので、一個人の唯一の選択参加手段の「選挙」が経済政策選択の場になっていないことも、虚しさを感じさせる要因だ。一個人の生活に大きく影響を与えるはずの経済政策の選択が、とて〜も遠いもののように感じるのだ。

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2009年04月25日

●竹中正治『ラーメン屋 vs.マクドナルド』

エコノミストが、アメリカ在住時の実際の経験をもとに日米の文化のそれぞれの特徴を、通説を覆して、独自の論を展開する。

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大統領は希望を語り、総理大臣は危機を語る。アメリカ人は対面でディベートし、日本人は匿名でブログする。日本にビル・ゲイツはいないが、小金持ちはたくさんいる・・。
それぞれ面白いし、論理的でもあると思うが、エコノミストとしての体験談と、日米文化論と、軽めのコラムが混在していて、一冊の本としては惜しい感じ。 編集の問題か?

投稿者 esaka : 00:50 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月19日

●色川武大『うらおもて人生録』

・・ということで、阿佐田哲也より純文学色が強い本名・色川武大 名義の本をいくつか読む。その中では、『うらおもて人生録』が楽しめた。

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西部邁による文庫版の解説から。

「・・は、非行の天才の手による劣等生向けの教育書である。……著者の「どろどろの体験」にさりげなくもとづきながら、劣等生が「生きていくうえでの技術」を「自分なりのセオリー」として「身体にしみこませる」ことができるように諄々と説いている。……「人間なり、世間なりのレベルは手ごわい」こと、そして「真実というものは、二律背反の濃い塊りになっている」こと、これらの事柄を知るのは魂の技術によってであり、ひとたびこの技術を習得すれば、劣等生にも非行者にも魅力的な人生がありうるのだと著者はいう。
 魅力とは「自分が生きているということを、大勢の人が、なんとか、許してくれる」ようにさせるような力量のことである。好むと好まざるとにかかわらず勝負を基調にする世間において、ひとます敗者の地位にある劣等生は、優等生には易いこの許しを獲得するために、悪戦を強いられる。迂回、沈潜、飛翔をとりまぜて動員しなければ、「これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核」としての「フォーム」に達することができない。この「たたかいのしのぎ」を教えてくれたのは、著者にあっていうまでもなく博打場である。
「運の通算はゼロになる」こと、そうであればこそ「運をロスしない」こと、「大負け越しになるような負け星をさけていく」こと、つまりは「九勝六敗ぐらいの星をいつもあげる」こと、こうした様々なセオリーを、「原理原則は愛嬌のないものだ」と知りつつ、わからなければならない。……「苦を自分でひろっていく」こと、「ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくい部分を守り育てていく」こと、つまり「洗練された欠点」を身につけることが大事であって、負けまいと踏ん張ってばかりいれば、怪我をする。
 しかし、・・非行者はどうすれば「わかる」のであるか。実行はむずかしいが、その原理は簡単である。当たり前のことを憶えていればよいのである。「大勢の人たちに関心を持つ」こと、・・そしてなによりも、「人間とは愚かしくも不恰好なもなり」と知ったうえで、「大勢を好きになることで、自分の感性の枠を拡げる」ことを忘れなければよいのである。
 「人を好きになること、人から愛されること」、著者の味わってきた熾烈な人生のしのぎは会いを前提にしている。照れ性の著者にかわって照れずにいえば、人生のうらおもてに愛をつらぬけ、これが本書の主調音である。・・・・
 人生論はいまどきの流行ではない。いわゆる「知」とかが人生や体験をこのうえなく侮蔑し、人生なしの芸術、体験なしの知識が言葉のショー・ウィンドウに並んでいる。今の時代の優等生とは、このガラスのなかの陳列競争の勝者ということであり、これが時代の本線である。著者は劣等生にたいして、「本線とはちがうコースがみつかるといいんだがね」と静かに誘いかけている。」

 経験に裏打ちされた、ひとつひとつの言葉の重みに驚く。単純な言葉の裏に、そこまで至った経験の熾烈さを想像させて圧倒される。近頃は、MBA出身者などによるライフハック的仕事術が大流行りだが、あの薄っぺらさが際立つ。こちらこそ、まさに真のライフハックと言えるかもしれない。

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●阿佐田哲也『新麻雀放浪記』

ケータイサイトでマネックスの松本大氏が「経済の本質をつかむ本」として阿佐田哲也『新麻雀放浪記』を勧めているのを見かけさっそく手に取る。

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松本氏の解説は、

「金融や投資、マネーを考えるといった時に、欲や運というのは常に考えておくべき、基本中の基本です。この本はとくに”運"──”ツキ”を追求し、あらゆる角度から書いている。といっても、説明めいた内容ではなく、あくまでエンターテイメントとして愉しめる小説。”ツキ”の特性を掘り下げている希少な一冊であり、投資やビジネスを考える上でもためになる本ですね」

欲というのはわかるが、運を考えるのが金融を考える上で基本中の基本、という考えに驚く。
阿佐田哲也は、これまでいろいろな人に勧められてきたのだが、なぜか読んだことがなかったのだ。いったん嵌まると徹底的にやりがちな自分を質を考えて、ギャンブルに関わる情報は、できるだけ避けるようにしていたのかもしれない。
で、『新麻雀放浪記』は、さすがに面白く、う〜ん、危ない予感・・笑。

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2009年03月15日

●澤柳大五郎『ギリシアの美術』

ギリシャ美術の入門書を探すが、なかなか適当なものがない。こちらは、1964年に出されたもの。まさに、岩波新書の古き良き時代の雰囲気が漂う。たしかに、入門書ではあるのだが、さすがに40年以上も前となると、西洋美術の実物を目にした、ということそのものが大きな意味をもっていて、今となっては辛いところも多い。ローマをロマと綴ったり、表記の違いもけっこうあって、その点は新鮮ではあるが・・。
逆に、現代の一般的な表記と異なる出版物をまだ刊行している(手にしたのは2002年発行21刷)ことにも驚く。

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2009年03月01日

●岩田規久男『金融危機の経済学』

結局、ここ数ヶ月にまとめて読んだ経済モノの中で、何度か読み返したのは、岩田規久男『景気ってなんだろう』。最初は、あまり刺激がなく、さらっと目を通しただけだったのだが、何度か読むことに。一見、刺激がないけれど、味わい深い・・という、まさに教科書的なのが岩田氏の特徴だ。

で、今回も、金融危機がなぜ起きたのか、そこから何を学ぶのか、を教科書的に解説してくれる。・・ということで、出来の悪い生徒は、また後から、何度か読み直すことになるかな・・笑。

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●ナイジェル・スパイヴィ『ギリシア美術』

収められた写真の数々に圧倒される・・。いやぁ、予期した以上に圧倒された。メイプルソープの写真にも大理石像のシリーズがあったのを思い出す。
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解説が、なんだかウザイのは、こちらがあまりに初心者だからなんだろう・・。

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2009年02月22日

●岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』

またこの本。
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「ギリシアの彫刻は、エジプト的な思い素朴さからしだいに軽やかな繊細さへと発展してゆくが、少なくとも紀元前四世紀にいたるまでは、個人を表現しようとはいささかかも試みていない。つねに運動選手とか英雄とか神々を表現しようとしているのである。なぜだろうか。
 それは、ギリシアの芸術家たちがつねに理想を表現しようとしたからである。彼らはつねに普遍的なもの、形相的なもの、法則的なもの、理念的なものを追求している。芸術の課題は、可能なかぎり最高の美を表現することだ。・・・
 ギリシアの彫像は美しいが、すべて同じ表情をしている。ここには、不完全なものはいわば存在の資格において劣っているちう感覚がある。・・
 ヨーロッパの思想において、個体がほんとうに問題になるのは、キリスト教の成立以後である。」
「ギリシア人の神とは、私たちがそうありたいと願ってやまない、人間の理想化なのである。人間の生命への愛があまりにも昂揚して、神々の像へと結晶しているのである。ギリシアの詩人たちが、神々に人間のもつ苦楽や情熱と同種の、しかも強烈な感情を与えたのは、とうぜんであった。なぜなら、神々とは永遠化された人間であり、人間の本質への賛歌にほかならなかったからである。」

妙にギリシャ彫刻に惹かれる日々・・。

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●高橋洋一『霞ヶ関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』

出版は、08年5月。内容は、先日の『この金融政策が日本経済を救う』とほとんど同じ。ただ、こっちは、編集部によるインタビューの書き起こしという構成になっている。
学者というよりも、断定口調で切りまくる、というのが"芸風"の人でもあるので、インタビュー形式のほうが著者の勢いが出る。

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「日本銀行はもともと金利を上げるのが好きで、そういうDNAがあってね。・・日本銀行には「金融引き締め」をしたら勝ちという文化、バカみたいなDNAがある。財務省は緩めろと言うから、引き締めるのが実は日本銀行には勝ちという風土があるの。ほんとだよ。勝ちと言うんだもの。」
「審議会の学者は各省のお抱え学者、代弁者とみられてしまう。全部が全部そうでないと思うけれど、御用学者と言われている人はいる。ある有力経済全国紙で、経済学の話題を書くコーナーがある。経済学者では、その欄に自分の主張をのせることは一種のステータスになっている。そこで、ある役所の政策を批判するものを出した場合、すぐにその役所から「先生のペーパーについて、議論したい」という連絡が来て、丁重に反論される。そのときには、些細なデータの誤りから指摘される。学者はこういうのは弱い。たちまち役所に取り込まれる。」

・・というわけで、この趣旨でこのテイスト、という人はなかなかいなかったから貴重ではあるけれど、その依って立つ理論的な背景は、3年間過ごしたというプリンストン大学でバーナンキなどとの交流でアメリカの経済学会で常識的な視点を獲得した・・ということなんだけれど。いい加減なことをテレビコメンテーター学者に語られるよりもいいけれど、それはそれでちょっと情けない気もする。あと、竹中平蔵の相談役だったことを自慢しつつ、少し前まで在籍していた財務省のことも切りまくるわけだけれど、このあたりの関係もちょっとよくわからない。政治家向きの人なのかもしれない。

投稿者 esaka : 02:01 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月09日

●服部茂幸『金融政策の誤算』

本屋で立ち読みし、買おうか迷ったが結局買わず・・。日経の書評に載ったのでメモ。

「本書の著者は「バブルは事前には防げず、バブルが崩れたときに徹底的に金融緩和をすればいい」という考え方が今回の危機をもたらした主因と見る。その主役はFRBのグリーンスパン前議長やバーナンキ理事長らだ。
 こうした「金融緩和派」は日本の長期停滞を基本的にデフレを起こした「金融政策の失敗」と理解しているが、それは誤りであり、こうした間違った理解が今回の危機にもつながったと著者は考える。
 物価ばかりを見て、資産バブルやそれに伴う信用膨張などの金融的不均衡を軽視してはいけないという考え方は、国際決済銀行(BIS)のエコノミストらを中心に語られていた。著者の考え方もこれに通じるものがある。」

う〜む。wikipediaの「経済学」の項に、
「経済学は存在自体が社会・政治・経済・政策と不可分であるため、学術的な論争や政策的な論争など数多の論争を生み出し消化してきた。それによって経済学徒は他学徒に「傲慢である」と印象を与えてしまうほど非常に攻撃的な知的スタイルを形成している。論争は経済学にとって理論を洗練させブレイクスルーを起こす役割を担ってきた。このように経済学と論争は切り離すことはできない。」

とあるけれど、論争自体が行われていることを、どれほどの人が認識しているんだろう・・。それに、そんな決着のついていないようなことが、"ただ一つの正解"として語られているとは思わないし。

wikipediaの「日本の経済論争」の項目は、簡単に整理されていて面白い。
さら〜に、疑問なのは、経済学者やエコノミストと名乗る人でも、"論争"とも言えないような、きわめて感情的で飛躍的な論理展開をする人がけっこう多いこと。そして、そういう人に限って、テレビなどに露出している、ということ。これは、そうした人を選択するメディア側の問題なのか、露出した後に徐々にそうした道化性を帯びるのか・・。経済専門誌などは、一般人は目を通さないし。う〜む。

投稿者 esaka : 00:45 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月07日

●越智道雄、町山智浩『オバマ・ショック』

「町山 黒人の政治家に対するアメリカ人──というか白人の恐怖感は、「復習されるんじゃないか」という心理が背景にあるでしょう。でも、オバマには奴隷経験という「過去」がないから、復習を心配しなくてもいいということでしょうか?
越智 実際、高給取りの白人男性は圧倒的にオバマを支持したわけです。収入に余裕があるぶんだけリベラルだから。いわば、白人が自ら選んだ下克上ですよ。」
「越智 オバマをひと言で表現するなら「絶対的アウトサイダー」ということになると思うんです。人種、階級、宗教、コミュニティ、家族関係などあらゆる面で、どこにも帰属してこなかった、あるいは帰属できなかった人ですね。
町山 逆に言えば、どこにも帰属するとも言えます。」
「町山 オバマはリンカーン、ローズヴェルトとともにマーティン・ルーサー・キングJr.のイメージも意識的に背負おうとしています。史上もっとも人気のある大統領二人とキング牧師ですから、まったく欲張りなんですが。
越智 自分が何者でもないからこそ、さまざまな偉人の影を背負うことができるんです。」

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どこにも属すことができず、何者でもない・・・というのオバマ像は、まさに腑に落ちる。
アメリカの保守やリベラルの起源の話など、ひじょうに面白いのだが、経済の話になるとやや弱い印象。経済を中心にした本は、政治の話が弱く、政治・文化を中心にすると経済政策が弱い。ブッシュとグリーンスパンの関わりはほとんど語られない。って、関わってないのか・・。

投稿者 esaka : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月01日

●堂目卓生『アダム・スミス』

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「本書は、『道徳感情論』におけるスミスの人間観と社会観を考察し、その考察の上に立って『国富論』を検討することで、これまでとは異なったスミスのイメージを示す。

「『道徳感情論』においてスミスが描いた人間像は、「賢明さ」と「弱さ」の両方をもつ人間であった。「賢明さ」とは胸中の公平な観察者の判断にしたがって行動することであり、「弱さ」とは胸中の公平な観察者の判断よりも自分の利害、あるいは世間の評判を優先させて行動することである。・・人間が社会的存在であるということは、人間の「賢明さ」の原因であるとともに、「弱さ」の原因でもあるのだ。」

「富の主要な機能は、人間を存在させ、繁殖させ、その生活を便利で安楽なものにすることである。しかしながら、スミスは、富の中に、それ以上の機能を見出していた。それは、人と人をつなぐという機能である。」

「スミスは、真の幸福は心が平成であることだと信じた。そして、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要としないと考えた。・・与えられた仕事や義務、家族との生活、友人との語らい、親戚や近所の人びととのつきあい、適度な趣味や娯楽。これら手近にあるものを大切にし、それらに満足することによって、私たちは十分な幸せな生活を送ることができる。また、・・たとえ人生の中で何か大きな不運に見舞われたとしても、私たちには、やがて心の平静を取り戻し、再び普通に生活していくだけの強さが与えられている。・・
 諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。私は、スミスの到達したこのような境地こそ、現代の私たちひとりひとりに遺された最も貴重な財産であると思う。」

いやぁ、面白い。日経でエコノミストが選ぶ経済図書ベスト1位に選ばれた・・ということで、経済学の専門的な話かと思いきや、人の幸福、社会生活の根本がどっかりと描かれている。ひじょうに面白いし、"アダム・スミス"という人の考えにこれまで抱いていたイメージも覆ったことも確かなのだが、逆に、そう奇をてらった展開にも思えないし、経済学の古典中の古典がどうして、これまでこういう分析をなされてこなかったかのほうが不思議。
あとは・・ここで示されたある種の"諦観"のようなものが、今の時代とマッチしていていることも、この古典再解釈を楽しい読み物にしていると思える。

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2009年01月24日

●田中隆之『「失われた十五年」と金融政策』

高橋洋一『この金融政策が日本経済を救う』のところで書いたように、経済学者、エコノミストが量的緩和についてどう考えているのか知りたかったところで、タイムリーな本を日経の書評で発見。橘木俊詔氏によるものから。

「評者が最も大きな関心をもったのは、著者がインフレ目標論に関して、日銀がそれを導入しなかったことを正解であったと結論付づけた点にある。私もこの説に賛成である。2008年度のノーベル経済学賞を受けた米国のクルーグマンをはじめ、高名な外国の経済学者が、日本にインフレ目標を設定せよと主張したのであったが、日本のことをよく知らない彼ら経済学者の主張のあやふやさを指摘している点は小気味よい。」

・・う〜む。評者の立場はわかった。

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で、この本の著者は・・

「量的緩和によるベースマネーの増大は、すでにコール金利がゼロとなってそれ以上は低下しないのだから、市中銀行の貸出も債券購入も起きず貸出金利・再建利回りも低下しない(同時にマネーサプライも増加しない)。したがって、景気は拡大しない──基本的にこのように考えざるを得ない。」
「ベースマネーを増やしさえすればマネーサプライが増加するはずだという信用乗数アプローチ的な考え方自体に欠陥があったと考えざるをえない。」
「日本の論者が主張した人為的インフレ政策はクルーグマン提案の中核部分をスキップして、外形のみを説明したものが多かった。つまり、日銀がインフレ目標を設定し、「できることは何でもやるという姿勢」を明確にすればインフレが起き、デフレから脱却できるというのだが、これは「ほら吹き男爵」の寓話の域を出なかった。」
「モデレートなインフレを起こすことでデフレを脱却する手段は皆無なのだから、中央銀行がインフレ率にコミットしても、民間経済主体はそれを絶対に達成できないと考えてしまう。」

こうも言いますな。
「単純に「クルーグマンが言っているから正しい」程度の議論が幅を利かせた反面、その核心部分を理解しないままに反論する向きも多かった。」

というわけで、比較的冷静で論理的にインフレターゲット論の是非について解説してくれているように思うが、その展開がどこまで正しいのかは、情けないがわからない・・。別の立場からの冷静な議論を読ませていただこうと思います。

しかし改めて思うのは、経済学者が依って立つ考えの違いが、一見ひじょうにわかりにくいことだ。これだけ大きな違いがあるにも関わらず、テレビ番組などではひとつの"真理"のように解説、説明する。政治家や政治学者が明らかに考えの違う立場から議論する、ということは行われることはあるが、経済に関しては、ほとんど目にしたことがない。一方の説明を、その場では、真理として聞き、また別の場所では違う話を聞く。これでは、一般人は混乱するばかりだ。だいたい、こうした重大な議論が行われていることそのものが、多くの人々に知られていない・・という意味では、メディアの責任も大きいのか・・。
それに、金融政策の主人公である、日銀総裁がマスコミにあまり出ないというのはどうしてなんだろ。

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2009年01月18日

●浜田和幸『石油の支配者』

このブログでも、数年前から石油と新エネルギーの動向をときどき追ってきたのだが、去年の原油価格の高騰と急落は、なんというか異常。夏過ぎまでは、いよいよピークオイル説も現実化か、と思ったのもつかの間、あっという間に3分の1まで下がった。石油に関しては、わからないことが多すぎる。いちいち情報を追うのもバカらしくなるほど。
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で、この本を手に取ったわけだが、アメリカ、ロシア、中国・・さまざまな勢力がエネルギーの覇権をめぐって、激しい争いが行われていることはわかったけれど・・、なにか合理的に判断がつかない分、余計に遠い世界の話になった気分。
極めつけは・・

「ピークオイル説を、科学的根拠のない極端な悲観論にすぎないとみなす最右翼がロシアである。ロシアの科学アカデミーが中心となり、ウクライナの研究者と共同で進められた「原油無機説」の信奉者たちである。・・
 ロシアの研究者たちはこの原油無機説に基づく研究成果を応用し、既に枯渇したと思われていた原油や天然ガス田の再開発に相次いで成功したのである。特に1990年代・・・当時、枯渇したと思われていた61の油田のうち37の油田で再び原油を生産することが可能になったのである。・・このようなロシアの油田再開発技術は、近年まで西側に知られることがなかった。・・

 当初は否定的な受け止め方をする研究者も多かったが、原油が恐竜やその他の動植物の死骸が蓄積し長年の間に化石燃料と化したとする説を科学的に証明することを求められて証明できる研究者も誰もいなかったことも事実である。
 一方で、人工的に地下100キロメートルのマグマに近い環境を作り、1500度近い高熱と大気圧の5万倍という圧力をかけることで原油の生成過程を再現する実験も行われた。これはテキサス州ヒューストンにある原油資源研究所のJ.F.ケネア博士が主導した実験である。その結果、原油の自然生成過程が徐々に明らかになった。このような科学者による実証研究が積み重ねられた結果、急速にピークオイル説は根拠を失うことになりつつある。」


げげ〜。以前も原油無機説のことは書いたことがあったけれど・・。この本では、その生成過程が明らかになった、とあるが・・ほんとなんですか〜。

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2009年01月12日

●高橋洋一『この金融政策が日本経済を救う』

この本の前に、水野和夫『金融大崩壊』を読んで、頭が混乱する。大げさな言葉遣いは、一見派手だけれど、断定が論理的でなく、「・・の終焉」などと、「たいへんだ〜」と言いたいだけはわかる・・笑。

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で、こちらは、わかりやすすぎるぐらい単純明快。

「日本経済の先行き不安の原因は、サブプライム問題ではありません。・・それは、06年から07年にかけての金融引き締めです。・・
 ・・変動相場制のもとでは、公共投資や減税などの財政政策は効きません。なぜなら、赤字国債の発行による公共投資→長期金利の上昇→円高→輸出減少・輸入増加という形で、公共投資の効果が、海外に流出してしまうからです。・・
 ただし、この財政政策も金融政策と組み合わせれば、効果があります。なぜなら、金融緩和することで、円安に誘導できるからです。・・金融政策を行ってからその効果が現れるまで、ある程度の時間がかかります。・・このタイムラグがあるために、実際に効果が現れたときにはメディアを含む多くの人がしばらく前に行われた金融政策のことは忘れています。」

元財務省のいわゆる"埋蔵金男"だが、こういう考えをお持ちとは・・。これまで、リフレ派は、ネットでの声は大きい?が、マスメディアではあまり露出する機会がなく、たまに語られても、学者肌の人が小難しく思える説明をしがちで、多くの共感を得るに至ってこなかった。その点、「朝生」で見たこの方の経済学者という肩書きを持たない果敢さは、重要に思える。

しかし、さまざまな人がさまざまな論を展開する経済問題も、「量的緩和」の効果をどう考えるか、という点からだけでも、多くのエコノミスト、経済学者の立場をマップにして整理するとわかりやすいんだけど・・。

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2009年01月05日

●竹森俊平『資本主義は嫌いですか』

この金融危機をどう考えればいいのか・・、何冊か目を通してみたけれど、またなんだか感情的な議論に巻き込まれているようで、よくわからない。

が、これはいい。バブルがどうして起きるのか。対処のしようはなかったのか。まさにジグソーパズルが、おさまるところにおさまっていくように、徐々に「サブプライム危機」の全体像が浮かび上がる。学究肌の経済学者に多い、構築的だけれどやや固い文というのが、著者の特徴だと思っていたけれど、今回は、構成もひじょうに読ませ、スリリングな展開になっている。それでいて、ただ自身の論をただ主張するわけでなく、世界の経済学者が、ここ数年、何を論じていたのかをさまざま紹介しつつ、ひじょうにバランス感覚もあるし、論理的でもある。
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全体がしっかり構成されているので、なかなか一言で引用しにくいのだけれど・・

「「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(特に金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して高成長の維持を図る。そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。

・・「サブプライム危機」を契機に、今度は「自動制御装置」も根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが第一部の結論のあらましだ。」

「要するに「根本問題」は、「熾烈な競争」、「高利潤」、「計算の出来る危険」という、同時に成立させるのが不可能な三つのことを同時に成立させようという無理な要求をそのものにある。「サブプライム危機」とは、その「根本問題」が生んだ結果にすぎず、「根本問題」そのものではない。」

「今回のサブプライム危機の日本にとっての政策的なインプリケーション(含意)は、90年代の不良債権問題で懲りて、銀行中心のこれまでの金融システムに代わる、市場中心の新しい金融システムを、日本の政府、金融関係者が追い求めてきて、ようやくその答えをアングロサクソン型のビジネスモデルに見つけ出したと思ったところが、そのアングロサクソン型のビジネスモデルにも重大な欠陥が発見されたということではなかろうか。現在、経済界や経済論壇に感じられるある種の脱力感は、「改革目標」の喪失ということから来ているように思われる。やはり、一つのシステム(日本型)を別のシステム(アングロサクソン型)に改めれば、問題が解決するほど、ことは簡単ではないのだ。」

というわけで、結論が、そう単純ではない、というのがこの手の良書のまさに良書たる所以。一見わかりやすいと思えるエコノミストの感情的な発言にひっぱられないようにするためにも、こうした分野の教養の底上げが必要だなと改めて感じる(自分のこと)。

投稿者 esaka : 01:17 | コメント (0) | トラックバック

●一川誠『大人の時間はなぜ短いのか』

日々感じている疑問・・。
ベースは、物理的実在と知覚体験は、異なる、ということ。そこで、いかに多くの錯覚にとらわれているか、ということが説明される。その中で、もっとも面白かったのは・・

月は地上近くにあるほと大きく感じられる、という現象。光の屈折によっておきるものと思っていたのだが・・、

「月の錯覚については、いつくかの有力な説明が存在している。 実は、これまでの多くの研究によって、視覚空間は扁平な構造をしていることが知られている。人間の知覚にはこのような特性があるので、垂直線は水平線より長く見える。」

!! びっくり。
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で、歳を取るほど時間の経過が速く感じられる傾向の要因は、さまざま説明がされるが・・
「加齢が時間の長さの感じ方に影響を及ぼすことを示す研究は多い。現象としてはかなり安定したものといえる。ただし、この加齢効果の基礎にあるメカニズムはまだ特定されていない。心的時計や、新陳代謝の変化、注意の存在、注意の存在、ワーキングメモリーの機能低下など、様々な原因が考えられているが、こうした仮定の妥当性の検証や、これらの要因の間に相互作用における特性の理解については、今後の研究に委ねられているのが実情である。」

う〜む。ヒトの知覚がいかに、錯覚に満ちたものか、ということは理解できたが・・。まぁ、それだけでも十分楽しめたけれど。

投稿者 esaka : 00:31 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月09日

●養老孟司+竹村公太郎『本質を見抜く力』

 凄いタイトル。90年代前半ぐらいまでは、こうした大御所知識人(と言われる人)が、専門外のことまで、これがわからないのはバカ、という形で、バッタバッタと断定しまくる書籍というのがけっこうあって、それをまた、それなりにありがたく受け止めていたものなのだが、90年代後半から、徐々にそうしたテイストのものが少なくなってきたように思う。専門外のことまでに断定する勇気?蛮勇?を持つ人が少なくなってきたとも言えるだろうし、あやふやなことを根拠もなく断定すると、ネット経由ですぐ専門家の指摘を受け、それが大きく広まる、ということもあるのだろう。

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 とすると、やはり、ネット以後は知識人の発言の形態というか、編集の形式も少しずつ変わってきていたようだ。

 で、そんな時代にあって、めずらしく蛮勇をふるう方による対談、鼎談集。語りだから、より根拠があやふやな断定が盛りだくさん。まあ、だからこそ、楽しめる部分もある。

 しっかりとデータにあたり、わかっていること、わからないことを区別し、丁寧に議論を組み立てることは、ネット以後に受け入れられやすい形なのだが、この形は、ときに結論があやふやになって、一見、地味になりがちだ。

 という意味では、これは一見、派手な議論。派手に散らばり過ぎという感じもするが・・

「竹村 ……いま、人類にとって最重要課題は「このままではエネルギーが枯渇に向かうからどうやってそれを省力化、省エネ化していくか」ということです。CO2がどれほど増えるか、温度がどうなるかということは、結局正確にはわかりませんし、それらの数値を信用しても仕方がないと思いますね。」
「養老 ……炭酸ガスの削減というのは、要するに石油資源の削減ということです。削減して石油価格が高騰し、みんなで少しずつ小出しに使うようになれば、石油会社の寿命と収益はどんどん伸びる。頭がいいなと思うますね。一昨年、収益世界一になった企業はエクソンモービルでした。しかも、一つの企業としては史上最高の利益です。」

 CO2問題よりも、石油の枯渇のほうが大きな問題なのでは?というのは、このブログでも言ってきたことで、以前はあまり一般的は視点ではなかったと思うが、徐々に常識になっているのか、と驚いてメモ。

投稿者 esaka : 02:54 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月02日

●濱野智史『アーキテクチャの生態系』

「WIRED VISION」で、ブログを連載していただき、その連載がもととなって書籍化されたから、というわけではないが、近年刊行されたITに関わる評論の中では、傑作と言える
のではないだろうか。

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 ブログ連載が元となっているのは、6、7章だけで、書籍の全体像は存じ上げず、最初に手に取った時には、予想以上のボリュームに、やや心配になったのだが、読み進めると、その分量の多さは、濱野さんの初の書籍という力の入れようがわかり、納得する出来上がり。そして、その分量の多さにも関わらず、とても読み進めやすいのは、濱野さんの論理的思考が明快で、その展開がスムーズだからだろう。

「アーキテクチャ」と「日本」に着目し、具体的には、2ちゃん、Mixi、ニコニコ動画、といった日本独特のソーシャルウェアに関する分析が行われているわけだが、ここに至る背景には、レッシグ、東浩紀、北田暁大、佐藤俊樹・・といった、情報社会に関する最前線の思想をしっかりと汲み取った上で、まさに「今」と「日本」が考えられていて、目の配り方のバランスが、まさに絶妙と言える。

 そのために、濱野さんが「はじめての書籍」にかけたエネルギーも感じて、これだけのボリュームになったことも納得できる。ITに関しては、批評の分野でもアメリカからの輸入超過だが、この本は、十分、英訳され、英語圏で読まれる価値のある内容だと思えた。

 書籍を編集された、NTT出版の小船井さんも、お疲れさまでした〜。言及されるウェブサービスの写真などが入っていると、より取っ付きやすかったと思いましたが、どうでしょうね・・。

投稿者 esaka : 03:16 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月05日

●勝間和代『読書進化論』

 ここ数ヶ月、アウトプットのしっぱなしというか、自転車操業的なインプット、アウトプットを続けたので、少し頭をクールダウンする必要があった・・。コンピュータのデスクトップとオフィスと自宅の机の上の整理、あとメールの受信箱にたまった未整理のメールの振り分け・・という作業が、頭の中の"デスクトップ"を整理し、熱を冷まさせる・・。で、久しぶりに落ち着いて読書。

 読書について書いてある本を斜め読むのは、今の状態にはちょうどよかった。内容は・・これまで著者が書かれた本の宣伝ともいえて、密度が高いとは言えないが。面白かったのは、この視点・・。

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「私が2003年にマッキンゼーを辞めるときに、マッキンゼーの先輩、本田桂子さんと川本裕子さんと食事をしたのですが、そのときに、ふたりとも「本はいいわよ」「本を出すと人生のステージが変わるから」と出版をしきりに勧めてくれました。……おふたりとも、著書を機会に仕事の幅が広がり、ほかの人に対する知名度がぐんと上がったということでした。」
「さらに、私は、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近い、と思っています。」

 情報収集という面からの書籍の役割とは別に、自らの仕事環境をよりよいステージに持って行くために「書籍」をひとつのツールとして扱い、それをあからさまにする、という姿勢がある意味新鮮だ。こうした姿勢が、ライフハック的視点を売りにするMBA出身者に多いのは・・意見は差し控えたい・・笑。

 これまでも、アガリスクのようないかがわしい商品が(政治家の本のその類いか?)、書籍を自らの信用増幅装置のように使っていたけれど、これから、書籍というコストのかかるニッチな情報伝達装置の重要な役割として認識されるように思う。

・・となると、これから、そのコストの分担を著者が負うモデルも増えるかもしれない。自費出版と通常の出版との境界がわからなくなる、というのは、ブログの延長として、ある意味自然な成り行きだが、これまで出版が培ってきた信用を食いつぶすという意味では、ますます出版業の末期に近づいているという感じはするが・・。

投稿者 esaka : 02:08 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月21日

●竹内一正『グーグルが日本を破壊する』

 内容を確認せずに、タイトルだけで適当に手に取ってしまったのだが・・。一般向け新書とはいえ、これは2008年に出すべき本ではないのでは。新しい視点がほとんどない。一カ所、面白いデータがあったので、そこだけメモ。「東洋経済」06年5月13日号から。
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「電通は、松下の二倍にも達しよかというとんでもない高給取りである、さらに22歳から59歳までの「生涯給料」で見ると、差は顕著だ。
・広告会社……電通 4億7000万円 博報堂 4億2000万円
・広告主……トヨタ 3億10000万円 松下電器 2億5000万円
そしてテレビ局は広告会社の上をいく。たとえばフジテレビの……生涯給料は5億7000万円である。……
 給料の低い広告主が、二倍近い高給の広告会社を通して、二倍を超える高給のテレビ局に、年間二兆円もの広告費用を支払っているのが日本の広告業界なのだ。」

投稿者 esaka : 23:11 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月22日

●岡本一郎『グーグルに勝つ広告モデル』

 本のタイトルとは、かなりかけ離れた内容。だが、ビジネスモデルの変革を迫られる既存のマスメディアがどうしたらいいのか、という分析は、これまでありがちだったその危機を煽るものではなく、きわめて冷静。

 既存マスメディアは、ネットの一般化で、対策を迫られているが、それは、ネット対テレビ:ラジオ:雑誌・・というようなものでなく、それぞれのメディアが、それぞれの特徴、特質をよ〜く考え直して、必要に応じて、ネットも使いつつ、新たなビジネスモデルを構築せよ、という至極まっとうな話だ。
 
 そこで分けて考えるべきなのは、ネットかマスメディアか、ということではなく、例えば、ビジュアル×テキスト、ブランディング×情報量、ジャーナリスティック×エンタメ・・というような、流通するコンテンツの内容によって適した情報流通の選択がある、ということだろう。

 すでに、ネットは、メディアの対立軸にあるのではなく、コンテンツ流通経路のひとつとして考えるべきものということだ。

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 で、この本のユニークなのは、マスメディアのビジネスモデル分析に終わらずに、マスメディアの意義についてまで、あえて踏み込んでいることだろう。

「言論機関には偶発接触性が求められます。たまたまニュースに出会う、ということが必要なのです。自分が望んでいない情報にも偶発的に出会うからこそ、自分と異なる意見を持つ人が世の中に多数存在することや、意識することのなかった暗黙の規範を学ぶことができるわけです。……
 一方、インターネットメディアは自分が望む情報だけを効率的に収集してくれる機能をどんどん進化させています。……マスメディアが健全な民主主義を維持する最後の防波堤になるかもしれない、と筆者は考えています。」

このあたりは、キャス・サンスティーンの「サイバー・カスケード」を代表によく言われていること。また、
「情報は断片的に生み出されて編集され、プラットフォームに乗せる形に変換されて流通し、最後は貨幣と交換されるという、「知のバリューチェーン」ともいうべき経済システムの中で生み出されています。
 ウィキペディアは、グーテンベルグからグーグルが登場するまでの「旧世界」がずっと発展させてきたこの「知のバリューチェーン」から、無料で情報という栄養をもらってコンテンツを拡充するという寄生虫のような構造で肥大化しています。
 ここで問題になるのは、ウィキペディアがフリーであるがゆえに、強大な普及力を有しているという点です。そのため「知のバリューチェーン」を循環する経済価値が減少し、ウィキペディアが循環的に依存していた「信用できる」情報源が、事業運営上の深刻な困難を迎える可能性があるのです。そうなると、ウィキペディア自体も中長期的には生きながらえることができないでしょう。
……そもそもウィキペディアに記述されている「みんなの知恵」が、根源的には社会がコストをかけて育んできた知の基盤の拠って立っていることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。」

もう一つ、個人的関心が深い部分を引用。
「今現在、我々が持つクリエイターのイメージは、印刷物やテレビCMや番組といったある規定の枠組みの中で、ルールにしたがってコンテンツを作る職人、というものです。
 しかし今後は、メディアの枠組みそのものを作っていく、そしてその枠組みが市場の文脈でどのような利用のされ方をするか素早くセンスして、枠組みとコンテンツの両方を進化させていく、といった能力が、クリエイターには求められるようになるのではないでしょうか。」

投稿者 esaka : 02:17 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月08日

●高橋克徳 他『不機嫌な職場』

秋葉原で通り魔・・。ヒリヒリするような不満、不機嫌が社会に充満している・・。

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この本の最後の部分から・・

「企業という場だけでなく、学校や家庭、地域社会など、多くの場で関係が希薄になり、お互いが関わりを持たず、孤立していく状況になってきている。その結果、隣の人が何をしているのかわからない社会になり、自分の鍵をしっかり閉めて、気をつけていなければ自分の身が守れない社会になりつつある。
 いろいろなものが便利になり、一人ひとりは経済的に豊かになっても、いつも不安を抱えながら生きていく社会になりかねない。それでよいのだろうか。
 協力し合うという行為は何も、ただ単にみんなで仲良くしましょうと言っているわけではない。また昔のように村社会をつくり、協力を強制することは難しくなった。いやゆる集団主義という形での協力関係は成り立たない。……
 組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
 そのためにまず、多くの人たちが疲弊し、場としたの魅力を失いつつある企業という場に、新たな協力関係を構築していく。その上で、さらに父親、母親として、あるいは世の中に関わる主体として、協力関係を実現していく。」

社会に不安と不機嫌が満ち満ちているように、家庭にも、そして、職場にも、そうしたエネルギーは伝播し、充満している……。そうした問題を組織・人事コンサルタントが、職場の問題として、真摯に問いただしている。
「人は多様である。いろいろな良いところを持っている。その良いところを認めてもらって嬉しくないはずがない。自分を認知してくれる、個人、組織、社会に対して人は好感を持つ。そして、その個人、組織、社会に対して、自分が何か貢献できないか、という前向きな感情を持つ。
 しかし、今の会社の中では、社員はなかなか認知される機会がない。それは、会社の中の評価軸が「一軸」になってしまっているからだ。その一軸とは「業績」である。業績をあげた人は偉い、そうでもない人はそうでもない、という認知環境になっている会社が多いのではないだろうか。
・皆がやりたがらない仕事を引き受けてやった人
・部下の面倒をいろいろとみてやった人
・主張し合って譲らない人々の仲介役になって調整した人
・クレームにいつも向き合って対応する人
・元気に振る舞うことで、皆を明るい気分にさせてくれる人
など、会社には多様な能力が集まり、多様な協力があるからこそ、全体が上手く回っていく。……自分を認知しない個人、組織、社会に対しては、人を愛情を弱める。……
 残念なことに、現代は認知飢餓社会である。」

長くなってしまったが、もう少し引用しよう。ここで語られるのは、日常生活の中で、あまりに当たり前とも思えることだけに、今の社会の混乱ぶりがわかるというもの。ちょっと前だったら、何を説教じみたことを・・と一笑に付されたかもしれないようなことが、なにかとても大切なことのように思える・・。
「当たり前のことだが、誰かに助けてもらったら、「ありがとう」と言うのは礼儀であり、人が気持ちよく生活していくための昔からの知恵である。しかし、こうした言葉を心から言えない人たちが増えているのも確かだ。……
 感謝という行為は、援助行動を強化していくことにもつながる。特に、相手が喜ぶことが自分の喜びになっていく。こうなってくると、自発的な協力行動が生み出されていくことになる。相手の期待に応えよう、あるいは相手の期待以上の行動をしていこうという意識が出てくる。……
 あなたは、この一週間で、心から「ありがとう」という言葉を誰かに伝えたことが何回あっただろうか。……ぜひ、ご自身に問いかけて欲しい。こうした感謝と認知をお互いに自然に伝え合うことで、援助行動や協力行動を当たり前の行動に変えていくことができるのである。」

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2008年05月21日

●細川敦『なぜ大人がDSにハマルのか?』

「DSが、活字というアナログ商品を、デジタル商品として成功させてといってよい。以前から、活字はいろいろな媒体でデジタル化されてきたが、デジタルのメリットを十分に活かしきれておらず、大きなヒットになることはなかった。……
 そんな中、「脳トレ」が大ヒットしたのだ。「脳トレ」には、ゲームが持つインタラクティブ性を活かして、スコアアップによる「爽快感」と「上達感」を得る楽しみが付加されていた。デジタル化(ゲーム化)によって、付加価値が生まれ、それが多くのユーザーを惹き付けた結果である。
 本をベースにDS用ソフトを開発し、デジタル化の恩恵を最大限に得られる実績を示したことで、多くの出版社が、自社コンテンツをDS用ソフトにしたいと思うのは、きわめて自然な成り行きである。」

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これまで10年近く、いろいろなメーカーがてを出しては、なかなか成功しなかったe-bookが、DSの登場であっさりと覆されてしまった。文字認識が、ひじょうに優秀なので、ますます「学習」用途に使われていくはず。この本の最後にも書かれているが、あとはネットワーク化がどこまで進むかだが、ネットワークの部分を重視すると、かえってiPhoneなどと競合になってしまう気もする。
日本の家電メーカーができずに、Appleが成し遂げていて、成功している一つの要因に、搭載する技術を絞り込んで、インターフェイスをわかりやすくまとめる……ということがあると思うが、DSはその流れの中にある、とも言える。出自が、家電やPCでなく、ゲームなのがよかったのだろう。あとは、ソフト開発・販売がどこまでオープンにするか、というところかな。

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2008年05月20日

●兼元謙任+佐々木俊尚『「みんなの知識」をビジネスにする』

はぁ〜。いろいろあって、途絶えてしまった・・。久しぶりに、また本などの備忘録を再開。

あとがきに、この本の目的と内容がよくまとめられている。

「本書に収録した6つの対話でわれわれが考えようと思ったのは、集合知という漠然とした概念と、実際の「ものづくり」がどこでつながるかということだ。
 もし集合知とモノがつながるのであれば、そのつながりの部分はどんな接着面になるのか。接着させるのはアーキテクチャーなのか、それとも人なのか。企業なのか、それともブロゴスフィアのような個人の集合体なのか。」
「今後期待される大きな流れとして、集合知ビジネスがコンテンツからプロダクトへと進むという、そういう方向性があるのではないかと考えているからである。そのあたりは2007年に日本語版が刊行された書籍『ウィキノミクス』にも詳しく書かれている。
 われわれが考えているのは、こうしたビジネスを日本で実現していくためには、どのようなハードルが存在し、どのような可能性があるかということを浮き彫りにすることだ。」
「集合知はボランタリーな世界ではあるけれども、しかしそれをビジネス化することは決して否定されるべきではない。
 ……Web2.0の登場によってインターネットには巨大なデータベースが出現しつつある。このデータベースをどのようにして上手く有効利用できるような仕組みを作っていくのかということが、大げさに言えば今後の人類にとっての大きなテーマだろう。」

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近年出された書籍の中では、ドン・タプスコットの『ウィキノミクス』は、ネット界の今後に、かなり重要な示唆を含んでいると思っている(以前のエントリー)。社会全体として進んでいる、オープン性、情報共有、という方向が、ビジネスにどう影響をもたらすかを描いたものだ。それはひじょうに面白いのだが、まだ、あやふやなところも多い。
今回の本も、まだ、はっきりとした結論を出すまでには至っていないが、『ウィキノミクス』から一歩踏み出し、日本ならではの『ウィキノミクス』を考えようということだろう。佐々木さんのブログの今後の展開に期待したいな。

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2008年01月27日

●吉田智子『オープンソースの逆襲』

凄いタイトル、すごい表紙・・。

「日本でもオープンソースが注目され始めて5年以上の年月がたっていますが、中心となっている人はずっと変わっていないという現状があります。……
 6年ほど前なら、中学や高校時代に自宅や学校のクラブでプログラムを書いていた経験のある大学生や、大学生になってからコンピュータを使うようになったけど、UNIX環境にどっぷりつかって、プログラムを書くことや、ネットワークを構築することに時間を費やしている学生に、頻繁に出会うことができました。しかしここ数年、そのような大学生は確実に減っています。」

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う〜ん、どうなんだろう。ケータイからのネットアクセスが当たり前になっている若者にとって、PCの存在そのものが面倒なものになっている、ということはよく耳にするけれど、いっぽうで、Web制作に関わる若者は確実に増えているようにも思うが・・。また、

「日本発のオープンソースが少ない理由として、日本の若者の多くが、お客様文化の時代を生きていて、それに満足しているケースが多いことが考えられます。」
「プログラムは書くけど、公開したことがない日本の若手に、「なぜ公開しないの?」と聞くと、「恥ずかしいから」と答えます。その恥ずかしさとは、「身内とカラオケで歌うのはいいけど、駅前で歌えと言われると恥ずかしい」に相当するそうです。」

う〜ん・・。納得もできるけれど、多くの反論がありそうなことも予想がつく・・。

投稿者 esaka : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月08日

●鈴木謙介『ウェブ社会の思想』

ひじょうに楽しませてもらった。特に、個人的には、第二部へ入ってからの、展開のうねりは、心地いい。最後のまとめ部分は、背景として意識されているだろう知的バックグラウンドを共有できていないためか、やや唐突に感じられたけれど、それは、僕の個人的なことなのだろう。
今、日本の若者にの内面に何が起きているのか。その内面と、情報社会とはどう関わっているのか。そしてこれからどうなるのか、どうすべきなのか。
この点を語らせたら、当代随一だろう。そして、それが単なる批評に終わらず、人生論にも読めるのは、鈴木氏が、時代と並走しているからなのだろう。

「今回は、……、その未来像にいくばくかの「希望」を見出すことをひとつの目標に据えて執筆された。」

去年始めたウェブ雑誌のテーマを「アカルイ未来の創造力」としたけれど、マスメディアで流れる情報に右往左往したり、将来を過剰に絶望したりすることなく、現実の構造を見据えて、確実に一歩先に足を踏み出そう、というようなことを考えている人たちが、徐々に増えてきている気がする・・。

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2007年12月25日

●橋本努『自由に生きるとはどういうことか』

はぁ〜、風邪で寝込んだ〜。とんでもな連休でした・・。

先週、こっちに少し書いたけれど、こちらでは、別のメモを。「自由論」というと、現代思想の最前線をフォローしたがる展開のものが多くて、思想の潮流そのものに、今やあまり関心を持てない者としては、とっつきにくくなるばかりだったのだけれど、これは、戦後日本社会のサブカルチャーに焦点をあてて、その時代時代での「自由」とは何だったのかを追う。パブリック・スクール型自由から、ロビンソン・クルーソー型へ、そして、60年代後半「あしたのジョー」の"真っ白な灰になる自由"、70-80年代の尾崎豊の"「仕組まれ自由」からの卒業"、90年代のエヴァンゲリオンの"ちっぽけな自分の肯定"、そして、21世紀は、創造階級と、日本の実態としての格差社会。背景には、オタクと新人類、オウム、ギークス……。その系譜は、とてもわかりやすい。わかりやすすぎて、単純かしすぎでは、と思うほどだ。一見唐突に見える最終章も、順に流れを追っていくと、きわめて自然に見える。

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「私たちは、現在、「創造としての自由」をめぐって、次のようなジレンマに立たされているだろう。いっぽうでは「自らの潜在能力を最高度に実現せよ」とう時代の要請(イデオロギー)があり、他方では「潜在能力を開花させれば生計が成り立つなどと勘違いするな」という時代の現実がある。……
 ウェブの世界で創造性を高めていくことは、「産業の要請」というよりも、「テクノロジ−の要請」であるといえるだろう。すでに一定の豊かさとテクノロジーを獲得した現代の日本社会においては、クリエイターたちの多くは低所得層に留まっている。もし私たちが、勝ち組の人ほど創造的だと考えるなら、それはまったく偏見であろう。……
 勝ち組ほど創造的な人間というわけではないのであって、創造力と所得の関係を切り離して考えることができなければ、私たちの社会は息苦しくなるばかりだ。…… だから現代の自由論は、自由を促進するための、社会変革の問題を論じて行かなければならない。」

ここで言及されている「創造階級」の元になっているリチャード・フロリダ「クリエティブ・クラスの台頭」では、「アメリカでは現在、全米雇用人口の約30%にあたる3800万人の人々が「創造階級」に属しており、その富の総額は、全体の約47%を占めるという」。また、
「創造階級」「ボボス」「文化創造者」、そして「ロハス」。こうした新しい用語がとらえようとしているのは、90年代以降に台頭してきた、新しい成功者たちのライフスタイルである。アメリカでは、新しい成功者たちは、もはやこれまでの成功者たちとは異なり、きらびやかな顕示的消費を志向していない。むしろ彼らは、エコロジーの実践や、ハイ・カルチャーの受容、あるいは、脳と身体を鍛えるためのトレーニングといった、独自の生活実践(ライフスタイル)を切り開こうとしている。」

確実にこの流れはある、と思うのだが、現実の日本の社会を振り返ってみると、クリエイティブの評価という点では暗澹とすることが多いのも事実。
近頃、若者の間では、以前に増して「空気を読む」ことが仲間ウチで重要視されているみたいだけれど、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはずだ。まぁ、これは別の話ですね・・。

投稿者 esaka : 22:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月09日

●岡嶋裕史『構造化するウェブ』

とりあえず、メモだけ・・。

「ウェブ2.0はセマンティックウェブを理想型としながらも現実の技術に立脚している。誤解を恐れずに言えば、「使えそうな技術を寄せ集めて、できるところまでウェブを構造化しようとする気分あるいは雰囲気」がウェブ2.0である。
 したがって、ウェブ2.0的な技術やウェブ2.0的なサービスは存在しても、ウェブ2.0の技術、ウェブ2.0のサービスというものは存在しない。ウェブ2.0は……技術的実態や機能的実態ではないのだ。」
あとがきから
「ウェブが十分に構造化されることにより、情報マイノリティが疎外される事態は回避することが可能である。むしろ、個人がコミュニティを形成し、既存のマス情報発信主体を脅かす大きな力を手に入れるだろう。情報の構造化は、個人が社会に対して持つ力を拡張するといえる。……
 とはいえ、情報の構造化は個人が組織に勝利することを約束するものではない。……
 ウェブの構造化は利用者にもウェブ利用方法の変化を促す。たとえば、ウェブの特徴の一つであった匿名性の高さはウェブの構造化が進展すると低くなる。」

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2007年08月11日

●イヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう』

 パタゴニア創業者の自伝、経営論。内容はだいたいわかっていたつもりだけれど、やはり根っからの人が、好きほうだいしてきた人生には、とても力強く、そして爽やかでもある。それが、エコロジストだから、というわけでなく、どんな分野でも言えるのだろうが、創始者ならではの、わが道を行ってたどりついた自信のようなものの力か・・。

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「私はそれまでずっと、企業家を自認するのをあえて避けてきた。私はクライマーであり、サーファーであり、カヤッカーであり、スキーヤーであり、そして鍛冶職人だ。ただ単に、私や仲間がほしいと思う性能のいい道具や機能的なウェアの製作を楽しんでいるだけ。……ところがいまや、所有する企業は多額の他人資本を受け入れ、従業員とその家族みんなの生活が、自分たちの成功にかかっていた。
 自らの責任と金融債務についてじっくりと考えた結果、ふいに、自分が企業家であり、おそらくこれから長い間、企業家でありつづけなくてはならないことを悟った。……
 しかし、と同時に、一般的なビジネス慣習に従っていては、決して自分は幸せになれないこともわかっていた。また、このゲームに勝つには、真摯な姿勢で取り組む必要があることも。…… 
 また、いかに真摯に取り組んだとしても、一つだけ、どうしても変えたくないことがあった──仕事は毎日、楽しめなくてはならない。会社に来るときはウキウキと、階段も一段飛ばしで駆け上がるようでなくてはならない。一緒に働く友人たちには、好きな服装でいてもらう。誰もがフレックスタイムで働いて、波のいいときにはサーフィンを楽しみ、猛吹雪のあとはスキーで粉雪を堪能し、子供が病気になれが仕事を休んで看病する。仕事と遊びと家庭の境界線をはっきり引かないでおく。
 一般的な慣習を破って自分なりの制度を打ち立てることは、経営の創造的な面であり、ひときは充足感の得られる仕事だ。」

 環境問題への対応などは、ある種の原理主義に突っ走る危うさも感じるが、かつてはクライミング愛好者のはしくれだった者として、その心情の発端は、とてもよくわかる気がする。いい意味で、アメリカ西海岸のカウンターカルチャーの産物だろう。社員へのマネジメントなどは、googleなどにも大きな影響を与えているに違いない。

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2007年07月22日

●西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』

「ウェブ2.0は確かに一般ユーザーがウェブ上での活動に参加する道をひらきました。生産消費活動への一般人の参加がIT革命の眼目とすれば、大きな一歩といえるかもしれません。しかし、これがただちに皆でつくりあげる集合知を可能にし、民主的で平等な社会のベースとなる、というウェブ礼賛論には首をかしげる点が多々見られます。むしろウェブ情報検索が人々の思考能力を衰退させ、一過性的な主張に人々を同調させてしまう恐れもあることはすでに述べたとおりです。
 それだけではありません。声高に語られるウェブ礼賛論のなかには、善意や平等主義というキャッチフレーズとはうらはらに、実は多様な次元での社会的格差をひろげる危険がひそんでいると考えられるのです。
 まず言えるのは、中高年を押しのけようという排除意識・年齢差別意識です。……
 これは元気のない日本の若者へのエールととることもできるかもしれません。……
 しかし、率直に言って、この呼びかけは欺瞞です。……
 日本のウェブ礼賛論者たちの本音は、巨利を得ている彼らのお仲間に入れてもらうこと、できればお裾分けにあずかることではないのでしょうか。
 つまり、ウェブ礼賛論者たちは、中高年を排除するだけでなく、普通の若者たちを煽りたてながらも、裏ではひそかに、新たなアメリカ流の格差を日本社会に持ち込もうとしているわけです。その議論からは純粋な幼稚さも感じられますが、隠された意図は、中高年のかわりに自分たちが権力を握ることだという気がしてなりません。」

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 タイトルは、「ウェブ社会をどう生きるか」だが、一冊まるごとウェブ礼賛論批判。まぁ、普通に考えて、梅田望夫氏への強烈な批判と捉えていいだろう。確かに、梅田氏の一連の発言には、あまりのアメリカ テクノロジー礼賛ぶりと、若者への煽りに違和感を感じることもあった(『フューチャリスト宣言』については、こっちに書いています。)が、ここまで言うか〜、と。笑 確かに、こういう意見がしっかり表面されてこそ、バランスはとれる、という意味ではよかった。こういうことばかり言っているからこそ、日本のITは大した者を生み出さないんだ、というような反論があるのは、普通に予想されるところだけれど。

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2007年07月21日

●ロバート・スコーブル+シェル・イスラエル『ブログスフィア』

 ロバート・スコーブルの本の存在をすっかり忘れていた。表紙とタイトルで、また柔なブログライフ礼賛かとしっかり手にしなかったのもいけなかった。実際にブログを執筆した当事者への豊富な取材を元に、企業とブログの関わりがしっかり書かれている。表紙の印象と違って、ビジネスブログのあり方を考えた本だ。

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「結局、文化こそビジネス・ブログにまつわる判断の核だ。制限の多い文化を持つ企業は、ブログをすべきではない。抑圧的な体制下ではブログは難しい。……
 例えばアップルやグーグルはもともと評判の高い企業だが、良き社員ブログに向いていない社風を持っているようだ。一方、マイクロソフトやサンのように非難を浴びながら企業で社員ブログが盛んであるために、社員への信用や彼らのやる気がうかがえるところもある。これまでの数年に、私たちはある潮目の変化を感じてきた。グーグルやアップルの企業文化に首を傾け、彼らのカリスマ的な経営者は同時に抑圧的でもあるもではないかとの疑問の声が、IT業界で高まっているように思うのだ。」
「本書の原タイトル『ネイキッド・カンバセーションズ(裸の会話)』としたのは、正当性こそがブログの本質であり、それが企業にとってこれまでにないコニュニケーションを実現すると信じているからだ。正当性がブログの決定的な特徴なら、信頼性はそのメリットだ。」

 アップルやグーグルには、まったく同様のことを感じているのだが、スコーブルが元MSの社員だったことを考えると、その評価を鵜呑みにする受け取るわけにいかないのが残念。あと、共著となっているが、スコーブルともう一人のシェル・イスラエルの役割分担がどうなっているのかわかりにくくて、「ネイキッド・カンバセーションズ」という割に、筆者の顔をイメージしにくい。
しかし、去年の7月に出されたこの本も、表紙のデザインと打ち出し方が違えば、別の評価を受けていたんじゃないかな。

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2007年07月16日

●ドン・タプスコット『ウィキノミクス』

「ビジネスの世界に、新しい力が台頭しつつある。我々は、これをマスコラボレーションと呼ぶ。リナックス、マイスペース、ウィキペディアなどが頭に浮かぶだろうが、マスコラボレーションとはもっと遠くまで続く道である。人々が社会的なつき合いやエンターテイメント、革新、取引などをする新しい方法、自分が選んだピアツーピアのコミュニティ、自発的参加によるコミュニティで行う新しい方法なのだ。企業にとっては、顧客と協力して製品を設計し、組み立てる方法でもあり、また、ユーザー自身が価値創造の大半をしてしまえる場合もある方法である。……
 経営者にとって最大の教訓となるのは、一体型で閉鎖的、社内にばかり目を向ける企業は死にゆく運命にあるということだ。どのような業界であれ、また、大企業であれ小企業であれ、社内の能力と小規模なビジネスウェブ・パートナーシップだけでは、もう、成長と革新に対する市場の要求に応えることは不可能な時代となった。……
 企業経営者は、成功を手にするためには、ウィキノミクスを手本とし、その原理原則を自分のものとしなければならない。マスコラボレーションという新しい時代は複雑で不確実に見えるはずだし、コラボレーションやオープン性とは、科学技術というよりも芸術の世界に近い。リーダーは、コラボレーションの精神を培う必要がある。企業は、コラボレーション環境で生きていくために、いままでにない能力を身につけなければならない。……この能力が、今後、富の形成や成功の前提条件となる。」

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 IT業界のムーブメントに限られていた"web2.0"や"オープンソース"の前提、オープン性や情報共有が、ビジネス全体にどんな影響をもたらしているのかを、巨額をかけた調査によって、具体的事例とともに明らかにする。一部は以前から、モジュール化などで、現実化していたことではあるけれど、P&G、ボーイング、BMW、レゴ、IBMなど具体的な事例は面白い。まだまだ抽象的で、わかりにくい言葉も多いが、IT業界の枠を超えた視点、というところが重要だろう。これから数年間は、話題になりそう。

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2007年07月11日

●小山龍介『TIME HACKS!』

 さまざまな時間管理の細かなノウハウが書かれていて楽しい。が、特に関心を持ったのは、その前提となる考え方の部分。時間と経験の価値の重要性に関しては、以前からときどき考えている(以前のエントリー)ので、興味再び・・。

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「時間を投資する、と考えるとそのリターンは、時間ではありません。お金と違って、時間を投資しても時間が増えて戻ってくることはありません。時間は投資すると、さまざまな別の形になって返ってくるもの。……ビジネスに現場におけるリターンの大部分は、「お金」と「経験」、「信用」です。」
「新規事業のお手伝いをしているときにいつも言うのが、「やるリスクよりも、やらないリスク」。やらないことで失ってしまう利益を考えた場合、やってみて小さな失敗をすることなんて、リスクでもなんでもないんです。しかも、失敗した後には学びがある。経験になる。時間を投資して得られる経験。個人の場合でも、投資のリターンとしての経験に着目することで、時間のとらえ方ががらりと変わります。」

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2007年07月10日

●赤池学『自然に学ぶものづくり』

 2005年の「愛・地球博」展示のための調査成果でもあると言えるのだろうか。視野は壮大だが、描かれているのは、日本の具体的な研究例ばかり。凄い。

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「千年持続学は、植物力、昆虫力、微生物力の高度開発を重視している。私たちが「生命学」と呼んでいる、動植物資源の未解明な機能性開発研究や用途開発である。生物資源は、いうまでもなく環境負荷が小さく、使いようによっては、石油資源以上の機能性をそこから引きだすことができる。なぜなら、生物資源は、生命誕生から四十億年の進化の中で磨かれてきた「時を経た技術」であるからだ。」
「こうした自然に学ぶものづくりが拓く未来は、いうまでもなく環境技術にとどまらない。自然に学ぶ技術は、たとえば人工物がもつマシンインターフェイス、自然が持つネイチャーインターフェイス、人間のヒューマンインターフェイス機能を確実に結びつけていく。……
 たとえば、自然の情報をセンサーで捉えて、光ファイバーで大量高速伝送し、分子メモリなどの巨大記憶システムに蓄え、自然の反応によっては必要に応じて、人工物の挙動を制御する。こうしたシステムができれば、人工物もまた自然界の中に組み入れられて、宇宙、地球、生物、人間、人工物がひとつの調和のとれた生態系を構成することになる。」

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2007年07月08日

●岡嶋裕史『iPhone 衝撃のビジネスモデル』

 先週、こっちに「iPhone は、鎖国状態で、繁栄を謳歌していた日本のケータイ業界にとって、通信事業者の縛りを最小限にするオープン化へ向けた”黒船”となる予感。」と書いたところだったけれど、この本の中にも同じ表現があってビックリ。

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「最初に市場に投入される第一世代のiPhone は、GSM方式をサポートするので、すぐに国内で使えるわけではない。・・しかし、これが投入されたときの国内市場への影響は計り知れない。
 iPhone のインターフェイスがあれば、そこで展開できるサービスの種類は飛躍的に増大し、キャリア間の機能差異も端末側で吸収できるようになる。……
 iPhone のタッチパネルはどんなキー配列も模倣することができる。ハードウェア的な問題さえ解決してしまえば、各キャリアが要求するソフトウェアを組み込んで切り替えるのは、楽ではないにしろ、ハードルの低い作業である。
 つまり高度な機能を持つハイエンド機でありながら、キャリア依存性が低い製品にできるのだ。携帯電話がキャリアに従属するのではなく、より個人に帰属せしめる嚆矢となる。……
 iPhone は、世界と隔絶した通信方式という鎖国状態で、各キャリア、各メーカーが比較的仲良くやってきた日本の携帯電話市場にとっての黒船である。もはや鎖国はありえないし、ユーザもそれを望んでいない。」
「携帯電話網にもオープン化の波は押し寄せている。MVNOに代表される新規通信事業者の参入障壁に低減と、オフィシャルでない携帯サイトの爆発的な増大などがそれだ。
 キャリアの世界に競争原理が導入されるのはいいことだと思う。そうであればこそ、販売奨励金などのビジネスモデルも変わるし、利用者はより低価格なサービスを享受することができる。」

 iPhone 発売前に出された本、ということもあって、インターフェイスとweb2.0的な話が多いが、携帯電話の今後に関する限り、木暮祐一『電話代、払いすぎていませんか?』と視点は重なるところが多い、と言っていいだろう。MVNOも増えてくる気配だし、日本でiPhoneが発売されるこの1年の間で、キャリアがどう動くかみもの。

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2007年07月01日

●三木義一『日本の税金』

 ミクロなライフハックが自己啓発なら、マクロのライフハックの一部は、「税金」に行き着く・・という考えで、税金問題勉強中。

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「毎年の税制改革に対するマスコミの取り上げ方は、税の財政面や経済面への効果ばかりに着目し、税制改正が法律改正であり、憲法問題でもあることをまったく意識していない。そのため、技術的な問題に目を奪われ、税制改革がもたらす私たちの生活への影響が憲法の理念からみて望ましいことなのかどうか、ほとんど検討されてこなかった。その背景には、裁判所が租税立法に広範な立法裁量を認めてきたため、不公正な税制が放置されてきたことも影響しているかもしれない。」
「税制のあり方を、経済学や財政学の問題としてだけではなく、憲法の問題として受け止め、何のために誰から税金を取り、何のために使うのかを確認しよう。そのことによって、私たちの自由と権利は大きな影響を受けるからである。……税制は一見技術的かつ難解で、市民が発言しにくいように思われがちだが、税制によって影響をうけるのは私たちの生活である。消費税を上げる前に、市民の常識と憲法という観点から税制を再検討してみよう。それが、21世紀の税制改革の第一歩である。」

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2007年06月30日

●伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』

 オウムのことを考えるのは、ほんとうに気が重い・・。事件から時間がたつほど、苦痛になってくる・・。この本の感想を考えるにも、エネルギーが必要だ。ただ、自分のためのメモ。

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「「われらが内なるオウム」。それに恐れることなく向き合うこと。かつてではなく今、そして未来のために、知らずして病んでいるかもしれない「私自身」の治療のために何が必要なのか。」

「カルト教団にマインドコントロールされたからといって、幼少期からの本質的な価値観が変化するとは思いにくい。オウムの死生観は竹に接がれた木のようなものだと俺には思えてならない。
 「普通の日本人」である豊さんも、ほかのすべての人々も、60数年前までの日本人と同様、普通にマインドコントロールにひっかかりやすい。実際いろいろなものに引っかかった。」

「私は21世紀に入って得られたさまざまな新手法や知見を用いて、豊田の、そしてオウムの事案をどう扱うべきか、最高裁でなされるチェックにあわせる形で、解き明かせねばならないと考えた。また、「情動」に流されるのではなく、立ち止まって振り返り、理性をもって善後策を組み立てることがいかに可能か、根拠に基づいて示すべきだとも考えた。」

「一連のオウム事件から10年以上の月日が流れ、おぞましい印象ばかりが残って、具体的な記憶が風化している今日こそ、過ちを経験した人間自身からの「引き返せ、取り返しのつくうちに」という言葉が、もっと広い層の「わたしたち」みんなに、もっと形を変えて、もっと言葉を変えて、つねにつたえられてゆくべきだ。それらを確実に生かし、犯罪を防止してゆかねばならないだろう。」


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2007年06月27日

●キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』

・・というわけで(笑)、D・カーネギー『人を動かす』の次は、またアマゾンのオススメに従って、これまた大ベストセラー。85年に出された本だが、出版サイドとしては、タイトルからしてチェスターフィールドの『わが息子よ、君はどう生きるのか』がイメージされていたに違いない。

 著者は、このとき60代半ばのカナダ人で、公認会計士として働いた後、化学事業など7つの会社をつくって成功させ、息子が17歳の時から、その息子に会社を譲る20年後まで、折に触れて息子に書いていた手紙をまとめたもの。

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「人がみにつける特質のなかで、第一に威力を持つのは、もちろん知識だが、第二は正しいマナーである。私の見るところ、実業界に入る際、こも種の準備を半分しかしない人が非常に多い。……
 実際にはマナーとは何なのか? ただ、まわりの人々に対する心遣いではないだろうか。まず「ありがとう」がある。」
「このごろ、ことに若者のなかには、人生に意味を見出すことのできない不幸な人々が多い。おそらく、その原因の大部分は目標の欠如だろう。目標がなければ、それを達成する喜びを感じることもない。……
 フランクル博士は著書『医師と心』のなかで、私よりもずっと的確にこういうことを述べている。彼の幸福の定義は達成感である。何もしないで幸福になれるとは、自分でもなかなか信じられない。もちろん、健康とすばらしい家族に恵まれている点については別である。幸福は無から作り出せるものではない。あるいは君をとり囲む生活の基本でさえある物質からつくり出せるものでもない。フランクス博士の言うとおり、私たちが真の幸福感を味わうのは、自分自身に定めた何らかの目標を達成したときである。裏庭の掃除をするといった単純なことでも、仲間からひとかどの地位に選ばれるといった名誉なことでもいい。幸福は誰かを助けることかもしれない。……幸福は何かをすることである。」

  なんといいますか・・照れるほどに真実一路。チェスターフィールドといい、この本といい、欧米のエリートには、何か親が子にこうした倫理を文字にして託する文化があるのか?とさえ思えてしまう。

 わずか数メートル離れた同僚にも、IM使って会話するという職場もあるようだが、そうした過去に培われたコミュニケーション作法、ワークスタイルの基本や、道徳、倫理といったものの断絶には、デジタルツールが助長している面も確実にありそうで、そうした今だからこそ、こうした言葉が新鮮なのだろう。

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2007年06月25日

●今一生『親より稼ぐネオニート』

 株取引、不動産投資、さらにこの本では、アフィリエイト、古本のせどり、などの不労所得によって同世代のサラリーマンの年収を超えてしまった人たちを「ネオニート」という"成功者"として紹介。

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「趣味に一生浸っていたい「エヴァ世代」の若者たちが自ら働く(=働きたくないときは働かないで済む)という生活を実現させたければ、会社に雇用されることばかりを考えるのではなく、自営か起業の道を真剣に考えるしかないのだ。」
「ニートがそのままで生き残れる選択肢は、もうない。自殺するか、「内戦」の果てに親を殺すか、小遣いをせびる子に手を焼いた親のほうがわが子を殺すか。本当にそんな結末しか待っていないのだ。……
 では、唯一の救済策=自営業を始めるには、何からとりかかればいいのか。それは、「現在の自分でも難なくできる程度の技術で一番になれる市場」の発見だ。……
 自分よりレベルの低い人を想像できれば、他にも多くのサービスを続々と生みだせる。携帯メールの使い方を教えるだけでも感謝されるかもしれない。」

 巻末につけられた三浦展×門倉貴史×今一生 の鼎談から。

門倉 「現在、ニートの人たちの多くは、将来の希望をまったくなくしてしまいました。「ニート」と定義される人の中からネオニートのような勝ち組がいるという事実は、彼らを労働へと動機づけていくという意味で、非常に重要な意味を持つと思います。
 きっかけが不労所得であっても、そこから人脈・社会性が形成され、働くことの価値を見いだすようになることは十分考えられることではないでしょうか。」

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2007年06月16日

●D・カーネギー『人を動かす』

 チェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるのか』が、予想以上に面白かったことは、こちらに書いた。これは、200年も前にイギリス貴族が息子に宛てて書いた"ジェントルマン作法"なわけだが、現代でも通じる普遍的とも言える人生訓が多い。

 こうした本は、書店の棚的には「自己啓発」にあてはまっていて、アマゾンでも、関連書として推薦されるのはそのたぐいの本ばかりだ。で、これまで自己啓発本は読んだこともなければ、興味を持ったこともなく、さらにあえて言えば、ちょっとバカにしていたところもあって、この本の面白さはとても新鮮でもあった。

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 そこで、アマゾンのおすすめにしたがって、D・カーネギー『人を動かす』を読んでみる。これも長年の超ベストセラーだから、今さら紹介するまでもないのだろうが、1936年に初版がアメリカで出版され、自己啓発本の原点と言われている。チェスターフィールドほどの歴史の重みはないが、アメリカのプラグマティックなわかりやすさが、世界各地で読まれてきた理由だろう。
各章最後の囲み太文字だけ、少しまとめておこう。

人を動かす三原則
・批判も非難もしない。苦情もいわない。
・率直で、誠実な評価を与える。
・強い欲求を起こさせる。

人に好かれる六原則
・誠実な関心を寄せる。
・笑顔で接する。
・名前は、当人にとって、最も快い、最も大切なひびきをもつことばであることを忘れない。
・聞き手にまわる。
・相手の関心を話題にする。
・重要感を与える──誠意をこめて。

人を説得する十二原則
・議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
・相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
・おだやかに話す。
・相手が即座に"イエス"と答える問題を選ぶ。
・相手に思いつかせる。
・人の身になる。
・相手の考えや希望に対して同情を持つ。
・人の美しい心情に呼びかける。
・演出を考える。
・対抗意識を刺激する。

人を変える九原則
・まずほめる。
・遠回しに注意を与える。
・まず自分の誤りを話した後、注意を与える。
・命令をせず、意見を求める。
・顔を立てる。
・わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。
・期待をかける。
・激励して、能力に自信をもたせる。
・喜んで協力させる。

幸福な家庭をつくる七原則
・口やかましくいわない。
・長所を認める。
・あら探しをしない。
・ほめる。
・ささやかな心づくしを怠らない。
・礼儀を守る。
・正しい性の知識を持つ。

 こう並べると、恥ずかしくなってくるが・・・。この種の面映い人生訓、礼儀作法、人つき合いでの常識、のような、かつて社会の根底にあった美意識や慣習が、このところ崩壊し、欠如しているがために、より新鮮に感じるのだろう。これは、ミクロなライフ(人生)ハックだと思う。それについては、こっちで書きました。

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2007年05月20日

●外岡秀俊『情報のさばき方』

 最近、朝日に目を通してないので知らなかったのだが、外岡氏は本社の編集局長になっていたんだね・・。

 情報の収集、分析・加工、発信といったプロセスでの総合力=情報力をいかに高めるか、自らの経験を元に、丁寧に説いてくれる。長年の記者生活の自慢しようとすれば、いくらでもその手の話はあるだろうに、そうした話はまったく出さず、自らが若手の頃、先輩に言われ、そして自分で確認してみた具体的なノウハウが記されている。
 以前に比べれば、世間の評価も、営業的にも厳しくなっている「新聞」だが、こうした優れた記者が長年、しっかりとノウハウと経験を積み重ねてきた様を見てみると、改めて、その潜在的な力を感じることができる。確かに、ある種の特権を持った者としての奢りも、知らず知らず厚く見にまとっている、ということもあると思うが、まぁ、問題は、営業的なバランスということになるのでしょうか・・。
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「伝達装置」に裏打ちされていたかつてのようなマス・メディアの権威や影響力は、これからはどんどん低くなっていくでしょう。権威を重んじる人はいまだに、「ウェッブ上の意見や感想は、ゴミのようなものだ」といいます。たしかに経験や学殖を重ねた批評家や評論家にくらべれば、一人一人の「素人」の意見は、他愛ない独り言が多いように見えるかもしれません。しかし、専門家の「玉」と、素人の「石」を比べるのは公平とはいえません。素人の中にも「玉」はたくさんありますし、全体の「集合知」の総量を比べれば、ウェッブ上の方がはるかに豊かで可能性がある、といわねばなりません。
 それではメディアに将来はないのか。私はそうは思いません。ただし、これからは「権威」ではなく「信頼」が、メディアの影響力のバロメーターになるでしょう。
 人間の持ち時間は、どれほど便利になっても1日の24時間しかありません。人間の情報吸収度や咀嚼度も、技術の進展に比して飛躍的に高まるというわけでもありません。情報の量が増えるほど、メディアの種類が増えるほど、人は逆に厳しく情報の選択を迫られるという皮肉な現象が起きてしまいます。
 実はここに、情報力をもつ職業集団が今後も生き残る余地がある、と私は思います。かつてマス・メディアが果たしていた情報提供の役割は、IT革命時代にはどんどん比重が低下していくのですが、逆に膨大な情報の中から本当に必要な情報を選別し、検証したうえで、わかりやすく伝える、という役回りがそれです。」

 う〜ん、途中までひじょうに納得するんだけれど、最後の「本当に必要な情報を選別し」の部分はどうなんだろう。各個人にとっての「本当に必要な情報」を、これからもメディアは選別できる、と言えるんだろうか・・。

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2007年05月19日

●岩田規久男『そもそも株式会社とは』

 世間でよく語られているが、それらが感情的で非論理的な論議ばかりで、"そもそも……"な視点が必要なことは多い。「会社はだれのものか」といった議論でもそうなのだろう。マクロな経済問題に関して、"そもそも"を語らせたら、やはりこの方。株主主権か従業員主権かの対立、日米の企業統治の違いを検証しながら、「株式会社とは?」を考える。
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「1995年に発表されたある調査では、「会社はだれのものか」という質問に、米国では約八割弱、英国では約七割の人が「株主」と回答したのに対し、ドイツやフランスでは約八割の人が、日本では97%の人が、「ステークホルダーすべて」と回答しているそうです。」
「「会社はだれのものか」と問いかけ、もっぱら「そのだれかの利益のためにだけ会社を経営すべきだ」と考える従来の「会社はだれのものか論」は、利害関係者の間に誤解を生みやすく、お互いの感情を逆なでしあって、熱くなるだけで、実りのある結論に到達できないことがわかります」

・・途中まで、とても段階的にわかりやすく構成されているのだが、終盤がやや物足りないように思えるのは、読み方が悪いのかな・・。あとがきに、初稿への批判や改善の指摘を受けて、大幅に修正した、とあるけれど、そのあたりの影響もあるのだろうか・・。

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2007年05月18日

●斎藤孝男『源泉徴収と年末調整』

 以前から、今一般に言われているような意味ではなく、まさに"人生をハックする"という意味での「ライフハック」に関心がある(橘玲『永遠の旅行者』のエントリー)。国家と個人との経済的関わり、ということでは、マクロの経済政策も大きくは関係があるけれど、よりダイレクトに関わりがあるとなると"税金"だ。先のエントリーの橘玲氏も、結局は、そこにいきつく。で、この本は、サラリーマンの場合の税金との関わり"源泉徴収と年末調整"についてまとめてある。96年に出されたものなので、現在の状況はやや変更が行なわれいるかもしれないが、おおよそ変わりはないのだろう。

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「1947年の年末調整制度導入以来、日本社会のいわば「与件」となった源泉徴収・年末調整システムは、源泉徴収義務者たる企業をして、その構成員のプライバシーを認めさせない。結婚しているのかいないのか。配偶者の年収、場合によっては勤務先。・・
 思えば源泉徴収・年末調整システムは、終身雇用・年功序列を旨とする日本的経営あればこそ成立し、進化してきた。企業や官庁は「家」であり、サラリーマンは「家族」である。だからこそ勤務先による社員のプライバシー侵害は黙認されてきたのだろうし、思想・信条の自由も平気で踏みにじられてきたのだろう。」
「失礼きわまる言い方を許してもらえば、サラリーマンは納税の義務だけを負い、納税者としての権利を放棄した客体であると国家に見なされているだけでなく、真実、単なる客体なのだ。」
「ダイエーの中内功会長は、・・意識的に挑発的な発言を重ねてきた。「われわれの豊かさは実現されていていない。本当の意味の市民社会をどう作って行くかを考えたい。会社が税金を集めて納める源泉徴収のような悪法はやめなければ。一人一人の市民が税金を払っているという実感がないということが、日本において市民社会がdけいない一番の原因だ」」
「勤務先に年末調整を任せるほうが、自分で確定申告を行なうよりもはるかに楽である。……それでも、たとえばこうすることで、わが国のサラリーマンたちはもっと自由になれる、企業優先だけではない社会に、少しでも近づくことができる。ひ弱ではない、将来の日本経済を支えてくれる、エネルギッシュでクリエイティグなアントレプレナーの登場を促す環境が作れる──。」

 サラリーマンの立場を離れて、もうしばらくたつのでこの現状の意味をわからないでいた。さらに学習が必要だ・・。

投稿者 esaka : 22:29 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月05日

●門倉貴史『世界の[下半身]経済が儲かる理由』

 この人は、BRICsやインド経済を論じていたかと思うと、マネーロンダリングや地下経済を論じていて、専門の幅が広い。ややマージナルな分野を、エコノミストとして培った手法で分析する・・というスタイルなんだろうか。

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 日本と世界のセックス産業の状況と歴史が、豊富なデータとエピソードで語られる。
数字としては、例えば、「デリヘルの市場規模(2兆4000億円)は島根県の経済規模に匹敵し、ファッションヘルス+イメクラの市場規模(6780億円)は2006年度ODA関係予算に迫り、ピンサロの市場規模(6457)は2006年度地方交付金予算を上回ってしまう」。

 個人的な興味としは、IT業界とセックス産業の関わり。新しいメディアが登場する時は、いつでもセックスビジネスは大きな役割を担うものだが、インターネットでも同様だ。が、そのあたりの分析をほとんど読んだことがない。それだけ実態がつかみにくいということだろうけれど。しっかり分析する価値はあると思う・・。

投稿者 esaka : 13:55 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月02日

●松田美佐、岡部大介、伊藤瑞子編『ケータイのある風景』

 2005年に英語版「Personal,portable,pedestrian ──Mobile phones in Japanese Life」がMIT pressから出され、WIRED NEWSで紹介されていて、翻訳が読みたいと思っていた。小檜山賢二『ケータイ進化論』のエントリーでも少し書いたことがあったのだが、昨年10月に出されていたのを見つけて手に取る。

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 が・・う〜む、調査されたのが2001年あたりということもあって、やはりすでに視点が古いという感じもあり、あまり楽しめなかった。

 最近目にしたケータイと社会事象にまつわる面白い話では、4月17日の日経「ネットと文明」特集。ほぼケータイだけでネットを使いこなす「ケータイ族」が増えていて、携帯だけで済ます人の比率は、2002年末の15%から05年には22%に上昇。特に若い世代ではその傾向が強い。ある学生は、「千文字程度のリポートなら携帯メールで提出する」という。砂原秀樹教授が講師を務める女子大でも1割ぐらいは携帯でリポートを出す。ヤフーのオークションユーザーの反応では、パソコン族はケータイ族の礼儀のなさに憤り、ケータイ族はパソコン族に問い合わせしても「一時間たっても返事がこない」と怒る、という。
 いやぁ、ケータイの先端状況は、感覚的にわからなくなっているだけに面白い。

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2007年04月30日

●野村総研『2010年の日本』

 2005年暮に出されたもので、ここでの分析はすでに一般化しているものが多いので、あまりインパクトはないけれど。基本は、団塊の世代が定年を迎える2007年以後の日本社会。あとは、経済の成熟化、人口の減少による、社会資本のフローからストックの時代。
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 目次の章立てで、だいたい内容がわかる。
2章 セカンドライフ・イノベーション ──団塊自由人が社会を変える
団塊自由人の第二の人生は、「道楽的生き方」「稼ぐ生き方」「社会還元的生き方」の3つになり、消費・サービス市場全体に変化が起きる。
・旅行産業は「人間関係デザイン産業」として成長する
・成熟した大人の学習者たちが硬直化した教育業界を革新する
・短期求職市場がふくらむ
・個人投資市場が成長する
・中古循環・再生市場が拡がる
・リスクマネジメント市場の成長余地は大きい
・既存の小売業態は支持率が低下する
・変化対応力のない金融機関や学校は淘汰される

3章 働くモチベーションの再生 ──"自分探し"蔓延社会への対応
4章 社会資本の創造的破壊 ──人口減少時代に必要な"減築"という発想
5章 ユビキタスネット社会の深化 ──ロングテールと起業チャンス
6章 雇用社会から起業社会へ ──2010年日本の挑戦

 同じシリーズの『2010年日本の経営』のほうが楽しめたかな。

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2007年04月26日

●アレック・クライン『虚妄の帝国の終焉』

 AOLとタイムワーナーの合併に関しては、一度、ちゃんと押さえておかないと、と思っていたので、手に取る。AOLのスティーブ・ケースを中心に、その突発的な栄光と凋落を追ったノンフィクション。昨日の『ビル・ゲイツ、北京に立つ』に比べれば、読み物としては面白いのだが・・。

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 ここでは、その事柄のほとんどが、スティーブ・ケースやタイムワーナーのジェリー・レビン、さらにはCNNのテッド・ターナーといった関係者たちの強烈な栄光と挫折の物語になっている。もしくは、合併後の内紛劇とでもいうか。その軋轢を生み出したのが、新旧の会社が持つ特質とも読めるが、ここでは個人の性格によるものといったトーンが強く、どこでも起こりえた確執、軋轢、に見えてしまうのはどうなんだろ・・。

 新旧メディアの合併は、99、2000年を頂点にしたネットバブルを象徴する事件でもあったわけだが、2003年に書かれたものだから、当時としては内幕モノとして面白かったのだろうが、今となっては、もう少し冷静な分析が欲しいところ。邦訳は06年の4月に出されていて、出版側の意図は、ライブドアの熱狂が視野にあってのことだろう。

 99年には、ピークを迎えていたAOLは、合併後、急激に株価が下がっていったとはいえ、メッセンジャーなどそれなりの技術力と世界一のインターネットプロバイダーでもあったわけで、合併後2年で、ほとんど消滅してしまったのは、これも異常な事態とも言える。合併後の社内での抗争ばかりにエネルギーを取られ、新たなウェブサービスの波に対応するというような外向けの対応ができなかった、ということか・・。そういう意味では、AOLの最大の敵としてここでも何度も登場するビル・ゲイツのマネージメント力は、やはり凄い、ということなんだろう。

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2007年04月24日

●ロバート・デーブリ『ビル・ゲイツ、北京に立つ』

 MSと中国というマッチングは、何かを期待させる組み合わせなのだが、もうひとつ楽しめなかったのはどうしてだろう。MSについても、中国についても、そしてIT業界の動向についてもこちらが期待したほどの深みのある情報が得られなかった・・ということかな。
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「ビル・ゲイツは、中国人を地球上でもっとも賢い民族のひとつにあげたと言われる。しかしそれは、彼らがほかの誰よりも賢いということではない。中国はどこより必死なのだ。すでに三億人を越え、早いペースで教育、資本、機会を手にしている中産階級の台頭とともに、この国の成長欲はとどまるところを知らない。……だからマイクロソフトのような一見無敵の企業であろうと、アメリカのような経済大国であろうと、たんに一個人であろうと、今やイノベーションの中心となった中国を受け入れるしかないし、願わくば中国にも自分たちを受け容れてもらいたい。」

 MS中国研究所所長、後にグーグルに引き抜かれた李開復の『中国で成功するために』からメモ。
・難題1 独特の儀礼と人間関係
  解決策1 儀礼を学び、信頼関係を築け
・難題2 まず貢献、報酬はそのあとで
  解決策2 長期的な関係を作る戦略を立てよ
・難題3 経験豊富な管理者を雇い、中国内の人材を育てること
  解決策3 中国内の人材とリーダーシップを育てよ
・難題4 中国式の市場原理にしたがうこと
  解決策4 中国のニーズと慣例に柔軟かつオープンに対応する
・難題5 中国経済が最優先事項
  解決策5 中国の経済エコシステム構築を助けよ
・難題6 イメージ戦略のむずかしさ
  解決策6 一貫した、慎ましい組織としての信頼を築け

 いろいろテーマの絞り方はあっただろうMSと中国のマッチングという素材を、ここでは"人材"と"研究"にフォーカスしている。参考資料として挙げられている『フラット化する世界』の影響が強かったのだろう。

 アメリカ、中国、人材、研究、IT、ビジネスというテーマで書かれているわけだが、ほとんどまったく日本のことは出てこない。経産省は、近頃、アニメやゲームのコンテンツビジネス、クリエイター育成に力を入れ始めているが、大丈夫なんでしょうか・・。

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2007年04月15日

●トム・ケリー『イノベーションの達人』

 ライフハック的ノウハウ本は、あまり楽しめたことがないのだけれど、この人の前著『発想する会社!』は、面白かったので期待して手にする。インダストリアル・デザインで有名なIDEOの"イノベーションの技法"が、具体的に紹介されているのが特徴だった。
が、もうひとつ面白くない。前著がヒットしてしまったので、続編をと狙ったのだが、エッセンスはすべて前著で出し切ってしまっていた・・というところか。
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 で、また『発想する会社!』を読んでみる。紹介されている事例の商品が、アップルのデュオ・ドックやパームVとすでに市場から消えてしまっているものばかり、ということもあってか、ややインパクトには欠けるけれど、イノベーションをするチームの組織作り、の具体的ノウハウ、ということではひじょうに面白い。基本的な印象は、4年前に読んだ時と同じだが、さらに役に立ちそうなのは、スキルとしてブレインストーミングを真剣に捉えている部分をメモしておこう。

よりよいブレインストーミングのための7つの秘訣
1、焦点を明確にする
 (組織のなんらかの目標に焦点をおいた内向きのものよりも、特定の顧客のニーズやサービスの強化に焦点をおいた外向きのもののほうがよい)
2、遊び心のあるルール
 (だされたアイデアを批判したり論争をしかけたりしてはいけない。会議室に、例えば、「量をねらえ」「思い切ったアイデアをどんどんだそう」「目に見えるように表現しよう」といったブレインストーミングのルールを影に貼っておく)
3、アイデアを数える
 (経験から言って、1時間に100のアイデアがでるブレインストーミングは、流動的で質の高い場合が多い)
4、力を蓄積し、ジャンプする
 (熱のこもったブレインストーミングは、急勾配の「力」のカーブを描く。それを意識してエネルギーを持続させる)
5、場所は記憶を呼び覚ます
 (アイデアの流れを何かに書き留めて、グループ全員に見えるようにしよう。アイデアを書き留めたりスケッチしながら部屋中を移動すると、ある相乗効果が生まれる。チームのアイデアを書き留めておくことは、力を蓄積したりジャンプしたりする過程で、立ち戻る価値のある事柄の心の覚え書きになるのだ)
6、精神の筋肉をストレッチする
 (ブレインストーミングをはじめるために、ウォーミングアップをしたほうがいい。心を白紙にするために、テンポの速い言葉遊びをして、チームをもっと外向きの雰囲気にする。関連する宿題を課す)
7、身体を使う
 (スケッチや思考の流れの図解、図表、棒線グラフなどを活用する)

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2007年03月28日

●ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』

 まさに"まっとうな経済学書"。このまっとうさが、日本ではありそうでなかなかない。スタバのコーヒーの値段といった、ごく身近な題材から、ロンドンの交通、アメリカの医療、そして環境問題、さらにカメルーンや中国への旅の経験から、経済の発展、貿易の意味まで解説。それでいて、経済学書にありがちな、ただ学説を説明するための本でもなく、敵対するエコノミストを罵倒するわけでもなく、「経済学者は世界をどのように見ているか」ということが、まさに"まっとうに"書かれている。

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「経済学の大部分はGDPはほとんど関係しない。経済学とは、誰が、何を、どのような理由で手に入れるのかを知るための学問だ。この意味では、きれいな空気や円滑な交通は「経済」の一部である。……人生には、経済指標で測れるものよりずっと大切なことがある。それは経済学者だって知っている。」
「現時点で最も切迫している環境問題、そして、気候変動の脅威を考慮に入れても、私たちの未来にとって最も深刻であろうと思われる環境問題は、世界の非常に貧しい人々が苦しんでいる問題でもある。その一例が、失明や命にかかわる呼吸器疾患を引き起こす致命的な薪ストーブによる家庭内汚染だ。不衛生な飲料水も、何百万もの命を奪っている。こうした環境問題の解決策は経済成長の実現することであり、貿易はその後押しをする。」
「「フェアトレードコーヒー」や「無搾取衣料品」といった局所的な対応で、何百万という人びとの生活が大幅に改善することは絶対にない。……貧困国が広範囲にわたって発展しないかぎり、最貧民層の生活水準が向上することも、コーヒー価格が上昇することも、製靴工場の賃金と労働条件が改善することもけっしてない。
 こうした広範囲な発展は起こりえるのだろうか。それは間違いなく起こりえる。発展途上国の何十億という人びとは親の世代に比べてはるかに豊かになっている。平均寿命は伸び、教育水準は高まっている。」

 類書と言われるレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』のほうが、オリジナリティのある切れ味の鋭さが際立つけれど、"まっとうな経済解説"が、メディアでなかなか拝見できない日本では、この『まっとうな経済学』が多く読まれたほうが有益な気がする。

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2007年03月20日

●木暮祐一『電話代、払いすぎていませんか?』

 去年、これからのケータイビジネスについてまとめた『Mobile2.0』が出されたが、その中で、唯一? 閉鎖的な日本のケータイ通信業界の現状を憂いていた携帯電話研究家・木暮氏が、同様の主張を新書にまとめている。
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「垂直統合型の業界構造は、サービス普及期には申し分ないスタイルだ。だが成熟期の市場になると、必ずしも良いことばかりではなくなってくるのである。……電話料金が高いというデメリットもさることながら、成熟したマーケットでコンテンツサービスなどの周辺サービスが広がりを見せるためには、いずれ「オープン化」が必要になってくると思われるのだ。」
「端末メーカーの顧客は一般ユーザーではなく通信事業者なのであるから、差別化は「いかに安く納入できるか」に重きが置かれてしまうのである。結論として、ご承知のとおりケータイ販売店を賑わす端末は、プラスチック製のオモチャ化してしまった。海外で見かけるケータイ端末と明らかに質感が異なるのはこういった理由によるのである」

 これまで、日本のみならず世界各地で、自ら大量のケータイを購入してきた木暮氏の立場は、ユーザー本位に貫かれている。日本のケータイは、香港や韓国とどう違って、いつまで同じだったか、どういう施策が誤っていたのか・・。まさに"島国"であったがために、独自のサービス開発に邁進できた日本のケータイだが、この"孤立"は、端末メーカーにとっても、キャリアにとっても、すでに手遅れの感。ここではあまり触れられていない4Gの時代には、日本のモバイル界も様相一変している可能性が高い。

 それにしても、アスキーも新書出すとは・・。新書といっても、近頃の新書は、以前のようにバックナンバーを長期間、在庫に抱えるということはしないようだし、ほとんど雑誌のような扱いだ。新書にも、広告スペースを入れてもいいのかも・・。もちろん取次の規制はありますが。


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2007年03月07日

●野村総合研究所『2010年のアジア』

中国、インドの急成長で変化してきているアジア経済、アジア諸国の関係を大枠、分析。
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「日中の経済(GDP)規模は今後10年以内に逆転する可能性がある。その頃の中国沿岸部には、一人当たりGDPにして1万5000ドルという韓国や台湾並みの豊かさを持った2億人ほどの人たちが出現しているだろう。巨大市場である。日本から見れば複雑な思いではあるが、10年後のアジア経済の中心は明らかに中国である。」
「2000年頃を境に、中国が、またこの1、2年はインドが市場の出し手として機能し始めたことでアジアの成長は新たなフェーズに移行したのではないかと考えられる。
 技術と資本の出し手としての日本とNIES、生産機能を提供するASEAN、市場の出し手となる中国とインドというように、今やアジアはそれぞれの国や地域が特徴を活かしつつ互いに連携しながら成長するモデルに移行している。……
 また、中国、インドが台頭するということは、日本への期待が高まるということでもある。……周辺国からみれば中国への牽制機能をしっかり持ちたいという気持ちが強まり、日本への期待も高まるだろう。」

 また、日本製品のブランドイメージが中国で苦戦していて、インドでは、韓国LGが一人勝ちで、売上高も2桁億円違う、というレポートもあり、国内のデフレ不況処理に追われた日本企業の、海外での停滞を改めて感じる。

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2007年03月06日

『平成18年版 科学白書』

 副題は、「未来社会に向けた挑戦──少子高齢社会における科学技術の役割──」。現状が総覧できて面白い、とも言えるし、突っ込みが足りずに物足りない、とも言える。まぁ、白書ってそういうもの。

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 去年、第3期科学技術基本計画というのが閣議決定されていたらしく、重点分野として、ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料 があげられている。各国の科学技術政策を見てみると、アメリカは、国土安全保障、ネットワーク・情報技術、名のテクノロジー、自然科学、環境・エネルギー、ライフサイエンス、EUは、ライフサイエンス、情報社会技術、ナノ技術・ナノ科学、航空・宇宙、食品の質・安全、持続的発展、市民とガバナンス、イギリスは、e-サイエンス、ゲノム等生命科学、基礎技術(ナノテク等)、幹細胞、持続可能エネルギー経済、農業経済と土地利用、となっている。
 ググってみつけた、科学技術動向レポート 独立行政法人 科学技術振興機構 というところがまとめている。「科学技術振興機構(Japan Science and Technology Agency 略称JST)は、我が国における科学技術基本計画の中核的実施機関として、科学技術創造立国の実現を目指します。」とある! そうですか〜。

 え〜と、アメリカでは、2005年に「21世紀のグローバル経済のおけり繁栄に関する委員会」(凄いなw~)、によって「強まる嵐を越えて」という報告書が出され、21世紀の国際社会において、アメリカが競争、繁栄、安全の面で成功するよう、科学技術活動を強化するために、政策作成担当者がとるべき対応と、その実行のための戦略をまとめたもの・・らしい。

「この中で、米国は、第二次世界大戦以降、経済的・戦略的に世界的なリーダーではあるものの、近年、市場と科学技術分野での強みが失われ始めており、包括的かつ早急な対応が必要であると主張している。競争相手としては、中国、インドを念頭に置いている。具体的な内容としては、1、初等中等教育における理数教育の充実、2、理学・工学研究の強化、3、理工系高等教育の充実、4、イノベーション環境の整備、について提言している。」
このあたりは、『フラット化する世界』と同じだ。

 日本での科学技術に関する関心の低下が、この白書でも問題になっているが、子どもの関心の低下をもたらすものとして、学校と家庭を挙げているが、アンケート調査をみると、そのほとんどは学校だ(当たり前だ)。
 で、この白書をまとめているのが文部科学省だからなのか、科学技術に関する関心の低下の理由の原因の箇所に、わざわざ 学校(先生) 記し、その改善策など突っ込んだ記載がないのは、どう考えたらいいんでしょうね・・。

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2007年02月18日

●毎日新聞科学環境部『理系白書』

 googleを代表にするまでもなく、若いコンピュータ技術者が、軽やかに自分のアイデアを現実化させ、社会に大きな影響を与える姿を見ると、もし、今、学生だったらプログラムの勉強をして、技術者を志向していただろうな、と考える。
 
 しかし、広く日本の現状を見てみると、理系は想像以上にめぐまれていないようなのだ。そんな姿を、地位、報酬、研究、教育、結婚など理系人のおかれている状況を描き出したレポート。02年から03年までの毎日新聞連載をまとめたもの。

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 ある国立大の卒業生を対象に調査し、文系出身者と理系出身者の生涯所得の差は、最大で5000万円。霞ヶ関には「技官の出世は局長止まり」という不文律がある、という。フランスでは、上場企業社長の55%、英、独、でも54%が理系。日本は28%。アメリカでの財界トップの理系進出度は日本とほぼ同じだが、政府職員に占める理系の割合は、日本の1.7倍。科学雑誌を定期的に読んだり科学の成果をよく知っていると回答した「科学技術に注目している人」の割合は、フランス15%、オランダ13%、アメリカ12%、日本は4%。

「じつは、理系人も変わらないといけない。
 かつて、子どもたちは、湯川秀樹にあこがれ、学者を志した。科学者が「自由人」に見えたことも、あこがれの理由だった。しかし、いま、研究の世界を「自由の楽園」と表せる牧歌的な時代は過ぎ去り、科学者が社会的責任を求められる時代になってきた。タコツボ的な視野の狭さも改める必要がある、「文か理か」にこだわっている時代ではない。」

 ここ数年のネット上の論議の様子をみていても、論理的思考が身に付いた理系人の発言力が、急激に高まっているように思う。ネットのようにお互い匿名で情報交換し、議論する場では、情感に訴える能力よりも、より論理的に思考し説明する能力のほうが、大きな力になる。価値観が多様化する今の日本の社会にあっては、そうした能力はさらに重要なのだとも思う。
 う〜む、日本で一般人が手に取れる科学雑誌って何?と考えると、メディアの責任は重大だ。

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2007年02月14日

●日経コミュニケーション『2010年NTT解体』

 日本のネット産業の未来を考える時、その大きな部分は、"NTTの今後のあり方"に行き着く。さらに、ここ数年は、ソフトバンクの孫氏という、話題に事欠かないキャラクターも参入して、日本の通信業界レポートは、ネタとしてはひじょうに面白く、これまでもたびたび書かれてきている。規制緩和をめぐっても、藤井耕一郎『通信崩壊』、町田徹『巨大独占』など立場もさまざまだ。
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 この本は、ソフトバンクのヤフーBB発表までの激動を追った『知られざる通信戦争の真実』の続編にあたる。激動はその後も続いていて、怒ったり、拳をにぎったりする関係者の多いこと・・(笑)。

 今回は、2006年に竹中平蔵総務大臣が指揮を執った「竹中懇談会」が出した、「2010年に、NTTのあり方を再度考える」という方針案発表に至る混乱とNTTの抵抗、「次世代ネットワーク構想」の思惑と混乱、が中心。

「今後インターネット上に新しいビジネスが誕生しても、通信インフラが「土管」として使われるだけでは、通信事業者は何も得られない。だからこそ通信事業者は、光ファイバーの敷設と次世代ネットワークに構築に躍起になっている、高速なアクセス回線の上に従来のインターネットにはない機能を提供することで、利益の分配を受けようというものだ。」

  政治家が暗躍したり、関係者が怒りまくったりで、演劇としては楽しめるのだが、ブロードバンド大国と言われて数年経つにも関わらず、ほとんど世界的なネットサービスを生み出せていない現状を考えると、なにか暗くなる。道路ばかり太く新しくなっても仕方ないという気がするが・・。次世代ネットワーク構想の危うさは、ふと第二東名を思い起こさせる。

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2007年02月06日

●池田清彦『環境問題のウソ』

 IPCCの第4次報告書が出されたところで、いわゆる"懐疑派"は、ますます少数派になりそうな趨勢。
 ここでは、温暖化、ダイオキシン、外来種の問題が扱われているが、独自の意見が見られるのは最後の外来種について。その他は、あとがきでご本人の"専門外"と言っているように、伊藤公紀『地球温暖化』、薬師院仁志『地球温暖化への挑戦』、ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』のまとめ、といったところで少し拍子抜け。
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 温暖化そのものも、大きな自然のサイクルの中での出来事で、温暖化していない、という"懐疑"もあったが、こちらはすでになくなった、と見ていいのだろう。その原因についても、太陽の黒点の影響などによるもので、人間の経済活動による温室効果ガスの増加が原因ではない、という意見もあったが、今回のIPCC報告書では、温室効果ガスによるもの、と明確にしているようだ。
 あとは、その被害の予測。こちらはまだ諸説あって、そのため対策の必要性、方法などがさまざま。やはり、ゴアの映画後は、温暖化の危機を煽りというかファッション的に扱うメディアが増えているけれど、さらに冷静な視線が必要・・。

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●橘玲『マネーロンダリング入門』

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 橘玲氏には、リバタリアン的思考を背景に、個人の"経済的自由"の獲得の仕方を考察するファイナンスノウハウ本と、的確な調査分析や経験をもとにしたマネーロンダリング手法をスリリングに描くエンターテイメント本と2種類あるように思うが、こちらは後者。前者の究極の姿は、国家の拘束からも自由になる「PT(Perpetual Traveler)」があるが、その手法を調査していくうち、"マネーロンダリング"という、金融情報の中でも、妖しげで危うい特異な分野に分け入ることになったんだろう。
 今回も、カシオ詐欺事件やアメリカによる北朝鮮金融制裁、などマネーロンダリングに関わる国際金融事件をノンフィクションとして扱っている。今回も、ロンドン裁判所に資料を請求し、関係者に取材したり、と独自の取材を重ねつつ、米上院調査委員会の報告書やネット、書籍から得られる情報を重ねて紡ぎだす分析能力の鋭さが際立つ。

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●古川健介『ドロップシッピング成功術』

ソフトバンクパブリッシングの上杉さんに送っていただく。「在庫リスクがなく、発送を自分でする必要がない、新しい形のインターネット上のショップ」=ドロップシッピング。近頃、よく聞くが、ちゃんと理解していなかったので読む。
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ドロップシッピングのメリットは、
・在庫のリスクがない
・発送の手間がいらない
デメリットは、
・ASPによっては、商品が手元にないので問い合わせ対応がたいへん
・大量に仕入れるより粗利率が低くなる(大量販売には向いていない)
・ASPによっては、顧客の個人情報がもらえない
・発送時の工夫(手紙を入れたり)できない

アフィリエイトに比べてのリスク
・ASPによっては、問い合わせ対応をしなくてはならない
・ASPによっては、決済をしなくてはならない
・ASPによっては、自分の名前を明かす必要がある
・ASPによっては、返品されたものを買い取る義務がある

おすすめASPは、
・卸売り型「もしもドロップシッピング
・オリジナル商品型「ClubT
 (単価がやすく、デザインがしやすいマグカップかTシャツがおすすめ)

 売れるかどうかはともかく、Tシャツをデザインして、試してみるのも楽しいかなと思ったり・・。

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2007年01月31日

●加藤智明・中谷有紀『CGMマーケティング』

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備忘メモ。
WOMMA(Word of Mouth Marketing Association クチコミマーケティング協会)
NIKE iD のバイラルCM youtube
・米ニコン「Stunning Nikon
flickrユーザーで、NikonD100の利用者を探し、彼らにNikonD80を無償提供。D80で撮影した写真を送ってもらって公開。
・アメリカでは、MS、IBM、HPなどで、ガイドラインを定めた上で、自社ビジネスの価値向上につなげるために、従業員によるブログでの対話を奨励。
・ソフトバンクテレコム「ワーク/ライフバランス Blog

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2007年01月30日

●早稲田大学IT戦略研究所『mixiと第二世代ネット革命』

 2005年10月にmixiユーザーを対象にしておこなわれたアンケートをもとに、さまざまな分析が行なわれている。個人的には、その分析よりも、付録としてつけられたアンケートのまとめそのもののほうが楽しめた。

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 ググってみたら、早稲田大学IT戦略研究所のウェブにアップされていた。(『mixi参加者の属性と行動』pdf)

・女性47.8% 男性52.2%
・mixi公式資料では、学生26.7%。アンケート回答者では、学生46%。
・実名公開 55.6%
・100人以上のネットワークを持つ人は全体の4%。50人未満は全体の8割。
・4〜7月の参加が多く、新年度、新学期の参加が多くなる傾向?
・マイミクシィ登録招待行動は、どちらかと言えば「受け身」が多い。
・回答者のほとんどは、mixi日記機能を利用。外部ブログは1割強。
・マイミクシィ登録とそれ以前の友だちへの信頼度は、登録後に上がることはあっても、下がることはない。mixiには、信頼増幅効果がある。

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2007年01月26日

●小田中直樹『日本の個人主義』

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「ぼくらが生活している世紀転換期の日本において、大方の人々がアクチュアルだと判断するような問題はあるだろうか。……ぼくは、個人の<自律>にかかわる諸問題こそ、今日の日本で最大のアクチュアリティをもつテーマのひとつである、と判断している。」

 そこで、大塚久雄と戦後思想家の言説を追いながら、個人の自律という現象をどう考え、どう評価すればいいのか考察する。

 また、小田中氏の世代で、社会科学に少しでも関心のあるものは、ほとんど何らかの影響をうけざるをえなかったであろう思想としての"ポスト近代主義"への小田中氏なりの決算ということだろう。これも「おわりに」にわかりやすくまとめてある。

「第二次世界大戦後しばらくのあいだ、さまざまな学問領域では、個人の自律の方策をめぐる施策がつみかさねられた。これに対して、ポスト近代主義は、自律した個人なんてものは存在しないと説いた。それまでの努力はすべて見当違いであり、したがって無駄である、というわけだから、その衝撃がおおきかったのもけだし当然だろう。

 ところが、世紀転換期にいたって、状況はさいどかわりはじめたようにみえる。脳科学・認知科学の急速に進歩し、自律した個人を自律した個人たらしめている主体性が存在することを明らかにしつつあるからだ。……

 というわけで、ぼくらはすでにポスト近代主義のその先の、ポスト・ポスト近代主義とでもよぶべき時空間に、足をふみいれつつある。それでは、こんな思想状況にあって、人文社会科学の諸領域は、脳科学・認知科学の知見と、どうつきあえばよいのだろうか。ポスト近代主義以前の所説は、どう再評価されるべきだろうか。<いまさら……>という反応がかえってくることを予想しながら大塚の所説をとりあげたことの背景には、こういった疑問があった。……

 ぼくらはつねに時代のなかで考えている。そして、時代のなかで生成している以上、いかなる考え方もやがてのりこえられてゆく。ただし、問題は<その先>への進み方にある。新しい所説にとびつき、古いものを古いからという理由でわすれさるのでは、前に進んだことにはならないだろう。古いものについては、その功罪を確定し、継受するべきは継受し、放棄すべきは放棄しなければならない。つまり、これはいわゆる<温故知新>ということになるのだろうか……しかし、われながらじつに平凡な結論になっていまった気もするが。」

 引用が長くなってしまった。丁寧で無駄がない文章なので、一カ所引用しだすと、長くなってしまうのだ。逆に言えば、強烈なインパクトが残るような一文がある、というわけではない。内容面でも同じようなことが言えて、煽りがない分、一見の"刺激"に欠けるようにも感じるが、思索が丁寧にかっちりと積み重ねられていて、懐の深さを感じさせる。また、常に"同時代的"であろうとする視点が感じられて、風通しがいい。やっぱり、凄いな。

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●佐々木俊尚『ネット vs. リアルの衝突』

 前半は、裁判傍聴などの取材を重ねて書かれた「Winny事件」、後半は、日本IT企業の敗北、中国とインターネットガバナンス、国産検索エンジンと続き、本のタイトルのように"インターネット世界とリアル社会の対立"をテーマに構成されている。中国の世界戦略とインターネットなど、後半にも面白いテーマが確かにあるのだが、前半の"Winny問題"は、取材の手間もかけられた力作だし、こちらだけに絞ってもよかったのではないかな〜、という気がする。「だれがウェブ2.0を制するか」というサブタイトルを含めて、このあたりは、新書化にあたっての版元の判断も入ったのかも。

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 近頃、日本のソフトウェアやウェブサービスに創造性がやや欠けるのではないか、と憂いているわけだが、技術者のちょっとした遊び心や実験精神から独自の画期的なソフトやサービスが生まれることままある。近頃の日本に、そうした"やってしまえ"的遊び心や、チャレンジ精神が欠けているとすれば、このWinny開発者の金子勇さん逮捕が、大きな影を落としているような気がするのだけれど、杞憂だろうか・・。そうしたWinny事件の影響の大きさをあらためて感じさせられる。

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2007年01月23日

●レヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』

 今さら僕が、この本について何かを書く必要はないのだけれど(例えば、山形さんのブログの記事を参照してください)・・自分のためにメモ。
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「経済学は突き詰めるとインセンティブの学問だ。つまり、人は自分の欲しいものをどうやって手に入れるか、とくに他の人も同じものが欲しいと思っているときにどうするか、それを考えるのが経済学だ。……インセンティブは銃弾であり、てこであり、鍵である。ほんのちょっとしたことだが状況を変えてしまえる大変な力を持つ。……
 インセンティブの味付けは基本的に三つある。経済的、社会的、そして道徳的の三つだ。」
「「ヤバい経済学」には一貫したテーマなんてないけれど、ヤバい経済学を日々のあれこれに応用するとき、少なくとも一つ、いつも底のほうに流れているものがある。それは、現実の世界で人がどんなふうに動くかについて、筋の通った考え方をするということだ。そのために必要なのは、新しい見方をする、新しい理解の仕方をする、新しい測り方をする、そんなことだ。」

 "思考ツール"としての経済学の切れ味の鋭さと汎用性の広さを充分に知らしめてくれます。

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2007年01月22日

●飯田泰之『ダメな議論』

 飯田氏の前著『経済学思考の技術』は、"経済"に興味を持った人がまず手に取るべき教科書になりうる本だった(以前のエントリーはこちら)。今回の『ダメな議論』は、基本的な考え方はその延長にありながら、アプローチや表現を新書向けにかなり間口を広くしている。
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「本書の基本的な方針は、さまざまな言説の中から、"ダメな議論"──「誤ったもの」「無用なもの」「有害なもの」を見抜く方法を考え、それを現実に応用していくというものです。"ダメな議論"を除外していけば、残されたものは「正しく、有用なもの」である可能性が高くなります。その意味で、本書の方法によって導かれる「正しく、有用なもの」とは100%正しいとか間違いないとかいったものではなく、他の考え方に比べ相対的に「正しそうだ」というものです。」

 「言うまでもないことですが、何ひとつ問題のない社会は存在しません。……さらに構造改革論は、「構造」というう言葉の多義性によって、大多数の日本国民に「自分が日ごろ問題だと考えていることを改革するのだ」というイメージを抱かせることができます。……「構造問題」とは「根本的問題」「重要で基礎的な問題」のことなのですから、「構造問題が重要だ」という主張は誰にも否定できません。…誰にも否定できない主張と、プラスイメージの単語を組み合わせた構造改革論はヒットする要素満載の言説だったのです。」

 "ダメな議論"の例として、よくTVのコメンテーターや雑誌で語られる構造改革論、食料安保論、バブル悪玉説、創造的破壊論、国際競争力、アジア共通通貨圏構想、といった具体例を示しながら、その曖昧さとダメさを具体的に示してくれる。

 あとがきに、参照した本としてロバート・J・グーラ『論理で人をだます法』、ハリー・G・フランクファート『ウンコな議論』、スティーブン・レヴィット『ヤバい経済学』が挙げられているが、新書ながらこれらの本に匹敵する役割は充分果たしていると思う。こういう新書が増えると嬉しいな〜。

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2007年01月21日

●ビル・エモット『これから10年、新黄金時代の日本』

 『日はまた沈む』や『日はまた昇る』は、読んだことないけれど、93年から06年まで「エコノミスト」誌編集長だったとのことなので、手に取る。
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「今後十年、日本にもっとも必要とされるのは、生産性、つまり効率をいっそう大きく引き上げることである。その効率とは、一時間当たりの労働力、あるいは資本の投入量によって獲得した生産物の価値を意味する。生産性を向上しなければ、生活水準を引き上げることはできないのだ。なぜなら、生産性こそが、より高い賃金や利益を生むお金をつくり出すからである。」
「さらに極めて重要なのは、研究開発分野に対し、多額の投資が必要だということである。その目的は、日本企業が世界のリーダ−になるために、広範な産業分野において、新製品と革新的産業技術を見つけることにある。」

というわけで、来る十年、日本は"新たな黄金時代を迎える"という割に、その必要条件はあまりにまっとうとも言えて、タイトルから感じられるほどは決して楽観的なものではないということだろう。

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●橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』

というわけで、読み直し。(以前のエントリーはこちら
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「人生を経済的側面から語るなら、その目的は何ものにも依存せずに自分と家庭の生活を守ることのできる経済的自立を達成することにある。
 自由とは人生に複数の選択肢を持つことだ。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存し、そこにしがみつくしか生きる術がないのなら、新たな一歩は永遠に踏み出せないだろう。
 自由に生きるために一定量の貨幣が必要なら、与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に達成することで人生はより豊かになるはずだ。経済合理的に行動すべき理由がここにある──。
 自由や富が幸福な人生を約束するわけではない。それは未知の世界を旅する通行証のようなものではないだろうか。
 いつの日かその扉を開けてみたいと、私はずっと夢見てきた。」

 巻末に挙げられている参考文献をメモ。
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ゲーリー・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』
ロバート・バロー『経済学の正しい使用法』
ロバート・バロー『バロー教授の経済学でここまでできる!』
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
森村進『自由はどこまで可能か』
稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』
デイヴィッド・ボウツ『リバータリアニズム入門』
副島隆彦『世界覇権国家アメリカを動かす政治家と知識人たち』
有賀・伊藤・松井編『ポスト・リベラリズム─社会的規範理論への招待』

 冷徹とも言えるが誠実。橘氏の魅力は、徹底した合理性にもあるけれど、行間に感じられる著者の誠実さでもある。橘玲のペンネームと使って文章を書くにあたっての制約を記載している。「自分自身の体験のみから語ること」「制度を批判することはあっても、それを担う個人を批判しないこと」。こうした執筆に当たっての真摯な姿勢に、"美意識"をも感じさせて"かっこいい"のだ。

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2007年01月18日

●ウォルター・ブロック『不道徳教育』

 著者よりも翻訳の橘玲氏の存在があらためて際立つ。アメリカでは76年に出版されたものを橘氏が見いだし、事例を日本に置き換え、わかりやすく"超訳"したもの。前文として付け加えられた橘氏の「はじめてのリバタリアニズム」が、リバタリアニズムの意味、意義をわかりやすく解説している。これが相変わらずいい。
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 本文のほうは、売春やドラッグなどの全面自由化を求めて、刺激的ではあるけれど、ゲーリー・ベッカーを先鋭化させた感じで、今となっては想定内。
 橘氏の前文から。

「近代的な主体の虚構性をえぐり出すポストモダニズムの根源的な批判は魅力的だが、社会の変革にはなんの役にも立たず、いつしか無意味な言葉遊びに堕していった。それに対してフランス革命とアメリカ独立宣言を出自に持つ古色蒼然たるリバタリアニズムは、200年の時を経てもなお「改革」のヴィジョンを示すことができる。超近代はいつまで待っても訪れず、私たちはいまだに近代の枠組みのなかで生きており、それを「越えて」いくことはできないのだ。
 リバタリアニズムの本質は、「自由な個人」という近代の虚構(というかウソ)を徹底する過激さにある。その無謀な試みの先に、国家なき世界という無政府資本主義(アナルコキャピタリズム)のユートピアが蜃気楼のように浮かぶとき、人はそれを「希望」と呼ぶのかもしれない。」

 橘氏個人のリバタリアニズム的主張は、『雨の降る日曜は幸福について考えよう』がよかった。もう一度、こちらをチェックしてみよう。

投稿者 esaka : 21:27 | コメント (0) | トラックバック

●森健『グーグル・アマゾン化する社会』

 以前、著者の『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』についてエントリーしたが、今回も、近年の最重要論文を引用しながらのweb2.0社会の危険性を問うもの。

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 主に、参照されるのはフリードマン『フラット化する世界』、ダンカン・ワッツ『スモール・ワールド』、ダン・ギルモア『ブログ 世界を変える個人メディア』、バラバシ『ネットワーク思考』、レッシグ『コード』、キャス・サンスティーン「サイバーカスケード」・・。
 ここで特に問題にしているのは、"情報化が広がる中でおきた一極集中という現象"。

「ウェブページが増え、リンクが増え、情報が多様化していくごとに、ハブはハブとしての力を増していく。だが、ハブでないページはますます埋もれていく──。
 とりわけ膨大な量的スケールのタギング(タグ化)が進むWeb2.0下では、タグに採り入れられる、キャッチーで直観的に理解可能な最大公約数的概念だけが共感を厚め、多様性を象徴する少数意見は、ますます小さく分散化される可能性がある。」

 個人的には、オプティミスティックなシリコンバレー礼讃、Web2.0礼讃にはとても違和感を感じるところもあり、特にキャス・サンスティーンが言う"サイバーカスケード"の動向はひじょうに憂いていて、著者の問題意識には共感するところが多い。ただ、一極集中の事例と情報化の趨勢との兼ね合いの分析がややラフに感じられる気もするのだけれど、どうでしょうか・・。

投稿者 esaka : 20:43 | コメント (0) | トラックバック

●トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

 以前、「ミドルクラスの仕事について」は、「編集の行方」のほうに書いたが、その他の部分をいまさらだけど、こっちで整理メモ。

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○フラット化の要因
・ベルリンの壁の崩壊と、創造性の新時代
・インターネットの普及と、接続の新時代(ネットスケープ)
・共同作業を可能にした新しいソフトウェア(HTML、XML、AJAX……)
・アップローディング:コミュニティの力を利用する(オープンソース、ウィキペディア、ブログ)
  フラット化の要因10のうち、アップローディングは最も破壊的にひろがる力を秘めている。
・アウトソーシング:Y2Kとインドの目覚め(真夜中の雇用)
・オフショアリング:中国のWTO加盟(国内と海外の工場の使い分け)
・サプライチェーン:ウォルマートはなぜ強いのか("作っている"のは、超効率的なサプライチェーンだけ)
・インソーシング:UPSの新しいビジネス(第三者によるロジスティクス管理)
・インフォーミング:知りたいことはグーグルに聞け
・ステロイド:新テクノロジーがさらに加速する(デジタル、モバイル、バーチャル、パーソナル)

「世界がフラット化しても、壁を設けようとせず、これまでどおり自由貿易の一般原則を貫くほうが、アメリカの国全体として大きな利益が得られる。

 いまのアメリカの若者は、中国やインドやブラジルの若者と競争することになるのを、肝に銘じたほうがいいだろう。グローバリゼーション1.0では、国が、グローバルに栄える方法か、最低でも生き残る途だけは考えなければならなかった。ゴローバリゼーション2.0では、企業が。今のグロバリゼーション3.0では、個人が、グローバルに栄えるか、せめて生き残れる方法を考えなければならない。

 生涯にわたって「雇用される能力」という筋肉をつけるうえで、政府には重要な役割がある。アメリカの労働人口全体の教育水準を高め、刷新することだ。

 いまの生活水準の向上を続けるには、未来を創りつづける人間を生み出すような社会を築くほかに手はない。

 インドと中国は、まず安い労働力と高度のテクノロジーと高度の創造力で、問題の解決に専念し、自分たちの未来を描き直す。そのあとで、アメリカに的を絞る。アメリカも、同じことが出来る人々をおおぜい抱えなければならない。そう、これが最後の警告だ。」

 ベルリンの壁崩壊とインターネットの普及がもたらした90年代以降の世界的な社会変化の趨勢をかっちりと捉えている。インドや中国との競争を強いられるこれからの若者に何が必要なのかという視点で書かれる後半が面白い。アメリカの国益や、アメリカ人の教育論に至るわけだが、そのあたりの事情は日本もまったく同じだろう。やや煽り過ぎ、だと思うけど。

投稿者 esaka : 13:21 | コメント (0) | トラックバック

●野村総研『2010年日本の経営』

"2010年"シリーズをぞくぞくと出す野村総研。これからの日本の経営について、「最大のフォースである人材の変容(量的な不足感+質的な仕事感の変化)の問題を解決する中心的なソリューションは理念・ビジョンの再構築・再活用である」という提言を柱とするもの。
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「NRIは企業経営者と議論を積み重ねる過程で、人材の変化に経営者が頭を悩ませていることを感じた。 

 ネコ型は、おもしろいと思う仕事、自己形成に役立つ仕事・企業には強い興味を示す一方で、会社や組織への忠誠心は希薄。若い人に多い。……背景には、社会人になるまでの成長環境の影響がある。少子高齢化のなかで、一人の子供を・・多くの大人が取り囲み、その結果、幼少期から自尊感情を強く持ち、実態以上に有能感を持ってしまった。また幼少期から豊かな生活を送っているため、高度成長期のような「豊かになりたい」は目標ではなく、より高度な自己実現を追求する。

 人材がネコ化すると、個々人が異なったベクトルに力強く走ってしまい、企業には「遠心力」が働く。新しい製品・サービスなどの新しい発想は異才から生まれやすいが、さらに新しい発想がより大きな力になるためには、異才を融合し、一定の求心力を持って組織化されていることが望ましい。そこで求心力をいかに生じさせるか。具体的な指示命令や計画・戦略というよりも、心の奥底に響かせることが重要である。

 ネコの時代に求心力おtなる手段は「理念・ビジョン」だと考える。
 日本企業の経営において理念・ビジョン(古くは社是・社訓)は古くから存在していた。しかしマネジメントの施策として効果的かつ本質的に機能してきた時期は、過去に二回存在し、2010年代は、理念・ビジョンが重視される3度目の時代となる。
一度目 江戸時代の商家時代
二度目 戦前戦後の起業時代
三度目 2010年代へ向けて

{時代を越えた共通項}
・多様な人材のマネジメント基盤
・困難に立ち向かう局面で必要な拠り所
・経済的処遇を補完する求心力

 2010年代にあるべき理念・ビジョンを起点にした経営モデルを、NRIは「ビジョナリー・エクセレンス」と名付けた。ビジョナリー・エクセレンスとは、理念・ビジョンを従業員に響かせ、持続的に体現する好循環を生み、他のステークホルダーも響かせ、企業価値を高める経営モデルである。」

 従業員に対しても、顧客に対しても、何を提供できるのか、という根本的なところで、混乱している今、改めて、"ビジョン"を再構築し、提言しようというのは、経営者のみならず、政治家を含めて、あらゆる個人が考え直す必要がある・・ように思う。それは、これからどう生きるのか、というような価値観の問題とも言えて、そんなことをシンクタンクに言われなくてはならないというのも・・なかなか難しい時代だということだろう。

投稿者 esaka : 01:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月25日

●小島寛之『エコロジストのための経済学』

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「環境問題をなかなか解決できないのは、人間が愚かだからではなく、まったく逆で、賢く合理的に経済行動をする生き物だから、ということだ。つまりこの本では、人間の「合理的行動」がどのようなメカニズムで環境を毀損し、またどうしてそういう状態から自律的に脱出できないのか、それを説明している」

「現実の環境問題を解説し、それを受けて、その環境問題と関連のある経済理論を紹介する手順である。具体的には、地球温暖化問題からコモンズの理論へ、広域大気汚染問題から戦略的ゲーム理論へ、干拓問題・ダム問題からケインズ理論へ、水俣病からコースの定理へ、という具合だ。・・読者は、歴史的事例のおさらいできるばかりでなく、現代の経済理論をも総覧することができる。」

 環境問題をフォローしながら、経済理論の考え方がざっくりと理解できるというすごい構成。ロンボルグや山形氏の発言(浅田彰氏との論争にも)など広く目配りもされている。
 そして、「確かに経済システムは、環境問題の解決を邪魔している主犯格だが、逆に環境を主役に据えることで、現在のものよりもっと好ましい経済システムをつくれるかもしれない」という主旨で、現在の経済システムの代替案を検証。
 続編が読みたい。

投稿者 esaka : 15:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月20日

●小島寛之『確率的発想法』

"確率的発想法"とは、"不確実性をコントロールするための推論のテクニック"。ベイズ推定、ロールズの「正義論」……刺激的な展開。
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 中西準子の「リスク・ベネフィット」への批判もあった。

「環境リスクをある地域が受け入れる場合、損失余命の水準だけではなく、経済機構全体をよく理解し、ほんのわずかなトラブルが商品価格をカタストロフ的に変えてしまうことをきちんと見込んだ上でなければ、それは合理的な選択とはいえないでしょう。」

う〜む・・。

 自動車の社会的費用について・・1967年、運輸省は自動車の社会的費用は、一台あたり7万円と発表。自動車工業会は、1971年に一台あたり6622円と報告。野村総研は、17万8960円と発表。その後宇沢弘文は、一台当たり年間200万円と試算。運輸省の試算方法は、交通施設の整備、自動車事故の損失額、交通警察費、交通思想普及費、道路混雑による損失などを計算し、その合計額の増加分を自動車増加分で割る。野村総研は、これに排ガスによる環境汚染の費用も計上。

「宇沢は、まったく異なった発想から自動車の社会的費用を計算しました。基本に据えられていたのは、「自動車の存在によって何が失われているのか」、逆にいえば「自動車社会を選択しなければ何が享受できたのか」、という根本的問いかけです。宇沢はそれを、「市民の基本的な権利」としました。……市民的権利が保証されるために最低限度必要なこととして、車道を左右4メートルずつ広げ、歩道と車道を並木によって分離することが必要であることを主張し、これに必要な費用を一台当たり年間200万円と計上したのでした。」

 う〜む・・。

投稿者 esaka : 17:11 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月16日

●『Mobile2.0』

 個人的に楽しめたのは6章の木暮祐一氏「進化する端末、変わるコミュニケーション」。

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「世界では通信キャリアがあくまでコミュニケーションを媒介する「経路」のひとつという位置づけであり、サービスは事業者を越えて利用できることを前提に考案されている。
 通信キャリアが独自サービスを展開しやすい環境において、Mobile2.0の世の中が構築されたのも事実だが、いっぽうで通信キャリアの施策によっていつまでも閉鎖的な状況が続いてしまうようであれば、今度はMobile2.0の概念においても世界から取り残され、落ちこぼれてしまう懸念もある。」
「・・すでに、携帯電話サービスのグローバル化は進んでいる。そして、日本のユーザーもオープンな環境の便利さに気づき始めている。
 今後は自由な携帯電話サービスのメリットを享受するため、国外の端末を活用したり、あるいは海外の通信キャリアのサービスと日本の通信キャリアのサービスを比較検討したりするような環境が整っていくはずだ。
 端末と通信キャリアを自由にセレクトできる、そして現状の「ネイティブ機能(iモードや、メール機能など)」は通信キャリアごとのネットワークでなく、アプリケーションをダウンロードすることで、どのキャリアのユーザーでも好きなプロバイダーなどを選んで自由に利用できるようになる。そんなオープンな環境こそがMobile2.0時代の理想的なユビキタスサービスだろう。
 また、モバイルIP電話の普及、さらにFMCの導入によって、電話にお金を払う時代は近い将来終わると私は考えている。」

 このあたり、先のエントリー(石川温『ケータイ業界9800万人争奪戦』村井純「アンワイアードとインターネット」)で感じていた懸念とかなり重なる。キャリアの過度なコントロールもすでに限界。目先のちょっとした端末やサービスの変化に右往左往している内に、あっという間にオープンな環境が整い、海外サービスとの競合になるんだろう。そのとき、まだ「日本のケータイは進んでいるから、大丈夫」と言えるだろうか・・?

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2006年09月18日

●赤羽紀久生『進化する紙メディア』

 情報のデジタル化と情報流通のネットへの移行は、多くのメディアに大きな変革を起こしているが、紙メディアにも、もっと進化した形があるはず、という広告グラフィックの専門家からの声だ。このところ、紙メディアでも、制作工程がデジタル化され、以前よりかなり効率化されたように思えるのだが、旧態依然とした非効率的な体質は相変わらずという。

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 確かに、制作フロー、ユーザーとの関係、広告の形・・あらゆる局面で、常に新しい可能性が模索され、試されているネット業界を眺めていると、紙メディアも、もっとさまざまな変革と実験が可能ではないか、と考えるのは自然だと思える。
  
 ここでは、紙メディアのワークフローの再構築することで、マルチユース、パーソナライゼーション化、コストダウン・・などの改革が可能だという。具体的には、欲しい情報をまとめて届けるマイマガジン、クロスメディアの実験場としての交通広告、折り込みチラシをまとめたフリーペーパー、消費者が発信する紙メディア・・。IT業界を横目に眺めながらの、将来的な可能性が探られている。
 
 状況のわりに危機感がなく、改革が進んでいない印刷、出版業界の現場に対してのいらだちのようなものが伝わってくる。また、だから、今こそ面白いと感じているのだろうが、紙とウェブを経験している者として、そのあたりの感覚は共感するところ。

投稿者 esaka : 23:51 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月17日

●アルビン&ハイジ・トフラー『富の未来』

 長い本のわりに、深みをもった印象がないが、気になったところをメモ。
 

「時間、空間、知識の使い方が革命的に変化している事実を背景に、もうひとつ予想されなかった歴史的な動きが起っている。「生産消費」が復活しているのだ。
 太古の昔、われわれの祖先は食料、衣料、住宅をみずから生産していたのであり、通貨が発明されたのははるか後のことだ。その後、何万年もの間に徐々に、人類は生産消費を減らし、通貨と市場に依存するようになった。この点を考えた人の間でも、生産消費は減少しつづけるというのが常識になっていた。
 だが、正反対の動きがいま起っている。生み出す経済的価値が増え、金銭経済に提供する「タダ飯」が増え、その経路も増えている。金銭経済の生産性を高めているのであり、WWWとリナックスの例が示すように、世界でもとくに強大な政府や企業の一部にすら挑戦している。……
 生産消費による金銭経済への刺激の効率をもっと高めるにはどうすればいいのか。富の体制を構成する二つの部分の間で価値がもっとうまく流れるようにする方法はないのだろうか。リナックスとWWW以外にモデルはないのだろうか。報酬が支払われてこなかった貢献に報酬を支払う方法はないのだろうか。おそらくコンピュータを使った多角的なバーターか、ある種の「準通貨」が使えるのではなだろうか。」

「第二の波から、経済中心の考え方が生まれた。文化、宗教、芸術はすべて副次的な重要性しかもっておらず、マルクスによれば、経済によって決定される。
 だが、第三の波の革命的な富では、知識の重要性が高まっていく。その結果、経済は大きなシステムの一部という地位に戻り、良かれ悪しかれ、文化、宗教、倫理などが舞台の中央に戻ってくる。」

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 というわけで、「第三の波」理論に合わせて、最近の世界の事象がピックアップされている。著者の関心に沿ったニュースブックマーク集を紹介された、という感もある。インターネット登場以後、まさに"時間、空間、知識の使い方が革命的に変化し"、かつては一部の知識人しか集められなかった情報が、誰でも簡易に手に入れることができるわけだから、世界の出来事を広く薄く網羅的に紹介して何かを言わんとするタイプの識者にはやや辛い時代に入ったかもしれない、というのは言い過ぎか・・。

投稿者 esaka : 02:19 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月02日

●兼元謙任『グーグルを越える日』

 先日出版された白田秀彰氏の『インターネットの法と慣習』を担当されたソフトバンクパブリッシングの上杉達也さんに、以前送っていただいていた本をようやく読む。OKweb社長の自伝だ。

 またベンチャー起業家の自慢話かな・・と思いながらページをめくり始めると、兼元氏の波瀾万丈の人生にビックリ。会社設立前には、2年ほどホームレスだったという。その成り行きや、そこから脱出するバイタリティに引き込まれる。また、企業の拡大を目指すが、ただ利益至上主義ではない、という志向が大きな特徴。

 OKwebのビジョンは、以下のようなものだという。
 

「世界知識資産(みなさんの知恵、経験を蓄積し、新しい価値を共有するデータベース)の創造。…
 2006年にはアメリカ、中国、韓国の3カ国にオーケイウェブを広めます。…そして2010年までに100カ国を目指します。売上、利益もグーグルを越えるレベルにしたい。しっかり儲けます。そして社会に還元します。…
 一番乗り越えなければならない壁は、「偏見」でしょう。それぞれが、それぞれに、自分たちの文化や生活に誇りを持ちながらも、相手のそれらに敬意を持って接することを、「偏見」は阻害しています。…
 世界の相互誤解を解きながら、個人個人が相互に有用な知恵・経験を売り買いできる世界。そのインフラを築き上げていきたいのです。」

 社会変革を、というような抽象的で大きな目標は、身近なところで、相反する事態を生み出すこともままあって・・事業の着実な成長を期待したい、という気分。

投稿者 esaka : 01:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月23日

白田秀彰『インターネットの法と慣習』

Hotwiredでの連載の一部を新書化。いやぁ、めでたい。

"ネットワーク時代の法"をどう捉えればいいのか・・。

「法はすでに出来上がっているものではないし、誰かが決めるものでもなくて、自分たちが発見して発展させていくものでもあるんだ、ということを分かってもらいたい」

というわけで、英米法と大陸法の成り立ちやアメリカと日本の法の重みの違いを説明するところから始め、匿名の問題や政治的に活動することが忌避されている日本の現状を指摘した上で、"いかに法を成立させうる政治的回路をネットワークに実装するか"を考える。

 ありがちな"インターネットと法律"に関する本とは大きく異なるわけだが、あとがきで書かれている白田氏のこの姿勢が、すべての根幹だと思う。

「何事も相対化し、原理的にかつ合理的に考えることが大事なのだろうと私自身は考えています」

 こうした姿勢や思考法は、まさに"ハッカー的"だと感じる。コンピュータ技術者がプログラムを読み解き、改良していったりするのと同じように、法学者の白田氏は、現在の社会を、「国家だって政治だってシステムだ。もっと良い動かし方がありうるんじゃないだろうか」と考えた。

 一般的には、"Life hacks"というと、仕事の生産性をあげるための時間管理術やデジタルツール利用術だが、文字どおり人生をハックする、と捉えると、白田氏のアプローチは、まさに"Life hacks"だ。

 こうした"何事も相対化し、原理的にかつ合理的に考える"という思考展開は、ある世代以降に多くみられる。モリエモン氏は、"金儲け"をハックし、はてなの近藤さんは、"会社運営"や"サービス"をハックしているとはいえないか・・。

 ちなみに、この連載の最終回のタイトルは、「現実2.0」。評論というよりも、啓蒙書、アジテーションともとれるこの本は、白田氏版「ハッカー党宣言」と言えるかも。

投稿者 esaka : 18:31 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月11日

携帯電話ユーザー調査データ

 『ケータイ大国のモバイルビジネス入門』の巻末に、ビデオリサーチインタラクティブ社による携帯電話ユーザー調査データ「ケータイ2006」と、インフォプラント社による「定例リサーチ」が、掲載されている。個人的には、調査の中心部分のケータイの利用状況よりも、調査の末端に10代、20代のライフスタイルの一部がうかがい知ることができて楽しめた。

・携帯電話、現金以外で、外出時に持ち歩いているものは?
手帳、ガム・タブレット・あめ、ペットボトル飲料、クレジットカード・・と、ふ〜ん、と読み飛ばしていると、最後に、目薬(男性20歳代 35.8%、女性 47.2%)。
・朝どうやって目を覚ましますか?
男性20歳代 79.6%、女性20歳代 87.5%が、携帯電話のアラーム。

いやぁ〜、知らないことは多い・・。

投稿者 esaka : 15:53 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月05日

岩田昭男『ドコモが銀行を追い抜く日』

 携帯業界の動向分析ではなく、クレジットカード業界の専門家によるカード業界の最新動向分析。ドコモのおサイフケータイ登場で、この2つの分野が急速に結びついた。メガバンクの合従連衡ぐらいは知っていても、カード業界の動向には、まったく関心がなかったのだが、ここ数年の金融再編の大きなうねりの中、クレジットカード業界も激変の最中にあることをようやく知る。

「それにしても、なぜ、いまになって急に電子マネーなのだろうか、なぜ、6つの電子マネー(ビットワレットノEdy、JR東日本のSuica、ドコモと三井住友カードのiD、UFJニコのノスマートプラス、JCBのクイックペイ、セブン&アイ・ホールディングス)がデファクトスタンダードを巡って争うようになったのだろうか。それはいままで手付かずだった小額決済市場を取り込もうとしているからだ。
 …カード会社は小額市場は儲からないとタカをくくってきた。…ところが、小額決済のボリュームがどんどん大きくなっている。…コンビニでの買い物に代表される小額決済は60兆円ともいわれるが、それがいまや社会の主流を占めるようになっており、そのボリュームはひじょうに大きなものがある。クレジット事業者はそこを見逃していたわけだ。もはや百貨店の時代ではないのだ。…
 そんな中に、フェリカ仕様の電子マネーが登場して、かざすだけで支払うことができる簡便さから、急速に勢力を伸ばしている。」

構成がうねっていて読みにくい感もあったが、携帯にクレジット機能が付加されることの業界内の衝撃はわかった。
 

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2006年05月25日

●吉本佳生『金融広告を読め』

 橘玲氏の本で紹介されていたので、少し読む。金融機関の広告の架空サンプルを具体的に取り上げて、その読み方を解説する、というもの。
 サンプルが大量にあるので、面倒なのだけれど、読めば読むほど、こんな広告が許されていていいのか、と驚くようなものばかり。それも、とんでもなく巧妙。金融機関の広告に感じられるある種の"胡散臭さ"が、具体的に示された、といったところ。

「筆者は、銀行や証券会社や保険会社などの金融機関は、歓楽街にある"風俗産業"と同じような商売のやり方をやっていると思っておけば、おおむね正しいイメージでつきあうことができる、と考えています。」
「実現はたぶん無理でしょうが、問題解決の考え方として、ぼったくり金融商品を社会から駆逐したければ、消費者ひとりひとりが判断力を高める以外に方法はない、との認識に立つべきです。」」

 結局、自己責任しかない、ということなのだが……昨日も、こんなニュース(「大手銀、空前の好決算」)を読んだところで、なにか笑うしかない。

投稿者 esaka : 15:47 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月22日

●橘玲『臆病者のための株入門』

 株や投資にはあまり積極的な関心がないのだけれど、橘玲氏が書いたものとなれば、とりあえず読まないわけにはいかない。
 投資関連の書籍は大量に出ているから、それだけ投資ノウハウの解説書は、多くの需要があり、また多くの説があるのだろうが、橘氏の論は、相変わらず、
論理的で明快。

「株式市場ではたらく人たちはこれまでずっと、
ギャンブルはうさんくさい。
株式投資はうさんくさくない。
だから、株式投資はうさんくさくない。
という三段論法でひとびとを納得させようと躍起になってきた。…困ったことに、どんなに否定しようとも、株はやっぱりギャンブル(偶然のゲーム)なのだ。
…考え方をコペルニクス的に転換して、株をギャンブルと認めてしまえばいいのである。
ギャンブルはうさんくさくない。
株式投資はギャンブルである。
だから、株式投資はうさんくさくない。
…だから、大事なのは、すべての参加者に公正で公平な投資機会が与えられる開かれた市場を作ることだ。そうなれば、株式投資についてのみんなの見方cはずいぶん変わるだろう。」
「未来の株価を必ず当てるアナリストがいるとすると、投資家は彼の予測のみにしたがって売買しようとす考えるから、特定の投資家が世界中のすべての富を独占するか、誰も儲からなくなるか、いずれかの結論になる。これは論理的な必然であり、そうした事態が起きていない以上、「必ず当たるアナリスト」が存在しないことが証明できる。」
「資本主義は自己増殖するシステムである。日々の経済活動のなかで差異を見つけ、それを富に変え、そこからまた差異が生まれ……。資源問題や環境問題など外的な制約がなければ、理論的には、この運動は無限につづく。だったら、「市場ポートフォリオ」への投資とは、グローバルな市場そのものに投資するということではないだろうか。」
 橘氏の投資法が、その筋の人たちにどう受け止められているのかはわからない。けれど、その論理的な展開はしごくまっとうに思える。また、株式市場関係者ではない、という冷めた視線も、かっこよく見えるところ。

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2006年05月09日

●アレックス・ライトマン『アンワイアード』

 はぁ…。また間隔空いてしまった・・。ブログを書く、という習慣をいったん失うと、なかなか手を付けられなくなる。

 さて、ネット環境は、ワイアード時代から隔日にアンワイアード時代に突入している。電波の問題は、有限であるが故に、先の池田氏『電波利権』のように既得権、政治と密接に結びつき、ただ技術の先行きを語って済む問題ではないのが、虚しいところがあるのだが、この大きな転機に、ビジョンを語るのは、やはり必要だろう。

 というわけで『アンワイアード』。サブタイトルは、「果てしなきインターネットの未来──4gへのシナリオ」。

「4Gは第4世代の略語だけでなく、自由(Liberty)、友愛(Fraternity)、平等(Equality)に続く4番目の善である自由(Freedom)も意味している。4G装置は、どのような種類の情報にも安全にアクセスでき、巨大なエーテル空間にフィードバックすることを可能にする。この巨大な空間は、現在、インターネットと呼ばれているが、やがてこれよりはるかに大きなものに変身すると思われる。」
 ここで描かれるのは、「ウェエアラブルコンピュータと無線ユビキタスコンピュータ」「GUIに代わるインターフェイス」「拡張現実」……と、3Gから4Gへという、ケータイ端末の技術革新ということではなく、すぐ先に、「攻殻機動隊」をイメージさせるほど、その視線ははるか先を向いている。

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2006年03月29日

●池田信夫『電波利権』

また、間隔が空いてしまった・・。
時代は、確実にワイアードからアンワイアードへ、そして放送と通信の融合へ、そのコアには電波がある。ただ、この電波は既得権と政治が絡む複雑な利権構造のただ中にある。技術やビジネスの最前線だけ追っていると、この"政治"の部分はなかなかわからないが、この構造を描き出していることに、この本の大きな意義がある。

「無線通信の発展をさまたげるボトルネックは、技術ではなく周波数を政府が割り当てる社会主義的な制度にある。このため電波が政治と密接にむすびつき、既得権が強く守られる一方、新しい技術には実用性の低い帯域しか割り当てられない。・・
 こうした非効率性は世界共通の問題だが、日本の場合はとくに政府と業界の「談合」的な体質が強く、携帯電話やデジタル放送への参入なども既存企業に偏っている。・・さらにテレビ局も新聞社もこの談合の輪に入っているため、アナアナ変換への国費投入のような疑問の多い政策についても、ほとんど報道すらしない。」

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2006年03月07日

●日経コミュニケーション編『風雲児たちが巻き起こす携帯電話崩壊の序曲』

 いやぁ、久しぶりのエントリーになってしまった・・。
 さて・・ソフトバンクによるボーダフォン日本法人買収にはびっくり。ちょうど日経コミュニケーション編『風雲児たちが巻き起こす携帯電話崩壊の序曲』を読んでいたところ。ソフトバンク、ライブドア、イー・アクセスなどの携帯電話新興事業者の動向、そしてドコモ、au 、ウィルコムの既存事業者の対応の動向を追って、携帯電話業界の今をレポートしたものだ。

 昨年12月に出された本で、その段階の"今"はひじょうによくわかるのだが・・ここ3ヶ月で状況は大きく変わった。ひとつの焦点は、ソフトバンクの携帯参入のための格闘だ。ここ数年だけでも、次々と方針を変えてきたソフトバンクだが、まさかボーダフォン買うとは。また、ライブドアの行った事業の中で、もっとも面白いと思われた無線LANの面的展開も、今や・・。というわけで、この本の賞味期限も2006年いっぱいぐらいかな、とは思っていたが、半年もたないとは。「モバイルの番号ポータビリティ」に向けて、ドラスティックは動きはまだ続きそうだ。

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2006年02月03日

●小林雅一『コンテンツ消滅』

 音楽用CDを再販制度から除外(→yomiuri online)、インターネットを使った番組配信を「有線放送」扱いにして、著作権手続きを簡素化する(→東京新聞)・・と、ここ数日、知的財産戦略本部が続々と、"コンテンツ大国"に向けた提言を続けている。その目的が、名目どおりになるかどうかはさておき、これらの提言は評価できる。
 さて、この本は、iTMS日本開始前の04年11月に書かれたもの。ファイル交換によって衰退する音楽産業、劣悪な労働環境によって空洞化するアニメ産業・・その行方は、"コンテンツ消滅"する、と憂う。
 個人的には、現状の音楽産業が、規模を縮小することになっても、"音楽を愛する者"の絶対数は、世界的に、ますます拡大していくはずで、音楽産業のあり方が変化だけではないか、と思っているが・・出版は・・。

「サーバー型にせよP2P型にせよ、従来メディアよりも格段に低コストで情報やコンテンツを配信できる。これによってプレイヤーの数が飛躍的に増える。・・
 そうした変化になかにあって、紙の印刷物や光学ディスクなど物的メディアは全体に占める割合が低下する。しかし、だからこそ、今まで以上に特権的なポジションを占めるようになるだろう。
 すなわちクリエーターへのチャンスとコンテンツの多様化が拡大する一方で、より貴重な、あるいは影響力のあるメディアに載るための選別も厳しくなる。さらに批判的ニューメディアと伝統的巨大メディアの健全な均衡関係が生まれ、全社が後者に変革を促す。そして人々の文化的選択肢が広がる。
 以上は理想的な一例にすぎないが、要は自由度と秩序のバランスが確立される必要がある」

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2006年01月31日

●西正『IT vs 放送 次世代メディアビジネスの攻防』

 既存のメディアが、ネットの登場によって、その将来を危ぶむ・・というのは、インターネット出現以降、よく見られてきた姿。思いつくところでも、津野海太郎『本とコンピューター』(93)、湯川鶴章『ネットは新聞を殺すのか』(03)、津田大介『だれが「音楽」を殺すのか?』といった本がそうした問題を扱っていて、出版、新聞、音楽産業の順で、デジタル化への対応に直面してきた。その流れでいえば、この本は、「ネットはテレビを殺すのか?」といったもの。

 去年から騒がれている"放送と通信の融合"というと、よくあるのはITを専門とする者が、通信が放送を飲み込む、というスタンスで話を展開させがちだが、この本は、どちらかというと既存のメディア側にたって、変化せざるをえない今後の対応、選択肢を詳細に模索するというもの。それゆえに、IT専門家が語るより、リアリティがあるともいえる。

 例えば、NHKの受信料制度や、民放のテレビ広告市場の縮小によって、地上派放送のビジネスモデルが限界に達し、無料放送が消滅することを恐れる。これによって、

「結局のところ、今の地上波放送のビジネスモデルが大きく変わることになれば、視聴者にとって不幸のシナリオしか描けそうにない。何事もほどほどにしておくことが肝要である。既存の地上波放送のビジネスモデルが壊れつつあるのは利便性優先主義によるものとはいえ、誰もが盤石と思って安心しきっていた足元の部分が少しずつぐらつき始めていることに、視聴者自身も早く気がつくべきだろう。」
まさに大人の発言だが、同じ立場にたっての"規制"は目にしたくないもの。

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2006年01月24日

●橘玲『永遠の旅行者』

 一般的には、"Lifehacks"というと、仕事の生産性をあげるための時間管理術やデジタルツール利用術だが、文字どおり人生をハックする、と捉えると、もう少し別の使われ方をすべきだと思っている。個人の人生をハックするには、社会システムを分析せねばならず、その社会システムに対して、個人が何をできるのかを考え、アプローチするのが、"Lifehacks"だと思うのだ。

 そうした意味で、橘玲氏はまさに真の"Lifehacker"。橘氏のこれまでの著作は、表面的には節税・利殖法が書かれているわけだが、現代社会の中で、「真に自由な人生を生きる」ということを合理的に考えた結論が、国家に拘束されない究極の自由=「PT(Perpetual Traveler)」という姿だ。よくある利殖本は、ただこの目的のための手法を解説しているわけだが、橘氏は、常に、"自由"というものがあり、PTや節税はその手段にすぎないのだ。橘氏の特徴は、その切れ味するどい合理的思考と、背景にある醒めた視線だ。

 この小説は、まさにそのPTが、本のタイトルとなっている。相変わらずの鋭い情報分析能力が披露されているが、小説という形式がよかったのかどうかは、少し疑問の残るところ。それもできてしまうところが、橘氏ならでは、なのだけれど。

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2006年01月08日

●『10年後の日本』

 正月になると、未来予測を確認したくなる・・というわけで、『日本の論点』編集部編による未来予測。世界経済、政治の項目は、ちょっと?と思うところがあったけれど、気になったところをメモ。

・団塊世代(1947〜49年生まれ)の700万人が、2005年から大量に退職し、人手不足、消費の低下が経済に影響を与える、という2007年問題。
・貯蓄率が急激に低下。91年13.8%、2002年5.2%。原因は、景気の低迷と高齢化。2010年には3%まで低下。
・アメリカの要求ではじまった司法制度改革。米政府通商代表部は、日本の裁判の迅速化をはかるために、法曹人口の増員を要求。これが法科大学院設立を後押し。だが、財政難から裁判官、検察官を増やす予定はないため、弁護士だけが大増員される。弁護士間の競争が激化。さらにアメリカのローファームが、日本をあたらな市場として進出を狙う。
・オフィスビルの供給過剰。団塊世代の大量定年。2010年問題と呼ばれるオフィス需要の減少。
・70年代後半〜80年代にかけて誕生したY世代は、経済成長をまったく知らずに育った。物質欲が強くない。学歴信仰も崩壊。子どもの頃から、パソコン、ネットを使いこなしてきたが、おたく世代とは明らかに異なる。一方通行のコミュニケーションよりも、他者との交流を重視する。メールを頻繁にやりとりすることから、文字文化に親近感を持つ。
・東京への一極集中は進み、ピークは2015年。
・少子化で教員あまりになるはずが、それを上回って不足。1970年代前半に、第2次ベビーブーム対策として大量に教員を採用したため教員の年齢構成がいびつ。これから10年で定年退職を迎える。大学教員養成過程の定員は、この20年、分科省の指導で縮小傾向。ここへきて方針を転換したが、国立大学も独立行政法人になり、影響力を及ぼせない。教員の大争奪戦。

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2005年12月12日

●ジョン・バッテル『ザ・サーチ』

「Googleとそのライバルたちは、ビジネスのルールを、メディアを、我々の文化を、どのように書き換えてしまったのか?」と帯にあるとおりまさにタイムリーな内容。

「検索の分野に関わる技術者は口をそろえて、検索はまだせいぜい5パーセントしか解明されていないという。その可能性の二桁も利用できていないと強調する。しかも検索エンジン自体が驚くべきスピードで変化している。・・
 ここでは、完全なる検索の世界というものを想像してみよう。それはどのようなものだろうか。
 なにかを質問して客観的な回答を得るのではなく、完全な検索をして「あなたの」完全な回答を得る、あなたの質問の文脈と意図に適した回答、不気味になるほどの正確さで、あなたがだれであり、なぜ質問したかを知り尽くした上での回答を得る・・。これが完全なる検索の世界である。」
 グーグル以前以後のネットビジネスの変遷、「検索」の枠を越えつつある「検索サービス」・・さまざまな読み方ができるが、個人的には、「検索」と「編集」の関わりを考えながら読む。爆発的に増大するデータの中から、選択(加工)して、提出することは、検索エンジンの役割でもあるけれど、編集業が担ってきた役割でもある。検索エンジンがつきすすでいる「パーソナライゼーション」は、これからますます洗練されていくだろうが、それが「完全な姿」でないかぎり、そこに人が介在する余地があって、先のエントリーのようなネットコンシェルジュもそうした需要をみたすものだろう。

 いっぽう「編集」には、情報の生産を補助し効率化する役目もあるわけだが、こちらは、いまや誰もがコンテンツを生み出し、共有できる環境を得たことで、CMSのアーキテクチャがその役割を担おうとしている。特に、CMSでの「権威」と「インセンティブ」の設計が、その要点。

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2005年11月29日

●デビッド・アレン『仕事を成し遂げる技術』

 一部?で注目されている"ライフハック"というフレーズの元になった本(詳しくは、WIRED NEWS )、ということでようやく読む(途中からすっ飛ばし読む)。

「現代のように、豊かではあるが、混迷に時代にあっては、成功し、リラックスし、自らをコントロールするためには、これまでとは違った考え方と働き方が必要です。私たちが世界の頂点に立つ新しいメソッド、テクノロジー、労働習慣に対するニーズは大きなものがあります」
というように、個人の仕事の生産性をあげるための時間管理術やTipsみたいなものが書かれているわけだが、やはり・・あまり縁がない類いの本だった。基本的に、仕事の効率をあげるためのノウハウ読む暇あったら、仕事する。

 仕事の効率をあげたり生産性をあげるための技術として「ライフハック」というフレーズが使われているわけだけれど、人生をハックする=ライフハック、と考えると、もっと別の局面で使われるべきだと思う。個人の人生をハックするためには、社会の制度設計について考えねばならず、そうなると経済学とか法について学ぶ、ということが、誰にとっても必要な「ライフハック」術だと思うのだけれど。

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2005年11月23日

●けいはんな社会的知能発生学研究会編『知能の謎』

 このところ、"サイボーグ"に肩入れしすぎている感があったので、「ロボット」の学習。ちゃんとやらないと、とはずうっと思っていて・・。この本は、ロボットを使って、人間の知能が発達する過程と原理の解明を目指す「認知発達ロボティクス」を紹介してるわけなんだけど、う〜ん、よくわからない(笑)。"無数の可能性"がある、とは確かに言えるが、直面している問題の範囲が大きすぎて、この分野の"森"の全体像が把握できない。入門以前からはじめよ、ということなんだろうけど。

 「知能」に対するアプローチでは、ジェフ・ホーキンスの『考える脳 考えるコンピュータ』が、だんぜん面白く感じられるのだが、ホーキンスの考え方への反論、評価を調べてないので、これも手探り状態。

 しか〜し、討論会形式の章からは、若手研究者が柔軟な志向を持ちつつ、さまざまなアプローチを試みているこの分野の面白さと熱気は伝わった。

投稿者 esaka : 18:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月19日

●稲葉振一郎『「資本」論』

 このところの関心のひとつの「サイボーグ」つながりで、以前送っていただいた稲葉氏の新刊のエピローグに、面白い"サイボーグ論"があったことを思い出しメモ。

「我々の社会においては、いまだ端緒的なものではありますが、一部で「ポストヒューマン」と呼ばれているような動向ーーリベラルな価値観・社会観と両立する形での、人間改造への志向が高まりつつある、と言えます。(略)
 リベラルな社会での、市場経済の論理にのっとった人体改造は、当然のことながら、財産の格差に基づく不平等を、より一層強めます。(略)
 本格的な遺伝子操作やサイボーグ化により、人間が互いに物理的・生物学的に著しく違った多様な存在へと分岐してしまえば、当然に感受性のありようもまた分岐していかざるをえないでしょう。しかしそうなってしまえば、ヒューム的、スミス的な意味での共感の可能性は損なわれていき、ひいては「人間同士」という(略)公共圏もいよいよ解体に向かっていくでしょう。」
この本の本筋は、
「私的所有、市場経済、そして資本主義という秩序は、生身の人間存在に対してかなりのストレスをかけるものである。それでもなお私的所有という形式と、市場経済という社会の場は基本的に肯定されなければならない。大した財産を所有していない人間であっても、あえて労働力=人的資本という資産を所有する者として、この私的所有、市場経済、資本主義の秩序が支配する世界のうちに踏みとどまるべきであり、私的所有という制度そのもの、市場という仕組みそのものを拒絶し捨ててはならない。」
というひじょ〜に刺激的なものなんだけれど、教養のない者にとっては、トマス・ホッブズ、ジョン・ロックからか〜、という戸惑いも読み始めにはあって、基礎なきへたれ向けに、「なぜ今、この本が書かれたのか」という、プロローグのプロローグがあると嬉しかったです・・。

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2005年11月17日

●岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』

 やらなきゃいけないことたくさんたまっている時に限って、それらとは直接関係ないもの読みたくなる。ってことで、以前から読まなきゃと思っていたこの本に手を出す。で、斜め読み。ヨーロッパ思想の基礎、ギリシアの思想とヘブライの信仰の変遷、系譜を解説してくれてわかりやすい。
 ギリシア思想の説明を読みながら、挿入されているギリシャ彫刻の写真を見ていると、生まれてはじめて!・・笑、ギリシャ彫刻が美しいを思った。部屋に置いてもいい。

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2005年11月10日

●八木正一『ドラえもんの音楽おもしろ攻略 楽ふがよめる』

 素人向けの楽典書をいくつか読んでみたのだけれど・・青島広志「やさしくわかる楽典」、池辺晋一郎「おもしろく学ぶ楽典」、辻志郎「誰でもぜったい楽譜が読める!」・・"ド素人"には、どうもぴんとこないものばかり。

 結局たどりついたのが、「ドラえもんの学習シリーズ」。これはよくできている。さすがに情報量と深みには限界があるけれど、音楽の理論と楽譜の読み方をわかりやすく教える、という基本的なノウハウに関しては、他の本よりも優れているように思える。

 この「ドラえもんの学習シリーズ」、ほかのものも読みたくなった。気になるのは、「日本の産業がわかる」「力と電気・音・光がわかる」「俳句・短歌がわかる」「地図がわかる」「絵とデザインがとくいになる」。すげぇな、ドラえもん。「ドラえもんの リフレ政策入門」「ドラえもんの Web2.0攻略」なんかもあるといいかな・・w。

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2005年10月25日

●三浦展『下流社会』

 9月の刊行時には、書店で手に取ったのだが、なにか気が滅入りそうだったので買うのはやめていた。だが、先日、佐々木俊尚さんにいただいたブログの原稿「パソコン・インターネットは"貧者の娯楽"?」が面白かったので、再び手に取る。
 いやぁ、面白い。30代前半を中心にした団塊ジュニア世代(71年〜75年生まれ)の消費、生活スタイルを綿密に調査することで、その「下流化」傾向をあきらかにしようとする。数字からこぼれ落ちる真実がある、ということはふまえた上でも、並べられた数字のインパクトは強烈。
 

「「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。
 団塊ジュニアは日本の社会が中流になってから生まれた初めての世代だ。だから団塊ジュニア以降の世代は著しい貧富の差を見たことがないまま育った。・・みんながそこそこ豊かだ。それが当たり前なのだ。だから、「下」から「中」へ上昇しようという意欲が根本的に低い。」

 この本の中心となる団塊ジュニアの傾向調査の前提として「階層化による消費者の分裂」が描かれていて、これがまたユニーク(この本の中では例外的な描写だが)。女性を「お嫁系」「ミリオネーゼ系」「かまやつ女系」「ギャル系」「普通のOL系」、男を「ヤングエグゼクティブ系」「ロハス系」「SPA!系」「フリーター系」と類型化。面白いのはその特徴描写。この傾向についての調査が詳しく出ていないので、理由づけがわからないところがあるが・・具体的な人物をはっきり思い浮かべながら、笑った。

■ヤングエグゼクティブ系

「高所得者志向で出世志向も強い従来型のビジネスマン。当然比較的高学歴であり、性格的にもポジティブで趣味はスポーツなど外交的。結婚、家族形成も当然すべきことと考え、まったく迷いがない。一流企業志向であり、典型的には商社、金融、IT系に多い。
・・消費面では、住宅、インテリア、財テク、旅行志向が強く、外車好きである。もちろんネットトレードはしている。しかし、自分自身の独自の個性的な価値観はなく、あくまで、人がよいと思い、欲しいと思うものをいち早く手に入れることに喜びを感じるタイプである。よって、六本木ヒルズ、港区の三井不動産のマンション、BMW、ロレックス、タグ・ホイヤーなど、わかりやすいステイタスが好き。ビジネス用のバッグはお約束でTUMIかゼロハリバートン。」

■ロハス系

「いわゆるスローライフ志向である。この志向を持つものは比較的高学歴、高所得だが、出世志向が弱い。マイペースで自分の好きな仕事をしていきたいと考えるタイプだが、嫌な仕事でもそつなくこなす業務処理能力もあるので、フリーターになるタイプとは異なる。ヤングエグゼクティブ系の男に対しては、教養がなく厚苦しい奴だと内心軽蔑している。
・・消費面では、有名高級ブランドには関心が弱いが、ひとひねりしたそこそこのものを買うのが自分らしいかなと思っている。外車が好きだが、ベンツやBMWではなく、できればジャガーやプジョーがよいと思っている。高級感や値段でおどかすものより、知性と上品さが重要。品質、製造方法、伝統、文化などについての蘊蓄があるものを好む。よって無印良品もやや好き。環境問題に熱心なアウトドアウェアメーカーのパタゴニアなども支持する。」

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2005年10月22日

大航海NO.56 「インターネットの光と闇」

 (ブログとかじゃなく)あえて「インターネットと社会」を論じようとする雑誌企画は、目にすることがほとんどなくなっているが、今回の企画はひじょうに面白い論文が多い。ビジネス面での喧噪に巻き込まれた混乱を越えて、ネットをどう捉えるのかということが、日本の学術界でもようやく充実し始めているのかもしれない。対談:斎藤環×鈴木謙介、佐藤俊樹、北田暁大、荷宮和子、浅野智彦・・。

 ネット利用が人々にもたらす影響を語ろうとすると、世代的な感覚の違い、理解度の差も大きいので、(大学入学時から充実したネット環境が備えられていた第一世代)20代の感覚を十分、感覚的に理解しつつ、言葉で伝えることのできる鈴木謙介氏などの活動は、これから重要になってくるんだろう。
 斎藤環氏×鈴木謙介氏の対談での 若者論は、へぇ〜と驚くことしばし。

 荷宮和子「ネットの持つ力の限界」からメモ。

「つまるところ、ネットでアクティブな層に人気のある「M2的なるもの」=「自身の既得権益を守らんがために、あるべき理想に唾棄し、自己の浅ましさを黙視し、現実を肯定せんとする態度」がまきちらすものとは、洗濯機の中でかきまわされ、やがては下水道に流されていくべき「汚水」でしかないのである。
「だって、いろんなところから汚水はいっぱい出てくるんだもん、仕方ないじゃん!」
 そう言って、次から次へとあふれ出してくる汚水をそのまま放置していれば、やがてそこは、人が住める場所ではなくなるだろう。
 汚水は処理して浄化されるべきである。」

 語り口は過激だが、「現実主義」の台頭と「理想論」の衰退の流れは、ネットの興隆とタイミングが重なっていて、気になっているところ。

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2005年10月19日

●森健『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』

 レッシグ『コード』、ダンカン・ワッツ『スモール・ワールド』、キャス・サンスティーン「サイバーカスケード」、デイヴィッド・ライアン『監視社会』と、近年の最重要論文を引用しながら、環境管理型社会、プライバシーの危機、民主主義の衰退の危険性について、豊富な取材で現場の声をすくい上げながら考察。テーマも、視点もとてもいいし、労作だと思うのだが、少し物足りなさを感じてしまうのは・・どうしてだろう。読者対象がよく見えないからだろうか。情報社会を論じる時は、ある程度知識のある者とそうでない者の理解度の差が激しいので、誰を読者対象にするかで、書き方も変わってくる。「Web現代」で連載されていたようだが・・う〜ん、難しいところ。

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2005年10月13日

●石川温『ケータイ業界30兆円の行方』

 来年から始まる「番号ポータビリティ」と、ソフトバンク、イー・アクセス、ライブドアの新規参入の動向と、これからのケータイ業界の行方をよくまとめてある。
 しかし、個人的には、京ぽんでメールとネットチェックにしか使っておらず、「着うた」がヒットしている"状況"が、情けないことに理解できない。わざわざ音楽をダウンロードして、ケータイで聞きたい、という心情や、シチュエーションがまったくイメージできないのだ。そんなありさまなので、「おサイフケータイ」と言われても、へ?って感じ。定額低料金、フルブラウザ、番号ポータビリティ、IPモバイル、の利便性と必然性はわかるんだけど・・ああ、ヤバい&めんどう。

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2005年10月06日

●芥川也寸志『音楽の基礎』

 そんなこんなで、パンク&ニューウェーブ育ちが、この本読むようになるとは。人生いろいろ、って言うのか、齢を重ねるっていうか……笑。静寂と音の関係から、記譜法、調性、和声、対位法と、まさに音楽の基礎の規則について書かれた本だが、最後の部分から、長いけれどメモ。

「遠い過去の社会では、作曲者は同時に演奏者であり、聴衆がいたとして、それはいつでも立場を逆転しうる一体のものであった。音楽はつねに、作り手、弾き手、聞き手の区別なく存在していた。この三者の関係は時代とともに分化し、現代では録音技術の進歩のおかげで、ついには聞き手はいついかなるところでも、一台のオーディオセットさえあれば、自由に作曲者は演奏者を選択し、わが家の居間でも思いのままにオーケストラを聞けるようになった。・・聞き手とは何の関係もなく、スピーカーは音楽を提供するのである。音楽は一見人間の生活を彩っているかに見える。
 しかし、もはやここには音楽の営みはない。音楽はただ聞き流されているにすぎず、私たちとその音楽とは、何のかかわりも生まれてこない。ちょうど、この世に何十万種類の植物や動物たちが生きていようとも、「植物」という名の植物、「動物」という名の動物、「生物」という名の生きものは実在しえないのと同じように、「音楽」という名の音楽、いわば<音楽そのもの>はつねに私たち自身の内部にしか存在しない。それは遠い昔においても、オーディオが発達した今日においても、また将来においても変わるところはない。私たちの内部にある音楽とは、いわばネガティブの音楽であり、作曲する、演奏するという行為は、それをポジティブな世界におきかえる作業にほかならない。音楽を聞こうとする態度もまた、新たなネガティブの音楽世界の喚起を期待することであり、作り手→弾き手→聞き手→作り手という循環のなかにこそ音楽の営みがあるということは、遠い昔もいまも変わりがない。積極的に聞くという行為、そして聞かないという行為は、つねに創造の世界へとつながっている。
 この創造的な営みこそ、あらゆる意味で音楽の基礎である。」
いやぁ、唸るな。"音楽文化"ということでは、今福龍太氏の『フットボールの新世紀』に収められたエッセイ「幼年期のサッカー」の中の一文を思い出す。

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2005年10月05日

●嶋田 淑之、中村 元一『Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』

 ほぼ1年前に出されたもの、まえがきに「グーグルのマネジメントについて書かれた「世界初」の書籍なのである。」とあるが……読後の印象は……。あまり悪口は言いたくないが、不思議な本ではあります。特にグーグルの日本法人社員多数に取材して、それぞれの人物を描いて"グーグル文化"を語ろうとする2章は、かなり笑えます。はぁ。

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2005年10月04日

●山下清美/川浦康至/川上善郎/三浦麻子『ウェブログの心理学』

 個人的に面白く読めたのは川上氏担当の第一章「インターネット時代のコミュニケーション」。

「携帯電話にしろ、電子メールにしろ、コミュニケーションしている状況を社会関係のなかから切り離すことができるようになって、会話内容も同時に大きく変化した。コミュニケーションの場を支配していた社会的な制約から離れ、その人のもつ社会関係からコミュニケーションを隠すことで、それまでは交わしにくかった内容が自由に交わせるようになった。これらのメディアの登場以前には交されることのなかったおしゃべりが、出会うことのなかった人と人と間で大量に生まれている。それに伴って、私たちの日常の生活行動も大きく変容していくのである。」

「ホームページを自己開示・自己表出の観点からとらえた国際比較研究がある、これによると、自己表出情報は、日本、米国、中国で大きな差が見られる。たとえば、ホームページで性別が明らかな割合は、日本18%、米国24%、中国44%である。さらに、ホームページに日記があるページは日本では、全体の24%(
米国8%、中国4%)。・・これらの結果が示すように、ホームページをもつということは、わが国では、特に自己開示、自己表出の手段として存在しているといえるのである。」

「世界中で存在する無数のウェブ日記やウェブログは、日付という時間軸で相互にシンクロしあっていて、読み手がその時間軸にそってテキストを再構成することが容易にできる。だから、そのようにして再構成されたものは「読み手」が作り上げる独自なウェブ日記ともウェブログともいえるのかもしれない。」

 ネットやケータイ出現以降、徐々にだが、ふと気づくと圧倒的に変化している人々のコミュニケーション様式や、その背後にある知覚の変化を、しっかりを把握する必要があると常々思っているのだが、そのただ中にいると日々の変化を総括することは難しい。この本でも、その全体を捉えきっているわけではないけれど、その試みが行われているだけで、後々貴重だと思う。

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2005年09月27日

●横田増生『アマゾン・ドット・コムの光と影』

 アマゾンジャパンの物流センターへの潜入ルポ。アマゾンは、既得権と古い体質で硬直化している出版+出版流通+書店業界に、黒船として乗り込んできた 一見華やかなIT企業だが、外に出す情報を極力管理する"秘密主義"でもある。そのアマゾンの "物流"の現場に "潜入"という、企画の勝利。
 絶賛するには、アマゾン全体が描かれていないように思うが、かといって、企画はすばらしく貶すつもりもない。アマゾンのビジネスモデルの取材分析と、千葉の物流センターのルポ、と内容は大きく二つに別れるが、後者の様は、アマゾン的、というよりも、まさに "現在の日本"の風景がつきつけられる。

「何人ものアルバイトに、「これまでアマゾンで買い物をしたことがあるか」と事あるごとに尋ねてみたが、「買ったことがある」と答えたアルバイトは1人もいなかった。
 つまりセンターを這いずり回るようにして本を探す人と、自宅のコンピュータから本を注文する人とは違う人たちなのだ。アマゾンの安くて迅速なサービスを享受するする人と、それを可能にするために労働力を提供している人たちとは、ある意味別の階層に属している」
"物流"で思い出すのは、以前エントリーしたNHKスペシャル「トラック・列島3万キロ」。あのドキュメンタリーで目の当たりにした、トラック運転手の過酷な現実が思い出される・・。

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2005年09月22日

●マイケル A. クスマノ『ソフトウェア企業の競争戦略』

 ITの歴史については、スティーブン・レヴィーの『ハッカーズ』やラインゴールドの『思考のための道具』のような、社会との接点や、個人の偉業、文化という視点から見がち(個人的には)。いっぽう現在の話になると、ビジネス的な視点は、当たり前のように意識せざるをえない。そういう意味で、ソフトウェア産業の歴史 (MS以前)、という視点は、すっぽり抜け落ちていたのだ(個人的に)。
 日米欧、各国のソフトウェア企業の開発プロセスや経営戦略を分析し、ソフトウェアビジネスの競争戦略を語るために、歴史、が語られるのだが、その部分がいちばん面白かった。かなり偏った読み方だけど・・。

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2005年09月13日

●幸田昌則『下がり続ける時代の不動産の鉄則』

 『スクラップエコノミー』の資料にあげられていたので、手に取る。都市と地方の格差が広がっているとはよく言われるが、不動産価格の視点から見ても、2極化が急激に進行していて驚く。三大都市圏別の人口の転入超過数の推移がグラフ化されていて、転入超過しているのは首都圏で、大阪圏は1973年以降はずうっと転出超過。北海道では札幌市、九州では福岡市への一極集中が明らか。不動産価格の先行きというと、ときに抽象的に語られることがあるが、さまざまな数字をグラフ化して示していて、納得できること多し。

住宅取得への金融緩和
不況の進行
都心再開発化政策
 ↓
不況の進行、先安感による企業・個人の土地放出
 ↓
大量供給(マンション、建売住宅、オフィスビル)
 ↓
需給関係の悪化
価格の低下による一時的な利回りの上昇
 ↓
空室の増加、賃料の下落(都心オフィス、都心マンション、アパート)
 ↓
不動産全体の収益力の低下
 ↓
日本の不動産全体の価格再調整の兆し

「少なくとも「住宅」そのものの数はすでに全国ベースで見ても世帯数を上回っており、約660万戸近くの住宅が空家となっている」
「これからの日本の不動産価格の上昇は極めて限定的で、今後の不動産取引においては、「価格の下落、賃料の下落」を前提にして判断しておく方がリスクは小さい。」

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2005年09月10日

●佐々木俊尚『ライブドア資本論』

 佐々木さんが新聞社を辞めて、 ITを専門とするフリージャーナリストとなった理由の一つが、この本の「あとがき」に書いてある。

「私は1999年に十数年間務めた新聞社を退職し、新聞記者から足を洗った。
 社会部記者時代は、ひたすら犯罪者やテロリストを追いかけ回す日々だった。・・それが一転してIT業界の取材に転じようと思ったのは、日本の社会のしくみを根底から変えようとしているインターネットの世界を、どうしても知りたいと思ったからである。」
 というわけで、この本も今年のライブドア騒動が表立ってのテーマであるけれども、日本社会がどう変化しようとしているのか、変化を起こそうとする人々の心性とはどんなものなのか、そして、その変化の背景に ITはどう関わっているのか、という視点がどっしりと背景にあって、とても面白い。
 2ちゃんねるのひろゆきを論じる箇所から。
「高度なスキルや知識を持っておきながら、その「知」をひたすら浪費し、遊びに明け暮れる──そんな団塊ジュニア的な刹那さが、2ちゃんねるを覆っている。
 そして西村自身の立ち位置にも、そうした考え方は色濃く反映されている。それは西村が作り出したスタンスなのか、それとも2ちゃんねるの中から自然に発生したものかはわからない。だがそれは、ポスト産業資本主義の肺入りの日々を生き延びていくために、彼ら団塊ジュニア世代が生み出した生存術のようにも見える。
 堀江と西村は、見た目も性格も年齢も目指すものはまったく異なっている。
 しかしその「身も蓋もなさ」においては、どこか共通点を持っているような気がするのである。
 堀江や西村のような団塊ジュニア世代が、社会の中心へと躍り出るきっかけになったのは、1990年代のインターネットの登場だった。」

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2005年09月08日

●石渡正桂『スクラップエコノミー』

 千葉県庁で産業廃棄物行政を担当して、産廃Gメンの設立に関与した著者は、この本では、都市再生政策や住宅の向け金融政策、さらに戦後日本の経済慣習を問題にする。産業廃棄物が不法投棄される社会的な構造を考えて行くうち、そういう視点に至ったんだろう。

「豊かさの中の貧困というジレンマから抜け出すには、フロー重視、ストック軽視の経済構造を改め、都市の破壊と建設を止め、住宅の財産としての価値、都市の社会資本としての価値を回復しなくければならない。そのためのキーワードになるのが、低回転社会モデルである。」
「住宅の寿命は、物理的、法的、経済的、歴史的という4つの捉え方ができる。常識的には、取り壊されることで住宅は物理的な死期を迎える。住宅の平均使用年数は、日本では26年、アメリカでは44年、イギリスでは75年と言われる。・・日本の住宅は自動車と同じ耐久消費財にすぎない。」
「莫大な公共投資を続けてきたのに、日本の都市がその投資額に見合うだけの社会資本を有していないのは、スクラップ&ビルドの都市建設の構造に原因がある。
 スクラップ&ビルドの伝統は、明治期以降の殖産興業と戦後の復興重要によって培われた、日本独特の都市開発の構造であるとも言えるし、殖産興業・戦後復興を永遠に続けるためのトリックであるとも言える。」
 ここ数年、ヨーロッパのライフスタイル、価値観に興味があるのは、ヨーロッパが、日本にない豊かさをヨーロッパが実現していて、それは、ここでの言葉で言えば、フローよりもストックを大切にする社会を実践している、と感じるからだ。身近なところでは、日本のお粗末な住宅に対しての不満があるし、モノを買うことでしか、豊かさを認識できない社会に属していることの苛立たしさが常にある。

 こうした差が生まれる原因には、税金や制度などの社会システムの違いと、習慣や倫理・価値観の違いがあるはずで、この本は、システム面を問題にしている。
 住宅問題については、中古住宅市場の確立、土地所有権の分割(所有と利用)、相続税の廃止、などが書かれているが、欧米との違いについては、もう少し勉強しないと・・。

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2005年09月03日

●ジェフ・ルート+佐々木俊尚『検索エンジン戦争』

「さまざまな紆余曲折を経て、インターネットの巨大な玄関となった検索エンジン。その成長は、今も二つの方向で続いている。一つは、デスクトップ検索、商品検索、ニュース検索、社内ナレッジの検索などに見られる検索領域の拡大。メディアとしての新たな性質の獲得である。今われわれは、検索エンジンの定義を見直す時期にさしかかっているのかもしれない。」
グーグル出現以後の検索エンジン業界で、ヤフー、MSN、アマゾンが覇権をめぐって ITメジャー企業が繰り広げる技術とビジネスの闘い。検索エンジンサービスの拡張は、他業種もどんどん巻き込む形で進んでおり、まさにスリリング。こうして過去と現在をまとめてくれるのは、日々のニュースに流されがちな身には助かる。

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2005年09月01日

●小檜山賢二『ケータイ進化論』

 ケータイが日本社会の中(特に若者の間)で引き起こしている変化は、絶大なものがあると思うが、その詳細については、意外とあまり調査分析されていない気がする。ケータイが及ぼしている変化の範囲が広く深すぎ、そのスピードの速すぎるため、社会学者の考察が追いつかないのか・・とも思う。ちょうど、 WIRED NEWSでも紹介されたが、アメリカで南カリフォルニア大学(USC)の研究者である伊藤瑞子氏、慶応義塾大学講師の岡部大介氏、中央大学の松田美佐氏の共同編集で「Personal, Portable, Pedestrian Mobile Phones in Japanese Life」が出されたところ。伊藤瑞子さんは、たしか伊藤穣一氏の妹さんで、ハワード・ラインゴールドの「スマートモブズ」に大きな影響を与えている。日本語でもはやいとこ読みたいもの・・。
 で、伊藤瑞子さんは、慶応大学の「ケータイラボ」に属しているようなのだが、今回はその同僚の小檜山賢二氏『ケータイ進化論』から。

「ケータイの普及によって、外部とのコミュニケーションのハブとしての家のポジショニングが失われることは確かのようです。ケータイがない時代は、連絡を取る最後の手段として家が用意されていました。コードレス電話が、茶の間(電話の置き場所)というコミュニケーションのハブを破壊し、ケータイが家を破壊したのです。・・
 ・・これまで、家という空間の大きな比重があった家族との結びつきが、ケータイによって家の外に飛び出したのです。その結果、ケータイによって強化された家族の情緒的結びつきが、他の社会関係を浸食する「家族の時代」がやってくる可能性もあるというのです。・・
 いつの時代も、強い家族関係と弱い家族関係の家庭は存在したわけですが、ケータイの普及は、この二分化を促進し、強い家族は社会にまで影響を与え、弱い家族は家という最後のよりどころまで失い、ますます弱くなるのです」

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2005年08月29日

●ダン・ギルモア『ブログ 世界を変える個人メディア』

原題「 We the Media Grassroots Journalism by the People for the People」。 "ブログ"云々というよりも、ネットによってジャーナリズムがどう変化しつつあるのかを、さまざまな事例を紹介しながら考察している。

「「講義としてのジャーナリズムから、会話やセミナ−としてのジャーナリズムへ。この進化は、ジャーナリズムにかかわる様々な他のコミュニティーにも変化を強いるだろう。ジャーナリスト、取材対象者、情報源、そしてかつての読者。すべての人々が、自分たちのやり方を変えなければならない。でなければ、今まで通りでいるのか。
 私たちは、そんなことはしていられないはずだ。巨大企業がコントロールするがまま、ニュースを単なる消耗品のように扱い続けていくことはできない。私たちの選択肢が限定されてしまうような社会になるのを、指をくわえて見ているわけにもいかない。」
 その中心にあるのは "オープン"という考え方。「双方向性」「対等性」というネットならではの特徴もあるのだが、背景には、 オープンソースの考え方も大きいようだ。
「「オープンソースの考え方は、まずはジャーナリズムをもっと良質なものへと変えていくかもしれない。ジャーナリズムが会話形式になった時、第一報とはあくまで会話の糸口なのかもしれない。それに続く会話の中で、私たちは互いに啓発していく。誤った情報を訂正することもできるし、新たな事実や文脈を付け加えることも可能だ」
 この本も、第一章の草稿をまずブログにアップし、読者に「事実関係に誤りがあったら、知らせてほしい」を問いかけることからはじめ、本が出来上がると、著作権の保護期間を14年(最初に著作権法で最初に定められた保護期間。現在は、作者の死後70年)にし、さらにウェブでもフリーで提供。
 また、ただ楽観的に草の根ジャーナリズム万歳、と謳い上げているわけでもないのもいい。
 近頃、出版界も数年前の ITブームが影を潜めて、IT系の翻訳書籍が急激に少なくなっている気がする。そんな中にあって、貴重かな。

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2005年07月27日

●渋井哲也『出会い系サイトと若者たち』

『ネット心中』が 2004年2月刊、こちらは 03年の8月刊。多くの当事者たちへの取材は、後々貴重な資料になってくるだろう。ただ、多くの声から、彼らの心象は、ぼんやりとわかるが、なかなかそれを言語化するのは難しい。

「広告会社・国連社の調査では、インターネットを使うとき、5人に1人が通常の自分と違う「ネット人格」があると答えている。・・
 自分も相手も理想化していけば、思い込みによる関係性ができあがる。・・
 また、携帯電話は常に持っていることに意味がある。・・そのために、自分も相手もつねに返事を返せる状況にあると思いがちだ。・・
 そのような特徴を前提にすれば、ネット恋愛は、普通の恋愛に比べれば進展も速い。・・メールのやり取りは、「理想化された関係性」を作り上げる物語の要素なのだ。」
「メールという通信手段は、期せずして、自分が願っていなくても、相手の期待に過剰に添ってしまうこともある。あたなもそうした相手に出会ってしまうかもしれない。ただそれは、人と人を結びつける「出会い系サイト」が典型なだけで、メールでの出会いや、出会ってからのメールのやり取りは他の場面にいくらでもあることを忘れないでおこう。」
こうしたテクノロジーが及ぼす特性と、あとは、時代の移り変わりの関連。90年代以降の時代の変化については、さまざまな言われているわけだが・・。う〜ん、どうしようかな。(独り言モードですみません)

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2005年07月22日

●渋井哲也『ネット心中』

 柳田邦男氏の『壊れる日本人』は、ネットやデジタルメディアが若年層へ与える影響の一面しか捉えていない、という思いを強くした。が、それでも、ここ数年、起きている事件や出来事の因果関係や、社会の流れを理解できないでいることも確かなのだ。そして、その変化にデジタルメディアやネットがどのくらいどんな影響を及ぼしているのか、ということをしっかりと把握できないでいる。
 というわけで、ある種の"現在の縮図"、ネット心中について追った本を読む。

「ネット心中を考えるとき、インターネットという道具を「悪者」として当事者から取り上げがちだが、ときにインターネットは、生きづらさを言語化でき、感情を整理して生きる方向へ導く道具であることも忘れてほしくない」
ただ、問題は、こっちだ。
「一口にネット心中といっても、当事者の心理的背景はさまざまだということは、志願者たちのインタビューを通してわかる。幼少期から持ち続けている「消えたい願望」や「死にたい願望」を実現させる場であったり。がんじがらめの日常からの脱出の場合もある。
 それらは、私自身が数年前より取材してきた生きづらさを抱えた人たちの、代償行為によく似ている。そんな人たちを私は"生きづらさ系"と読んでいる・・
 "生きづらさ系"の人たちは、ときには不登校、援助交際、家出、摂食障害、自傷行為、自殺未遂などの行動を取ることがある。それらの行動は、家族や友人関係、職場や学校での関係などに行き詰まり、言葉で表現できずにいる代償行為である」
柳田氏の言う "壊れる日本人"は、渋谷氏の言う"生きづらさ系"という状況とも同列のものだろう。
「彼ら(彼女ら)の多くは、経済的にはそれほど切迫したものは少ない。むしろ恵まれた環境に置かれているくらいだ。しかしながら、自分の存在理由について疑問を抱き、絶えず他者から承認されていないと感じているのだ。
 そのような感情を抱いてしまう背景として、家族関係を挙げることができる。眼に見える虐待を受けている人もなかにはいるが、ほとんどの場合は、表面化するほどの虐待は受けていない。その場面場面をとってみれば、思春期によくある親子のすれ違いである場合も少なくない。
 しかし、それらが積み重なってくると、あるときふとした親の一言によって、子どもは「自分は親に承認されていないのではないか」という不信感を持つようになる。しかもそれはよき家族を求める社会的風潮が強まれば、逆にそのギャップに苦しむことでもある。
 また、学校や地域の環境も影響してくる、村社会的な均質化を求めるのは、郊外化や団地化しても変わりなく、逆に一層、均質化を求めるプレッシャーは強まっている。つまり今、子どもたちが置かれている社会は、人と違うことが許されない窮屈な社会になのだ。」

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2005年07月21日

●マーク・ブキャナン『複雑な世界、単純な世界』

「ネットワークの研究は、「複雑性の理論」と呼ばれる科学の広範な領域の一部である。抽象的な見方をすれば、相互作用をする要素──原子、分子から細菌、歩行者、株式市場のトレーダー、さらには国家まで──の集合体のいずれも一種の物質になる、何からできているかにかかわらず、こうした物質には形態に関するある種の法則が当てはまるのだ。」
訳者あとがき、から。
「従来の還元主義の手法の限界が見えてきた自然科学、かなでも物理学の領域では、ネットワークの視点は大きな力になりそうだ、いまでは多数の要素からなる系の性質や振舞いは、個々の要素を足し合わせたものとはまったく異なることがますますはっきりとしてきた。・・相互作用をする多数の要素からなる系をネットワークと見ることで、現代科学の最先端の問題への新たなアプローチが可能になっているのである。・・
 1998年にノーベル物理学賞を受賞したロバート・ラフリンは、近著のなかで、「物理学はいま、還元主義から創発、すなわち自己組織化の時代へと大きく変わろうとしている」と述べている。その意味では、物理学は、社会学、経済学、生物学、医学などさまざなま分野と複雑に絡み合ったネットワークを作りながら進化しつづけていると言ってもいいのではないだろうか」

 というわけで、ネットワーク科学は、とんでもなく刺激的なことになっているのだが、若かりし頃、ニューサイエンスの"刺激"に絡めとられたこともあり、反射的に疑い深くなってしまうな・・。

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2005年07月19日

●柳田邦男『壊れる日本人』

 サブタイトルは、「ケータイ・ネット依存症への告別」。著者の考えはわかりやすい。
 

「コンピュータ化時代に社会のさまざまな場面で生じているコンピュータ装置への依存症の諸相を見渡すと、ケータイ・ネット依存症は効率主義に支配された現代社会の根深い病理の、最も日常で象徴的な現象であることがわかってくる。ところが、みんなが異常になっているので、誰も自分が依存症の罠にとらわれていることに気づかない」
で、
 
「「ノーテレビデー」の実践、それから「ノーゲームデー」「ノーインターネットデー」「ノー電子メディアデー」へと発展させることを提唱したい」
とのこと。
 何か展開があまりに粗雑に思える。 
 
 ここ数年、かっての常識では理解しがたい若年層の凶悪犯罪が起き、かってのモラル観では理解できない行動を公衆の場で目にすることもしばしば。また、個人的には、メディアやネット、特に没入感の強いゲームは、若年層に何らかの大きな影響を与えているに違いないと考える。それがしばしば言われるように暴力的行動を促すのかどうかはわからないけれど。
 だが、今、目の前に、理解しがたい事態が起きているからといって、その原因をただケータイ・ネットのせい、というのは安易すぎないだろうか。例えば、社会的変化といえば、ここ7、8年、中年の自殺も増えている。親の世代が自殺を考えなければいけない状況が子供世代に何らかの影響を与えないわけはないだろう。
 また、ネットの利用形態も、日本と韓国の間でさえ違いがある。
 「韓国では(少なくともソウルの大学生)では社会的日常生活における自己とネットワークでの自己は地続きでつながっている。・・韓国では、インターネットが社会的ネットワークを拡大したり、既存の社会的関係を強化する空間として昨日する方向を持っているが、日本社会ではそれが欠如していることを意味している。」 (木村忠正『ネットワーク・リアリティ』)
 また、ソフトやネット上のアクションの内容によっても引き起こされる影響は、当然違ってくるはず。それらさまざまな要因をしっかり検討する必要があるはず。
 
 何か大きな変化の兆しが見えるからこそ、その因果関係をしっかりを把握する必要がある。ただ、すべてを「負の遺産」と言っているだけでは、何の解決にもならない気がする。
 

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2005年06月28日

●原田泰『世相でたどる日本経済』

 江戸時代から第二次世界大戦後までの日本経済を、様々な資料を駆使して、その実情をわかりやすく説明する。江戸末期や明治の生活というのは、歴史の出来事としてはなんとなくわかったつもりなのだが、実際、どんな生活が営まれていて、現代とどう違っていたのか、ということはなかなか理解しにくい。たとえば、エコロジーを強く指向する人に多いのだが、現代社会の過ちを正したいがために、過去を美化することもある。そこで「江戸時代のほうがよかった」「縄文時代は、美しかった」というような発言になりがちだ。では、実際、過去のその時代の社会というのはどういったものだったのか。これを理解するのはなかなか難しかったのだ。

「利用可能なデータは多くないが、維新前の 1846年〜55年に平均と比べて、東京の実質賃金は、1871~79年平均で、 67%上昇したという。居住移動が自由であり、この間に労働力人口が減少したこともない以上、この傾向は全国的であり、かつ全産業におよんだと考えても、それほど大きく誤ってはいないだろう。つまり、1850年前後から 1875年前後にかけて、日本経済は実質で3分の2ほど増大した(年率2%の増加)と考えることができるだろう。
 ・・ 1800年以降に、人口増加が見られたことから、徳川時代にも経済発展があったと言われているが、その成長率は 1%にすぎない。2%以上の成長は、幕末にとられた開国と、その後の明治維新の経済改革のゆえであると言ってもよいだろう。」
こんな具合で、経済学的視点に則った解釈で、切れ味抜群。こういった読みやすい本をベースに、経済学の門を叩く、というのはなかなかいいかも。

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2005年06月22日

●牧野洋『最強の投資家 バフェット』

 投資家の人生や投資ノウハウにはほとんど興味ないのだけれど、たまたま手に取ったこの本は意外に面白かった。ここで描かれるのは、アメリカ第二位の富豪、バフェットの投資経歴、企業買収遍歴を通して垣間見えるバフェット流「企業経営哲学」だ。
 ビル・ゲイツとの関係を描いた部分からメモ。

「経営者としてのゲイツを観察すれば、バフェット的な部分が浮かびあがる。まず、個人資産の大半をマイクロソフト株で保有し、バフェットが好む「マネージャー(経営者)はオーナー(株主)のように振る舞え」を実践している。バフェット同様の富の大半を株式保有で築き上げ、自社株の大量保有を続けることで株主とリスクを共有しているわけだ。」
“企業は誰のものか”を考える上でも、面白い。

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2005年06月07日

●村田潔編『情報倫理』

 恥ずかしながら知らなかったのだけれど、今、中・高等学校の科目「情報」の教員免許を取得するために、大学で情報社会、情報倫理に関する科目の単位を取得しなければいけないらしい。 2002年のe-japan戦略の重点政策分野の一つとして「人材育成の強化」が掲げられて、その一環。大学で使われている教科書見てみないと。この本も大学の講義、企業研修のテキストを目的として編集されていて、全体わかりやすく面白い。村田氏担当の序章からメモ。

「技術決定論のように技術そのものが社会のあり方を決めると考えることは、人間が技術を道具化するという意味で技術が解釈の対象であり、したがって技術の導入、利用に当たってその影響が組織や社会に及ぶとき、判断主体あるいは行為主体としての人間の責任が問題とされなけらばならなくなるという点を見失わせるばかりか、倫理問題の解決に向けての努力を無用なものとして評価する傾向を生み出す。
 逆に、技術それ自体は中立であり、倫理問題を引き起こすのはそれを利用する人間であると主張することは、技術にはその開発者の価値が埋め込まれていることを無視し、また、人間の思考が目の前に存在している具体的なものに即して行われる傾向があることから目をそむけることにつながる。このことは、 ICTや情報システムの開発におけるエンジニアの倫理責任を過小評価する結果をまねくであろう。」
今もっとも面白いトピックは、 "情報倫理"だと思う。

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2005年06月03日

●井熊均『「徹底検証」電子自治体』

2003年に出された本だが、ここで指摘された問題は基本的にそのまま継続されていて、そのほとんどは解決されないままと考えていいのだろうな。問題といっても、セキュリティとかプライバシーではなく、ここでは IT投資の効果をいかに高め、電子自治体として改革につなげるか、という視点。現状があまりに非効率、ということだけれども、当然、こうした視点もあるべきだ。アメリカの軍事産業や日本の建設業のように、いったん政府との関連がしっかりと結びついてしまうと、細かな費用対効果の精査のなしに巨大な列車が突っ走ることはよくあること。後になって、その路線を変更するのは容易な事ではない。住基ネットの今後も含めて、 IT業界と政府との関係は、ここ数年で決まるだろう。

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2005年06月02日

●佐々木俊尚『個人情報流出事件』

キーロガー銀行口座クラック、ヤフー BB顧客情報漏洩、宇治市住民データ漏洩事件、ウイニー。ネットとプライバシーや個人情報に関わる、ここ数年の重要な事件のレポート。他のネット関連情報と同様、この手の事件に関しては、圧倒的に詳しい者と事件の存在すら知らない者という2極化が激しい。社会学的見地や法的視点からの論評も価値はあるのだが、まず、今、何を起きているのか、ということを冷静にレポートすることは大きな価値があると思う。古い世代のジャーナリストは、自らが社会に成り代わって‘断罪する’というような姿勢になりがちだが、佐々木氏の作業は、特に事件の重大さを煽ったり、大上段に構えて社会を語ったりせず好感が持てる。引き続き続編が出てほしい。が、イラストや本のデザインやコピーは、文体の冷静さとは対照的に煽り一辺倒なのが残念。

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2005年05月26日

●藤井耕一郎『幻の水素社会』

光文社ペーパーバック、2冊目。このシリーズ、英語混じりの「4重表記」というのが大きな特徴。だが、同じ4重表記でも前に読んだ時からは、少し変更を加えたようだ。以前は、日本語の単語に、英単語をつけ、さらに日本語や英単語の上にカタカナでフリガナをつけてあって、いつカタカナがついてくるのかという基準もまったくなかったので、かなり読み手の思考を度々寸断させてくれたのだけれど、今度は、日本語+ときどき英単語、のよりシンプルな形に変わった。以前よりは読みやすい・・。
で、こちらは、「水素社会」なんか簡単にはやってこない、と主張が、ときどき本筋とは関係ないところまで、当たり散らしながら強引に進む。ひたすら感情的にエコを叫ぶ者へのカウンターとしては意味があるのかもしれないが、結局は重要なのは、何がどれほどわかっているのかということを精査しながら、科学的に分析していくしかないのだ。両極端に振れてしまっても、これまた意味がない。しかし、石油の価格が少し上がっただけでも、産業界が大騒ぎしているわけだが、エネルギー問題は、社会に与える大きすぎる。明るい水素社会は、すぐにはやってこないだろうが、このまま石油に依存していてもかなりヤバイとは、誰もが思っていること。次のステップへの移行をどういう形で、どのくらいのコスト負担で進めていくのか、ということなのだから、今から多くの可能性が検討されるというのは決して間違ってはいないと思うのだけれど。

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2005年05月21日

●エリ・ノーム「テレコム・メルトダウン」

『テレコム・メルトダウン』から。本のタイトルになったエリ・ノームの文からメモ。

「通信産業における本当の問題は、バブルの拡大と崩壊という現象がもはや異常事態ではなく、むしろありふれたできごととして慢性的にくり返されるような不安定時代に突入したことにあるのだ。
 問題は低需要ではなく、過剰供給に基づく低価格にあるのだ。」
「だとすると、通信企業は当面、何をすべきなのか。教科書的な回答をするならば、コストと価格をともに下げるということになる。しかし、こうした戦略はすぐに競争相手に追いつかれ、どの企業もさらに悪い状態に陥ってしまうに違いない。
 したがって、主要な戦略は価格を競争レベルよりも引き上げることになるはずだ。収益性も将来の投資も下げてしまうような競争と低価格の商品化は今後減らしていかなければならない。そうするためには市場支配力が必要だ。また少なくとも、通信事業者間や、ケーブル事業者、無線キャリアなどの関連プラットフォームとの間で、協力的カルテルまたは特定市場における少数独占も必要となる」
自由化、規制撤廃、競争から整理統合、提携へ・・。
日本でも、これから(すでに?)度々引用されたりするんだろう。

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2005年05月18日

●町田徹『巨大独占』

藤井耕一郎『通信崩壊』とは、まったく逆の視点。まず、‘競争’ありき。しかし、そこには、技術の趨勢を判断したり経済学的正当性を探る視点はない。ひたすら個人間の根回しと政治の描写だ。たしかに、こうした一面があることは事実で、結果として影響も絶大なのも確かだろうが・・疲れる。まぁ、個人的嗜好だけど。『テレコム・メルトダウン』読み直さないと・・。

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2005年05月17日

●佐伯啓思『倫理としてナショナリズム』

同列にありながら、一歩というか半歩?づつ前進する著作が続々と出される感。半歩でも前進?してるからいいか。いつもながらの渦を巻いて展開していく論理は楽しい。
1章の「「自由」と「平等」のゆくえ」から。

「「自由」や「平等」は、工業社会におけるような物的な効用の次元で定義されるのではなく、またリベラリズムのような諸個人の主観的な不可侵性として理解されるのでもなく、様々な共同社会体における「活動」とのかかわりで定義されよう。それは「活動」において得られる他者からのレスポンス(是認、承認、評価)として理解されるだろう。共同社会体における活動への責任あるコミットとして「自由」は捉えられ、また、是認の相互的な対等性として「平等」は理解されると言ってよかろう。ポスト工業社会を特徴づける重要な可能性があるとすれば、それは情報と市場のグローバルな競争というよりも、それが様々な人々の共同の交わりや企てを可能とする点にこそある。このような価値観への共同の参与を不可避ならしめる「活動」において、新たな「自由」と「平等」の倫理的基礎が生み出されるものと考えておきたい。」

4章「倫理としてのナショナリズム」から。
「・・経済的グローバリズムのもたらす没倫理的、脱規範的意識と、民族的・宗教的ファンダメンタリズムのもつ排他的で閉鎖的な超規範意識のどちらもが、今、国民国家に対する脅威となっている。だがそうだとすれば、むしろ国家こそが、この両者に間にあって、むしろ歴史的健全性、つまりある種のコモン・センスにその土壌をもつような規範意識を可能とする存在と言うべきではないだろうか。
 ここで誤解を恐れずに言えば、「ナショナリズム」こそが、グローバリズムとファンダメンタリズムの間で保守されるべきものだと考えたいのである。むろん、ナショナリズムなどもはや時代錯誤だという今日の大勢の見解は承知の上で述べていることである。」
最近は、「公=コモン」について語る人が増えているわけだが、あえて「ナショナリズム」とはかなり果敢。それにしても、『自由とは何か』で語られていた「両極端を排することによって、適切に「信じる」こと」の先に、「ナショナリズム」があるとは・・。これからどう展開するか、ひじょうに楽しみ。

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2005年05月07日

●竹内繁樹『量子コンピュータ』

量子コンピュータについて‘できるだけわかりやすく解説した本’というのを2冊読んだが・・よくわからない。で、今度はブルーバックス。

「これまでのコンピュータでは数百億年やそれ以上といった莫大な計算時間を必要とするようなある種の問題を、量子コンピュータを用いると、わずか数時間で解ける可能性のあることが、1994年にショア博士によって理論的に示された」
「量子コンピュータは、「ビット」を0と1の量子力学的な重ね合わせ状態をとることができる「量子ビット」に置き換えることで、超並列計算を可能にするというアイデアだった。
 近年、「ビット」を「量子ビット」に置き換えることは、単に計算だけにととまらず、通信など、もっとさまざまな分野に展開できることがわかってきた。量子コンピュータの周辺に広がる、その広大な分野を総称して「量子情報」という言葉が使われている。
 中でも重要な応用が「量子暗号」だ。これは、量子力学の不確定性原理を応用することで、絶対に盗聴不可能な秘密通信を実現するアイデアである。」
これまでの本よりはわかりやすかったが、量子力学の基本的な考え方がしっかり把握できていないので、結局その部分はブラックボックスにしたまま・・泣笑。

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2005年05月06日

●藤井耕一郎『通信崩壊』

休みなので、日本の通信分野の規制緩和についておさらい。

「日本の通信分野に競争政策が導入された理由は、「公式な答え」としてはWTOの加盟国の話し合いで、音声電話サービスなどの「基本電気通信分野」における自由化の合意に達したからだということになっている。合意の成立は1997年だが、自由化の話はWTOが設立された95年より古く、86年にGATTのウルグアイ・ラウンドがはじまったときから継続されている。」
「・・通信自由化は、ネットワークをアンバンドルして開放することと、独占的事業者に対する「ドミナント規制」を二つの柱に位置づけている。後者のドミナント規制は、「独占的事業者に対しては厳しい規制、非独占的競争事業者(新規参入者)に対しては大幅な規制緩和」のかたちがとられる。両者に対する規制はアンバランスだから、「非対称規制」と呼ばれる。
 ところが、この「非対称規制」の概念の使われ方が、日本とアメリカで一緒かというと、これが同じではないのだ。・・
 ・・日本では、「非対称規制」の概念がほとんど「ドミナント規制」の実施だけに限定されてしまっており、その結果、NTTのシェアを下げることが自体が目的となっている。なぜ、そんな解釈になってきたかを考えていくと、その裏にはNTTと競争関係にある企業による「ロビー活動」があったからだとの結論しか引き出せない」
アメリカの『テレコム・メルトダウン』ではないけれど、「独占は本当に悪なのか?」という視点。当然、独占による非効率を問う逆の視点もあるだろう。その判断を下す前に、とりあえず、アメリカからの圧力、NTT分割、IT戦略会議、規制緩和の流れは再確認の必要ありだ。

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2005年05月01日

●原田泉・山内康英編著『ネット社会の自由と安全保障』

中国では、メーデーで予想されていた反日デモも厳戒態勢で抑え込まれたようだ。今回の反日デモは、ネットで呼びかけられ、ケータイで広がったというのが大きな特徴だが、その沈静化にあたっても、政府からケータイに直メールが送られたという。中国政府がどのくらいネットを管理しているのか興味があるところ。
この本は、911以降大きく注目されることになったサイバーテロへの対応とプライバシーや言論の自由について、アメリカ、中国、日本の状況を総覧。中国編は、表面的な情報に終始していて期待したほどではなかったが、原田氏の序文が問題点がコンパクトにまとめられていて面白い。中国関連の箇所をメモ。

「現在中国では、ヤフー社など多くのインターネット・コンテンツ・プロバイダーは、同国で事業を進めるにあたり、・・中国政府の行動規範に同意させられている。中国政府が禁止しているコンテンツは、政府や社会主義システムを脅かしかねないあらゆる情報、デマの拡散、少数特権階級中心の俗説の奨励・・などである。このほか、中国ではさまざまなブロック技術を使ってインターネット検閲を行っているといわれている。欧米ではそれを総称して「万里のファイアウォール」と呼んでいるが、米国のランド研究所の調査報告書によると、中国政府はウェブサイトだけではなく、検閲回避に使用できるプロキシサーバーまでブロックしているという。
 こうした状況に対し、米国の国営放送VOAのニュース・宣伝部門が、中国にいるウェブ利用者に向け、中国政府が定めたネット上の「万里のファイアウォール」を乗り越えるためのソフトを開発した。また、米国では、新しい政府機関「Office of Global Internet Freedom」を創設し、今後2年間で1600万ドルの予算を拠出するという内容の法案を2003年7月16日、米下院で可決して、中国やミャンマーなど他国の政府が行っているとされるインターネット検閲の阻止を目的とした技術開発に使われるという」
中国対アメリカの駆け引き凄いな。

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2005年04月25日

●増田聡・谷口文和『音楽未来形』

いつの間にか、音楽を語ることは、なんだかとても面倒なことになってしまった。その面倒さを無視して、ひたすら音楽への熱情を唱えることも、ちょっとした気恥ずかしさを伴う。
で、その面倒になってしまった音楽について、
「音楽をめぐる環境は劇的に変わりつつあるのに、それを語り、議論する言葉の方が追いついていないのではないか」
そんな思いから構想された本。

「音楽テクノロジーの展開は音楽対象(作品)のあり方を変え、それまは考えもされなかった音楽行為を生み出した(DJ)。さらに、聴衆の意味や経済のあり方にも大きな影響を与えている。すなわち本書は、20世紀以降の音楽テクノロジーが、生産や流通、対象、聴取といった音楽を取り巻くコンテクストを、どのように変えていったのかを包括的に検討する試みにほかならない。」
音楽の「未来」は、「過去」の音楽の成り立ちと「現在」をしっかり把握してこそ描きうる、という意味で、「音楽未来形」なんだろう。

もうひとつ、先日のエントリー「創造性とは何か」に関連してメモ。

「創造性、独創性、オリジナリティ、表現といった一連の概念は、近代的な芸術思想と深く結びついた考え方であると同時に、とくにヨーロッパ大陸各国や日本の著作権に大きな影響を及ぼしている。・・
 もともと「オリジナル」という語は、「起源」「始まり」という意味しか持っていなかった。それがロマン主義的な思潮の高まりの中で、次第に「独創性」という意味と重ね合わされていく。・・
 誰かが独自に何かを作り出せば、そこにはほかとは異なる新たなものが自動的に生み出されるはずだ、という想定が著作権をめぐる考え方の中には強く根を張っている。・・
 だが、現実には起源と独創性はつねに一致しているものではない。」

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2005年04月23日

「創造性とは何か?」

ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピュータ』に、さらに面白い(本の中の流れよりも、個人的な興味から)ところがあるので、メモしておく。

「創造性とは何なのか?・・どちらかといえば、新皮質のあらゆる領域が本質的に備えている性質だ。・・
 創造性とは、簡単にいえば、類推によって予測をたてる能力にすぎない。新皮質のあらゆる場所で起こっていて、人間が目覚めているあいだには、頻繁におこなわれていることなのだ。ただし、そのレベルはピンからキリまである。・・日常の知覚も、才能がほとばしる希有な活動も、根本的には変わらない。日常の活動はあまりにもありふれているので、注意を向けていないだけなのだ。」
「・・絵画、音楽、詩、小説など、あらゆる創造的な芸術活動は、古いしきたりを破り、人々の期待を裏切ろうと競いあう。相反する二つの要求の綱引きによって、芸術作品の偉大さが決まる。人間は芸術になじみやすさを求めながら、同時に珍しさと意外性を期待する。・・最高の作品は予想されるいくつかのパターンを破り、同時に新しいパターンを提示する。
・・創造性とは、それまでの人生で得られたあらゆる経験と知識を混ぜ合わせ、同じパターンを見つけることだ。・・脳のこの機構は、新皮質のあらゆる場所に備わっている。」
ここで言われる‘創造性’は、「編集」とも言い換えられるんじゃないかな。

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2005年04月20日

●ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピュータ』

パームとハンドスプリングを設立したジェフ・ホーキンスが、こんなこと考えていたとは!

「・・知能を備えた機械はどんな姿になるのだろうか? 生物の進化からわかるように、階層的な記憶システムが感覚とつながると、現実世界のモデルがつくられ、未来が予測される。大自然の知恵を借りるなら、知能を備えた機械は同じ方針で実現するべきだ。まず、現実世界からパターンを抽出するために、何種類かのセンサーを用意する。知能を備えた機械は人間と異なる感覚を持っていてもよいし、そもそも、・・人間と異なる世界に「存在」することも可能だ。したがって、両目と両耳が必要などと決めてかかってはいけない。つぎに、新皮質と同じ原理で動作する階層的な記憶システムを、これらのセンサーにつなげる。さらに、子供を教育するときと同じくらい、この記憶システムを訓練してやらなければならない。訓練が何度も繰り返されるうちに、知能を持った機械は「自分のセンサー」をとおして理解した「自分の世界」のモデルを構築していく。」
「知能を備えた機械が人間と同じ姿、振る舞い、感覚を持つ必要はない。知能とは、階層的な記憶のモデルをとおして世界を理解し、それに働きかける能力だ。・・思考と人間がまったく違っていても、なおかつ知能は備えられる。知能を判定する基準は、階層的な記憶の予測をたてる能力であり、人間的な振る舞いではないのだ。」
くぅ〜、面白い。知能とは何なのか? 脳はどのように働くのか? 知能を備えた機械をつくることは可能なのか? その用途は?と話を進める。多くを脳の働き、特に大脳新皮質の働きに注目して考察するところから展開する。この分野の知識が少ないので、ここで展開された理論が、どのくらい斬新なのか、またまっとうなのか、判断できないのだけれど、論理としても簡易でスマートなところが可能性を感じる。人と機械との関わりという点でも、「人型ロボット」が、走った、踊った、という話よりも将来性を感じる。

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2005年04月11日

●清野栄一『テクノフォビア』

ネットやケータイが、コミュニケーション・ツールの中核として当たり前のように存在するようになってから、数年しかたっていないわけだが、この間に起きている感覚の変化は絶大なものがある。それは消費性向や世論形成にも大きな影響を及ぼしている気がするが、社会学者もその変化をなかなか的確に捉えきれていない気がする。
で、「Rave Traveller」として知られ、これまで「旅」や「移動」によって引き起こされるアイデンティティの揺らぎのようなものを描いていた小説家の清野さんが、今回は、個人を徹底的にトレースする管理技術への「不安感」を題材にしている。個人情報のトレースというと、『エネミー・オブ・アメリカ』や『監視社会』のような社会と個人のせめぎ合い、という視点が多くなるが、ここでは個人の内面として捉える。
この「恐怖感」は、そうしたツールや環境が当たり前のもののなった世代ではなく、それらを受け入れつつも、それ以前の状況も把握し、変化を感じ取っている世代ならでは、ともいえそう。また、その「違和感」が、日々送られてくるスパムメール(知らない女からのメール)から始まり、人間関係が揺らぎ出すのが面白い。

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2005年04月09日

●『テレコム・メルトダウン』

FT.comに掲載されたエリ・ノーム、リチャード・エプスタイン、トーマス・ヘイズレット、ローレンス・レッシグによる情報通信関連のコラムを集めたもの。翻訳された土屋大洋氏に送っていただく。
「なぜ通信産業はメルトダウンしたのか」「独占は本当に悪なのか」「電波は誰のものか」「情報を支配するのは誰か」「インターネットは社会のルールを変えるのか」と大きく5つの内容にグループ分けされているが、どれもひじょ〜に刺激的なテーマ。それぞれのコラムも主張が明確でキレがある。アメリカならではの時事的問題も多いわけだけれど、そこで展開される論理は、日本でも必要とされるものだ。こうしたコラムを日本でも・・と思うと、焦るなぁ・・。

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2005年04月04日

●中野晴行『マンガ産業論』

 マンガをとりまく状況がどう変化してきたのかを考察。面白い。その面白さは、マンガ産業がどうなっているのか、ということを知ることができるとともに、勃興→巨大化→低迷、という流れが他の分野にもかなり似かよったことが言えるからだ。

「マンガ市場はベビーブーマー世代を外皮とする巨大なゴムボールのような形で成長してきた。にもかかわらず、実際にもっとも市場が熱いのが、中学生、高校生をターゲットとした部分で、そこに出版社やマンガ家のエネルギーが集中することは、市場全体のバランスを損なう原因になる。
 つまりは、周辺にある消費者ニーズが満たされなくなるのだ。大人の読みたいマンガがない、子どもが読みたいマンガがない、という状況が生まれてしまうのだ。」
「ある学習塾の先生に聞いた話だが、最近ではマンガを読んでいる生徒はむしろ優秀な生徒なのだという。普通の生徒たちにとって、マンガを読むことすら難しくなっているのだ。一つの理由は、最近の少年週刊誌のマンガが小学生には高度すぎることだが、もう一つの理由は、ゲームで育った子どもたちの多くが、マンガの文法を理解できないというのだ。」
「マンガ市場は・・巨大なものになっており、大手出版社の発行する雑誌も単行本も、リスクを冒すにはあまりにも膨大な部数、膨大な販売金額になっている。安全に安全にと、リスクを排していけば、マンガは先進性を失わざるを得ない。
 「マンガはそろそろ衰退しつつあるのではないか」という声が一部で囁かれはじめたのは、92年頃であろう。ひとつには、強力なインパクトを持った新人マンガ家が登場しなくなった、ということがある。・・その一方で、増えすぎたマンガは読者の拡散を生み、描き手にとっても、出版社にとっても「読者が見えない」という現象を引き起こしていた。」
個人的には、山本直樹の『ありがとう』(94年)以降、急激にマンガ雑誌を追うことがなくなったので「衰退が囁かれ始めたのは92年頃」というのは体験的にも頷けるところ。

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2005年04月02日

●公文俊平『情報社会学序説』

ハワード・ラインゴールド、ジェイン・ジェイコブズ、ケビン・ケリー、レッシグ、東浩紀、アルバート=ラズロ・バラバシ・・。スマート・モブズ、創発、自己組織化、コモンソース、共働行為、共貨、ラストモダン・・。と、新旧の刺激的な思想家と、そのユニークなテクニカルタームを、しばしば借用改編・編集しながら、コンパクトに情報社会の現在、これからを考察する・・。今日はメモはなし、ということで。

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2005年03月24日

●北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』

「‘現在’がどんな時代なのか」を的確に捉え、鋭く分析した評論や、その時代感を的確に表現したアート作品が、ここ数年、少なくなっているように感じるのは、僕の勉強不足なんだろうか・・。それは評論家やアーティストの側の問題ではなく、それだけ今を捉えるのが困難な時代なのだろうという気がする。
で、この本はその困難な課題に挑んだもの。2003年冬に『世界』で掲載された短い論文が元になっている。その論文にはなかった70年代初頭にまで遡って、現代の若者の‘アイロニカルな感性’の変容の過程を追う。その大胆に簡略化された図式は、わかりやすい。大塚英志、東浩紀、宮台真司の最近の作業への北田氏なりの回答なのだろうな。

「嗤う日本の「ナショナリズム」は、たんなる保守化・右傾化の徴候ではないし、また端的にベタ化でもない。したがって、左派的イデオロギーの復権、アイロニー精神の回復といった処方箋は、たぶんそれほど意味をなさない。(注内:だからといって、「左/右の対立にとらわれない健全な政治意識が育ちつつある」というわけでもない。むしろ、「左/右の対立にとらわれない」「現実主義」という新たなイデオロギーが醸成されつつある、と考えるべきだ。)
 いや、本当に処方箋を必要としているのは、じつは、医師(のつもりでいる人びと)のほうなのかもしれない・・。歴史なき時代において、ということは処方箋=思想が敗北すること──スノッブ的否定の対象になること──を宿命づけらえた時代において、それでもなお絶望せずに思想を語り続けること。この本の記述が、そうした蛮勇を動機づける契機となってくれることを願っている。」

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2005年03月21日

●遠藤薫編著『インターネットと<世論>形成』

日々新しい事象が起き続ける‘ネットの今’を捉えることと、‘普遍’を追い求めるアカデミズムのタイムスパンを重ね合わせるのはなかなか大変な作業だと思うが、この本はその点でかなり成功していると思う。
「インターネット社会における<世論>とは何か」「コミュニケーション・メディアとしてのインターネット」「インターネットと<公共圏>」「インターネット社会における<群衆>」といった視点で、2ちゃんやブログ、具体的には電車男やwinny、嫌韓、湘南ゴミ拾いオフ・・などを取り上げながら分析。‘ネットの今’をこういう形で記録に残し、分析しただけでも貴重な資料だろう。参考になった指摘は多かったが、一箇所だけメモ。

「・・アメリカでは、ネットコミュニケーションは当初からマスメディアとは対抗的な、ネットユーザーたちのオルタナティブ・メディアとして意識されており、したがって、そこはまさにあらゆる領域にわたって自分たちの意見、社会への意義申し立てを自由に表明するための実験場であった。・・他方、アジア諸国においては、民主化運動の高まりとインターネット・コミュニケーションの導入が時期的に重なり合ったため、市民側に立った言論、文化の場として、新興マスメディアとネット空間は相互に親和的な関係を構築してきた。」
「・・しかし、潜在的に社会的マイノリティ意識を秘めた日本のネットカルチャーは、強い自負とアイデンティティ不安を同時に抱え込みながら、しかも自ら社会内に正統的に位置づける意志表明を自ら禁じているというトリプルバインドの中で、社会的無力感に侵されている。そのため、せっかくネット空間と現実とをつなぐ回路を模索しつつも、「これは何の意志表面でもない」というネガティブな形式での意思表明しかできず、同時に既存マスメディアの承認(による正当性の獲得)を暗に期待するというねじれた態度しかとれない。・・「ネタオフ」の日本的様相の背後にこのような社会心理が介在しているとすれば、「自作自演」説の跳梁は、マクロな社会の動向を個人の企みへと読み替えることもより自らの不安をなだめようとする、集団的自己防衛の機制によるとも考えられる。」

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2005年03月16日

●長田正『ロボットは人間になれるか』

30年間、ロボットの研究に携わってきたという著者による一般向け解説書だが、「ロボット」といっても範囲が広いだけに、さすがに深みを期待するのは無理があったか。どこに焦点をあてるかは難しいところ。ロボット研究・開発をめぐって語られるべき範囲は広範な割に、役所は、「ロボット政策研究会」などを作って、相変わらず突っ走っているわけだが・・。

「通産省は、1980年を「ロボット元年」と位置づけ、普及を促進するためのさまざまな制度を制定し、ロボット産業の育成に務めた。当時の予測としては、ロボット産業は、十年後には売上高1兆円の規模に成長するはずであった。しかし期待に反し、二十年以上経った現在でも、ロボット産業の年間売上高は・・5000億円台も超えていない。」

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2005年03月11日

●小田中直樹『フランス7つの謎』

これまで自分が持っていた常識の限界を思いしらされる機会として働くこと。フランスをはじめとする外国のことを知り、日本と比較することの最大の意義は、ここにあります。常識というのは「眼鏡」のようなもので、普段は見えません。でも、放っておくと、常識はひとりよがりになりかねません。この危険を避けるためには、自分を鏡にうつし、「眼鏡」をかけていることを確認するという作業が必要です。「日本の現在」にあって「フランスの歴史」を学ぶこと、つまりフランスの日常生活に疑問を感じ、その理由を歴史のなかに探ることは、そのひとつに実践にほかなりません。
前著『歴史学って何だ』のやさしい実践編とも言えるが、ご本人もあとがきで書いているように「私的な回想録ともフランス近現代史の概説書とも比較文化論まがいのエッセーともつかなぬもの」、というなんとも不思議なスタイルの思想書。『ライブ・経済学の歴史』も面白かったけれど、「歴史学」を舞台にこれからどんな展開をされるのか愉しみ・・。

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2005年03月01日

●『悪魔のマーケティング』

ちょうど27日に、「たばこ規制条約」が発効したところ。これにより、条約締結国では、たばこの消費削減につながる課税強化、広告の原則全面禁止となる。
この本のサブタイトルは「タバコ産業が語った真実」。欧米のタバコ産業内部文書に記された証言をまとめたもの。で、ここで明らかになれるのは、

・喫煙は、癌、心疾患、呼吸器疾患などさまざまな病気をもたらし、人体に致命的な障害を与える。
・タバコによる死亡者数は世界中で年間400万人にのぼる。2030年には世界で1000万人にのぼるとみられている。このうち、70%は発展途上国の人々。
・ニコチンには依存性があり、ヘロインやコカインといた麻薬とその作用が似かよっている。それでも、タバコ産業は、「ニコチンには依存性がない」と主張し続けている。
・タバコ広告の多くは、ティーンエイジャーや子どもに喫煙習慣をつけることを目的としているが、タバコ産業はそれを否定している。
・広告宣伝活動におってタバコの消費は増加してきたが、タバコ産業はこの事実を否定している。
・受動喫煙は、子どもに喘息、気管支炎、乳幼児突然死、中耳炎などを引き起こす。成人の肺ガン、心臓疾患の原因となる。
朝日新聞の記事によると、日本の成人の喫煙率は長期的には低下傾向で、02年には24.0%(男43.3%、女10.2%)と5年間で5ポイント近く下がった。が、高校3年の喫煙率は男子36.9%、女子15.8%に上昇。
個人的にノドがひじょうに弱いこともあって、タバコを憎んでいるわけだけれど、NY市やイギリスが、900円近いのに比べ、日本のタバコの価格が圧倒的に低いのが先ず問題だろう。原因と被害の関連があやふやな割に大騒ぎしている環境問題がある割に、ディーゼルとともにタバコがこれまで放っておかれたことがおかしい。タバコを燻らせながら、エコを声高に語る人を僕は信用してません。

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2005年02月23日

●田中秀臣『経済論戦の読み方』

『エコノミスト・ミシュラン』で展開された、インフレ目標を導入し、より一層の金融緩和の推進すべき、というリフレ派の考え方は一貫している。かつ、竹中平蔵、木村剛、榊原英資、リチャード・クー、高橋乗宣、吉川元忠、野口悠紀雄はダメダメというのも一貫。とてもまっとうに思える。
この一貫したまっとうさが、いつまでも、今ひとつ一般的認識になりきらないのはなぜなのか。ブログも始められているようだが、テレビや新聞に露出して、わかりやすくねばり強く頑張ってもらうしかないのか・・。

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2005年02月18日

●河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』

近年の日本は、犯罪が急増し、凶悪化が進んでいる・・というのが、一般的な常識になっていると思っていたわけだけれど、この認識が正しいのか、さまざまな統計資料を読み込んで、薄皮をはがすように‘現実’を露わにしていく。さらに、どうしてそうした認識が一般化するようになったのかその背景を探り、欧米社会との比較を交えて、今後の展開を考える。これは凄い。この素晴らしい論考も3500円の書籍では、なかなか多くの人が目にするわけにはいかないだろう。同じ内容でいいので、コンパクトにまとめて新書で出してほしい。その価値は十分ある。
結論部分から抜粋。

「本書において、日本全体の治安が悪化していないことは、明確に示せたと思う。犯罪数はせいぜい微増、警察の検挙能力もそれほど落ちてない。凶悪化は全くの誤り・・。ただし、無計画で歯止めのない、妙な事件は散見される。こういった犯罪状況であろう。しかし、このような状況にもかかわらず、いわゆる「体感治安」の悪化は激しい。それは、安全神話が崩壊したためである。
 犯罪不安の増大は、住宅街での財産犯が増加したことと、マスコミ報道の影響を考えがちである。これは間違いではないが、安全神話が崩壊するという、よりマクロな変動の中に原因を見るほうが事態を深く捉えることができる。安全神話とは、「ハレ」と「ケ」、つまり「非日常」と「日常」という境界によって、犯罪の非日常世界に閉じこめることを基本構造としてきた。・・この仕組みの要点は犯罪者の更正において、「赦して」日常共同体に帰すか、特別な隔離された環境で再適応させるか峻別しながらやってきたこと、一般住民に犯罪関係の情報を提供しないこと、さらには、繁華街と住宅街、夜と昼等の境界も活用して「安全地帯」を確保してきたことである。
 安全神話の崩壊とは、これらの境界が弱まることによって起きた。・・変化の中心をなすのは、人々を拘束してきた伝統的共同体の衰退、それもとりわけ匿名社会化であった。
・・そこで当然、個人の確立こそが大切という意見が出てくる。
・・現実の欧米社会は、将来モデルにならないとすれば、日本の伝統に目を向けなければならない。日本の特徴は、長期的視野で、未来の平和共存を考えることであった。
・・治安の悪化が叫ばれる現在、それだけでなく、日本中をペシミズムが被っているように感じられる。これは、視点を変えると、何かペシミズムを醸し出したい者が、そのネタに治安問題を使っていると考えられないであろうか。・・治安に限らず、よく調査すれば悪くない状況にもかかわらず、ペシミズムが優勢であるというパラドックスの存在は、少なくとも指摘できるように思う。」
日本に社会構造を考える上で、ひじょうに参考になる指摘がたくさんあるのだけれど、かってはあった‘境界’が、近年無くなった原因のひとつとして、「コンビニ」が挙げられていて、あらためて納得。80年代以降のライフスタイルの変化を考えた時(自分の生活を考えても)、コンビニの存在は大きい。昼と夜の境界を無くし、都市と地方の境界を無くした。あとは・・ケータイか。ネットというよりもケータイが一般化した98年頃以降、私たち(特に若者)のライフスタイルやコミュニケーションの感覚レベルに与えた影響は絶大だと思う。

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2005年02月11日

●ゲーリー・S・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』

この人の本も、もっと早く読むべきだったな・・。ここで展開される論理は明快。自由主義にもとづく市場経済原理で、世の中簡単。その鋭さ、明解さは、一部で‘経済学帝国主義’などと呼ぶ方もいるようだけれど。
目次から大まかにピックアップすると、
・宗教も自由市場によって栄える
・乱獲を断念させるために、漁獲に課税せよ
・最低賃金を引き上げると、失業者は増加する
・対価を払いさえすれば、迅速に移民できるようにしよう
・所得の不均衡は悪いことばかりではない
・いわゆる差別撤廃措置はやめるべきだ
・刑期を厳しくすれば、銃器携帯者による発砲は抑止されよう
・麻薬の合法化を肯定する人が増えつつある
・安い石油は歓迎すべきである
・高齢層へのパイの分け前は多すぎる
・日本株式会社が日本を強くしたわけではない
最良の産業政策とは、何もしないことである
・大きな政府は時代遅れだ
・スウェーデンを手本にするのは疑問がある
・通貨統合は忘れよう:通貨同士で競争を
・自由市場によって人口爆発に対処しよう
・冷めた頭で地球温暖化に対処しよう
・終末論を信じるな
・マイクロソフトに連邦政府は干渉するな

「教育・結婚から税金・通貨問題まで」論じられるテーマは幅広いが、展開のベースとなっている考え方はすべて同じ。環境や共生を語る側からは反発も大きいことは想像できる。しかし、無視できないほど強力だと思う。

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2005年01月27日

●橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』

以前から伺われた「リバタリアニズム」的主張が、ここでは前面に押し出されている。良識とされているものからは逸脱しているのだが、極めて「正論」で、ある種爽快。

「自己責任は自由の原理である、私たちが国家から自らの権利を守るための大切な武器である。人は自由に生きる方が幸福だ。そう考えるならば、国家に必要以上の「義務」を負わせてはならない。
 これまで日本人は、国家に対して母親のような役割を求めてきた。国家を批判する人ほど国家の「義務」を声高に語るが、その過激さは彼らの忌み嫌う「国家主義者」と瓜二つだ。
 より多くの義務を負う国家は、国民の私生活へのより大きな介入を正当化できる。私たちが「自己責任」を生きなければならない理由はここにある。
 「国民を保護するやさしい国家」ほど危険なものはない。自由な社会は、国民に対して均しく冷淡な国家からしか生まれない」
橘氏の主張そのもの、というよりも、思考のパターンに共感する。書き下ろし執筆中と聞いたけれど、次の展開が楽しみ。

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2005年01月22日

●佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』

ブッシュ2期目の就任式での言葉。
「あらゆる国で、民主化運動と制度の発展を求め、支持することが米国の政策だ」
「民主化運動への支持は、米国の安全保障にとって切迫した要請であり、神のおぼしめしだ」

さて・・また佐伯氏。

「90年代の「アメリカニズム」という名の近代主義の世界への拡散こそが、原理主義の過激化と並行したもう一方の運動であることを理解しておかねばならない。市場競争のグローバリズム、「マクドナルド化」による生活様式の普遍化、自由と民主主義の世界的標準化、人権や人間の権利という観念の世界化、こうした「啓蒙のプロジェクト」の普遍性を主張することが「アメリカニズム」の意味であった。ひとたびこの「啓蒙のプロジェクト」の正当性が唱えられるや、次には、この「正義」の普遍化に向けた権力の行使さえも正当化されていく。・・
 20世紀の世紀末に、アメリカニズムによって西欧的な理念が世界に拡散するにつれ、西欧近代が生み出したニヒリズムもまた世界へと拡散していったのである。その意味では、「アメリカニズム」と「テロリズム」は全く対照的な姿を示しながら、現代にニヒリズムが生み出した二つの異形の同位物だとさえいえよう。」
このあたりの展開は、『20世紀とは何だったのか』と同じ。そして、新刊の『自由とは何か』に、この‘シニシズム’論は繋がっていく。展開がダイナミックで見取り図も明解で楽しめるが・・次作に、もう一声を期待。

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2005年01月19日

●岩田規久男『日本経済を学ぶ』

経済‘入門’書は、もう何冊目だろ・・笑。これは、岩田氏の著作の中でも、飛び抜けてやさしく解説してくれていて助かる。新書ならではの「公開講義」スタイルも読みやすい。コンパクトだけれど、戦後の高度成長から「失われた10年」までを丁寧に振り返り、今、必要な経済政策にしっかりと落とし込んでいて、しっかりツボを突いている。書かれた時期が、ちょうどイギリスに滞在して研究中だったこともあって、サッチャーの改革の話題が所々出てくるのも、日本の経済政策が相対化されて、これもわかりやすい。

「04年は、デフレからの脱却が予想される中、今度は、国債残高の増大で、長期金利が急騰するのではないかと危惧されるようになりました。長期金利が急騰するかどうかは、市場がデフレ脱却後に、日銀が1〜3%程度の穏やかなインフレを維持できると予想するかどうかにかかっています。・・そのためにも、インフレ目標政策を採用して、デフレ脱却ではなく、穏やかなインフレを目指す金融政策に転換すべきだと考えます」

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2005年01月10日

●西野哲朗『中国人郵便配達問題=コンピュータサイエンス最大の難関』

量子コンピュータをできるだけわかりやすく解説するために書かれた本、というジョージ・ジョンソン『量子コンピュータとは何か』を、正月休みに読んでいたのだが、ちゃんと理解できなかった(イメージできなかった)・・。で、焦って訳者のあとがきで勧められていたこの本を手にとってみる。が・・さらに闇に入った感じ。泣。

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2005年01月09日

●ジェレミー・ハリス・リプシュルツ『インターネット時代の表現の自由』

2000年に出されたメディア論学者による本の翻訳だけれど、飛ばし読み。中心になっている事例は、リノ対米国市民自由連合と、クリントン・スキャンダルで、引用と資料が膨大(そのぶん、ちょっと読みにくい)。事例は参考になるが、肝心の分析のほうが、翻訳のせいか、ちょっと理解しにくい・・。

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2004年12月28日

●佐伯啓思『人間は進歩してきたのか』

この前エントリーした『20世紀とは何だったのか』も、ひじょうに楽しめたので、さらに「現代文明論」シリーズを遡って「西欧近代再考」編へ。これまた、見取り図としては、ひじょうにわかりやすい。それ故の危うさもあると思うけれど。

「少々単純化していえば、キリスト教が西欧近代社会を生み出し、それを支えているにもかかわらず、近代の世俗主義、合理主義、自由への欲求、経済活動の活発化などは、宗教的な権威への信仰そのものを失わせるのです。」
「西欧近代は、人間の生や活動に、そして世界の認識において「確かなもの」を与える基軸を得ようとする「確実性の探求」と不可分です。しかし、その結果はというと、近代社会が成立し、それが進展すればするほど、生や世界観の「確かさ」は失われていく。こうして今日、われわれはニーチェの予言したとおり、ニヒリズムの到来の只中に生きていることになります。」
「われわれが未だにそのなかに囚われている進歩主義、そして西欧近代の普遍性という理念は、すでに一世紀前に破綻しているということで、その状況から、われわれは出発せざるをえないのです。」

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2004年12月18日

●佐伯啓思『20世紀とは何だったのか』

先日の『自由とは何か』が面白かったので、以前流し読みしたものを再読。

「抽象化され普遍化された自由や民主主義は、どうしても内容空疎にならざるをえません。それは普遍化されればされるほど、形式的なものとならざるをえない。・・つまり、ドグマとなってしまう。ここに、西欧近代の生み出した最大の価値が、二十世紀のアメリカを経て、普遍化されると同時に形式化され、その内実を失ってゆくという逆説をみることができる」
「アメリカ文明とは、本質的にニヒリズム文明なのです。神や共通善の代わりに、自由や民主主義という抽象的で形式的な理念を絶対的な正義に祭り上げる。そうすることで、この理念を、西欧という歴史的・文化的文脈から切り離して普遍化するのです。また、生活のさまざまな局面を技術化し方法化することで、これも普遍化してゆく。この脱文脈化、故郷喪失こそはニヒリズムにほかなりません。」
「重要なのは、ニヒリズムを克服するなどということではなく、まずは、現代文明はニヒリズム状態に置かれる以外にないと知ることです。そして、そのニヒリズム状態にあって、再び、よい生き方、人々との社交、生活を律する価値や倫理、それを模索する思想の準拠を探し求めること以外にありません。」
展開はダイナミックで面白いが、凄い結論。このあたり、よくわからん・・。

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2004年12月11日

●佐伯啓思『自由とは何か』

「われわれ」は、宗教であれ、自由・民主主義であれ、神話であれ、科学であれ、国家であれ、「天」であれ、何かを信じなければならない。それも共同で信じなければならない。さもなければ行動に社会的な意味を与える価値の基準がなくなってしまうからである。とすれば、問題は、いかにそれらを信じるか、にこそある。

「信じること」のバランスをとるとは、「信じる」ことのこの両極端を排することによって、適切に「信じる」ことだ。ポストモダン的なシニシズムでもなく、超俗的なファンダメンタリズムでもなく、そのバランスをとること、そこにこそ適切な「信じること」がある。

 結局、「自由」にかかわるテーマは、その多層性において論じなければならない。これが本書で述べたかったことだ。現代のわれわれは、つい自由を「個人の選択の自由」として理解してしまう。しかしその背後には二つの次元がある。ひとつは「社会の是認」もしくは、「他者からの評価」であり、もうひとつは「義にかなう」という次元である。少なくとも、「自由」の観念は、この三つの層に重なりにおいて論じなければならないと思う。・・この背後にあるものをあえて排除しようとした点にこそ、現代の自由の混迷があるといわざるを得ないのである。

今、多くの論者が、さまざまな視点から「自由」をキーワードにして「現在」を語ろうとしているが、イラク問題、経済構造改革論議、酒鬼薔薇事件、援助交際・・から入って、“リベラリズムの系譜”に斬り込む流れは、読み物としてもひじょうに面白い。その視野もとても広いと思うが、他の論者との比較で、抜け落ちている点やアラも見えてくるのだろうが、とりあえず、思考の渦を楽しんだ。
ただ、「現代文明論」に続いて、こちらも大学での講義をまとめたもののようで、文体はわかりやすいが、全体の展開がやや混乱している箇所もある気がするのが残念・・かな。

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2004年12月07日

原田泉+土屋大洋編著『デジタル・ツナガリ』

パソコン通信からインターネットでのコミュニティの現在まで、さまざまな視点からその光と影を追う、という研究報告。個人的には、3章の「ネット・コミュニティにおける情報倫理」に興味を持った。現実社会といかに折り合いをつけていくのかという点で、この情報倫理の問題は、まさに激動のただ中。常に新たな事象が起きていることもあって、それを追ってフローな情報の渦の中を漂っていると、長期的な視点を忘れがちになる。その意味で、ここ数年の流れを書籍としてまとめることは意義があるのだろう、と思う。ただ、いただいた本なので言いにくいが、範囲があまりに広範なために、やや散漫な印象も。今や、ネットの動向=ネット・コミュニティの動向、ということもできるわけで、その全体像を追うというところに少し無理があったかも。

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2004年10月11日

●青木日照+湯川鶴章『ネットは新聞を殺すのか』

今頃、ようやく読む(出版は03年9月)。内容を見誤っていた。監修が国際社会経済研究所で、著者が報道機関に身を置く方、ということで、ネットでおきている事象を見下しつつ、表面的な分析を加えるぐらいのありがちな内容ではないかとかってに考えていたのだ。恥ずかしい。
ブログを代表とする草の根ジャーナリズムの勃興。紙の新聞はネットに置き換わるのか?次々と現れる新技術は新聞にどんな影響をもたらすのか。
大きくこの3つに主題は分かれるが、中心のテーマは、これからのジャーナリズムの形はどうなるのか、という点だ。
ブログ対ニューヨーク・タイムズや、日本の草の根ジャーナリズムとしての2ちゃんねる、といった具体例も面白いが、ここで際だつのは、今起きている急激なメディアの変化のただ中で、「報道機関は、生き残ることはできるでしょうか?」と訊ねる著者の真摯な姿勢だ。そこで、「参加型ジャーナリズムの確立」に可能性を見いだすという姿勢も素晴らしいと思う。また進化を続ける技術への対応も、

「人の作り出すコンテンツと、その時代の技術の作り出すコンテンツの、両方の最適なバランスを見つけだした企業が、その時代の情報産業の覇者になる。ただそのバランスは、技術の変化とともに変化し続ける、天下を取ったと思っても、すぐにその座は脅かされることになる」
と、断定もせず煽ることもなく、派手ではないが冷静なもの言いにはとても好感を持った。

・湯川氏のblogでその後の情報が蓄積されている。「ネットは新聞を殺すのかblog

参加型ジャーナリズムの可能性について、Hotwiredでも、03年1月に「独立系オンラインメディアの台頭」という特集した。この時は、Independent Media Centerを中心に紹介している。ほんとうは、03年の5月にまとめた「blogってどうよ?」特集と同時期に取材していて、最初は一つの特集としてまとめようとしていた。独立系参加型メディアの動向とblogムーブメントの接点を強調しようとしていたのだ・・。いろいろあって、結果として2つの特集となり、ブログのほうがなんだか大騒ぎになってしまって、前の特集との繋がりで見られることはなかったわけですが。

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2004年10月03日

●福田直子『大真面目に休む国ドイツ』

また、〝ドイツ〟。2001年の本だから、また少し状況は変わっているだろうが・・。

「1959年代は『労働から体力を回復するための休暇』、60年代は『消費する休暇』、70年代は『冒険休暇』、80年代は『カルチャー・異文化休暇』と、数十年の「休暇体験」を経て、ようやくドイツ人は休暇の「量より質」を真剣に考え始めているようである」
「ドイツ人が衣食住にかける費用で一番比重が高いのはまぎれもなく「住」だろう。しかし、家や住宅を所有している人は全体の40.5%にすぎない。・・欧州諸国内でも最下位に近い水準だ。おそらく持ち家を買いたくても買えないというのが現状だろう。」
「戦後、時短は進み、自由時間は増える一方であった。しかし、人々の生活のテンポはせわしいものとなったのである。・・
 休暇ととるために必死に時間内で仕事を終えなければならない。本業のもたらす賃金の絶対額が少ないとなれば副業にも従事し、株投資に邁進し、税金を減らすための策に新たな時間を割く。事実、この30年で、ドイツ人の生活から睡眠時間が徐々に削られているとう研究結果がある。人々は時短とひきかえに、つまるところ〝時間を売買した〟といえるのかもしれない。
「ドイツの観光産業は、自動車産業に次ぐ重要な産業となった。どちらかというと停滞傾向にある自動車産業に比べ、観光産業の拡大はめざましい。これは同時にドイツが工業国からサービス業国へと推移しつつあることを物語っているのかもしれない。」
状況は、さらに少しわかったけれど、こうした価値観に至る背景がまだ理解しきれない感じだ。

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2004年10月01日

●永江朗 アトリエ・ワン『狭くて小さいたのしい家』

ライターの永江氏が自宅「ガエハウス」を建てるまでの経緯がレポートされている。最近、近しい世代のそれも似通った職業の方が何人か、この手の本を出している。それぞれが当然、個別の考えや趣味や経済状況から、「家」と向き合うわけだが、「小さくても、自分の好きな家」に住みたいという志向は共通するものだ。
永江氏の場合、‘住み慣れた街に住み続けたい’と考えて、家を建てる、という結論に至った。

「もともと家を建てるつもりはなかった。一生賃貸アパートに住みたいと思っていた。賃貸のほうが、なんだか身軽な感じがするからだ」
しかし、東京の現実は、
「住み慣れた街に住み続けるのは大変なのだ。まず、適当な物件があまりない。・・
 もっと大変なのが賃貸契約だ。フリーランスの仕事というのは、不動産屋や家主から嫌われる。・・
 保証人制度も困る。本人の所得証明だけでなく、保証人の納税証明書まで要求される。・・この不安は賃貸派にとってけっこう大きいはずだ。」
ぼくもつい最近、似た体験をしたところなので、この動機はひじょうによくわかる。さらに、他にも相通ずる点が多くて、人ごとと思えない。妻と2人ぐらし。家で仕事をする。本の収納が問題。石山修武氏の考え方に大きな影響を受けている。土地の所有にこだわらない。住み慣れた場所に思い入れがある。以前、田舎暮らしをしようと、長野の不動産を見て回ったことがある。・・お金はあんまりない(^^;)。
 ここから土地探し、建築家(ここでは、アトリエ・ワン)へ依頼の手紙を出して‘物語’が始まる。
「建築家に設計を依頼するのは、既成の洋服やクルマを買うのとは根本的に違う。・・建築家の仕事はデザインすることではなく、考えることだ。建物を使う人との関係、周囲との関係など、さまざまなことを考えてアイデアを出すのが建築家だ。
 だから、建築家を選ぶ(といういいかたは不遜だけど)ときにもっとも重視したのは、その建築家の作品のデザイン的価値よりも、ものの考え方だった。もちろん考え方はデザインに強く反映されるけれども」
建築家とのやりとりも、もちろん面白いのだが、個人的には、家づくりに入る以前の段階が興味をひいた。土地の権利(所有権、借地権)や不動産屋とのやりとり。一般的に「住宅」というと、‘建築’ばかりに話が向かうが、その前段階の土地取得や資金の工面や税金のやりくり、といった部分は、まだまだ情報が十分でないように思う。この部分での選択肢を考え尽くされてない気がする。すべては、土地を含めた「住宅」があまりに高額なために、個人の人生そのものに大きな影響を与えてしまうから、なのだけれど・・。

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2004年09月30日

●橘玲『得する生活』

タイトルやサブタイトル(お金持ちになる人の考え方)からは、ありがちな利殖ハウツゥー本を予想するが、以前のエントリーでも書いたように、この人はやっぱり凄いわ。経済学者ともエコノミストとも、ファイナンシャルプランナーとも違う、市井のケイザイ生活思想家、とでもいうような趣になってきた。
この本でも、真ん中のクレジットカードやリゾート会員権の話よりも、前書き、後書きにあたる部分がいい。今回は、ノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーの主張を積極的に翻案。

「国家が貧しい人たちの生活を支援すると、働かずに国家に寄生して生きていこうとする人が増える。このようにして、崇高な精神から悪徳が生まれる。・・
 人類の歴史は、平等な社会が独裁国家の恐怖政治を生み出すことを教えてくれる。完全な平等を実現するためには、大規模な国家の介入が不可欠だからだ。・・
 人類の理想である「平等な社会」は、「地獄」の別名なのだ。
 自由な競争は経済的な勝者と敗者を生み出し、平等を阻害する。平等な社会は、自由を抑圧することでしか実現しない。これが自由と平等のパラドクスだ。」
「学問は時として残酷な事実を私たちに告げる。
『貧しい人は心が美しく、金持ちはずる賢い』
これは世間一般の常識だが、残念ながら誤りである。各種の調査によれば、成功者ほど他人を信頼し、貧乏人ほど疑り深く、猜疑心が強いという傾向が顕著に現れている。・・
 人的資本の蓄積は経済的な成功をもたらし、成功者はお互いを信頼し合うことで関係資本を築き、より多くの収益機会を手に入れていく。信頼を失った者は誰からも相手にされず、人的資本も関係資本もやせ細り、ますます貧乏になっていく。
 これが、私たちの社会の身も蓋もない現実である。」
まさに、この身も蓋もないところから、始まるのだが、「あとがき」はこうだ。
「人生を豊かに生きるのにカネはさほど重要ではない。なければ困るが、所有するカネの量に比例して幸福が増大するわけではないからだ。・・
 生きるということは、与えられた有限の時間の中で自らの人的資本を最大限に活かし、より多くの効用を獲得することだ、カネはそのための手段であり、それ以上のものではない。・・
 すべての幸福をカネで購うことはできない。これは紛れもない真実だ。だからこそ、無駄なことに貴重な時間を費やしている余裕はない。
 経済合理的に生きる意味はここにある。」
リバタリアン?橘玲は、かっこいい。

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2004年09月27日

●熊谷徹『びっくり先進国ドイツ』

以前から、ヨーロッパの価値観、ライフスタイルに興味があるのだが、具体的には、
・環境重視
・社会保障制度
・統一通貨ユーロ
・家や家具、モノを長年大切にする生活
といったところか。現在の日本の価値観・ライフスタイルは、そう昔から作られたものではなく、今は特にアメリカの影響が強いことを考えると、この先も価値観・ライフスタイルがずうっと不変であることは想像しずらく、選択肢のひとつとして‘ヨーロッパ的’なものの見方を大きく取り入れてもいいのではないかと思っているからだ。で、今回は、ドイツ。

「ほとんどのドイツ人は、日本人ほど洋服や靴にお金をかけない」
「また強いブランド志向は、ドイツには存在しない」
「ドイツ人が比較的金をかけるものといえば、住宅と旅行だ。日本に比べると労働時間が短く、自宅で過ごす時間が長いので、快適な住環境は重要なのである。だが住宅についても、自分の手で修繕して費用を抑えようとする」
「ドイツ人が倹約家になる理由は、可処分所得が低いことである。ドイツの勤労者の平均年収は、2002年の時点で2万6千ユーロ(約338万円)。ドイツ市民の年収は、日本人のほぼ半分ということにある。」
「こう書いてくると、ドイツは日本に比べて貧しい国に見えるかもしれないが。お金に換算できない「豊かさ」がある。たとえば、都市でも公園が多いため、ジョギングや散策を手軽に楽しめる」
「人口が一部の大都市に集中しておらず、多くの都市に分散しているので、大都会でも東京のような過密状態になっていない。日本に比べると通勤に時間がかからないし、住宅もゆったりしている」
再び「豊かさ」って何?と考えさせられる。社会資本も、また誤った近代への反省も、大量に蓄積されているヨーロッパの発想には見習う点が多い気がする。

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2004年09月25日

●前川徹『ソフトウェア最前線』

この前読んだ、西村清彦・峰滝和典『情報技術革新と日本経済』で「1990年代日本経済の問題のひとつは、広義のサービス業でITの生産性上昇をもたらしていない点で、その典型が、ソフトウェア産業である。」という指摘が、気になっていたのだが、前川氏の新刊は、その点を詳しく説明している。
「おそらく、このままでは日本のソフトウェア産業は、徐々に、しかし着実に衰退していくことになるだろう。」という危機感から生まれた本だ。

「不適切なソフトウェア開発モデルが使われ続けている背景には日本特有のソフトウェア産業の構造があるし、生産性の悪化がソフトウェア開発の悪化を招き、それが周り回って生産性をさらに悪化させるという悪循環も根が深い。・・関係者は日本のソフトウェア産業が衰退の危機にあることを強く認識し、早急に行動を起こす必要がある。」
具体的な問題としては、プログラマへの報酬のあり方の見直しや、大手やブランド信仰の強いユーザーや政府機関・・とさまざまあるわけだが、これを好循環の流れにもっていくのはなかなかたいへんだ。しかし、まずは、問題点を指摘することが大切。この本も、専門的な領域を読みやすく一般向けに書かれていて、問題点のアピールという意味で重要、という気がする。

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2004年09月13日

●藤井耕一郎『NTTを殺したのは誰だ!』

日本の通信分野での規制緩和(=NTTの再編ですね)は、アメリカの通信覇権に踊らされ続けている結果である、という主張。規制緩和を国際政治に結びつける展開は、刺激的で興味をひく・・が、その分、細かい記述の展開も煽らず、論理的に攻めてもらったほうが、説得力は増した気がする。
内容よりも(すみません)気になったのは、この「光文社ペーパーバックス」という体裁。4つの特徴がある、という。
・ジャケットと帯がない
・再生紙を使っている
・本文はヨコ組
・英語混じりの「4重表記」
4重表記の説明にこうある。

「これまでの日本語は世界でも類を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉でした。この特性を生かして、本書は、英語(あるいは他の外国語)をそのまま取り入れた「4重表記」で書かれています。これはいわば日本語表記の未来型です。」
う〜ん。例えば、こういう感じだ。
「日本の通信政策は、アメリカをモデルに「自由化・規制緩和」free competition and deregulation の路線で推進されてきた。ところが、NTT接続料 access charge(※フリガナ アクセス・チャージ )の計算方式に「長期増分費用モデル」が導入されたように、実際はアメリカよりも、“一歩先”a head before America を行っている面がある。」
はっきり言って、滅茶苦茶読みにくい(^^;)。英語を勉強中のビジネスマン向けを意識しているのだろうか。英訳がついている基準がわからないし、さらに英単語にカタカナのフリガナまでついてる基準は、さっぱりわからない。文字を追う目と思考の流れがズタズタ。しかし、果敢な企画ではあるな〜。

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2004年08月31日

●小田中直樹『ライブ・経済学の歴史』

『歴史学ってなんだ?』の前に書かれたこの本をようやく。
経済学をめぐっては、ずうっと教科書レベル抜け出せずに右往左往しているのだけれど、「<経済学の見取り図>をつくろう」というコンセプトは、全体を俯瞰して手っ取り早くわかった気になりたい僕にはもってこいだ。また、経済学の入門書だけれど、「教養としての経済学は、アクチュアルな問題に対処するためのツールです」という視線が、貫徹しているのも、多くの経済学入門書と一線を画すところ。「経済学史」という一見、「生きてない」知識の集積と思われがちな分野を、「使える」ものへと整理・再構成しなおす力は素晴らしいと思う。このあたりは、『歴史学ってなんだ?』に共通する視線。「教養」ってことですね・・。
分配、再生産と価値、生存、政府、効用、企業、失業、の7つの主題を追うことで、経済学の歴史がわかっるという全体の構成。クルーグマンの「経済にとって大事なことというのは、つまりたくさんの人の生活水準を左右するものは、三つしかない。生産性、所得配分、失業、これだけ」という言葉に目から鱗を落とした者としても、これはもう一つの教科書だな。
真ん中、読み飛ばしたので、またいつかゆっくり追おう・・。

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2004年08月27日

●西村清彦・峰滝和典『情報技術革新と日本経済』

ITは経済にどんな影響を与えるのか。以前から多くのことが言われてきたわけだが、欧米の分析を参考にしつつ、日本の状況を詳細に検証していて、これは決定的、という感じ。経済の専門的分析の箇所も多くて、けっこう読み飛ばしたけど。

「情報通信技術による広範囲にわたる生産性の上昇、いわゆる「ニュー・エコノミーの光」は、日本では今のところ幻にすぎないということである。それどころか、情報通信技術革新が、従来日本が優位にあったノウハウや人的資源の価値を低めることで、逆に生産性の上昇に好ましくない影響を与える「ニュー・エコノミーの影」が1990年代日本経済の多くの分野を覆っていた、ということである。・・ITに付随するモジュール化、コピーの容易さが、第二次大戦後の急速な日本経済の発展を支えてきた「ものづくり」、そしてそのもととなる長期関係のもとでの「ものづくり」の優位性を脅かしてきたのである。
 このことを頭に入れると、現在の「e-Japanで日本を変える」という構想は、残念ながら単純で貧困な発想ととられかねないことも明らかであろう。」
「1990年代日本経済の問題は、第一に従来国際競争力の強かった産業、とくに製造業の、その競争力の根幹をなしてきた「ものづくり」、「ひとづくり」の優位性がITの進展とともに低下したことがある。この優位性を再構築するか、あるいはITの進展により適合した「ものづくり」、「ひとづくり」「の体制を作り直す必要があり、政策もまたそれを後押しするものでなければならない。」
「・・第二の問題は、非製造業、とくに広義のサービス業においてITの生産性上昇をもたらしていない点であった。その典型が、・・ソフトウェア産業である。
 広義のサービス産業は、さまざまな形で中央・地方政府、そして政府関連組織を顧客としている。そして業務と組織もモジュール化がもっとも遅れているのが、政府および関連組織なのである。」

 

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2004年08月24日

●國領二郎『オープン・ソリューション社会の構想』

eジャパン戦略II の国領バージョン、という感じか。

「コンピュータネットワークによって散在している人間の知を結集させ、そこから生み出されるエネルギーを使って、日本に新しい未来への展望を開く道筋を論じたい」
その具体的なテーマとして、
1. 安全でありながら個人の創造性が活きる社会
2. 高付加価値産業育成による日本経済の活性化
3. バリアフリーで能力が活用される社会を作る
4. 環境と成長が両立する経済システムの構築
その範囲が広範なだけに、細部を詰めるというよりも、広い対象に向けての提案、という形。

個人的に面白く読んだのは9章の「知的協働の誘因設計」。情報財の収益モデルを考える上で「希少性」について考えるのだが、人間の認知限界を希少な資源とする話は面白い。この点を活用したビジネスがこれから活性化する気がする。

「情報量が増えれば増えるほど、人間の認知能力が希少な資源となってくる。収益モデルを構築する上で機械がボトルネックであった時代から、人間がボトルネックとなる時代への転換期を迎えていると表現していいだろう。
 認知限界に依拠する代表的な収益モデルとして、広告がある。・・
 残念ながら、過去数年の経験によって単なる既存の広告費用をネットに誘導する試みには限界があることが分かってきた。・・
 広告モデルではない、認知限界に依拠するモデルを構想することもできる。たとえば認知能力を大量に必要とするものに信頼がある。」

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2004年08月13日

●五十嵐太郎『過防備都市』

「アメリカは過剰なセキュリティ社会に移行し、日本も追随している。・・こうした状況においていかに建築と都市の空間が変容するかを考察した。・・
 空間への意識が、監視、排除、防衛と強く結びつく。われわれは仮想の内戦状態に突入している。だが、セキュリティは、われわれを安心させるどころか、皮肉なことにかえって不安を増進させるのではないか。」
急増する監視カメラ、要塞化する学校、警察化する市民社会・・ここ数年で急激に変化した「セキュリティ社会」の事例を多数紹介。東浩紀氏の「情報自由論」と重なる視点が多いように思うが、あちらを思想編、こちらを事例編という対として読むとよりバランスがいいのかもしれない。

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2004年08月05日

●前川徹+中野潔『サイバージャーナリズム論』

去年の10月出版。気になりつつ・・ようやく。

「個人がウェブで情報発信することまでを含めて「ジャーナリズム」と呼ぶのは、やや定義が拡張すぎるという意見もあるだろうが、どこまでが個人による「報道」なのかを区別することは困難である。情報を発信している本人にそのような意図がなくても、インターネット上のウェブは不特定多数が閲覧できるものであることを考えると、既存マスメディア企業による情報発信と基本的に同じ行為であるとみなさざるを得ないのではないだろうか」
ネット上の‘ジャーナリズム’を語る時、まさにこの点がもっとも重要な点だと思う。それが進化・変化の途上にあるのでさらに面白いわけだが、変化の途上にあるものを論文などとしてまとめのは難しい。この本では匿名性の問題、著作権侵害の問題など、ここ数年の事件・事例を押さえつつ、広い視野で‘ジャーナリズムの現在’を網羅しようとしていていい。カメラ付きケータイの普及がもたらす影響なども、大仰に煽ることもないのもいいと思う。数年後に、また新たな事例をもとにした続編が読みたい。
「インターネットがジャーナリズムの世界でどのような位置を占めることになるのかは、情報の送り手側だけによって決まるものではなく、受け手側の姿勢によっても変わりうるだろう。いや、送り手側よりもむしろ受け手側がより大きな影響力をもっているのかもしれない。あるいは、インターネットの場合には、情報の発信者と受信者を区別できない部分があるので、インターネットがどのようなメディアに育っていくかは、すべてのインターネット利用者のメディア・リテラシーに委ねられているといってよいのかもしれない。」

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2004年08月02日

●『REVOLUCION!』

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メキシコ帰りの家人から、なぜかキューバのポスターを集めた画集『REVOLUCION! CUBAN POSTER ART』をお土産でもらう。メキシコシティの空港の書店に中米繋がりってことで売っていたらしい(^^;)。
以前から、中国やソ連のポスターや看板の画集が好きだったのだ。共産圏のポスターには、メッセージをダイレクトに伝える独特の力がある。キューバのものは、今回初めて目にしただが、どれもユニーク。共産圏特有のモチーフや形式を踏襲しながら、中米独特の色彩を使っている。また70年代のものは、アメリカのサイケデリック系アートからの影響が感じられるのも面白い。一度、キューバに行ってみたい!

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2004年07月26日

●槌屋治紀『燃料電池』














既存ガソリン自動車 ハイブリッドカー 電気自動車 燃料電池車
油井からタンク 84% 84% (火力発電)35% (天然ガス改質)70%
タンクから車輪 16% 32% 70% 45%
総合効率 13% 27% 25% 32%

と、ハイブリッドカーのエネルギー効率が予想以上にいいのに驚く。
知らなかったのは、燃料電池関連技術の多くの特許を持つバラード社が90年代に特許申請していて、特許の有効期間が2010年に切れる、という話。
「特許の有限期間から単純に考えると、自動車メーカー各社が燃料電池生産に踏み切ると思われるのは、2010年以降ということになる」
似たような事例として、パソコンのマウス、ICカードが挙げられているが・・このあたり詳細追って調べよう。

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2004年07月25日

●秋山東一『Be-h@usの本』

「Be-h@us」の本が出た。ついに、というか、ようやく、というべきか。監修されたジオデシックの栗田さんに送っていただく。ありがとうございます。
Be-h@usは、そのすばらしい機能や拡張性、ユニークな発想にも関わらず(Be-h@usのすばらしさ・面白さを手っ取り早く知りたい方は、建築家・秋山さんへのインタビューをどうぞ)、これまであまり大々的にPRされず、ウェブサイトでの情報に限られていたためか、なかなか広く一般の認知を得られていなかった。
それが、この本が出版されたことで少しでも多くの人たちの知るところとなればいい、と思う。

Be-h@usは、多くのユーザーを必要としている。
Be-h@usは、OMソーラー向けに開発され、すでに3000棟も施工されたフォルクスハウスという住宅システムをベースに進化させたものなので、住宅システムとしての基本的な機能(ぼくはよくわかんないんだけど・・)は折り紙付きなのだが、この基礎をベースに、多くの人がよってたかった考え、手を加え、知識を共有しながら、新しい試みを付け足していくことで、さらによりよい姿に進化していく・・そんな自由度を持った建築システムなのだ。はい、「伽藍とバザール」のバザール方式ですね。
その姿勢と試みは素晴らしいと思うのだが、住宅は、組み立てブロックやソフトウェアのように、気軽にトライ&エラーをすることができない。その現実的な制約(日本の特殊事情と相まって)が、「住宅」にまつわる世界を重苦しく不格好にしている。その重苦しさから開放することをBe-h@usは目指しているのだが、そのためには、より多くのユーザー(設計、施工、住まい手)が必要なのだ。その環が広がれば広がるほど、より大きな成果をあげるだろう。
というわけで、この本がBe-h@us関係者を増やすきっかけになることを期待。

あと・・進化していくBe-h@usの主役は、すでに建てられた個々の「住宅」そのものだろう。その各々のBe-h@usが、どういう考えで設計され、作られ、買われたのか、そして、その後、建てた(設計した、作った、住んだ)人たちとどう成長していくかが重要なところだ。今回の本では、そのあたりの具体的な施工&成長例が少な目で、Be-h@uの思想的背景の蘊蓄(読み物としては面白いけど)のほうが多めだったのは、個人的にちょっと残念。
Be-h@usオーナーさんは、blogなどで建築経過などを刻々とレポートしてくれている方が多いので、リンクしておこう。
殻々工房
Be013/610 山根さん(こちらのレポートは徹底していてすばらしいです。)
喧々山房 (こつこつとセルフビルドされてます)
白井澤のページ

あと・・秋山さんが、若い頃、師の東孝光研究所でこう言われた、という。
「秋山君の場合は、僕のいっていることは理論的にわかっているかもしれないけれど、やっぱり結果的にカッコイイものでなければつまらないという考え方を持っていると思う」
Be-h@usは、カッコイイと思う。が、さらに、より一般的なカッコよさへの配慮もあると嬉しいです・・(^^;)。

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2004年07月23日

●中村好文『普段着の住宅術』

柏木博+中村好文『普請の顛末』の流れで、建築家・中村氏のエッセイ?集を手に取る。

「住宅の設計は、クライアントがいて初めて仕事が生まれるわけだから、家のあり方は一つ一つみんな違ってて当たり前、ということも言えると思います。・・
 そうして出来た住宅は、あくまでも特殊解なんです。特殊解なんだけど、その中に、家って何だろう、家族って何だろう、生活ってなんだろうとか、そういう普遍的なテーマにも自分なりの答えを出していきたいと考えています。普通の人たちの、普通の住宅を一軒一軒つくりながら、「住宅とは何か?」という本質的な問いかけに、いつの間にか答えている、というのが僕の目指すところです。」

なんとなくわかるが、ぼんやりとしてよくわからない。どうしてこの本を手にしたのか、何を求めていたのかわからなくなってきた・・。

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2004年07月22日

安藤和宏「ネットワーク時代の音楽著作権ビジネスの現状とその課題」

青弓社編集部編『情報は誰のものか』はいい原稿が揃っているが、この章は特によかった。要点メモ。
・パッケージ商品としてのオーディオレコードの売上不振は深刻だが、着うたの拡大、音楽DVDの著しい伸び、インディーズの躍進などでレコードビジネス全体は悲観するものではない。
・2003年度JASRACの使用料徴収額は160億60万円で前年比100.7%。
・日本のレコード会社は、異業種事業者(IT系事業者)に主導権を渡すことを極端に嫌う傾向があり、いまのところiTunes Music Storeのようなサービスが行われる可能性はまずない。
・アンケートによると、プロダクションは、レコード会社が採用するコピープロテクションや音楽配信施策に賛同しているわけではない。
・着うたの印税率など
KDDIに売上の12%、レーベルモバイルに23%支払い、残りの65%が収入。
レコード会社が主張する従来の印税率と計算式を採用した場合、1曲100円、アーティスト印税2%、ダウンロード数を10万件とすると、アーティストには、100円×2%×10万件×80%=16万円(80%は、システム開発費やサーバーメンテ代などの経費として、売上の20%を控除し、配信控除と言われるが、数字の根拠が不透明で批判されている)。
レコード会社の収入は100円×65%×10万件=650万円!!

 「日本では、レコード会社主導で音楽配信ビジネスがおこなわれようとしているが、現状を分析すると成功する可能性は決して高くないと思われる。なぜなら、レコード会社は明らかに権利者を重視・偏重しすぎていて、ユーザーのニーズに合ったビジネス展開が十分にできないと予想されるからである。」

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2004年07月21日

●柏木博+中村好文『普請の顛末』

デザイン史家で、これまで幅広くデザイン批評をしてきた柏木博氏が、どんな家を建てたのか興味がわいた。01年出版の本。しかし、やはり自邸が対象となるといつものように切れ味鋭く・・というわけにもいかない。人生の中でそう幾度もある買い物ではないし、いったん建ててしまうと、変更の自由度は限られている。やはりある程度は、理想のイメージと現実の姿に間にはギャップがあって、施工するまでに建築家と会話する間、妥協やあきらめがあっただろう。が、ここで、その過程で何が考えられたのかはわかるのはいい。

「欧米では、100年以上使っている住宅は少なくない。それは、そのデザインがいわば住宅のスタンダードとされ受け入れられているからだろう。・・
 新たな住宅のひとつのスタンダードはできないだろうか。このことは、家をつくるにあたって、わたしにとっては、やはり重要なテーマとなった。しかし、この問題をどのように扱っていけばいいのか、にわかに解決策を提案することはできない。中村さんに伝えたのは、イメージだけである。「質素で豪胆」なデザインというきわめて感覚的な言い方でしか伝えなかった。」
「日用品や家具や自動車のデザインが次々にモデルチェンジされるようになったのは、1930年代のアメリカにおいてであった。・・このモデルチェンジの手法は、ファッション・デザインでおこなわれていた手法を引用したといわれている。そうした手法によって、消費のサイクルが加速されるようになるわけだが、戦後の日本では、それが非常に過剰になってしまった。」
「買い物のなかでも住宅は、もっとも大きな買い物である。その住宅が、戦後、日本ではおよそ25年から30年ほどで、いわが使い捨てられてきた。住宅もまた、他の商品と同様にモデルチェンジされ、消費の対象となったのである。すぐに巨大な廃棄物とされてしまうということだ。
 そうした浪費をやめることは、いまや個人的な問題ではなくなってきている。社会的なコストや浪費の問題とかかわっているのである。」

そういえば、この柏木邸の設計を担当したのは中村好文氏と中村事務所の佐藤重徳さん。で、この佐藤さんは、柏木邸の仕事の前に、村上春樹邸を担当していたという。中村氏によると「足かけ三年にわたって作家・村上春樹夫妻の、規模といい、内容といい、気の張り方といい、すべてにおいて半端じゃない(本文は傍点)住宅の設計と工事監理を担当しており・・」。どんなふうに半端じゃなかったのか気になる〜。村上邸はメディアで紹介されていたりしたのだろうか。村上氏の小説のほうは、ほとんど興味をなくしてきているが、どんな住宅を作ったのかは、なにかとても気になる。

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2004年07月08日

●橘玲『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』

先日のエントリーの流れで、年金に関してもう少し勉強しようとしていたところ、手元にあった『ゴミ投資家のための人生設計入門』がよくできた本だったことを思い出す。さらに、この本が‘橘玲’名義で改題・文庫化されていることを知る。
橘玲の名前は、書店で目にしていたのだが、‘金持ち父さん〜〜’の二番煎じ的な利殖・投資本だと思い込んでいて手にしなかったのだ。
99年に刊行されたものと内容はほとんど同じだと思うが、内容は今でもまったく古びていない。中心で語られるのは不動産で、ちょうど引っ越したところなので、年金問題よりも思わずその部分を真剣に読み直してしまった(^^;)。
最近盛んに話題になっている年金の問題点も、ここですでにはっきり指摘されている。ただ、この本では、年金を改革しようという視点はなく、日本の年金や保険などの公的サービスは問題が多いことを前提に、‘公的サービスに頼らず、経済的に独立すること’を目標に書かれている。日本の社会的インフラの危うさを思うと、さすがに気分はネガティブになる。
そうした前提からの脱出法として海外数カ所に居住してどの国にも税金を払わない「PT(Perpetual Traveler)」が提案されているわけだが、これはどうなんだろ・・。思いつくところでは、大橋巨泉などは、ニュージーランド、カナダ、日本を行き来してたぶんこのスタイルを実践しているのだろうけれど。まぁ、リタイア後の節税、生活設計、としては楽しいかもしれない。
そういえば、この橘玲さんは、近頃インタビュー取材などを受けているのだろうか。98年にゴミ投資家シリーズの第一段として『ゴミ投資家のためのビッグバン入門』が刊行されたのだが、この本に感動して執筆者となっていた‘タックスヘイブンを楽しむ会’の中心執筆者にインタビューしたことがある(特集:Online Trader Guide  オンライン・トレードって言葉が一般に知られるようになる前の企画だ。。)。このインタビューそのものは、僕の突っ込み不足でダメダメなのだが、この本の著者が、まだ金融や税金のシロウトだったことがわかる。そこから短期間でこれほど充実した本が執筆できる調査・分析能力は、ほんとうに凄い。たぶん、この方が今の‘橘玲’さんだと思うのだけれど・・間違っていたら訂正させていただきます。

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2004年06月18日

●日本経済新聞社編『年金を問う』

先日のエントリーで、原田泰『奇妙な経済学を語る人々』の「日本の受給額はやはり世界一高い。」という言葉を取り上げたけれど、それがあまりにこれまで見聞きしていた感覚とかけ離れているので、追加チェックのために手に取る。2003年10月から5ヶ月間連載された記事をまとめたもの。
今国会で大きな問題になっていて、メディアでもたびたび取り上げられているが、年金の現状と問題がよくわからない。この本では、制度が複雑になりすぎ、さまざまな不公平が生まれていることはよくわかった(これが大問題なのだけれど)が、何か継ぎ接ぎのバラック建築をパーツに分けて眺めているようで、全体の景色がぼんやりとしかわからない。逆に原田泰の言葉は、あまりに遠くから全体の形や大きさだけ語っていて、細かいディテールがまったく問題にされていない。まぁ、両方の視点が必要なのだけれど。もう少し学習が必要・・。

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2004年06月15日

●ジム・ロジャーズ『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』

紀行モノは、だいたいどんなもの好きなのだけれど、クォンタム・ファンドのジム・ロジャーズが、3年かけて自動車で世界を旅する(この旅はネットで中継されていて、今も見ることができる)この本は、いわゆる紀行モノと各国の経済情勢分析が適当なバランスでミックスされていて、とても面白い。アイスランドから始まって、ヨーロッパ、ロシア、韓国、日本、中国、東欧、アフリカ、中東、インド、東南アジア、オセアニア、南米、北米とまさに世界中を走るわけだけれど、ここで主に描かれているのは、東欧、ロシア、中国、アフリカ、中東、南米のエマージング市場。各国の通信・交通のインフラや官僚機構の硬直度、金融システムの開放度を体験しながら、どこに投資していくかを決めていく。彼は戦争を激しく嫌うが、それは投資家として大きなリスクを伴うからだ。そのあたりの「投資家」としての基準がしっかりしていて、こちらと考え方が違ってもわかりやすい。
「金持ち父さん〜」の類はほとんど興味がないけれど、37歳で引退し、その後も、世界を旅しながら新興市場に投資する、という彼の生活に多くの人が憧れるのはよくわかる。あと、1999年から2002年までの旅だったため、ちょうど、911を旅先で経験している。アメリカ人の多くが、世界についてほとんど何もしらず、気にもしていないと嘆く。物事を長期的にかつ相対的に見る視点は、投資というシリアスな目的のために培われたものでもあるのだろうが、「旅」のひとつの楽しさを実感させてくれる。

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2004年06月04日

●原田泰「人口減少で日本の将来は暗くなるのか」

先日のエントリーに書いたように、「日本経済は、少子高齢化の進展から、パイ=付加価値を膨らませる力を失いつつある」という話に疑問を感じていたので、原田泰『奇妙な経済学を語る人々』をチェック。この本は、他にもエコノミストがよくテレビなどで話しまくって常識になっていた中国脅威論(最近は誰も言わないけど。今日のNHKスペシャルは、「中国特需」(^^;))や円圏なんかをくっきりきっぱり論破していて楽しく役に立つ。

「人口が減少するなら、一人当たりの生産性を上げればよい。女性や高齢者が働いて、労働人口を増やせばよい。高齢社会の負担が増えるなら、それを引き下げればよい。若者の新しいアイデアが重要であれば、社会がそれをもっと積極的に取り入れればよいまでのことだ」
「日本の受給額は2000年改正後においても、スウェーデン、イギリス、アメリカに比べて非常に高水準である・・。スウェーデンでも、日本の53.4%であり、イギリスでは、29.6%である。購買力平価により円換算して比較し・・、この場合でも、日本の受給額はやはり世界一高い。
 世界のほとんどの年金は65歳支給であり(日本は60歳支給)、かつ、日本の年金額の6割の水準にすぎない。そこで日本の年金を世界的水準にすれば、年金負担を上げる必要がなくなる」
「労働人口当たりの成長率で考えれば、労働人口の減少によって、むしろ、労働人口当たりの成長率が高くなる可能性がある。
 80年代後半に日本は欧米諸国へのキャッチアップが終了し、キャッチアップ型の日本の経済システムでは高い成長はできないという議論もあるが、キャッチアップしたといっても、あくまで為替レートで換算した場合である。・・日本の一人当たり購買力平価GDPは、アメリカの8割にすぎない。食料品、衣料品、日常雑貨品、住宅費、通信費などで内外価格差があるということは、これらの分野の生産性が低いということだ。逆にいえば、これらの産業では、キャッチアップによって、労働生産性の上昇を追求できる余地がある。」
「アメリカやヨーロッパの女性の労働力率を見ると、日本のように育児期に該当する年齢層の労働力率が特に落ち込んでM字カーブとなる傾向は見られない。・・
 実は・・アメリカでもフランスでも、70年代まで、・・M字型をしていた。M字カーブは、保育制度の充実とともに解消していったことなのだ。」
「年金を減額しても、給付が確実になれば、むしろ生活不安はなくなるはずだ。確実なものは不安定なものよりも価値がある。・・
 また、人口減少そのものが生活の豊かさに直結する。過密状態が緩和されれば、住環境や交通混雑は改善される。ただし、私たちは人口減少社会にふさわしい社会資本の整備を進めなければならない。」
ビックリすることが多い・・。年金受給額に関しては、常識と思っていた情報とかけ離れているので、ちょっと調べる必要がある。年金のシステムは、とても重要にも関わらず、ほんとにわかりにくいが、いま国会でももめているしちょうどいい。これも少しずつ。

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2004年06月01日

●岩谷宏『ラジカルなプログラミング入門』

週末に少しずつプログラミングのお勉強を始めている。まず、情報処理試験用に考えられたアセンブラ言語CASLIIをやり、最近は、C言語を学習中。しかし、ここへ来て、何かピンと来る感じがない。もちろん、使いこなすまでにはまだほど遠いし、まだ入り口を覗いただけなのだが・・。というわけで、‘IT原理主義者’岩谷氏の91年に書かれた本を手に取る。

個人が持つコンピュータ・・と、それらの社会的な結びつきであるオンラインネットワークは、・・重要な、新しい社会基盤だ、と私は日頃から考えています。そういう社会的な情報&コミュニケーションシステムの形成に向けても、諸個人がプログラミング能力を持って、参画していくことが理想的です。・・
 言い換えるなら、未来のコンピュータソフトウェアは、私たちの言語が進化してきたのとちょうど同じように、プログラミングをめぐる私たちの公開的なコミュニケーションの中で、共同的に進化していくことが可能です。・・
 そういったことが、・・次世代の人々のためにも、すでに今から‘プログラミングのデモクラシー’といった社会的フンイキを醸成していくことが、重要と考えます。コンピュータプログラミングを徐々に、公開的な、万人の日常的技術にしていきたいものです。
ここで想定されている‘万人’の一般教養のようなものとして、プログラミングの必要性を僕も感じたのだが・・現段階では、まだ漠然としている。もう少し頑張りますか・・。

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2004年05月28日

●木村忠正『ネットワーク・リアリティ』

豊富な調査データを基に、中国、韓国、アメリカと日本のネット利用の実態を浮かび上がらせる。特に、4章の韓国との比較はめちゃ面白い。去年、橋元良明氏の講演についてエントリーしたけれど、そこで紹介されていた調査のデータが、この本でも紹介されている。
日韓の学生ともに、コミュニティサイトによくアクセスするのだが、その利用形態がかなり異なるのだ。日本では、ネットを匿名空間と認識し、個人情報をあまり出さず、オフ会に参加するということもないが、韓国では実名利用とオフ会が盛んのようだ。

「韓国では(少なくともソウルの大学生)では社会的日常生活における自己とネットワークでの自己は地続きでつながっている。・・韓国では、インターネットが社会的ネットワークを拡大したり、既存の社会的関係を強化する空間として昨日する方向を持っているが、日本社会ではそれが欠如していることを意味している。」
また、自身のホームページを持って情報発信するかどうか、という積極性も(「日記」以外!!)韓国の学生のほうが高い。それでいて、自宅音声電話、携帯音声、携帯文字通信、の1日の利用量を比較したとき、日本は携帯文字通信が突出して高い。そこから、
「日本社会において、コミュニケーション主体が「カプセル化」していくなかで、対人関係の心理的距離が携帯文字通信による距離感覚を基準値にしつつあるからではないだろうか。あるいは、文字通信がもつ心理的距離感覚が、日本社会における対人関係の社会心理空間にもっともよく適合しているからではないか。」
またウェブ日記についても、こう分析。
「他者に強い影響を及ぼすこと、他者から強い影響を与えられることを回避しようとするデジタルカプセル人間にとって、まさに適切な社会心理的距離感なのではないだろうか。」
その他、ひじょうに面白い指摘は多い。が・・最後の5章で「高度消費社会としての成熟と少子高齢化の進展から、日本経済はパイ=付加価値を膨らませる力を失いつつある」という前提のもとに、ITが何ができるのかが考察されるのだが、この前提そのものがどうもしっくりこない。少子高齢化問題については、原田泰のこういう指摘もあるし。その前提はさておき、指摘される日本での情報リテラシーの現状は確かに大きな問題だろう。スウェーデンでは、小中高の教員の半数近くに無償でPCを配布するなど、各国で巨額の社会的投資を行っているが、日本ではこの点が圧倒的に劣っている。また、日本では、「インターネット利用率」にケータイからの利用を混ぜて上げ底している状態。著者は「産業セクターとしてのIT」ではなく「社会増強力としてのIT」にもっと力を入れるべき、と唱える。その方向には賛成なのだけれど・・。

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2004年05月27日

●飯田泰之『経済学思考の技術』

経済に関心を持ったらまず最初に読むべき教科書!「論理的思考」「経済学入門」「日本経済の分析」の3つ方向から‘経済学を楽しみ’‘経済学を使う’ことを味わうという構成。こんな啓蒙書が多くの分野で書かれるといいのだけれど。次は法学に期待。

●この本の最終目標
・「経済学思考」を身につけ
・それに基づく経済原則を知り
・自分の手で現実の経済・ビジネスを考える実践力を身につける

●経済学思考の基本ルール10
1. 論理的に語らなければならない
2. データに裏付けられた論理で語らなければならない
3. 人はインセンティブに従って行動する
4. 個人がアクセスできるフリーランチはない
5. 市場均衡は非常によい性質を持っている
6. 価格の調整は緩慢にしか行われない
7. 経済状態は自己決定的な性質を持つ
8. グロスだけでなくネットで考える
9. 名目変数と実質編集には区別が必要
10. 正しい「単純化・論理構成・データ確認」から導いた結論は常識に勝る


で、日本経済への提言として、
・リフレ政策の断行
その手法として
・インフレ・ターゲット
・名目GDPターゲット
・為替ターゲット
・通貨発行益の活用
のうち、政治的・事務的に運用が容易なものを速やかに実行すること。

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2004年05月24日

●中島早苗他『北欧流・愉しい倹約生活』

マイブーム(^^;)の‘ヨーロッパの生活’シリーズ、今回は北欧編。住宅雑誌の編集者だった女性が、北欧の人々の暮らしをレポートするのだが、いまいち。北欧在住歴が長いというわけでもなく、北欧の人々との交流が深く描かれているというわけでもなく、中途半端だ。流行りの北欧インテリアに、これまた流行り?の「倹約生活」と「エコ」を加えて・・という企画に問題があったのかも。
コペンハーゲンの小中学校には、歯科医師が常駐していて歯列矯正も学校でやってくれる、というようなユニークな情報もあるのだが、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの各国を‘北欧’とひとくくりにすることが多いので、各国の違いがよくわからないのが残念。また、比較対照として日本をとりあげる語り口は、どうしても説教臭くなるわけだが、これも度が過ぎるとシラける。‘物質主義的な考え方は、いかにも時代遅れだと思います’とか‘これからはヨーロッパ並みに、夏休みを取れるよう経済界全体で真剣に考えてみたらいかがでしょうか’とかただ言われても笑うしかない。
それでも、紹介される北欧のライフスタイルに、現在の日本にない何かがあるのは事実。その隔たりの原因を制度面や歴史や精神史などからもっと探る必要はある。

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2004年05月21日

●島村卓爾他編『EU入門』

というわけでもう一冊。政治・経済・法律の3分野の学者・研究者で構成される「日本EU学会」というのがあるらしく、そのメンバーが編者となった専門的?入門書。政治・経済・法律の各分野の専門家が各章に別れてEU分析をしているのだが、細かくはあるのだが踏み込みが少ない、という感じでいまいち。特に経済分野が期待はずれ。出版が2000年3月だからユーロの経済的効果については、まだはっきりしたことが言いにくかったのかもしれない。
ユーロのデメリットについてメモ。
・参加各国にとって、為替による景気調節機能を放棄することになる。
・この点について「最適通貨圏構想」を主張するアメリカの経済学者たちが、強く懸念を表明。
・「最適通貨圏構想」での、通貨統合を実現できる必要条件は、
 ・各国間の経済水準の収斂
 ・労働者移動の自由化、
  あるいは財政連邦主義の確立(景気の悪い国への財政支援をする制度的枠組み)
 この点で、EUは不十分。
 ただEUは、域内貿易の比率が大きいため、為替調節の重要性がそれほど大きくないという反論もある・・。
  

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2004年05月17日

●田中文憲『手にとるようにEUのことがわかる本』

先日NHKで放送された『シリーズ 大欧州誕生』がひじょうに面白かった。5月1日にEUに10カ国が加わって、25カ国、4億5千万人の巨大な市場が誕生している。その激変を経済と安全保障の視点から追ったものだ。ここ数年、ヨーロッパのライフスタイルや価値観、経済、政治に興味があって、ぽつぽつと関連の本を読んでいたのだが、あらためてEUの動向を知る必要性を感じて、入門書からはじめる。
事実上の連邦をめざすに至る原因となった70年代〜80年代の停滞。日米に経済的に敗北したという意識。89年の冷戦終結、90年のドイツ統一。ユニテラリズムを強めるアメリカへの対抗。さまざまな要素が絡み合ってすすむまさに「偉大な実験」。面白すぎる。
関連入門書を探すために本屋の棚を見たのだが、EU関連の本は意外に少ない。この本も、99年の通貨統合に合わせて出されたものだ。アメリカがあんな状態だからというのもあるが、環境政策を見ても、これからますますEUの考え方に注目が集まる気がするが・・。

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2004年05月13日

●野村総研『これから情報・通信市場で何が起こるのか』

2000年から出されてきた「IT市場ナビゲーター」の3冊目。この手の白書的なものの中ではコンパクトなサイズだが、情報ぎっちり。ブロードバンド市場、通信サービス市場、放送市場、プラットフォーム市場、eビジネス市場、デジタルコンテンツ市場、ハード市場、情報通信利用者動向の調査、ユビキタスネットワークと産業変革、の現状分析と2008年までの成長予測が行われている。よく出来てる。各項目の内容が薄くなるのは仕方ないし、斬新な分析という感じでもないが、これだけ多分野の動向が網羅されているだけ十分。
2008年までのIT市場動向予測 をメモしておく。
・放送市場、eビジネス市場、デジタルコンテンツ市場が年30%成長。
・デジタルコンテンツを牽引するのは、携帯電話による有料コンテンツ市場。
・成功のカギ1:アクセスインフラの保有
       2:顧客にとっての主契約主となる
       3:汎用から専用へ

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2004年05月12日

●Mike Gancarz『UNIXという考え方』

UNIXの設計思想と哲学を紹介した小冊子。背景と経験を共有できる部分が少ないのか、個人的にあまりフィットする感じがなかったが・・最後の部分をメモ。格好良すぎる(^^;)。

「UNIXの考え方とは、常に将来を見据えながらオペレーティングシステムとソフトウェアの開発にアプローチすることだ。そこでは、常に変化し続ける世界が想定されている。将来は予測できない。現在についてあらゆることを知っていても、その知識はまだまだ不完全なことは認めざるをえない。
 ソフトウェアを開発するにせよ、子供たちのためにより良い世界を築くにせよ、将来はガラス越しにしか見えない。いつか、すべての答えが分かる日が来るのかも知れないが、それまでは前進し続けなければならない。いつか、すべての答えを知る時がやって来るのかもしれないが、それまでは、一日ごとに「今日」が「昨日」になっていく日々を過ごしながら、将来に適応し、前進しつづけなけらばならない。
 UNIXの理念は、そういう将来に向かうアプローチの一つだ。その本質は柔軟であり続けることだ。嵐が何度やって来ても、風に揺れる木は折れることがない。」

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2004年05月08日

●日経コミュニケーション『知られざる通信戦争の真実』

ソフトバンクがヤフーBBを発表した2001年6月19日は、日本の通信の大転換点だ。85年に民営化されたとはいえ、戦後から日本の通信の中心で巨大な存在であり続けたNTTに新興のソフトバンクがいかに挑んできたのか。そして結果として、日本の通信料は、大幅に引き下げられ「ブロードバンド大国」になったわけだが、その間にどんな経緯があったのか。この本では、多くの関係者のインタビューを含め、その内実をレポートしてくれている。
さらに、日本の通信の行方という点では、99年に再編されたNTTグループ各社と総務省の規制の動向が重要だが、こちらもしっかり押さえている。日本の通信をめぐってここ数年の間に起きた激変をしっかり書籍の形に残した意義は大きいかも。
で、これからの行方ということでは・・銅線から光ファイバー&IP電話にどうやってNTTが移行していくのか、ということと、ソフトバンクが進めるTD-CDMA方式の第三世代携帯電話の動向が気がかり。

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2004年05月03日

●炭田寛祈『電波開放で情報通信ビジネスはこう変わる』

これからの情報通信ビジネスの行方を考えるとき、「電波政策」は決定的に重要な役割を担うことになる。総務省総合通信基盤局の電波政策課企画官である著者が、電波の仕組みから、電波政策のビジョン、情報産業の行方を語る。というわけで、ひじょうに面白いものになるはずなのだが・・当事者となる企業名をぼかしたり、曖昧な表現を使ったりで、ややお役所文章が多いのが残念。構想の中心となる‘電波大国’をブチ上げるにはもうひとつ迫力不足か。しかし、資料としては貴重、かな。

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2004年04月26日

●秋本芳伸+岡田泰子『オープンソースを理解する』

オープンソースについて、思想的背景だけでなく、実利面から丁寧にわかりやすく解説。それでいて、「誰でもわかる」的シリーズにありがちな、薄っぺらさもなく、よく出来ていて驚く。そして、オープンソース・ブームを煽ることもなく、冷静に現状と課題も分析している。

「オープンソースプロジェクトを成功させるには、まずそのプロジェクトの提案者が努力しなければなりません。・・」
「オープンソースプロジェクトで、参加者をまとめ、やる気を持続させ、リードしていくには、プロジェクトリーダーに人を惹きつけるカリスマ的魅力、いわば人間力が必要とされるのです。」
当たり前なのだが、この点は、ひじょうに重要だ。

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2004年04月21日

●岡崎久彦『繁栄と衰退と』

サブタイトル「オランダ史に日本が見える」。先日来からの流れで、オランダ社会に根ざす価値観がどうやって形成されたのか、を知るために手に取る。・・途端、予期したものとまったく違う内容で困るが、ある意味、今の時期、タイムリーな本だ。これまであまり近づくことのなかった論者だし。
17世紀、イギリスとスペインが覇権を争う間で、貿易国として繁栄したオランダが、英仏の嫉妬をかって凋落していくまでの歴史をたどる。で、そのオランダの興亡から、日本国の進むべき戦略が見える、というのだけれど・・。まぁ、結論はわかりやすい。

日本が今後の世界を生き抜いて行く大戦略は、一言でいえば米国との信頼、同盟関係を維持して行かないかぎり、日本の安全も繁栄も自由のないという現実を決して見失わないことにあると思う。
オランダとスペインやイギリスとの戦いの多くは、餓死や虐殺ばかりで凄惨の一語に尽きる。が、EU成立も、そうした長期間繰り返された戦争の果てにたどりついた試みだろう。何か‘成熟’を感じる。「アングロ・アメリカン世界との協調」を説くのはわかりやすいが、EU形成の過程のほうが面白そうだ。

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2004年04月19日

●内田洋子『イタリア人の働き方』

ここ数年、ヨーロッパ(特にオランダ)のライフスタイルや価値観に興味があって、関連の本をいくつか読んでいるのだが、その流れで、今回はイタリア。社会福祉や、産業、教育の構造といったマクロな視点も面白いが、個人個人がどんな価値観を持って生活し、働いているのかを知るのは楽しい。女性が書き手になると、特に後者に視点に立つものが多い気がする。この本も、‘一人で仕事を始め、会社を興し、実績をつくり、名を知られるようになった’15人のイタリア人に取材したもの。
ベネチア一の水上タクシー運転手、個人向けスタイリスト、自転車界のフェラーリと呼ばれるコルナーゴ、年に1500本しか作らない生ハム職人・・なかでも、巻頭で紹介されるローマで靴磨きを始め、評判を呼んでいる女性の話が面白い。
紹介された人々の言葉から感じられるのは、自らの仕事に対する強烈な誇りだ。あえて年間1500本しか作らない生ハム職人はこういう。

「生産規模をもう少し拡大すれば、何百倍、何千倍もの収入増につながるのですが、それでは私も他の大多数の普通の生産者になってしまう。現状で満足です。少量生産だがイタリアで最高品質の、無敵の生ハムを作れるほうが、ずっと誇り高いことだと思います。
 私がこの手で作り、商標印を押したハムを味わった人は、一生、その味を忘れないでしょう。もし目隠しをされて試食しても、私のハムの香りと味わいは絶対に食べ当てられるはずです」
 また、一から事業を興して、カシミヤ製造業界で世界トップメーカーの一つになったクチネッリは、会社の利益を、保育園やサッカー競技場、村の教会の修復、美術館、劇場の運営に当てる。
「会社の基盤は、人です。<儲けなくていい>ということを申し上げているわけではありません。・・ただ利益を出すことだけが目的でない、それ以上に重要なことが生きていればあるでしょう、ということなのです。経営者である私の個人預金額がいくら増えても、何の意味もないことです。・・
 私たちは、<倉庫番>のような気持ちで働いていて、自分たちの倉庫からたくさんの夢を送り出したいと考えます。私たちが生きている時代に預かっている大切なものを、後世の人たちにきちんと残していきたい」
ここで紹介される人たちが、ファッションや食、娯楽に関わる職業が多いのは、著者の好みのあるだろうが、イタリアの特徴を現しているように感じられる。
 人口5700万人の国で法人登録が2000万社あるというイタリア。これまで社会インフラに投資されてきた蓄積の違いも思い知るが、いわゆる「職人」的な価値観は、日本でもかっては強く残っていたはず。日本でもいつの日か、こうした価値観を持つことは可能なのだろうか・・。自分の周りにこうした事例が現れることで徐々に変わっていくのだろう。そのためにも、‘成功例’が、たくさん紹介されるのはいいことだろう。

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2004年04月11日

●黒崎政男『デジタルを哲学する』

98年から2000年まで朝日新聞の夕刊で連載されていたコラムをまとめたもの。

「カラオケというテクノロジーが、実に上手く歌を歌えるシロウトを大量に生み出しプロ歌手とシロウトの垣根を崩し、結局は、テレビやラジオの多くの番組を担ってきた歌謡曲番組が、ほとんど変容・消滅し、栄光のスター歌手たちは消えていった。
 今日のインターネットというテクノロジーによって、文章を発表・公表する、という局面でも、同様の事態が起こっていると言っていい。」
「書物メディアに立脚した従来の学問は、<独占>と<タイムラグ>を特質として成立してきたが、今後ますます強力になるインターネット情報は、それとはまったく正反対の<解放>と<同時性>という特質を持っている。・・
 印刷書物テクノロジーが、固定的で標準的な同一テキストの大量生産を可能にし、<一対多>の啓蒙的教育システムを成立させたのであれば、インターネット・テクノロジーは、権威の終焉や規範的テキストの解体を成し遂げながら、集団的著者性や新たなネットワークをもたらすとも言える・・・
 こんな状況で、大学とはいったい何か。
 「情報の量や速さをいたずらに追い求めるのではなく、情報を見極める判断力や、断片的知識の寄せ集めから統一的意味を見いだす洞察力を身につける」
 まっとうではあるが、歯切れの悪いこのような言説しか、今日の大学人には残されていないのかもしれない。」

掲載媒体の性質もあってか、とても読みやすいし、投げかけられた議論も面白い。さらに突っ込んだ展開は、次の著作に期待、というところか。

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2004年04月05日

●水巻中正『ドキュメント日本医師会』

日本の医療のあり方が大きな問題となっているが、どうして急に取り上げられるようになったのだろう。誤診や医療事故は、以前から起きていたはず。タブーだったものが、一気に解き放たれたかのようだが、その理由は何なのか・・。
ひとつの推測は、医師会と政府とのパワーバランスの変化だ。いっぽうで、ネットによって進んだコンシューマー・エンパワーメントによって、病院の能力差が明らかになったこと。ぼくが以前から医療問題に興味を持つのは、主に後者の視点からだ。巨大な権力を持っていた「聖域」が、改革を迫られるに至った過程に興味がある。それは、医学界だけではなく、他分野にも応用できるはず。
というわけで、前者の視点=医師会と政府のパワーバランスの変化をドキュメントした本を読む。巨額の政治献金と集票力で影響力を見せつけていた医師会が小泉の規制改革にどう挑み、負けたかをレポート。
日本医師会の会員は、15万8000人。
政治活動費として集めるお金は、20億円。
しかし、医師会が、どんな時代の変化についていけなかったのか、そのあたりがあまり描かれておらず・・残念。

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2004年04月03日

●黒川利明『ソフトウェア入門』

う〜ん、期待したものとちょっと違ったけれど・・。

ユビキタス計算が普及し、インフラやその上のアプリケーションなどのためさまざまなソフトウェアが使われるようになるなら、ソフトウェア開発の需要は、今後さらに増えるにちがいないと予想される。ところが、ソフトウェア開発を行うプログラマー全体の人口は、むしろ減少するのではないかと見られている。・・
第一の理由は、ソフトウェア開発の生産性の向上である。・・
第二の理由は、さまざまなソフトウェア部品(コンポーネント)の充実である。・・
第三の理由は、ビジネスツールの標準化とパッケージの普及である。・・
第四の理由は、ソフトウェアのサービス化である。・・

一般的ソフトウェア開発が既存の機能やパッケージの組み合わせでできるということは、ソフトウェアの開発のかなりの部分が、事実上ユーザー側でできるようになっているということにすぎない。・・
そうすると、ソフトウェアの「開発」が意識されるのは、企業なり政府なりで新たに大規模なシステムを実現し利用する場合だろうが、この場合でも、まずは、そのソフトウェアやシステムがどのような働きを持つのか、どのように利用されるのかという、ビジネスルールや要求仕様を規定することが、ソフトウェア開発の大きな部分を占めるようになるだろう。

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2004年03月29日

●読売新聞東京本社経済部編『「知財」で稼ぐ!』

去年の1月〜7月まで讀賣新聞でこんな連載やっていたとは。政府が知財戦略推進計画を正式決定するタイミングで、この広範なテーマを、幅広く押さえ、コンパクトにまとめている。内閣官房知的財産戦略推進事務局の『知財立国への道』を読んだ時には、あえて医療特許を大きく扱う理由がわからなかったのだが、ようやく納得。

医療行為は、日本の特許審査基準では「産業上利用できる発明に該当しない」として、特許の対象にならない。再生医療も同じだ。しかし、アメリカでは医療行為にも特許が認められており・・略。
日本では認められない特許が、特許を広範囲に認めるアメリカでは付与されるため、医療関係者の間では、日本での研究が空洞化する懸念もささやかれている。・・
男性用かつら大手のアデランスは2002年夏、ロサンゼルスに研究所を設立して毛髪の再生医療分野に進出した。

医療を特許で囲いこみ、経済的価値だけで判断するのも危うい気がするが、これまたアメリカに追随、ということか。
WIRED NEWSでも2000年ぐらいから最先端医療の記事が急増している。この分野の情報を受け入れる視点でも、まだ日米に大きな隔たりがあると思っていたが、特許と保険制度の改革で一気に変わるか・・。

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2004年03月28日

●小田中直樹『歴史学ってなんだ?』

目次をめくって予期したものよりも、だんぜん面白かった。歴史は何のために学ばなければならないのか。そもそも、社会や個人の役にたつのか。「歴史学」とは何かといった大きなテーマを、歴史小説と歴史学の違いや、従軍慰安婦論争という身近でアクチュアルな話題を幅広く織り交ぜながら、わかりやすく導く。まさに新書らしい新書。

現在は多くの人々から同意を得て安定しているが、将来どう評価されるかわからない知識を提供するという点で、歴史学もまた一つの「通常科学」です。・・
歴史学も通常科学でありうる以上、みんなで考えれば、よりよい認識や解釈や歴史像に到達できる。
歴史学は、さまざまなかたちで、ぼくらにコモン・センスを提供できる。・・
「コモン・センス」とは、ふつうの人がまっとうな日常生活を送るための必要な「常識」とか「教養」といったものをあらわす言葉です。

稲葉氏や山形氏、白田氏に通じるさまざまな分野を横断する視野の広さと、風通しのいい啓蒙的姿勢がひじょうに好感持てる。経済史のほうも読まねば・・。

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2004年03月24日

●國領二郎他編著『デジタルID革命』

ICタグをめぐる可能性と問題が、よくまとめられている。
特に國領氏が担当した3章1が視野が広くていい。そこで気になった箇所をメモ。

・ICタグは、生産や物流の効率化用途が注目されているが、「化ける」のはエンターテイメントかもしれない。
・消費者のプライバシー不安の根源は、企業側のみが情報を握ってコントロールすることにある。逆にコンシューマー・エンパワーメント戦略では、企業側の情報を徹底的に開示することで利益の出るビジネスモデルがあれば、顧客側への情報提供や選択権の提供を積極的に打ち出そうという提案だ。
・日本人は、住基ネットなどの強制にはアレルギー反応を示すが、ナビゲーションサービスなどの任意のモバイルサービスには、寛容。
・個体識別技術はロジスティクス面の効率化、販売での新価値創造によって、顧客に価値を提供する力のある技術である。・・が、収益・費用どちらについてもまだ明確なビジョンがない。
・個体識別技術は、多くの業界で、業界内の分業構造をも変革していく存在になるだろう。

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2004年03月18日

●松浦晋也『国産ロケットはなぜ墜ちるのか』

宇宙開発は、華やかなイメージの裏で、軍事、政治が強烈に絡み合って進められる大事業だけに、なかなかその実態が理解しにくい。その意味で、日本の宇宙開発の現状を多角的に検証しながらその問題点を探ったこのレポートは貴重。

著者は、日本の宇宙開発がかかえる問題をこう指摘する。
・慢性的な予算不足による開発試験の不徹底
・官僚と現場技術者との齟齬
・組織の論理を危機管理に優先する姿勢
・政官の理工系に関する無教養
・儲けたくても儲からない官需の仕組み
・極度のアメリカ依存

まとめるとこうなるのだが、驚くような具体例が満載だ。
・H-IIは、世界的な相場の半分のコストで開発され、H-IIAは、5分の1。
・2002年度の宇宙産業の規模は3300億円。
・日本政府は、宇宙開発を‘先進国サロン’に入るためのネクタイだと思っている。
・テポドン発射以来、急浮上した情報収集衛星。期間5年間、2500億円で開発。(著者の分析では、98年の「テポドン」は衛星の打ち上げだった。)
・その性能は、アメリカの民生用地球観測衛星以下。
・情報収集した後の画像解析技術の不足。
・地球観測衛星「みどり」は、三菱電機、東芝、日本電気に均等に発注。
・2007年完成予定だった国際宇宙ステーションの建設は、スペースシャトル「コロンビア」の事故で白紙。3100億円かけた日本モジュール「きぼう」は、ほぼ完成して、アメリカに出荷されているが、いつ打ち上げられるのかは未定。打ち上げられたモジュールもももすでに老朽化。
・2002年6月の内閣府・総合科学技術会議で今後の宇宙開発計画について「今後10年程度、有人宇宙活動について、独自の計画を持たない」と発表。最初にスペースシャトルを使った有人宇宙活動に踏み出したのは1985年。よって、日本は36年以上、この分野でアメリカに依存することになる。
・アメリカは、技術の独占と外交的通商的圧力で宇宙開発全般の優位を保ってきたが、最近、偵察衛星、測位衛星(GPS用)の分野でロシア、欧州、中国などにその独占が破られている。が、日本はこの分野でも大きく出遅れている。

政治家の理系工学系の教養の必要性が説かれているが、これはメディア側にも言えるところ。個人的には、文系理系を横断するメディアづくりを目指したいところ。

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2004年03月16日

●名和小太郎「知的所有権の国際関係」

伊藤守他編『グローバル社会の情報論』の中の小論。80年代以降の知的所有権の枠組みの変化を整理し、近未来の動向を予測しようというもの。以下メモ。

80年代以降の知的所有権をめぐる衝突は3つに分類される。
・第一のパターンは、先進諸国間の対立。たとえば日米間の貿易不均衡にもどづく知的所有権紛争。
・第二のパターンは、先進諸国と開発途上国との対立。たとえばCBD(生物多様性条約)。これは伝統的知識とフォークロアの尊重を求めていて、グローバリゼーションとは逆のベクトルを持つ。緊急な課題として、医薬品(エイズ治療薬)の特許強制実施の是非。
・第三のパターンは、工業先進国の内部の対立。産業界と市民層のあいだの対立。この食い違いのくさびとなるものが、著作権制度における著作者人格権、特許権制度では生命特許。

そして、

「知的所有権の利害関係者はインターネットの出現によって増大してしまった。21世紀には、これまでのように知的所有権の利害関係者を発明家や著作者や企業にかぎることはできないだろう。この人びとを一元的──理念としても組織としても──に制御することは不可能であるというべきだろう。
 このような条件が重なって、次世代の知的所有権の利害関係者は、現行制度のうえに、多重多様の新しいシステムをデ・ファクトとして生み出していくだろう。21世紀は「新しい中世」──多重化した統治構造──になるという指摘があるが、知的所有権制度についても「新しい中世」を予測していいだろう。」

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2004年03月15日

●歌田明弘『「ネットの未来」探検ガイド』

ここ1,2年のウェブ最新動向の中で、文系ユーザーの視点からみて、便利&ビックリのサイトやツールが、コンパクトにまとめられている。最近は、ますますネット業界の情報が専門化して、一般的情報と分断してきていると感じていたところなので、こうした情報が新書で出るのは価値があるように思う。
紹介されているのは・・検索(googleの動向とgoogle web API、kartoo.com・・)、XML(RSSリーダー、セマンティック・ウェブ・・)、アーカイブ(alexa.com、archive.org・・)、翻訳、P2P(grid.org、climateprediction.net)。個人的に気になったのは、グリッドコンピューティングで気候変動予測を行おうという「climateprediction.net」。ただ、SETI@HOMEのようなスクリーン・セーバーではなく、バックグランドで常時動き続ける、というからちょっと抵抗あるけれど。
ただ、本のタイトルとサブタイトル「時間と言葉の壁を越える」で、かえって手に取りにくくしている気がするのが残念。

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2004年03月08日

●内閣官房知的財産戦略推進事務局『知財立国への道』

あらためて内閣官房知的財産戦略推進事務局による『知財立国への道』を読んでみる。
コンテンツビジネス推進、司法制度改革、産学連携、模倣品対策、大学発ベンチャー、法科大学院、知財高等裁判所、特許審査迅速化、医療特許、信託制度・・と270項目に及ぶという知的財産による経済再生の範囲は広い。
結局、長引く不況対策として、「ものづくり」からの転換として、「知的財産」に目を付けられたのだが、モデルは80年代以降のアメリカだ。成功例として、ディズニー、ビル・ゲイツが度々出てくるし、99年、00年頃のIT革命推進以来の流れを引きずっていると言っていいだろう。
日本からの成功例として『千と千尋の神隠し』や『ポケモン』が頻出しているが、この分野への注目は、アニメやゲームの成功を見て、後付されたのかもしれない。さらに、この流れの中に、ちょうど問題となっていた大学改革、司法改革が、さらに付け加えられた・・という気もする。
というわけで、多数の府省を跨いでの計画だが、各府省間での縄張り争いが表面化しているのも面白い。
いっぽう、「知的財産権を強化しすぎると独占が進み、結局産業発展にマイナスになる」「公的産業支援育成政策がうまくいくはずがない」という意見ももっともだが、政府による無駄な施策は今に始まった話でもなし、幅広いこのプランから、なにかひとつでも実りのある成果が生まれればいいと思う。

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2004年03月03日

●ジョセフ・E・スティグリッツ『人間が幸福になる経済とは何か』

原題「The Roaring Nineties」=「狂騒の90年代」。翻訳書は、タイトルが酷いのが多いが、これも原題のままのほうが、著者の意図がわかりやすい。前著『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(これも原題は「Globalization and its discontents」)では、徹底してIMFが批判されていたが、今度は、視点を拡げて90年代のアメリカとは何だったのかを検証する。クリントン政権で経済諮問委員会委員長、2000年まで世界銀行上級副総裁を務めるという、アメリカの経済政策運営に関わった立場から、何ができて何が失敗したのかを改めて問う。不公正なグローバリゼーションへの批判は続いているわけだが、さらにエンロンの不正が発覚したこともあって、行き過ぎた規制緩和、不正会計操作、貪欲な企業、銀行の荷担・・と90年代の経済政策をけちょんけちょん。
それで〜も、「エピローグ」の部分だけで検証されているブッシュ政権のほうが、グローバリゼーションへの取り組み、規制緩和、無分別な税制改革・・とさらに酷い。
世界中がブッシュ政権に振り回されている現在では、ブッシュ批判を展開したクルーグマン本のほうが刺激的だったが(新聞のコラムだから、より時代にマッチしているのは当たり前だが)、アメリカの90年代とは何だったのか、ということをより冷静に振り返ることのできる2,3年後・・には、スティグリッツのこちらのほうが残るかもしれない。まあそれも、大統領選次第なんだけれど。

「狂騒の90年代をめぐる議論の根底には、われわれの価値観や社会がどのように変わりつつあるかという関心があった。私と同世代の人びとは、とりわけこうした変化に敏感だと思う。私たちはジョン・F・ケネディに次のように言わしめた時代に育ったからだ。「国が自分に何をしてくれるかと問うのではなく、自分は国のために何ができるかと自問してほしい。」・・
 狂騒の90年代はアメリカ人をつくりかえる役割を果たした。」

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2004年03月01日

●『ブラックジャックによろしく 8』

5巻から続いたガン医療編が完。このシリーズに入って読むのが辛かったが、今回は、死と向き合う、という壮絶な話の中に、最後に希望を作り出すことに成功していて感動。それと、これまで医療現場の現実に戸惑い、告発する役割だった主人公が、現場の改革を成し遂げるという展開もあって、同じパターンでは飽き足らない作者の前向きな姿勢も感じる。次回は、精神科編だ〜。

帯にこうある。
『ブラックジャック〜〜』が描いた矛盾と問題点が、次々と変革されていった。
研修医のアルバイト禁止/研修医の給与保証/新人医師の2年間の研修を義務化/新薬承認のスピード化と簡素化/病院の統廃合による医師の集中/手術数が多く熟練した医師に診療報酬を増配/医局講座制度廃止への取り組みを開始/不妊治療費用の公的扶助・・・
一作の漫画が世の中を変えていく。
〜〜〜〜〜〜
最後の一行はやや大仰だが・・。この漫画だけのせいではないだろうが、実際、こうした変革がなされたのは凄い。

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2004年02月28日

●篠田英朗『平和構築と法の支配』

現在の日本が、直面し、手がけようとはしているこの分野は、その理論的な考察については、あまりに場当たり的だったと言える。この時期、こうした実践と法理論を重ね合わせる形で深みを持った分析が出されるのは、ひじょうに意味がありそうだ。
〜〜〜〜〜〜
「平和構築活動とは、紛争の勃(再)発を防いで永続的な平和を作り出すための活動である」

「平和構築には、紛争の「根本原因」を集団アンデンティティに見出して和解を模索したり、経済構造の歪みを深刻視して生活の安定を図る開発政策を追求したりする戦略的視点も、当然ありうる。これに対して法の支配の確立を標榜する平和構築活動は、信頼できる公権力の欠如が紛争の温床となることを重要視する立場から導き出されてくる。」

「圧倒的な力を誇るアメリカが、時に国際社会の法秩序や、平和構築で果たすべき責務を軽視する態度をとることは事実である。・・しかしアメリカが責任ある行動をとるべきなのは、自国が信奉する法の支配の価値の名の下においてであり、自国の長期的な利益の観点においてである。アメリカの力それ自体を批判し、それを理由にして平和構築の法の支配関連活動を批判することは、少なくとも建設的な方の支配のための議論ではない。」

「法の支配が排するのは、力それ自体ではなく、恣意的な人の支配である。アメリカで権力を握る者が、力に溺れるような態度に出れば、それは間違いなく法の支配に反する。しかしもし法の支配の確立に向けた正しい努力医に思慮ある方法で力が与えられるとすれば、それは何ら批判すべきことではない。」

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2004年02月23日

●キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』

インターネットと民主主義をめぐっては、すでにインターネット第一世代による闇雲なネット礼賛の時期はすでに終えて、より具体的な功罪を問う段階に入ってきた。原題「Republic.com」。インターネットが民主主義にとって、何がプラスで、何がマイナスかを考える。特に情報を個人の嗜好に合わせてカスタマイズ化する傾向が強まるネット経由の情報伝達の在り方を問う。

「共和制、少なくとも混在型の共和制が頼りにしているのは、体験、将来の展望、善悪の価値観等の違う人々たちが出会って話し合える場なのである。
ここでは新テクノロジーは敵ではない。それは、リスクではなく、明るい未来をわれわれに約束している。共和制の観点からすれば、それがとりわけ普通の人に無数の話題への認識を深めさせ、無限に多様な意見を発見させる点において、現に大いなる希望をわれわれに抱かせる。だが新テクノロジーは、人々に自分の避けたい話題や意見から自分を隔離させる点において、深刻な問題も引き起こす。自由言論のシステムは各消費者による無制限の選択を要求するとわれわれが信じ込むならば、そのような危険があることに気づくことさえできなくなる。この危険が現実のものになるかどうかは、最終的には、自由と民主主義・・に対する、われわれの情熱次第である。」

〜〜〜〜〜〜
ちょうど、クルーグマンも、アメリカの政治が分極化している、と書いていたけれど、ネット社会が分断化の傾向を強めているのも事実。サンスティーンは、思いがけない出会いや議論が可能な‘公園’のようなネット空間が必要だと言っているわけだが、その具体案となるとなかなか難しいところ。それと、ここでの問題意識と、日本のそれとの違いはあまりに大きく、言論の自由や民主主義への意識の差がそのまま現れているようで、なかなか難しい・・。2ch分析あたりからしっかりやってくれる政治学者?の登場に期待かな・・。

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2004年02月21日

●岡村久道『迷宮のインターネット事件』

ネットと法との関係はますます重要になってきているが、日本における‘インターネットと法の現在’を知るには格好の書だ。多くは毎日新聞での連載から集められたもの、ということもあってセキュリティ、プライバシー、知的財産権・・と重要な問題が、具体的な「事件」を導入にして、その背景や専門用語がスムーズに解説されている。この分野は、海外と日本との違いを知ることも重要なのだが、その点もひじょうにわかりやすい。技術からのアプローチとともに、こうした法律家による事例の積み重ねの大切さを改めて感じる。この続編、続々編・・が期待される。

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2004年02月16日

●ポール・クルーグマン『嘘つき大統領のデタラメ経済』

ブッシュ批判は、すでに飽きるほど目にしているのだが、これほどの説得力を持つものは他にない。穏健な語り口なのだけれど、これだけの迫力を持つのはなぜなのだろう。

「アメリカを現在支配している勢力の中枢は、長年築き上げられてきたアメリカの政治・社会的制度など原則として存在しなくてもいいと考え、我々が当然だと思い込んできた社会的ルールまでも否定していることの証拠は十分にある・・」
「私はニューヨーク・タイムズ紙のコラムには、もともと国内政治ではなくビジネスと国際政治について書くもつもりでいた。ところが政治状況が悪化するにつれ、私はなぜアメリカの政策がこんなにもひどいのか説明する必要に迫られたのである。
 私が見るところそのひとつの答えは、アメリカの政治が非常に分極化したことである。つまり、中道政策を維持できなくなったということである。その分極化の背景にあるのは、ますます不平等化しつつある所得である。その結果はある種の階級闘争だといえる。それは貧困層が富裕層から吸い取ろうとすることによってではなく、経済的に恵まれているエリートたちがその特権を拡大しようとする試みによってもたらされている。」
「19世紀の帝国主義はアメリカ外交からの逸脱にすぎなかった。同様に、ブッシュ・ドクトリンもまた逸脱ではないのかと疑わずにはいられない。つまり、真の現実問題──機能不全に陥った安全保障機関、停滞する経済、破綻した財政、そして同盟国とのぼろぼろの関係などからの逃避ということである」
〜〜〜〜〜〜
広範な分野に目配りをし、長い歴史経過の中で、現在がどうあるのか、ということを考察し、感情に飲み込まれることなく、冷静に分析しようとする姿勢が心地いい。このクオリティで毎週書き続けられているのも凄い。‘日本のクルーグマン’はいないものか・・。

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2004年02月05日

●西垣通『こころの情報学』

久しぶりに西垣通氏の本を読んでみる。

「本来の<情報>とは生命の“意味作用”であり、社会的動物であるヒト特有の<言語>をはじめとする記号表象はその発展系として生まれたのですが、気候の意味内容が規範化されるにしたがって、意味内容をはぎとられた記号のみが機械的に複製・配布されるようになってきました。・・
 その結果、現代人の思考は短絡的でその場しのぎのものとなり、われわれは生の根元的な統一感覚・価値観を見失った空虚感をかかえながら、事務機械のような毎日をおくることになります。・・
 ・・現代人はついにコンピュータで<心>をつくろうとするところまで行き着いたのですが、これは裏返して言えば、自分たちを意識のどこかで「機械的な存在」とみなしているからにほかなりません。
 しかしながら、「ヒトの心」とはつまりは「動物の心的システム」の一種であって、理性のみを体現する論理機械とはほど遠い存在です。表層の合理性を突き破って、生存本能に絡んだ烈しい欲望や恐怖が吹き出してくるのも当然と言えるでしょう。そこで何らかの社会的装置が必要になるわけです。とりわけ、・・ヒトに不可欠の社会装置が「神話」というものです。」
「機械情報が氾濫すると、「言葉の力」がみるみる衰えていきます。・・
「ヒトの心」とは<情報(社会情報)>が織りなすダイナミックなプロセスです。・・21世紀にも相変わらず<情報>が<心>をつくり、そしてまた、<心>が<情報>をつくるのです。
 社会情報の代表格である言語について、われわれはいま、大きな問題を突きつけられています。」

〜〜〜〜
う〜む、人口知能、オートポイエーシス、動物行動学、アフォーダンスという理系の知と、現象学、社会学、言語学、記号学という文系の知をまたぐ形で語られる「情報学」なのだけれど、ジェットコースターに乗せられたあと、結論部で一人おいてきぼりにされた気分。基礎的な概念の説明を詰め込んでいるので仕方ないところか・・。

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2004年01月30日

●阿部潔『公共圏とコミュニケーション』

ハーバーマスによって再構築されたフランクフルト学派とカルチュラル・スタディーズという知的プロジェクトを、メディア/コミュニケーションを対象とした「批判的研究」の事例として選び出し、その思想の可能性と課題を「公共圏」との関連で論じるもの。ここでの「批判的」とは、「価値コミットメントを伴った「思想」をバックボーンとして、現実社会に切り込んでいこうとする知的営為が指し示すもの」とのこと。全体の構成がクリアでわかりやすい。最終章からメモ。

「今日のインターネットやマルチメディアを巡る研究を動機づけている「要求」の多くは、「経済・産業的なもの」と「政治・行政的なもの」であるとの印象を拭いがたい。・・そうした動向に対抗すべく批判的研究は、技術、産業、制度・政策とは異なる「文化の論理」のもとで独自の議論を展開していかねばならない。
 「情報化」は、技術的に問題を解決するのみならず、社会的矛盾や対立を結晶化し、より鮮明なものとして浮かびあがらせることもありうる。・・情報化社会=現代社会が高度化していく過程で益々深刻な問題として顕在化しつつあるものの一つが、広い意味での「民主主義の危機」である・・
 批判的メディア/コミュニケーション研究に求められていることは、「近代的啓蒙」という教条を無反省・無自覚に掲げるのでも、状況追認的に相対主義に陥るのでもなく、現実から突きつけられる諸矛盾に真摯に耳を傾ける「醒めた理想主義」のものとで、社会関係における「規範」の問題に取り組むことであると思われる。・・
 今後一層の進展が予想される情報化社会を対象とする批判的研究には、未来をいたずらにバラ色に描くのでも現状をただ悲観的に嘆くのでもなく、「現実」を冷徹に見つめながら「より良い社会」を目指すことが切に求められているのである。」

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 最終章で書かれている方向性は、とても納得がいくものだし、まず研究の対象としてフランクフルト学派とカルチュラル・スタディーズが選ばれているのもとて面白いと思う。だからいっそう次のステップを読みたいもの。

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2004年01月28日

●水谷雅彦『情報の倫理学』

『情報倫理学』編者の水谷氏の論文をまとめたもの。プライバシー、知的所有権、技術倫理、フィルタリング、電子討論と匿名性・・とひじょうに刺激的なトピックが並んでいるし、紹介される事例も面白い。が、やや網羅的でそれぞれにもう少し突っ込みがあってもよかったかな・・これからの論文に期待。

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2004年01月25日

●井熊均『燃料電池ビジネスの本命“住宅市場”を狙え!』

燃料電池が社会に与えるインパクトは、ある意味インターネットが‘革命’と言われていた以上のものだろう。その普及も予想以上に早いものになりそう。この分野は、ひじょうに面白い。

・都市ガス会社や家電メーカーは、家庭をターゲットにした1キロワットのPEFCを開発。
・燃料電池自動車(FCV)よりもコストダウンのハードルが低く、商用化が近いため。
・世界の燃料供給方式の主流は、車上改質方式だが、トヨタ、ホンダは純水素を燃料とする方式。
・バラード・パワー・システムズ(BPS)は、インテルにたとえられPEFC関連の応用特許をほとんど持つ。そのため、多くの企業がスタックの提供を受けるしかない。
・しかし、トヨタは、FVCの量産化を見据えて、アイシン精機などとスタックを開発する自前主義。
・東京ガスの事業化のスケジュールは、2004年度に、発電効率30~31%、販売価格は100万円を目標。荏原バラードグループ、松下電器産業をパートナーに。
・原燃料1に対し取り出すことのできる水素の量は、LPG0.448、ガソリン0.440、灯油0.437。
・政府の燃料電池導入目標は、2010年までに累積で210万kw、2020年までに1000万kw。210kwは電力9社の発電設備出力の5%。これを1kwの燃料電池で換算すると、2010年までに約120万台。2005年の実用化から2010年までは50万円/台、2010年以後は30万円/台で試算すると、2010年までに6000億円、2020年までに1兆3500億円の市場となる。
・燃料電池が家庭内に普及すると、電化製品はコンセントが必要なものと不要なものに2分化されていく。
・燃料電池の発電効率はもっと高くなる可能性がある(理論効率は83%)。内燃機関の理論効率は64%。
・将来の水素を貯蔵する方法として最も期待されているのがカーボンナノチューブ。
・燃料電池を使った分散型エネルギーシステムは、4つの段階に分かれる。エリア分散→施設分散→個別分散→機能別分散。
・燃料電池の分散型システムはグリッドコンピューティングにたとえられることが多い。

燃料電池そのものもだが、分散エネルギーシステムがすでにここまで現実のものとして考えられているとは。「水素エコノミー」はすでにコンセプトではなく、すでに現実だ。

●関連エントリー
ジェレミー・リフキン『水素エコノミー』

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2004年01月24日

●矢沢久雄『プログラムはなぜ動くのか』

どこの本屋にもたくさん置いてあるこの本を、今さら恥ずかしいのだが、基本が大切、と感じ始めて手に取る。やさしい語り口で、プログラムとCPU、メモリの動きがなんとなくすんなり理解できた気がしたのはよかった・・かな。1月だし‘基礎シリーズ’を続けてみよう・・。

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2004年01月21日

●小倉利丸「監視カメラと街頭管理のポリティクス」

小倉利丸編『路上に自由を』から。
「監視カメラはこの社会の政治的経済的な支配の構造が本来であれば負うべき責任を回避して、社会的な矛盾と不可分に現れる街頭犯罪の原因を犯罪者個人に還元する一方で、社会のなかの低所得層やマイノリティを監視するものだ」という主張。その主張の土台として使われている論文が面白いのでメモ。

・ゲリー・ラフリー『正統性の喪失』。
「1960年代の政治不信が増大し、収入格差が拡大し、伝統的家族が執拗に異議を突きつけられた結果、戦後アメリカでは犯罪の波が生じた。略。[政治、経済、家族] の3つの制度の正統性の衰退は、犯罪に対していずれも同じ意味を有している。」
・ウルリヒ・ベック『危険社会』
「発達を遂げた産業社会は、自ら生み出した危険を「糧」に成長した。その結果、今までの近代社会の基礎を危うくするような、社会の危険状態と政治の潜在的可能性を生みだしたのである」
「危険の増大ゆえに危険社会において、民主主義に対するまったく新しい種類の挑戦が生まれる。危険社会は危険に対する防衛にためするという「正当な」全体主義的傾向を持っている」
・マイク・デイビス『要塞都市LA』
安全は「個人の安全というより、住宅環境、職場環境、そして旅行環境において、個人が『不道徳な』集団や個人、あるいは一般に群衆から隔離されること」を意味するようになる。

安易な監視カメラ礼賛の風潮は確かに問題があるわけだが、「資本主義社会の制度的な矛盾を覆い隠し、犯罪を個人に還元する権力の犯罪観を典型的に示している」というところまで遡るとなかなか出口が遠くなる・・。

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2004年01月20日

●泉谷渉『日本半導体起死回生の逆転』

半導体産業新聞編集長によるニッポン半導体産業の現状レポート。基本的なトーンは、日韓逆転の象徴DRAM市場は、半導体市場の10%にすぎず、日本の半導体産業の構造改革は着々と進んでいる、と鼻息がかな〜り荒い(^^;)。
すでに半導体産業の構造改革の成果が出ている分野として、デジタル家電向けシステムLSI、自動車、ロボット向け、ICタグ、バイオチップ、化学物半導体、ナノテクノロジー・・をあげ、大手企業の大型事業再編、大型国家プロジェクト(あすか、MIRAI、HALCA、ASPLA・・)、九州シリコンクラスター計画、ファブレスベンチャー、大幅に増える半導体設備投資、知的財産権戦略・・と続々と改革の手が打たれている・・というレポート。あまり‘日本’‘日本’と言われると、シラケるが、現状を理解するには格好。動きが早い分野だけに、情報の日々のバージョンアップが必要だ。

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2004年01月15日

●小倉利丸「日本型監視社会に対抗するために」

『世界のプライバシー権運動と監視社会』から。強力な内容。
「監視社会への批判は、個人のプライバシーや自由の権利を守る上で必要なことであるが、もはやこうした個人的な自由権のレベルではとどまらない、より構造的社会制度的な問題にその射程を拡げないことには有効なものにならなくなっている。・・
 監視社会がいたずらに扇る恐怖と不安という仕掛けをまず私たちは冷静に見定め、その大半が監視ビジネスや政治的な思惑で生みだされた上げ底の恐怖である可能性をきちんと判断しなければならない。・・
 監視社会がIT化によって、大きな技術的な「進化」を遂げつつあるとはいえ、・・こうした監視社会を支える日本の社会が長年維持してきた「世間」的な相互監視やナショナリズムにより排他的な新庄などが再生産されている限り、IT監視社会はなくならない。監視社会の解体とは日本の社会の負の伝統的な監視の文化、価値観ともいうべきものとの戦いも避けることはできない。」

その他、気になった情報。
・情報セキュリティ市場は90億円弱だが、警備業で見た場合2兆円。
・バイオメトリクス市場は47億円(2002年)。その8割が指紋認証市場。2005年には3倍の150億円を目指している。
「オークランドトリビューン」の記事によると、アメリカの諜報機関、反テロ対策機関がテロリストとして監視、情報収集のターゲットとしているなかには、反戦運動家が組み込まれている。またテロリズムを爆弾や殺人といった事柄に限定するのではなく、経済活動を阻害する行為もテロを見なすため、労働者のストや、自転車による路上占拠デモ(クリティカル・マス運動)も情報収集対象となっている。
・ワールドカップの前に成立した改正入管法では、日本国内で違法な行為が行われなくても‘予防拘束’が可能になった。

 

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2004年01月13日

●ウィリアム・ボガード『監視ゲーム』

副題「プライヴァシーの終焉」。原題「The Simulation of Surveillance ──Hypercontrol in Telematic Societies」。フーコーの監視論と、ボードリヤールのシミュラークル論を基礎に、‘監視のシミュレート化’が起こる超管理(ハイパーコントロール)社会を語る。ひじょうに興味深いのだけれど、ポストモダンな学者にありがちな読むのに厄介な語り口。途中で面倒になってさらっと流す。また読み直す時があるか・・な。
訳者あとがきの言葉から借りると「一般の管理社会論が政治権力や、大企業による支配を告発するスタンスをとりがちなのに対して、本書には特定の管理者は登場しない。観察者までもが観察されてしまうという、ある意味でより厄介な社会像である」。

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2004年01月09日

●シムソン・ガーフィンケル『暴走するプライバシー』

凄いタイトルだが、原題は「Database Nation」。出版された2001年1月に目を通した時には、あまりピンと来なかった事例が、今では一気に身近な問題として理解することができる。
「ことプライバシーに関して、テクノロジーは決して中立ではない。むしろプライバシーを侵害する傾向のほうが、圧倒的に強い」という主張に基づいた事例を細かく紹介。原書のサブタイトルは、「The death of privacy in the 21st century 」。かつてレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が環境保護運動に火を付けたが、プライバシー問題における「沈黙の春」となることを目指したという。紹介されるのは、バイオメトリクス、無線ID、監視カメラ、ナショナル・データベース構想、医療記録の悪用、マーケティングの暴走、個人情報の商品化、独り歩きする遺伝子情報、知的所有権のミクロマネージメント、個人化するテロリスト(すでに炭素菌を問題視)・・。
 瀕死の状態にあるプライバシーに対し著者の立場は、「その気になればプライバシー問題も、政府の力で打開できるに違いない」というもので、プライバシー監視委員会の設置、公正信用報告法をデータ保護法へ、技術評価局の復活を提案している。
それでも、この本が書かれたのは、9.11以前。紹介されていたFBIのニューヨーク支局長の言葉が印象に残る。
「たった1人のテロリストが1万人以上も殺害できる日がきっとくる。・・もしそうなったら、議員や世間が大騒ぎし、二度とテロが起こらないような厳しい法律が制定され、正真正銘の警察国家が誕生するだろう」

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2004年01月07日

●フランク・ウェブスター『「情報社会」を読む』

原著は、95年の出版。この分野は、変化が激しいだけに、8、9年のギャップは致命的になる場合もあるのだが、この本の内容はまったく古くなっていない。‘インターネット’さえ一言も登場しないけれど。日本では2001年8月に出されたこの本を、今頃読んだことが悔やまれる・・。
現代世界の特質として「情報」を挙げる論者が増え、すでに「情報時代」に突入した、と語られることが多いが、それは本当か?という主旨。参照される論客は大きく二つに分かれ、‘新しい社会が来た’とする論者として、
ダニエル・ベル(脱工業社会)、ボードリヤールやマーク・ポスター(ポストモダニズム)、ラリー・ヒルシュホーン(柔軟な専門家)、マヌエル・カステル(発展の情報様式)。
連続性を強調する論者として、
ハーバート・シラー(ネオ・マルキシズム)、ミシェル・アグリエッタ(レギュラシオン理論)、デヴィッド・ハーヴェイ(柔軟な蓄積)、アンソニー・ギデンズ(国民国家と暴力)、ハーバーマス(公共圏)。
そして、著者は、前者を技術決定論で検証に耐えないと退け、歴史的な源流は連続性という視点から説明すべき、と後者の立場を支持する。
(ウェブ)雑誌業界にいると、「連続性」というよりも、一見刺激的に見える「変化」を好み、新奇性を強調しがちだが、より長期的な視点を持たなくては・・と自分に言い聞かせる。

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2003年12月27日

●デイヴィッド・ライアン『監視社会』

春頃、一度、手を出して途中で止めたのだが・・再び。翻訳のせいなのか、読みにくい。気になったところだけメモ。
「私としては、「個人を再-身体化する」ことが積極的な前進の道だと主張したい。」
「消失する身体の世界にあっては、抽象的データが特権化される。順番を逆転させること、生身の個人の対面的関係を展望に収めた観点からコミュニケーションを評価すること、それによって、社会的なものが技術的なものを形成するような方向に向かうはずだ。決して、その逆ではなく。」
「もう一つの基軸原理が、他者への配慮である。見知らぬ者たちの社会、監視によって否定的側面を電子的に劇化させられた状況にあって、他者への配慮は徹底して再強調されなければならない。」
「これを監視状況に当てはめれば、まず第一に、見知らぬ者に居場所と歓待を与えようとすることだ」

「ドゥルーズによれば、今日の社会は規律よりも管理に支配されている。権力は、身体を束縛する障壁で区切られた物理空間ではなく、コードから構成された監視のフローの中で追い求められる。
アルベルト・メルッチも、著書『コードへの挑戦──情報時代における共同行動』の中で、関連する論題を取り上げている。
メルッチは運動を徴候と見る。それは、リスクや危険が輪郭を明らかにする前にそれらを知覚し、そうして、それらの名を与え、公共の問題として道程する役割を果たすのである」
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ハンナ・アーレント、公共圏をやらないとダメかな・・。

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2003年12月08日

●美崎薫『ユビキタス・コンピューティング』

‘ユビキタス’と言っても曖昧な言葉だから、なんでもありなわけだけれど。ここでは、インターフェイス、ウェアラブル、の話が多い。日本の研究者もその分野で楽しい実験を試みていることがわかる・・。導入として『マイノリティ・リポート』が紹介されていて、あの映画の中で使われている多くのコンピュータ・インターフェイス(ガラス・ディスク、透明ディスプレイ、画像検索、ジェスチャー・インターフェイス、ウェアラブル)が、すでに実験中のものであって、2054年、という設定はいかんのではないか、とのこと。
しかしイメージされる「未来」が、なにか空疎というか、薄ら恥ずかしい感じがするのはなぜなんでしょうね・・。

●小島郁夫編『図解 IPv6』
こっちもサブタイトル「こうなる!! ユビキタスの世界」。こっちは、IP電話、ITS、e-japan、電子自治体・・で、「IPv6技術で日本が世界をリード」「いよいよ本格化する生き残りをかけたネット上での戦い」・・と、これまたため息。

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2003年12月04日

●『ICタグって何だ?』

ICタグの応用分野、技術、業界動向、が簡潔に整理されていてわかりやすい。13.56MHz、2.4GHz帯の電波法改正がICタグシステムにとって有利な改正だということはわかったけれど、ちょっと周波数の利用の状況について、学習する必要がある・・。現状の日本の電波法では、国際EAN協会が中心となっているGTAGで利用されることなっている860-930MHz帯域が、携帯電話の周波数帯にあたり、利用できない。

「ICタグの課題と将来」の章のまとめ。
・ICタグが普及するには、コストを上回るメリットが必要。JR東日本「Suica」のようなモデルの確立が必要。
・ICタグのキラーアプリは何か?
・ICタグ導入により最悪の影響を考えられるのが、商品を常時身につけることになる衣料品、位置情報が重要な意味を持つ運輸の分野。人の移動や行動に匿名性がなくなる危険性がある。
・ICタグ自体の複製、偽造は比較的容易。トレーサビリティへの応用は有効だが、それを「保証する」のは難しい。
・そもそも「モノのインテリジェント化」を許すのか、という本質的な議論が必要。その方向に進むときには、情報の機密を守る「機密性」、情報が完全な状態であることの「完全性」、情報が必要な時にいつでも使用できることの「可用性」、についてコンセンサスの形成と技術的・法的の両側面からの確保が重要。

●関連エントリー
岩田昭男『ICカードビジネス』

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2003年11月16日

●田中秀臣+野口旭+若田部昌澄『エコノミスト・ミシュラン』

噂は聞いていたのだけれど、ようやく読む(そんなんばっかですが・・最近)。3人の座談会で、現在の経済論壇の見取り図をわかりやすく解説しながら、妄言繰り返すエコノミストをバッタバッタと斬りまくる。いやぁ、痛快。対象をバカにして、批評になっていない批判というのも、よく目にするけれど、そうした姿勢はなく、3人の経済学的立場を明確にした上で、何が間違っているのか、誤解しているのか、丁寧に批評する。そして、後半は、最近出された、経済本の書評。評者は3人から増えているが、視点は同じ。リフレ派による構造改革派、財政出動派、反経済派批判。この本が数年前に出ていれば、いろんな経済本を読んでは、頭を混乱させ、時間を無駄にすることもなかったろうな〜。
編集は、太田出版の落合美砂氏。ひとつのテーマを取り上げて、座談やインタビューによる概説と本などの資料データで補足するという総覧的な本は、太田出版で以前から出されていた。95年頃だけれど、いとうせいこう+スガ秀実+中沢新一『それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド』、中森明夫+山崎浩一『だからこそライターになって欲しい人のためのブックガイド』・・。スタジオ・ボイスの特集と視点や作り方が似ていたので気になっていたのだ。最近もこのパターンの本は出されていたんだろうか。
編集の切り口や視点は、お見事だ。経済書だけれど、読者の対象を、若い人に設定したコンセプトもいい。本の装丁は、そのコンセプトに合わせたものなのだが、デザインが頑張りすぎていて、本文が読みにくい気がするのがちょっと残念。

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2003年11月13日

●池澤夏樹『楽しい終末』

93年に出されたものを、本棚から引っぱり出して読む。先日も書いたとおり、池澤氏のメールマガジン&blogの新連載「パンドラの時代」にこういう言葉があった。「必要なのは希望を具体化することです。災厄の一つ一つを検討して、希望の側に繰り込んでゆく。」ここでは、「希望」を積極的に造り上げていこうという池澤氏の意志が感じられる。しかし、かって池澤氏は、「世の中に蔓延する悲観論、終末論に自縄自縛の状態になっていた」という時期があったのだ。(HWJ. 2001年のインタビュー)その時に書かれていたのが、この『楽しい終末』なのだ。「あとがき」でこういう。

「ことのきっかけは、二十年ばかり前から世の中いたるところに蔓延している悲観論、どうもこのままでは人間は行き詰まるのではないかというまことしやかな議論への反発だった。そんなはずはないと思い、どこに間違いがあるのか知りたくて、いろいろな方面にその実状を探ってみた。インチキを廃し、嘘を捨て、確実なものだけを求めた。(略)
 どこかに論旨の間違いがある。それを発見しなければならない。しかし、これが実に容易ではないのだ。今のところ悲観論の論法にはしっかりとした裏付けがあり、それに対する楽観論の方はうすっぺらに見える。戦況はきわめて不利。なんとかして後者に肩入れしなければならない。相当な苦戦になるだろうと思う。何十年もかけてこの迷路の出口を探さなければならない」

このあと、実際、2000年の『すばらしい新世界』まで10年ほど小説を書いていない。そして、「社会の雰囲気を写し取るというのは本来は文学の仕事である」とも言っているが、ぼくもまさに同様の悲観論、終末論を強く感じていたのだ。この本を読み直したのは、その再確認でもあった。
『すばらしい新世界』でようやく訪れた転機が、ここへきて「希望」を具体化する、とまで踏み込んでいる。この変化を積極的に評価したいが、それまでの過程で何が導き出されたんだろう・・。

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2003年11月10日

●池田謙一『コミュニケーション』

今年の7月に発表された、オンラインゲーム「リネージュ」ユーザーの実態調査が面白かったので、調査を行った池田氏の2000年の本を手に取る。最終章の「情報社会の変容と社会へのまなざし」から、前の章「二重の情報環境とそのダイナミックス」へとパラパラと。ちょっとぴんとこない。というよりも、こちらの求めているものが偏りすぎだったようだ。97年の『ネットワーキング・コミュニティ』のほうがよかったか・・。

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2003年11月09日

●石村善治・堀部政男編『情報法入門』

いまさら、教科書読まないといけないのも情けないけれど・・。まわりまわって、結局概論から、ということで。言論の自由の歴史から始まって、情報通信法、個人情報保護法、インターネット法、著作権法、情報公開法、メディア論、とコンパクトによくまとまっているが、著作権法のところがやや不満・・。
ということで、もうひとつ教科書、再チェック。名和小太郎『サイバースペースの著作権』。

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2003年11月05日

●名和小太郎『学術情報と知的所有権』

今野浩氏の『特許ビジネスはどこへ行くのか』は、主に90年代以降のソフトウェア特許、ビジネスモデル特許の問題を扱っていたが、そこへと至る学術情報と著作権の成り立ちと変化を追った解説書として格好。学術情報の原型、著作権制度の歴史と構造、特許制度の原型と概要、学術情報(理系)の市場化、を丁寧に分析・解説している。その膨大な事例を紹介に圧倒される。それに常に視線は冷静でクリア。こうした冷静な姿勢は、貴重だし有意義なんだろうけれど、あとがきに書かれている現在の著作権のあり方への‘違和感’が、もっと主張されているほうが、個人的には好みか。東京大学出版局から出されている本だし、まず議論の場を整理する、という意味ではもちろん素晴らしいけれど。

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2003年11月04日

●佐藤俊樹『近代・組織・資本主義』

93年に出版された佐藤氏の最初の本。博士論文を原型としているようだ。期待どおり、『ノイマンの夢・近代の欲望』、『不平等社会日本』、『00年代の格差ゲーム』へとつづく思考の発端、論理展開、方法論のベースがここにある。ここで、西欧と日本がたどった近代の軌跡を追い、そして21世紀型近代社会を展望する後の作業に繋がる。今や、『不平等社会日本』の佐藤氏というイメージが強いわけだけれど、社会学プロパーの人たちの評価はどんなもんなのだろう。

「我々にとっては、今こそ近代が問題なのである。我々が現在近代を生きなければいけないとしたら、そのなかでいかに良く生きるかこそが最も重要な問いとなる。それなしに「近代の向こう」を気取ってもしかたない。そして、それに答えるために、我々にとって近代とは何かを問うていかなければならない」

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2003年11月02日

●今野浩『特許ビジネスはどこへ行くのか』

数理計画法の研究者で、金融工学でも著名な著者は、従来特許の対象からはずされてきた数学的アルゴリズムが、1988年アメリカで、「カーマーカー特許」として成立したことを期に、ソフトウェア特許、ビジネス方法特許のあり方に批判的立場をとるようになる。日本でも、いったんは拒絶査定を行っていたものを、93年に特許権を与える決定を行う。そこで、筆者は、数理計画法の研究者の立場から、特許異議申し立て、さらに特許無効裁判をおこす。この本は、その訴訟の顛末を中心に、ソフトウェア特許、ビジネスモデル特許と、‘何でも特許’に突き進むアメリカの現状紹介と、そのアメリカにただ追随する日本の状況を考える。
ルーセント相手の裁判の内実はまさに驚き。「高校時代以来、数学とまったく無縁の生活を送ってきたと公言している」裁判長相手に、大学での1年分の講義を行う大変さ。
いやぁ、R・ストールマンとは出自が違うわけだけれど、日本のエンジニア魂をみた思い・・。
「人類の未来はIT技術にかかっている。そしてその中枢を担うのはソフトウェアである。そたがってソフトウェア技術者が働きやすい制度を作ることが人類の未来にとってきわめて重要なのである。」

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2003年11月01日

●越智貢、土屋俊、水谷雅彦編『情報倫理学』

吉田純氏による第2章「情報ネットワーク社会における規範形成」を先に読んだが、その他の論文も面白い。名和小太郎氏による第9章「著作権におけるトレードオフ」は、さすが。14の質問を投げかけ、著作権が持つ重要な課題を明らかにする。水谷雅彦の第1章「インターネット時代の情報倫理学」は、応用倫理学の最も新しい一部門の「情報倫理学」の羅列的概観。
「現在、コンピュータに関わる倫理問題として考えられているものの多くは、本質的には、偏在性、責任の問いがたさ、専門家の不在、という情報技術の特徴に起因するものだといってもよい」
で、個別の問題として、プライバシー、「有害」コンテンツの規制、現行刑法の適用問題、情報フィルタリング・・が挙げられる。そして、
「情報倫理学というものの射程が、たんなる場当たり的な問題解決にあるのではないとするならば、情報という概念に関する今一歩踏み込んだ哲学的考察が必要になる」

というわけで面白いけれど、領域が広すぎってことはないんでしょうか・・。

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2003年10月30日

●佐藤俊樹『00年代の格差ゲーム』

90年から2002年2月までに書かれた評論を集めたもの。ということで『ノイマンの夢・近代の欲望』から『不平等社会日本』へ至る思考の流れや、ずうっと背景にある問題意識がわかる。気になる指摘は多いのだけれど、ちょっとメモ。

「機会の平等原理がよびだす否定する力。そこで否定されるのは、社会の外にある人々ではない。むしろ内なる人々、いわば隣人である。誰も、見ず知らずの他人と自分を比べたりはしない。自分の惨めさとつくりだし、〝敗者〟とするのは、同じ社会を生きる隣人なのだ。仲間からの、仲間に対する暴力。それが内なる暴力である。」
「それは、誰からも押しつけられたものではない。私たち自身がのぞんだことなのだ。これほどまでの軋轢と齟齬をうみだしながら、機会の平等社会への途を誰も捨てられない。機会の平等原理は、私が私であることの、いや私が私になることの奪われなさにつながっている。私たちのなかには、個であることの快楽と欲望があるのだ」

インターネット以後のマスメディアについて・・
「マスメディアが見捨てられたわけではない。「インターネット世代」とよばれる人たちも、依然として、強烈にマスメディアへの憧れをもっている。ただ、それは従来のような、マスメディアの受け手にとどまるものではない。むしろ、「自分が話したい」という強烈な欲望である。マスメディアに参加する、ではない。自分がマスメディアになりたいのだ。その欲望の爆発とちょうど裏側の形で、かつては「みんな」感覚はどんどん弱まっている。」
「そして、人々はいつか自分自身がメディアに登場するために、その練習のためにメディアを読み、聞き、視る。そういう形でマスメディアへの欲望を喚起し、引き延ばし、時に実現してあげることで、マスメディアは生き延びつづけるのだろう」
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これは、93年の『近代・組織・資本主義』も読まねばいかんね・・。

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2003年10月29日

●野村一夫『インフォアーツ論』

社会学サイト「ソキウス」の野村一夫氏。結局、「教養」「教育」に話は行き着くけれど、ここでも。偶然だけれど、昨日確認し直した佐藤俊樹氏の『ノイマンの夢・近代の欲望』『00年代格差ゲーム』から一歩踏み込んだ積極的回答、として読めた。

「インフォアーツ」という概念を提案したい。「インフォアーツ」は「リベラルアーツ」(教養教育)を模して新たに創作したことばである。新時代の情報環境を生きる知的素養のような意味をこの概念に込めたい。」
「民主主義には、ひとつの大前提がある。それはひとりひとりの市民が社会全体のことを知っているということだ。・・専門家ほどではないけれども、そこそこの基本知識があるということである。あるいは、それを知ろうとする意欲・技術・能力を持っているということだ。つまり、「眼識ある市民」の役割を担おうとする人たちが大勢いるということが重要なのだ。」
「「眼識ある市民」のもつべき情報資質の総体こそがインフォアーツの理念的意味なのである。メディア・リテラシーの批判的態度や、シティズンシップの能動性や、ネットワークや情報システムを駆使した調査能力や討議能力が必要だというのも、ネットワーク時代において「眼識ある市民」として情報環境と関わる際にこれらの資質がどうしても必要になるからである。古式ゆかしい教養主義では、もはやネットワーク時代の情報環境に対応できない。かと言って、すべてを技術的問題に解消しようとするインフォテックな知性では、せいぜい受動的適応が関の山である。私たちの生きている情報環境が、たゆみない政治的・経済的・社会的・文化的産物であるとの現実認識が欠けていては話にならない。」

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2003年10月28日

●佐藤俊樹『ノイマンの夢・近代の欲望』

96年の本、再チェック。最後の部分、ほとんど覚えてなかった・・。技術決定論への徹底した批判の後、これからの社会の動きとして、2つの方向性がある、とする。

●近代社会の純化、原(プロト)近代の再生。具体的には、労働市場の流動化、働き方のライフスタイル、メディアの実験的取り組み=日本社会のアメリカ化。
 ボランティアのよる公共サービスの提供、医療における患者へのインフォームド・コンセント、金融秩序の自己責任原則・・近代的な個人の自由選択ー自己責任の原則の強化。
 ボランティアベースで運営されるインターネット。技術啓蒙主義ともいえる古典的な啓蒙主義でもある。「再生」された原近代社会としてのインターネット・コミュニティ。

●近代社会のしくみそのものを反省するような視線。21世紀の超(ハイパー)近代社会は、19世紀型近代社会のような外へ外へと拡大しようとする外部を持ち得ない。「内なる無限」世界。

「社会を操作しうるがゆえに、結果が完全に予見しえないままに社会を操作せざるをえない。・・
 リスクとリターン、危険と希望の間のどこを選ぶかをめぐって、社会全体のデザインが問われるのである」
 

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2003年10月27日

●吉田純「情報ネットワーク社会における規範形成」

『情報倫理学』(越智貢、土屋俊、水谷雅彦編)の中の第2章。副題に、「電子民主主義」論を中心に──とあるように、「電子民主主義」について、概念的な整理が行われている。
ジュゼッペ・マントバーニーによる技術決定論への批判を紹介したあと、マーク・ポスターのようなポスト・モダン的な仮想/現実の二元論を批判し、ハーバーマス理論を用いるチャールズ・エスの「電子民主主義」論を紹介。

「エスによれば、・・これまでの「電子民主主義」をめぐる議論の混乱の多くは、実は民主主義概念そのものをめぐる、よりマクロな政治的・文化的議論の反映にすぎなかったという点である。それに加えてCMCの「平等な参加」原理が「民主化」をもたらすという技術決定論的な議論は、多くの場合「住民投票型民主主義」を暗黙の前提としていたという点も明確になる。そしてエスはハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論および討議倫理学を踏まえたうえで、理念として追求されるべき「電子民主主義」のモデルとして「コミュニタリアン的・多元的民主主義」を選択する。」
コミュニタリアン的・多元的民主主義とは・・
「コミュニタリアン的視点は、多元的民主主義が示唆する権力ゲームに対して道徳的価値と共通善を上位に置く。一方多元主義的視点は、コミュニタリアン的民主主義がはらむ他者排除の危険を、複数のコミュニティが意志決定プロセスに参加することを可能にすることによって回避する」
「インターネットの大衆化は住民投票的民主主義を称揚する多くの言説の反乱をもたらし、初期インターネットの「ハッカー文化」に代表されるコミュニタリアン的・多元的民主主義は背後に退いたように見える。・・
 しかしながら、・・・多様な「仮想社会」に基底には──あるいはメタレベルには──「自律的な個人主体」を構成要素とする近代社会のメカニズムが今後も厳然として存在し続けるだろう。それゆえ、情報ネットワーク社会に普遍的規範への要請もまた消え去ることはない。」
〜〜〜〜〜〜
ハーバーマス、勉強しないといかんなぁ。あと、意識されている佐藤俊樹の『ノイマンの夢・近代の欲望』に、何書いてあったかもう忘れてしまった・・。要再読ですか。

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2003年10月22日

ナンシー関女史・・

『ナンシー関大全』が、手に入らない。7月に出版された時には、いつでも買えるだろ、と油断していたのだが、いつの間にか売り切れだ。アマゾンでも「在庫切れ」。増刷を待つか。
ナンシーさんとの個人的な関わりは、『Studio Voice』での連載「信仰の現場」。ちょうど10年前。一日中テレビの前を離れないで、消しゴム削り、原稿を書いているという、出不精で有名だったナンシーさんを、なんとか外出させて、‘現場ルポ’をやってもらおうという企画を立てた。取材対象は、当時はまだ一般的に認知されていなかった、日常世界とはちょっとズレた趣味嗜好のタコツボ化した現象を追う、というもの。第一回目の‘現場’は、山梨県県民文化ホールで行われた「矢沢永吉コンサート」。書き出しはこうだ。
「何かを盲目的に信じている人にはスキがある。自分の状態が見えていないからだ。しかし、その信じる人たちの多くは、日常生活において、そのスキをさらけ出すことを自己抑制し、バランスを保っている。だが、自己抑制のタガが外してしまう時と場所がある。それは、同じものを信じる“同志”が一同に会する場所に来た時だろう。(中略)こういった「お楽しみのところ」に、大変恐縮であるが、私が潜入させていただく、というのが主旨である。」
この連載は、その後、「クレヨンハウス」「神保町さかいやスポーツ」「『男はつらいよ』初日」「笑っていいとも、公開生放送」「平成4年4月4日4時44分、JR四谷駅」・・と続く。

そう長くもないが、短くもない編集者生活の中で、自分でもかなり気に入っている連載企画だった。ナンシーさんも楽しんでくれていたはず。が、当時のSVの経理上の問題で、1年後、連載中止。そして、角川の『野生時代』で、「群小の別天地──すっとこどっこいにヨロシク」という名で再スタートし、後に、二つの連載を合わせて『信仰の現場』という単行本になる。書籍化まで関わりたかった・・。

※ちなみに、連載の担当編集者は同僚のY君でした。

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2003年10月20日

●吉田純『インターネット空間の社会学』

ハーバーマスとともにモダニティを擁護する側から、情報ネットワーク社会における公共圏の構想に理論的基礎を与えようというもの。2000年に出版。続編を読みたい。
「インターネット空間が、ポストモダン・アプローチの主張するように民主主義や公共圏に代表される近代的理念が無効化される空間であるのか、それともモダン・アプローチが主張するように、インターネット空間を媒介としてそれらの理念を実現に近づけることができるのか──すなわちインターネット空間が、近代という「未完のプロジェクト」を完成へと導く通路となりうるのかどうか──という問いは、学問や思想の文脈にとどまらず、今後の情報ネットワーク社会全体をめぐる最もアクチュアルな問いとなっているといってよい。しかしながらこの問いに対して、現在の時点で性急な結論をくだすことはできない。むしろ、インターネット空間はその両方の可能性をアンビヴァレントに含んだ空間として立ち現れているとみるのがより正解であろう。」

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2003年10月14日

●池澤夏樹『静かな大地』

book031013.JPG明治初年、淡路島から北海道に入植した家族が、家を建て、畑を耕し、馬・牛を飼って、徐々に見知らぬ土地を切り開いていく。そこで、交差するアイヌの人々、アイヌの知恵、アイヌの物語、アイヌの生き方。そして、アイヌの没落と悲劇。
朝日新聞のPR誌『一冊の本』10月号に掲載された池澤氏のエッセイによると、この小説は、「半分まではぼくの先祖の話である」という。そしてこうも言う。「祖先たちを狂言回しに使って、アイヌの人々の思想と文化と受難を書く。まずは音楽会の最中にピストルを撃ってよいものかどうか、つまり、個人史を書くべき小さな説の中に大説を持ち込むことが自分の技量で可能かどうか。アイヌに対する日本人のふるまいを難じようとして正義を背負ってしまうことにならないか。読者が読みたいのは小説であって政治と倫理のパンフレットではない。」
これまでのスタイルとはぶいずん違うこの小説を、それでも、書かねばならない、と池澤氏を突き動かすものがあったのだろう。日本の近代は何を獲得し、何を捨ててきたのか。そして、世界はどこへ向かうのか。
朝日新聞連載中には、9.11テロもあり、前作『すばらしい新世界』刊行後にインタビューした時の言葉「detachment(脱離)からcommitment(参加)へ 」 、という姿勢が、さらに確固としたものになっている。

●池澤夏樹インタビュー(HWJ・2000年)
「detachment(脱離)からcommitment(参加)へ 」

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2003年10月10日

●ジェフリー・G・ウィリアムソン『不平等、貧困と歴史』

翻訳のせいか、妙に読みにくい・・。あとがきから、要点だけまとめ。
・英米の熟練・非熟練賃金格差は産業革命の過程で大きく拡大し、19世紀末の両国の所得分配は、1930年代の日本や今のラテン・アメリカと同じくらい不平等だった。
・レーガン後のアメリカでは、所得不平等がいわれることが多いが、昔に比べれば、まだ平等だ。
・19世紀、英米では、不平等を助長する政策が、経済成長を促進するためと称して採用された。
・近代化によって旧来の大家族制度による私的保障が崩れたのではなく、崩れたのは公的な救貧制度による社会保障であった。
・19世紀初頭の救貧制度による困窮者への助成は、現代福祉国家よりも手厚かった。
・19世紀中期から後期にかけて都市下層階級の健康危機が発生したのは、今日の途上国とは違って、都市社会資本への充分な投資が行われなかったため。

昨日から、サーバーのトラブルでかなりアクセスしにくい状態になっていて、申し訳ありません。 復旧しました。(10/11)

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2003年10月09日

●ジョセフ・メン『ナップスター狂騒曲』

book031009.JPGネットビジネス“栄枯盛衰”物語本は、いくつも手にしたけれど、その中でも、これは最高。ハッカー青年の生活、ハッカー倫理、崩壊したアメリカ中流家庭、ネットバブルに巣くう人々、強欲なベンチャーキャピタル、P2Pの衝撃、ゆらぐ著作権、うろたえるコンテンツ業界、バブル崩壊で破滅する人々、相次ぐ裁判・・ここ数年のネット業界のすべてが濃密に凝縮されている。
この本が面白いのは、「ナップスター」が、技術的にも、ビジネス的にもまさにネット界の転換期に位置したユニークな存在であったということも重要な要素だけれど、その渦中の出来事や人物像をクリアに浮かびあがらせたドキュメンタリーとして、とてもよくできているからだ。インタビューや裁判資料、それにどこから手に入れたのか、電子メール、チャット、など膨大な資料から構成された、ネット時代ならではのノンフィクション。2000年前後のアメリカ社会の一面がしっかり描き出されている、という意味でも価値があるように思う。
(翻訳は、WIRED NEWSの翻訳でいつもお世話になっている合原弘子さんと、ガリレオさん翻訳チーム。だから、ヨイショを書いたというわけではまったくありません)

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2003年10月03日

●加藤雅信『「所有権」の誕生』

法学者が文化人類学の資料を参考にしながら「所有権」という法概念の発生構造を分析する。参照されるのは、土地の所有の概念がないモンゴルや、チェロキ・インディアン、アイヌ社会、世界各地の焼畑農業、ネパール・・。そして土地所有権から知的財産権発生の社会構造分析へと移る。
「アメリカ・インディアンの社会にみられるように土地が過度の豊穣である社会においては、土地の私的所有という観念は発生しない。そして、狩猟採集社会や遊牧社会等、土地に対する労務や資本投下がない社会においても、土地の私的所有という観念は発生しない。農業社会等、土地に対する労務投下や資本投下を保護する必要のある社会において、はじめて土地の私的所有を保護する必要が生じるのである。」
「土地所有権という観念が、農耕社会における社会的必要性を基礎に自然発生的に立ち現れてきたのと同様に、土地所有権よりは人工的な概念である知的所有権という観念も、やはり当該社会における社会的必要性を基礎としてしか立ち現れないものである」
〜〜〜〜〜〜
「法」の言葉は、馴染みにくいことが多くてやっかいなのだけれど、ここでは「文化人類学」の視点を導入されているので、入り込みやすかった・・。

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2003年10月01日

●日経産業新聞編『知財攻防』

2002年4月から日経産業で連載されていた「知財攻防」をまとめたもの。音楽、映画、アニメ、出版、ゲームなどの権利のコントロールをめぐって、どんな対立が起きているのかを総覧。「コンテンツ優位の時代に企業戦略はどうあるべきなのか〜」という視点。デジタル技術到来であわてるコンテンツ産業と「知的財産基本法」で前のめりになる政府のドタバタ集、とも言えるか。最後におまけのようにクリエイティブ・コモンズの紹介と伊藤穣一氏のインタビュー付き。

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2003年09月25日

●岩田昭男『ICカードビジネス』

民間、政府の両分野でのICカード利用の現状と展開を網羅。ICタグとセキュリティについては、ほとんど書いてないが、民間と政府が時に重なりながら、電子マネー、ケータイ(m-コマース)、地上デジタル放送、e-japan構想、住基ネット、と現金や個人情報の電子化と認証機能の出入り口として、あらゆる局面でICカードが関わることがよくわかる。以下、気になったところ概要。

「日本クレジット産業協会の調べによると、クレジットカードの不正使用による被害額は、2002年1年で、291億4000万円の被害。うち偽造分は56%の165億」
「ソニーの開発した「Felica」方式の非接触型ICカードは、すでに全世界で3000万枚以上発行されている。とくに香港、シンガポールでは定期券として活用されている。その成功によって上陸したのが「Suica」」
「ソニーグループのビットワットが運営するプリペイド式電子マネー「edy」がコンビニ・小売り業界に進出。ソニーファイナンスインターナショナルが発行しているのが、ネットに強いマイソニーカード」
「地上デジタル放送によって、これから4000万枚のCASカードが出回ることになる。このCASカードは、住基カードと合体し、テレビを通じて個人に合わせた行政情報を送り込むこともできる。例えば「保険料、税金の支払いが遅れています」というようなもの」
「政府関連では、経済産業省が管理する「IT装備都市研究事業」と、総務省が住基カードの先行事例として進めている「ICカード標準システム事業」がある。IT装備都市研究事業」は、2001年3月から2002年3月まで実施した実験で、全国21地域(54市町村)におよび、140万枚のICカードが配布された。現在は終了しているが、プロジェクトはそのまま継続し、それぞれ住基カードへと引き継がれる予定。「IT装備都市研究事業」では、金融リテールや商店街ポイントの実験、地域通貨(エコマネー)や定期・乗車券、保育園関連の実験が進められている。」
「省庁間の縄張り争いが劇化中。運転免許証と住基カードを合体させないのは、国土省、総務省、の縄張り争いによる」

●岩田昭男氏の関連サイト
オールアバウトジャパン「クレジットカード」
プラスチック・カンパニー
NPO「ICカードとカード教育を考える会」

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2003年09月23日

●神島治美『地上デジタル放送のすべて』

・・昨日からの続きで、地上デジタルテレビについて再チェック。まず推進する側のお話を、というわけでこの本。讀賣テレビの社内報に99年から掲載された原稿をまとめたもの。「地上放送がこれからも最大の基幹メディアであり続けるために、新しいネットワークの登場に対してどのように対応しなければならないのか」と繰り返し語られるあたりは、さすが地方テレビ局社内報の立場が明確。
 地上デジタル放送がなぜ、推進されるのか、そのメリットがこの本を読んでもよくわからない。98年にイギリスで開始され、フィンランド、スウェーデン、オーストラリア、シンガポール、韓国で次々と開始されていることに焦って追随しようとした、ということは言えそうだ。

 だが、問題は、その移行にかかるコスト。わが家にもやってきたチラシでわかるが、「アナアナ変換」には、とんでもない額の対策費が充てられる。当初727億円がかかると試算されていたが、その後1800億円 !に見直された。さらに設備投資が民放だけで5000億円以上かかる、という。家電メーカーが推し進めているのか、というとそうでもない。また、インターネットの急速なブロードバンド化を、計画の途中から中途半端に意識し始め、逆に地上波デジタルの存在意義が曖昧になってきている。

 このあたりの批判は、やはり池田信夫氏の『ブロードバンド戦略 勝敗の分かれ目』に詳しい。
「銀行が「融資しない」と明言している地方民放はもちろん、BSで大きな赤字を背負ったキー局も資金調達できず、米国と同じように電波は割り当てられたが放送が開始できない、という状態で立ち往生するだろう」

●池田氏の関連原稿
デジタル放送の神話と現実(00年2月)
先見性なきテレビ界へ(02年1月)
国費を浪費して玉砕する「大艦巨砲」デジタル放送 (02年8月)

●追記
地上デジタル放送を活用した地域情報提供に関する研究会
地上デジタル放送をつかった電子自治体。総務省頑張るが・・具体性はわからん。

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2003年09月21日

●マイケル・T・クレア『世界資源戦争』

「資源をめぐる争いの決定的重要性を認識することなしに国際安全保障の力学を説明することは、明らかに不可能である。」
 ということで扱われているのが、ペルシャ湾における石油紛争、カスピ海のエネルギー紛争、南シナ海の石油戦争、ナイル川の水資源戦争、ヨルダン川・チグリス・ユーフラテス川、インダス川の水資源戦争。
「第二次世界大戦の主要な戦いの多くは、枢軸国側が石油資源の奪取に動いたことから引き起こされた」というように、これまで石油がどれほど紛争の原因となってきたかを列挙。
その背景となっている石油資源が枯渇する年代を、ここでは、おおよそ2060年から2040年というデータを使っている。「軍は貿易促進や金融安定化には貢献できないが、資源の確保では重要な役割を果たすことができる」という認識を元に、多くの地域で紛争の当事者となっているアメリカ。一部に、石油資源枯渇を心配する必要はない、という見方もあるようだが、そうしたデータで説得してほしいのは、環境運動家よりも軍関係者だな・・。

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2003年09月20日

●森永卓郎『ビンボー主義の生活経済学』

‘ミニカーやおもちゃのコレクションを趣味にしているエコノミスト’というよりも、‘ちょっと経済に詳しいミニカー・コレクター’だな最近は。後半は、コレクション話満載で、こっちのほうが文章に勢いがある。
「コレクションはインドアの趣味で、南に行くほどコレクターの数が減る」とか、「高額(100万円以上)宝くじ当選者は、東大合格者の4倍もいるはずなのに、周りに存在しないのは、みずほ銀行が『「その日」から読む本〜突然の幸福に戸惑わないために』という冊子を渡されるから、他言しないのだ」とか、「牛丼の吉野屋は1株買うと、牛丼並盛の食事券10枚を年に2回もらえる。年間5600円分の牛丼がもらえるのだから、いまの株価からすると、牛丼の利回りは3%になる」とか、ユニークな話がけっこうあって楽しい(^^;)けど、わびしくもあるな〜。

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2003年09月18日

●岡村久道『個人情報保護法入門』

お仕事用資料。「理論面と実務面の双方から平易に解説した入門書」とのことだったけれど、もう少し、薬味が入ってたほうが読みやすかったかな。導入部の「プライバシー」にまつわる各国の歴史は参考になる。

●武末高裕『なぜノキアは携帯電話で世界一になり得たか』
もひとつお仕事用資料。2000年のもので、ちと古いが。薬味が多すぎてユルい。

こちらに、時間的&精神的に余裕がないのか、資料とはいえ、フィットする幅が狭くなってるかな〜。反省。

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2003年09月16日

●『THE OFFICIAL TOUR DE FRANCE CENTENNIAL1903-2003』

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book030916b.JPG今年は、テレビの中継が見られなかったツール・ド・フランス。フジTVは、ここ数年、徐々に放映時間を減らす方向で、撤退に向かっているような気がするが、その判断、間違ってると思う。これから来ますよ・・(^^;)。まぁ、日本人が関わっていないし、欧州サッカーの扱いを考えれば、仕方ないのか・・。

で、この本。おみやげでもらう。1903年からツールの歴史が、1年1見開きで紹介されている。特に、驚くのは初期の写真。タイヤのチューブを何本も身体に巻き付ける選手たち・・という資料的な面白さとともに、写真そのものが素晴らしい。
僕は、個人の写真家の作品集、という体裁の写真集よりも、こうした編集によってさまざまなカメラマンの写真が集められた‘ビジュアル本’が好きだ。本という形になった時は特に、もちろん何人かの例外はあるけれど、カメラマンのアート性よりも、‘写真’が集められた編集の視線が見えるような本が好きなのだ。こういうスタイルのビジュアル本は、日本では、なかなかお目にかかれない。以前、SVの特集で何度か試みたこともあったけれど、なかなか制作費が大変。ウェブでやろうとしても、‘ビジュアル本’の楽しさを、なかなか表現しづらいのは、ウェブ・パブリッシングの悲しいところ。

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2003年09月05日

市民活動とインターネット 3題

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●浜田忠久+小野田美都江『インターネットと市民』
「市民社会」の実現に、インターネットの出現は、重要なきっかけとなるとは、インターネットが一般化した時から、しばしば言われた言葉なのだが、かならずしも予期されたようになっていないことは明らか。特に日本では、地道で熱心な活動が続けられてきたにも関わらず、ネットのビジネス化に比べて、市民活動面での大きな成功例が少ないように思える。もちろん、災害時などの成功例は数多く出てきているわけだが・・。
これはなかなか難しい問題だ。ベースとなる日本の市民活動の規模を考えれば、確実に、インターネットは、ツールとして有効に機能してきたとも言えるし、アメリカや韓国の事例に比べれば、まだまだ、とも言える。特に、独立系メディアが、盛り上がらない日本の原因はもっと考えてもいいように思う。
この本には、世界と日本の現在のそうした状況が冷静に整理されていている。これまでの経緯、現在の課題、これからの可能性、日本と世界の比較、を知るには格好。

●日本縦断シンポジウム「市民活動とインターネット」
市民コンピュータコミュニケーション研究会」によるシンポジウム。『インターネットと市民』のシンポジウム版とも言えるだろう。今年12月にジュネーブで開催される「世界情報社会サミット」に向けた、アジアNGO会議がある。

●ハワード・ラインゴールド・インタビュー
「根本的な思想というのはすべてのホールアース・カタログの中に息づいていると思います。それは非常に基本的なアメリカ的考え方、思想だと思います。すなわち、自分自身で考え、自分自身で行う、ということです。政府・宗教・企業に頼らずに、誰かがこうしろ、といったことに従うのではなく、自分で考えて自分で決めていく、ということです。」
最近、‘スマート・モブズ’が話題のラインゴールド氏の98年のインタビュー。ポジティブ・シンキングは力、だな。いやみじゃなく・・。

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2003年09月02日

●ウィリアム・イースタリー『エコノミスト 南の貧困と闘う』

エコノミストが、この50年間、世界の貧困をなくすためにどういう経済理論を考え、どう失敗してきたのかがはっきりする。
世銀に在籍していた著者の立場は、以下の言葉のように、真摯なものだ。
「私は、貧しい国の専門家たらんとしている。貧しい国と豊かな国の人々の生活が、なぜこんなにも違うのかということの原因を解き明かしたい。専門家としては、GDPが大きくなることそれ自体には関心はない。我々が気にするのは、GDPが大きくなると、貧しい人々の暮らしがよくなり、貧しい人の割合が低下するという事実である。」
「世界人口の大多数は、繁栄の流れのそばに生まれた私のようには幸運ではない。我々が富める国から今日の貧しい国々を眺めるとき、我々は自分自身の過去の貧しさをみることになる。」

過去50年間、エコノミストは、何度も「正しい」答えをみつけてきた・・
・まず、貯蓄と「必要な」投資のギャップを援助で埋めてやればうまくいくという理論。
・そして、それがだめだと気づくと、機械への投資(設備投資)をすれば経済は成長すると考えていた。
・さらに、この理論を補完するものとして、教育はいわば「人的機械」に対する投資だから、教育投資をすれば経済は成長すると考えた。
・次に、人口の過剰が経済の生産能力を上回ってしまうとまずいということで、人口の抑制が推進された。
・そして、政府の政策が成長を阻害しているということを認識し、政策改革のために公的資金援助。
・最後に、途上国が政策改革のために借りた資金を返済できなくなると、債務の帳消しをすればいいと考えた。

これらはすべて失敗。
では、どう改善すればいいのか、という段になって、「途上国政府、援助ドナー、国民それぞれが、成長のためのインセンティブを作り出すことだ」とのことで、なんだかガックシ。
しかし、南の問題を考えるにあたっての土台が築かれた、というべきなんだろう。

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2003年08月26日

●トム・ケリー『発想する会社』

book030826.JPGインダストリアル・デザインで有名なIDEOの‘イノベーションの技法’が余すところなく?披露されている。ある意味、これまでの実績の自慢とPR本とも言えるが、それもアップルのデュオ・ドックやパームVといった幾多の傑作を前にしては、ただ関心するばかり。中でも面白かったは、‘イノベーションの技法’としてブレインストーミングの仕方、チームの作り方に力を入れ、オフィススペース環境をとても強調していること。

「チームが活動するためには、かならずしも高邁な信条をもつ必要はないが、具体的な目標は絶対に必要だ。技術で卓越すること、難しい売り上げ目標の達成を目指すこと、手強いライバルを凌ぐことなどである。」
「現在、Tシャツのためにどれだけの予算がとってあるにせよ、それを倍増させよう。Tシャツのコストなどたかが知れているのに、チームの連帯感という大きな見返りがある。」

とりたてて奇抜なことが書いてあるわけではないのだが、かえって経験と実績に裏付けられた力強さが感じられる。

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2003年08月25日

●櫻井よしこ『あなたの「個人情報」が盗まれる』

「日本全国で少なく見積もっても400近い自治体が、多く見積もれば810余りの自治体が、住基ネット回線とインターネット回線をつなげていることになる」
「全国の住基ネット構築および維持管理に要した経費の累計は804億9400万円となっている。総務省発表の約2倍である。・・総務省は、システムが稼働した場合、全国で、毎年、運営・維持管理に要する経費は年間で190億3600万円であるとした」
〜〜〜〜〜〜
著者の一人の高間氏より送っていただく。今日から、第2次稼働、住基カード発行。愕然とする情報満載。特にITセキュリティ・コンサルタントの吉田柳太郎氏の話が面白い。あらためてメリットがあまりに少なく、リスクが大きいことがわかる。
住基ネットを導入すると誰が喜ぶのか。以前から、この点がよくわからない。総務省大臣の言葉とは裏腹に、各自治体が行政サービスの効率化のために求めているものではないことはあきらか。自治体は負担するコストが増え、トラブル発生時の責任問題も発生する。では、IT系の企業か。しかし、この本によると、自治体に潤沢な資金があるわけではなく、その割に高度なことを求められ、さらに問題があった場合は、裁判にまで引っぱり出される可能性がある、として、IT系企業のほうも及び腰だ、という。しかし、大手のシステム構築企業は一極集中的に特需なのだろうが・・。
やはり、e-Japanプランを発端に、土建からITを中心にした産業構造へのシフトを焦った官僚が、要所要所で判断を誤ったために、拙速な形で強引に推進されている、ということか。

●関連エントリー
薄井+浅野『住基ネットとプライバシー問題』
総務省、「地域通貨」の導入支援

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2003年08月19日

●カレン・エンジェル『なぜYAHOO! は最強のブランドなのか』

翻訳の長野さんに送っていただく。1994年から2001年まで、ヤフーの発端からネットバブル崩壊後までを追う。まさに栄枯盛衰、激動のネットビジネス界のドキュメント。優れたサービスとされた幾多のサイトの中から、どうしてヤフーが荒波を乗り越えられたのか。「なぜYAHOO! は生き残ったのか」というほうが内容に近いかもしれない。
その理由として、すぐれた‘ブランド戦略’というような見方もあるだろうが、個人的には、ジェリー・ヤンが持っていた‘素朴な?’キャラクターが大きいように思う。これだけの規模になるとすでに別のフェーズに入っているわけだけれど。そういう意味では、以前からのネット文化を継承する‘純朴な’資質と、ネットスケープ以後のゴリゴリのベンチャー・キャピタル・ビジネスとの合体という稀有な成功例・・・しかし、ストーリーはまだ未完結・・という感じか。

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2003年08月17日

●疋田智『自転車生活の愉しみ』『快適自転車ライフ』

『自転車ツーキニスト』が面白かったので、疋田氏の2冊。重複する情報が多いが、‘やっぱり、自転車に乗ろう’という気分にさせてくれるところは共通している。『自転車生活の愉しみ』のほうは、写真も豊富でメンテナンスの仕方から、ドイツ・オランダの自転車事情まで豊富な写真で丁寧に解説してくれる。また、オランダ・・。この半年、いろいろな方面から、オランダのことを書くことが多いな・・。以下、アムステルダムの話。
「1980年代末期、最初に政府、市当局が「これからは自転車を」と言い出したときには、ご多聞に漏れず市民からも反発があったという。しかし、その不満を解消していったのは、何といっても「自転車に実際に乗ってみること」だった。あれ、イイじゃない。何の不自由もないどころか、こちらの方が便利だし、何より気持ちいいよ。そう思った一人が、次の一人に伝え、その一人が、また次の一人に伝えた。」

「ニュース23」のディレクターでもある疋田氏は、国会の私的諮問機関「自転車活用推進研究会」にも参加しているという。「ビジョン2010」というこれから社会の中で、自転車がどうあるべきかという提言も行っている。
「未来は間違いなく自転車とともにある。私はそう信じている」とのこと。
しかし、天気が悪い・・。

●関連サイト
クリティカルマス読本
クリティカルマス東京

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2003年08月16日

●國領二郎・野中郁次郎・片岡雅憲『ネットワーク社会の知識経営』

「情報量が増えれば増えるほど、人間の認知能力が希少な資源となってくる。収益モデルを構築するうえで機械がボトルネックだった時代から、人間がボトルネックとなる時代への転換点を迎えていると表現していいだろう」
「認知限界に依拠する代表的な収益モデルとして広告がある。メーカーなどがマスメディアに広告料を払うとき、そのメーカーは忙しい顧客の認知を買っているともいえる。」
「残念ながら、過去数年の経験では単なる既存の広告費用をネットに誘導する試みには限界があることがわかってきた。・・
 広告モデルではない、認知限界に依拠するモデルを構想することもできる。たとえば認知能力を大量に必要とするものに信頼がある。・・信用できる相手が誰なのかの情報を提供することがビジネスとなっていく。金融市場などにおける格付け会社はその一例といっていいだろう」
〜〜〜〜〜〜
「場」とも「コミュニティ」とも「ネットワーク」とも捉えられる、インターネット以後に激変する環境と、「経営」との関わりの理論化。國領氏執筆の2章以外、あまり参考になるところがなかった・・。

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2003年08月14日

●齋藤純一『公共性』

う〜ん、よくわかんなかった。ハンナ・アーレント、ハーバーマス、カント、がベースということがわかっただけでいいか。「現代思想界」のための「思想書」ではなくて、もう少し社会との接点が欲しかった。とりあえず、今のところ想定されている読者ではなかった、ということで(^^;)。また、いつか参照することもあるかも・・。

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2003年08月13日

●疋田智『自転車ツーキニスト』

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夏休みで趣味本。旧タイトル『自転車通勤で行こう』改題文庫化。今でもちょっとしたブームだと思うが、これから間違いなく自転車が大きなムーブメントになっていくと思う。僕のような軟弱者は、東京の交通事情やトラックの排ガス・・理由をつけては、自転車専用道路ができればな〜、などとただ言い放ちがちなのだけれど、自転車コンシャスな社会は、自転車の愛好者が増えずして到来するわけがない。そういう意味では、こうした本を読んで「ちょっと、自転車通勤試してみようかな」と考える人が一人でも増えることが必要なのだ。

以下、自転車の魅力を語った箇所。
「コースはまったく自由。気の向くままにペダルを漕いでいけばよい。自転車の一番よいところだ。気軽に町と交流できて、路線からも、一方通行からも自由。おまけにその行為そのものがダイエットになる。つまりヘルシー。さらにエコロジカル。ついでにエコノミー。こんなによい交通手段はないと思う。」
あと、自動車評論家・徳大寺有恒氏との会話が面白い。
「ボクは思うんだ。クルマはもう最低限でいいって。趣味で乗るクルマは楽しいけれど、もう社会がそれを許さない時代が来つつあると思う」・・・
「・・小難しいことを言ってもダメなんだよ。こっちの方がかっこいいんだって、女の子にもてるんだっていわなくっちゃ。そして、それを言い続けないといけない。排気ガスの少ないクルマに乗るのは知的なことだ。そっちの方が『格好いい自分』を演出できるんだって。さらに言えば自転車の方がもっと格好いいってね。
いずれはクルマなんか乗らない方がいいって時代が来る。それはボクにとっては寂しいことだけど、仕方がない。少なくともフューエルセル(燃料電池)が実用化されるまではね。」

●疋田智氏のサイト「自転車通勤で行こう!

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2003年08月11日

●梶井厚志『戦略的思考の技術』

評判はよかったと記憶しているのだが・・何か漠然と求めていたものと違っていたようで、どうもピンと来ず。もしくは、‘戦略的アプローチ’というものに対する資質のなさか・・。以前、途中で止めた(^^;)梶井厚志+松井彰彦『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』のほうがまだよかったかも。こっちをまた、読み直そうかな。

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2003年07月31日

●野口旭『経済論戦』

book030731.JPG日本の経済状況に関しては、これまで繰り返し発言されてきたことと同様だ。
・デフレは悪・リフレが必要・金融緩和すべき
これだけわかりやすく論じられているのに、経済ジャーナリズムでは、まだ煮え切らないが論説ばかりなのが信じられない。ほんと。

今回、面白かったのは、第12章の「虚妄のアメリカ陰謀説」とこの原稿の反論への再反論「幻想の<マネー敗戦>」。アメリカの金融覇権論に関しては、テロ後の世界情勢に関連して、よく言われていて、混乱しがちだったので、いい機会だった。
・経常収支は、本来「勝ち負け」でも「損得」でもない。
・一国の貯蓄・投資差額=一国の経常収支黒字は、一般に景気が良いときに縮小し、景気が悪いときに拡大する傾向がある。
・日本の黒字の原因に一つは、日本の貯蓄率の高さにある。それは、人口構成で、就業者比率がひぼピークにあるから。
・「ドル覇権」を維持するためには、アメリカはドルの価値を安定化させなくてはならないので、むやみにドルを「垂れ流す」わけにはいかない。

「テキスト・ファンダメンタリスト」という批判には、「経済学のテキストの限界を認識することはもちろん必要だが、それでどこまでのことが言えるのかを明確にしておくことは、それ以上に必要だと考えている」
〜〜〜〜〜〜
批評があり、それへの反論、再反論・・があると、その過程でやはり、読み手はわかりやすさが増す。野口氏から批評されている側からの、しっかりとした反論を読みたいもの。

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2003年07月28日

●平田オリザ『芸術立国論』

「かっては、地方にこそ、「無駄」なもの、「無駄」な時間、「無駄」な空間が溢れていたはずだ。伝説、伝承、お化け、鎮守の祭り・・。しかし村落共同体が崩れ、全国一律の近代化を達成した現代日本においては、そんな無駄なものは、どこを探しても見つからない。無駄な場所や時間を失った地域は、価値観も画一化し、重層性を失って安定性を欠く。
 無駄のない社会は病んだ社会だ。すなわち、芸術家のいない社会は病んだ社会だ。多様性、重層性のある社会は民主主義の根幹である。それを保障するためには、どうしても芸術家の存在が地域社会の中に必要なのだ。」
「成熟した消費社会においては、サービスこそが産業の中心となる。芸術文化は、消費社会における基礎研究、基礎学力の役割を担う。このような社会は、国民個々の感性や発想力が国力を左右する。
 これからは、「何を売るか」よりも、「いかに売るか」が問われる時代だ。この「いかに」という項目は、まさに一人ひとりのセンスが問われる部分だろう。これまでは、そのようなセンスは、一部の芸術家、芸術愛好者の独占物であった。しかし、これからは、そのセンス、感性を国民全体が共有することが求められる。一人ひとりの異なった感性が全体で一つの国力となる時代が来る。
 具体的には、地域に、最先端の、特色ある文化施設を作り、個性的な運営をしていくこと。それは地域に活力をもたらすとともに、新しい雇用を促進し、有能な人材を地域が確保する場ともなるはずだ。」
〜〜〜〜〜〜
意外と言っては失礼だが、ひじょ〜に面白かった。大きな国家目標を失い、産業構造の変化を迫られる中、精神を病む人が多いという日本の現状を憂う声はしばしば聞くが、具体的な解決策というと、なかなかお目にかかれない。ここでは、「芸術文化」こそこれからの社会で重要だと主張する。さらに、アートマネージメントという経済的な視点や文化予算がどう使われるべきなのか、という政策にコミットしている点が特徴的か。
7/25の「自殺者、5年連続3万人超」を書いた直後だけに、頷くこと度々。
芸術文化政策のいい例としてフランスの例が挙げられているが、日常の中での労働と芸術の自然な融合の例では、昼は田を耕し、夜は芸術家になるバリ島の人々の生活を思い浮かべる。

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2003年07月24日

●南淵明宏『ブラック・ジャックはどこにいる?』

book030724.JPG『ブラックジャックによろしく』に登場する心臓外科医・北三郎のモデルによるエッセイ。マンガのエピソードの多くが、この本の著者の体験に基づいていることがわかる。
いくつか驚いたことは、
・日本の心臓手術のレベルは、インドネシアやマレーシア、シンガポールよりも遅れている。
・日本以外では、医師は国境を越えて移動するため、技術のグローバル・スタンダードができているが、日本では医局内か、医局系列内病院での移動しかないため、医療水準の進歩が異常に遅い。
・自分が病気になったとき、海外に治療を受けに行く医者がいる。
・著者は、手術中の様子をすべてビデオで撮影して、患者に渡す。とくに、手術で亡くなった患者の遺族には、必ず。

「最終的には、医療というのは医師や看護師をはじめとするスタッフのスキルと人格にかかっている」

〜〜〜〜〜〜
世界の技術との交流によってもたらされる「スキル」が重要なことは言うまでもないが、もうひとつ「人格」という部分に注目したい。最終的に、医療とは「信頼」だと思うからだ。患者と医師の間で築かれる「信頼」の要となるのは、医師の「人格」だ。「手術前には、常に失敗の恐怖におののく」と語るこの本には、筆者の人柄が滲み出ている。こうした医師に適した「人格」というのはどうやって形成されるんだろう。生来のものなのか、何かの経験によるものなのか(たとえば、自分や自分の家族が患者となった時の経験など..)。そして、同様のことは他の分野でも言えそうだ。

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2003年07月21日

●マイケル・イグナティエフ『ヴァーチャル・ウォー』&『ブラックホーク・ダウン』

 イラク戦争、イラク戦争後を語るためには、冷戦後の戦争をめぐっての言説の系譜を知る必要がある・・。そんな動機で手に取った。コソボ紛争をめぐって最終的に「武力介入」を支持する著者によるレポート。ここでの「ヴァーチャル」とは、よく言われるビデオゲーム化というようなこととともに、政治的・法律的にもあいまいなまま遂行されたという意味。その「ヴァーチャル」な戦争によって、当事者が、誰からも「罰せられず」、「道徳的なとがめだてされず」「良心の呵責を味わうこともない」という状況。
 巻末の土佐弘之氏による解説によると、
「「新しい人道主義」に基づく例外的正戦論の軍事的リアリズム化といった流れに歯止めをかけていくには、まず介入を少なくとも多国間的な枠組みの中に再び組み込んでいくことが必要であろうし、また平和主義という対抗的な立場に立ちながら、例外的正戦の条件を厳しく課していく言説の政治と展開していくことが必要であろう。それと同時に、まさにイグナティエフ自身が実践してきたように、現地に足を運び「介入される側」の人々の声、見知らぬ人々のリアルな声を積極的に聴くことを通じて、ディスコースの生産様式を変えていくことが必要とされている」
〜〜〜〜〜〜
 「ヴァーチャル」の対語“リアル”が問題になる。同じ“リアル”でも、「軍事的リアリズム」と「見知らぬ人々のリアルな声」の間にある絶望的なギャップ。イグナティエフは、最後に「現実的なものに深く心を刻むこと、それだけが、私たちが責任あると同時に有効な判断を下し、行動することを可能にする」というわけだけれど・・。

 「人道的介入」の事例として、ついでに93年ソマリアでのアメリカ軍の様子を劇化した『ブラックホーク・ダウン』のビデオを観る。この作戦での大失敗をきっかけにアメリカ軍は、ソマリアを撤退し、その後国連平和維持活動に対する大幅な見直しを行う。映画としては、兵士の惨状がこれでもか、と描かれ、米兵も数百人は死んだのだろうと思っていると、最後に「米兵19人死亡、ソマリア兵1000人死亡」のキャプションにビックリ。そんなバランスの悪さが後味として残る。

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2003年07月15日

●『テキストブック わたしたちと法』

book0715.JPG サブタイトル「権威、プライバシー、責任、そして正義」。アメリカのNPO、Center of Civic Educationによる子供向け法教育の教材。序文にこうある。
「権威、正義、責任、プライバシーについての紛争における理性的で責任ある決定ができるためには、わたしたちにはいくつかの“知的道具”を使えるようになる必要があります。この“知的道具”とは、社会と社会の中にいる私たちの役割についてのいろいろな見方や考え方、状況を分析し決定にいたる際に役に立つ一連の質問群のことです。それらは、非常にうまく開発され洗練された道具のように、いりいろなところで役に立つ知性の道具です」
 問題解決の過程で、個人や社会にとっての利益と費用とを比較考量し、利益を確保する方向で意志決定するという費用便益分析的アプローチが核心。今さら、子供向けテキストを読まないといけないのが恥ずかしいが、これまでどこでも学んでないしなぁ。しかし、今となっては、子供向けの繰り返しの質問形式がめんどくさいし、なにか余計な知識が邪魔して素直に読めない。他にも、中学、高校向けがそれぞれあるらしいので、そちらを読んでみたい。

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2003年07月13日

●薄井+浅野『住基ネットとプライバシー問題』

住基ネットに反対する側よりも、推進する側の論理を読みたかった。「情報漏れを恐れるよりも将来のメリットを!」「住基ネットがどのような利便性を私たちに与えてくれるのかを継続的に検証し、デメリットが大きければ中止すればいい」という立場。以下、その主張は・・。

住基ネットの将来のメリット、利便性は・・
・簡素化される行政サービス
 ・住民票の取得、移転届けの簡素化
 ・今まで住民票の添付が義務づけられていた各種申請で、住民票がいらなくなる
さらに住基ネットを活用してけば、
 ・共済年金の支給に関する手続き
 ・転居の場合、移転届けを一箇所ですむ(運転免許証、登記簿、税務署、電気、水道、ガス、電話、年金、銀行・・)
さらに将来、
・納税者番号として使われることで、課税が公平になる

住基ネットが管理するのは、氏名、住所、年齢、生年月日、性別、住民票コード等だけ。仮に、多くの行政事務が住民票コードで運用されたとしても、行政事務は別々に動く。それでも、個人情報のデータベースができ、一か所に集中し、プライバシーが漏洩する可能性はある。が、その危険性はかなり低い。

それよりも、すでに野放し状態になっている個人情報、のほうが問題・・
・警察の情報管理(犯罪歴、鉄砲の所持者・・)
・免許証の番号(最後のケタの数字は、再発行枚数。これによってレンタカーを貸さないなど)
・税務署にコンピュータシステム、KSK。
・基礎年金番号(職歴、過去の月給・・)
・Nシステム
・納税額公示、長者番付
〜〜〜〜〜〜
既存の個人情報の扱われ方は、見直される必要があるのは事実。あとは、「デメリットが大きければ中止すればいい」ということが可能なのか。さらには、個人情報の一元化、漏洩の危険性は認めているわけだから、その危険性が‘低い’と言えるのか、‘高い’のか。享受されるというメリット・利便性に対して、その危険度が見合ったものなのか、ということになるか。
さらに・・住基ネットをIT系を中心としたの産業構造にシフトしていくための公共投資だと考えると、ゼネコン儲かって自然が破壊されるのとIT企業栄えてプライバシー危機と、どっちがいいかという究極の選択、ということか? w

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2003年07月08日

●小熊英二『インド日記』

tree0708.JPG「日記である以上、統一された主題というものはない。しかし書いたことは、結局のところ、日本にいたときから私が抱いていた関心の延長に位置する。その関心とは、社会の変動と近代化のなかで、人間がどのように自己の位置とアイデンティティを定めていくのか、またそうした人間のつくる社会のあり方はどのようなものなのか、その場合に国家と人間はどのような関係を築いてゆくのか、といったものである。」
「いまになって日記を読んでみると、私が近代日本について知っている知識を総動員し、それとの比較でこれを解釈するというかたちで、その衝撃と対応していることがわかる。「インドと日本の国際比較」や「インド社会の分析」は、客観的な文明批評などというより、私にとってインドへの適応に必要な反応であり戦略であったといえる。それゆえ、私は思考せねばならず、書かねばならなかった。」
〜〜〜〜〜〜
いい。情緒に流れるわけでもなく、高みから自分の論を垂れるでもなく、ブロックを積み重ねるように淡々と事実と自らの考えを組み立てていく。そのリズムとバランスがとてもいい。小熊氏の紀行シリーズ、というのはどうだろう、とふと思ったり・・。もちろん、氏の作業としては、『<民主>と<愛国>』のような時間をかけた研究のほうが、期待されるわけだけれど。

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2003年07月03日

●小野善康『景気と国際金融』・・後半

「金融緩和による物価上昇や景気刺激が期待できるのは、好況期だけである。好況期を想定した経済学の考え方は、そのままでは不況期には使えない。」
「円の国際化は、巷間言われているような、日米経済の実力差や通貨の信任の程度、金融市場の閉鎖性とは、あまり関係がない。いくら金融自由化しようが、そもそも外国に存在するドルに比べた円の量が少ないのだから、円が国際化するわけはない。もしどうしても円を国際化させたいのなら、経常黒字によって環流する以上のペースで、円を海外に配り続けるしかないのである。」
「基軸通貨国とは、巨額の債務を抱え、それによって大量の自国通貨建て資産を世界中にばらまきながら、なおかつ十分に返せると信頼されている国である。このような国になれるのは、まさに大国しかない」
「橋本首相が在任中に「日本の米財務省証券を売り払えばその価格は暴落するぞ」といって大問題になったが、財務省証券の価格暴落によって損をするのは、それをため込んだ日本なのである。そのため、大量のドルをため込んだ日本などの債務国も、口ではこういいながら、実際にはドルの価格維持に躍起となり、ドルが危ないと思えばドルを買い支えようとする」
「先のことを考えずにどんどん物を買って楽しめば、世界景気を牽引して一国で支えていると尊敬され、国内も好況になる。それによって自国通貨という負債を垂れ流して、基軸通貨国にもなり、国際金融外交で政治力を発揮できる。
 このように円の国際化は、小手先の金融制度改革よりも、対外黒字か赤字かという、我々自身の貯蓄態度にかかわる問題なのである」
〜〜〜〜〜〜
各部分部分の説明は、明快そのものなのだが、導かれる結論がどうも納得いかない。近刊の対談集のタイトルどおり‘節約したって不況は終わらない’ということなるのだろうが、それでいいのか?という大きな疑問がつきまとう。見えつつあったものが、また、あやふやになってきた・・。対談集への山形氏のamazon書評

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2003年07月02日

●ジェレミー・リフキン『水素エコノミー』

books0702.JPG「石油生産について専門家は大きく2つに分かれている。28〜38年後に石油生産がピークを迎えるとするグループと、8年〜18年後とするグループ。
世界のひとりあたりの石油生産量は1979年にピークを迎え、それ以後減少している。石油生産高は増加しているが、それを上回る割合で世界人口が増加している。
現在の生産量であと何年採掘を続けられるかを表す可採年数で、アメリカは10年、ノルウェー10年、イラン53年、サウジ55年、クウェート116年、イラク526年。
10〜12のスーパーメジャー企業と国営石油企業だけで世界のエネルギーを支配している。」
「極度に中央集権化した石油インフラは、必然的に同じような線にそって組織化された営利企業を生みだした。エネルギーの体制が、新たに発生した商業形態の性質を、かなりの程度まで決定した。」
「2020年に入るころには、世界は石油と天然ガスをますます必死になって確保しようとするだろう。先進工業国だけでなく、発展途上国、とくに中国、インドも化石燃料に依存するようになっているため、燃料を求めての競争は、真にグローバルな現象となる。価格が着実に上がるので、世界経済に大混乱を起こす。」
「真剣に憂うべきは、ガソリンの不足よりも、食物を生産する費用がきわめて高くなるため、何億、何十億の人々が食料を買うことができなくなるという事態だ。自動車やトラックの代替エネルギーは存在するが、石油化学肥料の代替品はない。」

「再生可能資源から水素を製造する最大の意義は、二酸化炭素が発生しないのはもちろんだが、太陽エネルギーや風力・水力・地熱エネルギーを水素に変換すると、「貯蔵」エネルギーになり、いつでもどこでも濃縮された形で利用できることだ。」
「水素燃料電池時代には、自動車自体が出力20KWの「動く発電所」になる。一般に乗用車や1日の96%は駐車している。その時間を利用して、電力系統に高品質電力を提供することができる。」
「分散型電源組合と発展途上国のいたるところに設立する必要がある。市民社会組織や協同組合、小規模金融機関、そして地方自治体は、持続可能で自給自足できる地域社会の築く戦略の中心に、分散型電源エネルギー・ウェブを据えるべきだ。」
〜〜〜〜〜〜
 読まなくてもおおよその内容を予想できる気がしたので期待していなかったのだが、ひじょうに面白かった。サブタイトルに「エネルギー・ウェブの時代」とある。98年に、「インターエナジー インターネット化するエネルギーシステム」という特集を組んだことがあるけれど、意味的には、‘インターエナジー’よりも‘エネルギー・ウェブ’のほうが正しかったか。これも偶然だが、先日書いた写真コラム「自律分散を考える」と発想は同じ。燃料電池車の夜間発電所化のプランもすでに考えられていて、驚く。
 
 やはり、焦点は、石油生産量がこれからどうなるのか、という一点に尽きる。ここでは、いくつかのデータを紹介しつつ、大きく2つのグループに分かれる、とする。多めにみても、38年後には生産量がピークに達する、という。まだ、曖昧な要素の残るいくつかの環境問題よりも、この石油生産量のほうが重大だ。特に、気になったのは、食料生産に関わる石油化学肥料の問題。
 同じテーマで、ドイツ人ヘンマン・シェーアによって書かれた『ソーラー地球経済』がある。こちらのほうがやや専門的。「分散」と「水素」という視点を強めた『水素エコノミー』のほうが、受け入れられやすいかもしれない。ただ、アメリカ人ゆえのイスラム世界への傲慢な視線と、文明批評家にありがちな抽象的で大風呂敷を広げた未来予測には注意が必要だ。

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2003年06月29日

●伊藤公紀『地球温暖化』

「二酸化炭素削減の国際的約束があるから、この方向に動くほかない。しかし、科学的検討と経済的検討をもっときちんとやる必要がある」
「京都議定書は、なにが起こるか分からないから予防するというヨーロッパ方式に基づいている。だからドイツなどでは同じ論理で、事故や廃棄物の問題がある原子力発電所もなくそうとしている。日本の場合、温暖化問題が原子力の追い風になっている。原子力発電のコストには、事故が起きたときの保障や廃炉にする費用、試用済み燃料を処分する費用も入っていない。原子力とセットで作られる揚水発電所は、水力発電のコストとして勘定されている。日本では、核エネルギー開発費が世界的にみても突出している。」
〜〜〜〜〜〜
『ダイオキシン 神話の終焉』と同シリーズ。「「定説」の類にとらわれない目で環境問題を見る人がふえ、世に健全な議論が湧き、環境の話が本物の「科学」に育つことを願う・・」という序文。
地球温暖化への二酸化炭素の影響に関しての「定説」にさまざまな研究データを紹介し、疑問を投げかける。気温データの取り方によってデータもさまざまあり、過去遡るとさらにいろいろなデータがある。太陽の活動と気温との関連性を大きく紹介。

感情的にただ「二酸化炭素削減!」と叫び回るのは論外として、温暖化を理由に原子力が推進されているという日本のきわめて特殊な現状を知ると、絶望的な気分になる。

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2003年06月27日

●小野善康『景気と国際金融』

「世界全体で需要規模が生産能力を下回っており、どこかで失業が発生せざるをえない状況では、どこかの国の消費意欲が特に衰えていれば、その国の経常収支が黒字化し、通貨高が起こって、その国の失業が集中的に発生する。すなわち、失業は自国の消費意欲不足が原因で起こるのであり、自国通貨高は、その結果にすぎないのである。
 円高を阻止して円安に導こうとしても、簡単にはできない。消費意欲に変化のないままで円安を起こせば、経常収支黒字がさらに積み上がって強い円高圧力にさらされ、結局は円安を維持し切れないからである。また、
 どこかで、失業が発生せざるを得ない状況に直面しているのなら、その解決には消費意欲の回復しかない。それなのに、失業の存在を無視した供給側一辺倒の考え方が、不況を相手国の自国通貨安誘導のせいであると誤解させ、それによって不必要な経済摩擦を引き起こすとともに、誤った対策を打たせているともいえよう」
〜〜〜〜〜〜
まだ途中。う〜ん、合成の誤謬、比較優位など説明もわかりやすいが、不況と貿易の関係とか、これまで読んできたものとちょっと展開が異なる・・。

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2003年06月26日

●小熊英二+上野陽子『<癒し>のナショナリズム』

「総じて彼らは、自分にあらかじめ内在していた「健全な常識」に従ってナショナリズム運動を開始したのではなく、その逆に、現代社会において規範となるべき「健全な常識」が見いだせないがゆえの不安からナショナリズムを求めたのであろうと思われる。原理的に考えれば、こうしたナショナリズムへの期待は、価値観の揺らぎが激しくなればなるほど、家族や友人といった現実の人間関係が崩壊すればするほど進行する。その意味でも、孤立感やミーイズムの蔓延とこの種のナショナリズムは対抗関係にあるものではなく、いわば同じコインの表裏だといえるだろう」
「なぜ彼らは「右」より「左」を忌み嫌うのか。それは、冷戦後における「左」の失墜だけが原因ではない。おそらく最大の理由は、彼らが漠然と「戦後民主主義」や「リベラル」といった形容で総括する「左」の言葉こそが、現在の「体制側」の言葉、もっと俗な表現をすれば、「大人のきれいごと」とみなされているからだと思われる。」
「筆者が怖れ、重視しなければならないと考えているのは、この運動よりも、その出現が示した現代日本社会の心の闇である。あらゆる共同体が、実感できる関係性が、有効で開かれた公共性が崩壊し、政治への不満も、経済失速への焦りも、日常や未来への不安も、すべて表現する言葉が失われているかのような閉塞感。そのなかで、無定形で「健康」なナショナリズム。思想、歴史、文筆、報道など、「言葉」の生産にかかわる者の力量と責任が、現在ほど問われている時はない。」
「本書は、「つくる会」のみならず、現代日本のナショナリズムや右派ポピュリズムの台頭の背景にある、人々の社会的動向についても示唆を与えるものである」
〜〜〜〜〜〜
こういう本を求めていた。『<民主>と<愛国>』から『<癒し>のナショナリズム』と連なる流れを推し進めて欲しい。「右」が「左」を、「サヨ」が「ウヨ」を語る時にありがちな一方的な罵倒、という気配がまったくないのがいい。こういう作業がしっかりなされないと説得力のある「左」の言葉、左派ポピュリズムも生まれない。

投稿者 esaka : 23:33 | コメント (0) | トラックバック

2003年06月19日

●『東京古本とコーヒー巡り』

bookcafe619.JPG古本屋をめぐる趣味はないし、暇もエネルギーもない。で、タイトルと表紙だけ書店で眺めて素通りすること数ヶ月。気まぐれでふと手に取ってビックリ。作り手の一生懸命さが伝わる。造本、デザインも頑張っている。紙質を変え、1色、2色、4色ページの構成がとても工夫されているし、ちょっとした書体や図案も細かな手が入れられている。記事も古書店とゆったりできる喫茶店が写真付きでしっかり紹介されているし、紹介の仕方もさまざまな視点を取り入れて飽きさせない。ユーモアもあって、資料性もある。かってのSVの作り方に共通するものを感じる・・かも。これで1500円。この「散歩の達人」シリーズ、ひとつ間違うと、ライカを首から下げてウンチクばかり垂れる嫌みなオジサン達とお仲間になりそうなところが危ないが・・売れてるんだろうか。
しかし、喫茶店でゆったり本を読みたい、という需要も一部では高まっているようで、こうした傾向には共感する。

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2003年06月18日

●土屋大洋『ネット・ポリティックス』

tutiya.JPG「インターネット・コミュニティにおける公共善とは、差異を越えて接続を確保し、できるかぎり自由で分散されたネットワークを維持することであった。そのために多くのエンジニアたちが時間と労力を費やし、サイバー・リバータリアンたちは、政府やビジネスの介入に反対の声をあげてきた。しかし、9.11がもたらしたインターネット・ガバナンスとインターネット・コミュニティへの影響は看過できない」
〜〜〜〜〜〜
インターネットの自治と規制。政治的にも、ますます規制が強まっていく、という観測。なかなか気づきにくいのだが、裏表紙の折り返しの部分に、小さく「カバーイラストのビルのシルエットには暗号コードのPGPが使用されている」と書かれている。面白い試み(^^;)。

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2003年06月17日

●Richard M. Stallman『フリーソフトウェアと自由な社会』

「社会は、隣人を助けることを奨励するものであってほしい。しかし、他人の邪魔をしたことに対して誰かに報酬を与えるたびに、あるいはそのようにして富を得た人物に敬意を表するたびに、私たちは逆のメッセージを送ることになるのである。」
「ジャングルのような過酷な生存競争の場で生きるのがいやなら、私たちは自らの態度を改めなければならない。私たちはまず、良き市民とは、適切なときに協力を惜しまない者で、他人からうまく物を奪い取る者のことではないというメッセージを送らなければならない。私は、フリーソフトウェア運動が、この流れに寄与することを期待している。少なくとも一つの分野では、ジャングルを、自発的な協力を奨励して実現する効率的な体制に変えていきたい」
〜〜〜〜〜〜
自由なソフトウェア原理主義者の経典。過激で、真摯で、勇気づけられる。当面、成功するか否かはともかく、時を経て、圧倒的な評価を勝ち取るに違いない。やや読みにくいのは、翻訳のせいだろか。

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2003年06月13日

●渡辺正+林俊郎『ダイオキシン 神話の終焉』

あのダイオキシン騒動→ダイオキシン法誕生、がいかにいい加減なデータをもとにしたものだったのか、ということを訴える。「「定説」の類にとらわれない目で環境問題を見る人がふえ、世に健全な議論が湧き、環境の話が本物の「科学」に育つことを願う・・」とのこと。またまた、メディアの責任と、最終的には、個人がいかに「科学的」な視点を持ちうるのか、ってことだけど。
・これに対しての、反論 もある。
「ダイオキシン毒性」は神話か (毎日新聞)

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●武田徹『「核」論』

「核の問題は、倫理性をいかに我々が担うべきか、技術にどのように接するべきか、未知性を孕む先端的な技術について、その未だ定かでないリスクとメリット、デメリットを相手どってどのような制御の理論を持つべきかをシビアに問いかけてくる。もしも核の「効用」があるとすれば、それは万人に利用できるものであるべきだし、そうでならないならまず弱者を救済するものでなければならない。それができなければ核を利用する意味はない。」
〜〜〜〜〜〜
スイシン派にも、ハンタイ派にも、「非共感的」な立場で書かれている・・が・・。

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2003年06月12日

●小熊英二『<民主>と<愛国>』

「われわれが使用している言語は、歴史的な経緯のなかで生まれ出され、変遷してきたものである。そのなかには、「市民」「民族」「国家」「近代」といった、ナショナリズムや「公」を語る基本的な言葉が含まれている。そして本書における「戦後」の再検討は、こうした言葉の使用法が、いかなる変遷を経てきたかの再検討でもある。
 そして本書では、個々の思想家もとりあげるが、それは彼ら個々人の思想を論じることもさることながら、彼らによって表現されていた集団的な心情を検証することを最終的な目的としている。そして、個々の思想家のライフヒストリーにも注意を払う。それはその思想家個人のパーソナリティを明らかにするためよりも、その思想家がどのような階層や世代に属し、どのような社会的事件──とくに戦争中の体験──に遭遇していたかを検証するためである。
 筆者は、一般の読者──ある章の専門研究者も他の章では「一般の読者」でありうる──の読みやすさを優先して本文を記述し、先行研究などへの言及はすべて注で行っている。
 「戦後思想」とは、戦争体験の思想家であった。にもかかわらず、これまで戦後思想研究の大部分は、知識人たちの戦争と敗戦の体験がいかなるものであったのか、そしてそれが戦後思想にどんな影響をもたらしたかについて、十分な検証を行ってこなかった。本書はこの点を重視している。それは結果として、「『日本人』にとって戦争とは何であったのか」という問題、そして「戦争の記憶とはいかなる影響を人間に及ぼすものなのか」という問題、を思想という観点から明らかにする作業となろう。」
 「おそらく日本でもフランスでも、敗戦国における「戦後思想」の活力の源泉は、死の恐怖と結びついた崩壊感覚であった。それは、現存の秩序や世界を、安定した必然と考えることができない不安感でもあった。」
 「近年われわれが目にする「戦後」批判は、その大部分が、1060年代に発明された「戦後」観を前提としたものである。
 そして「第二の戦後」が終わったのが、1990年前後といえる。冷戦体制の崩壊とともに、国際秩序の流動化がふたたび激しくなった。」
「新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受け止め、それに現代にふさわしい形を与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗り越えることが可能になる。
〜〜〜〜〜〜
いやぁ、恐れ入りました。膨大な資料から紐解かれる「戦後思想」の系譜。丸山真男、オールド・リベラリスト、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔、小田実・・それに司馬遼太郎、黒澤明、宮崎駿・・。彼らの思想が、どんな戦争体験から引き出されてきたのか。天皇論、第九条、単一民族、安保闘争、非武装中立、護憲、自主独立・・といった思想がどういう背景を持って生みだされたのか。自分の中で、ぽっかり空いていた「戦後」が、すっきりとしたパースペクティブで俯瞰できるようになった気がする。970ページ、6300円も凄いが、そのボリュームに相応しい内容。細かいディテールに関しての問題はいくつかありえるのだろうが、現在の新しい「戦後・戦中・戦前」を考えるために、かっこうの出発点だ。これは教科書?
 

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2003年06月07日

●見田宗介『現代社会の理論』

「古典的な資本制システムの矛盾ーー需要の有効性と供給能力の無限拡大する運動との矛盾、これが「恐慌」という形で顕在化することによって、「資本主義の矛盾」の典型的な証明として語られてきたーーこの基本矛盾を、資本のシステム自体による需要の無限の自己創出という仕方で解決し、乗り越えてしまう形式が、(情報化/消費下社会)にほかならなかった。
こうして(情報化/消費化社会)は、はじめて自己を完成した資本制システムである。自己の運動の自由を保証する空間としての市場自体を、自ら創出する資本主義。」
「情報化/消費化社会という社会のあり方は、未来の可能性に向かって、原理的には限りなく開かれたものである。その根拠は、消費の社会という側面からみれが、それが生産の自己目的化という「産業主義的な狂気」からの脱出であることに基づいており、情報化社会という側面からみれば、それが「物質主義」的な、したがって外部収奪的であるほかのない価値観と幸福のイメージからの脱出であることに基づいている。
 けれども、消費の観念は未だ、情報というコンセプトの透徹がわれわれを解き放ってくれる以前の、マテリアルな消費に依存する幸福のイメージに拘束されている。
 われわれはなお<情報化/消費化社会>の、過渡的な、矛盾にみちた入り口に立っているということができる。
〜〜〜〜〜〜
これは面白い。バランスがいい。この最後の部分をどう延長し、具体化していくのか。この本が書かれたのは、96年。今や、古典?その後の展開を少しフォローしてみよう。

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2003年06月04日

●野口旭『ゼロからわかる経済の基本』

tree601.JPG「日本経済が急激に拡大した要因は、主に2つあります。一つは、生産要素の供給側の拡大、とりわけ資本ストック(資本の蓄積量)の増加です。もう一つは、生産技術の向上による生産性の上昇です」
「政府の財政は、景気が回復すれば自然に改善していきます。要するに、政府の財政は、それぞれの年に均衡する必要性は少しもなく、景気の循環のなかでおよその均衡が実現できればいいということ」
「日本が貿易黒字になり、アメリカが貿易赤字になるのは、日本の貯蓄が過剰であり、アメリカの貯蓄が不足しているからにほかなりません。日本は、貯蓄過剰の結果として、金利が低くなりがちです。アメリカは、貯蓄不足のために金利が高くなりがちです。その場合、日本からアメリカに資金が流れていくのは、当然のことです。
 たとえば、日本の国債とアメリカの国債を比較します。この数年では、日本の十年物国債の金利は、1%から1.5%程度です。アメリカの十年物国債の金利は、低い時期でも4%程度は維持しています。したがって、ほぼ3%くらいの金利の格差があります」
〜〜〜〜〜〜
もう、何度目だろ、この本。3歩進んで2歩下がる。いつまでたっても「〜〜入門」だな(^^;)。あとは、国際金融のところが、まだ、ぼんやりしてる。

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●岩田規久男『国際金融入門』

「長期的に円高・ドル安傾向が続いているのは、長い間日本のインフレ率が米国のインフレ率を大きく下回る状態が、続いているため、貿易財の購入平価の低下が続いているからである。各国通貨の対ドルレートは、長期的にみると、各国と米国とのインフレ率格差を反映して変化しており、購買力平価に近づく」
「日本の内外価格差を大きくしている主たる要因は、円・ドルレートが長期的に、貿易財部門の日米価格比率によって決まり、日本の貿易財部門における生産性の上昇率が非貿易財部門におけるそれよりも著しく高い点に求められる。したがって、内外価格差が生じることはやむを得ない側面がある。が、さらに重要なのは、各種の規制である。米、小麦、ミルクなどは貿易財であるにもかかわらず、輸入が制限されているため、内外価格差を拡大させる要因になっている。」
「イギリスとイタリアのERM離脱や変動幅拡大は前もって予想できた事態であった。ジョージ・ソロスは、バブル的投機ではなく、「経済の理論を無視した無理はいつまでも続くはずはない」というファンダメンタルズに基づいた投機によって、経済の理論の抵抗しようとした勢力に打ち勝ったということである」
〜〜〜〜〜〜
まだよくわからないところがある・・。わかりやすいんだけれど。この本は、何度も見返すことになりそうだ。

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2003年05月29日

●東浩紀・大澤真幸『自由を考える 9.11以降の現代思想』

大澤「情報管理型社会というものがもっている基本的な原理を批判しなければならない。個別に見ると、何も僕らは失っていないようにみえるけれども、全体として見れば、何かを失っているということをはっきりさせなくてはならない」
東「「自由」とは、まず最初にそれが奪われているという感覚があって、その反対物として想定される概念なのではないでしょうか。だから、そのような感覚がない状態で、自由の定義を積極的に行おうとしても矛盾が出てくる。そして、近代社会の規律訓練型権力が、自然な選択肢(消極的自由)を自ら抑え込むことでメタレベルの自由の感覚(積極的自由)を生成するというきわめてアクロバティックな戦略を採っていたのだとすれば、ポストモダン社会の環境管理型権力は、自由そのものを増やすとか減らすとかではなくて、端的に「自由が奪われている」という感覚そのものを極小にするように働いている。だからこそ、私たちは、そこで自由があるのかないのかもよくわからない状態に放置されてしまう」
~~~~~~
『動物化する~~』よりは、‘近い’。「情報自由論」も読んでみよう。しかし、かっては‘現代思想’というものも盛んに読んだものだったけれども、こうして久しぶりに手にすると、誰に向けて、何のために、何を語ろうとしているのか、わからなくなることがたびたび。論理展開よりも、語り口による混乱も大きいように思う。
東「本書は、目の前の社会問題を無視し、難解なジャーゴンを振りかざすだけで何かを言った気になっているような、かつての「現代思想」の本とはまったく異なっている。」
とは、おっしゃってますが、どうなんだろ。

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2003年05月27日

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●飯田哲也『北欧のエネルギーデモクラシー』

「スウェーデンでは、大幅に石油消費量を削減する一方で、暖房を中心にエネルギー源を電力などの非化石燃料にシフトさせつつ、それによって増大する電力需要と水力・原子力で賄う構造に転換した。1970年代には、総エネルギー供給に占める原子力と水力を合わせた割合が9%(原子力はゼロ)だったのに対し、1986年にはほぼ30%に達し、その構造が現在まで続いている。
 電力だけで見ると、脱石油はさらに顕著だ。原子力で電力の半分を供給し、残り半分を水力で供給。原子力と水力だけで全体の93%を占め、残りもバイオマスや風力などの再生可能エネルギーが伸びつつあるため、化石燃料による発電の占める割合はさらに小さくなりつつある。」
「スウェーデンの総エネルギー消費量は、1970年代からほとんど大きな増加はみられない。エネルギー成長を伴わなくても経済成長が可能であることを実証した。」
「1970年代には、総エネルギー供給に占める割合が9%だったバイオマスだが、97年には19%に倍増している。バイオマスが本格的に拡大を始めるのは、91年に炭素税を導入してからになる。地域熱供給とバイオマスとの組み合わせによって、省エネルギーを達成しながら、環境保全とエネルギー供給上の安全保障とを向上させた。」
「スウェーデン政府が発表したエネルギー未来像では、適切な経済成長を達成しながら、2050年までにエネルギー消費量を半減でき、その多くを再生可能エネルギーで供給可能とする未来像だ。省エネルギーシナリオ、バイオマスシナリオ、そして風力シナリオと3つのシナリオが提示されている。どのシナリオにおいても原子力はもはや存在せず、化石燃料も大幅に削減されている。
 このエネルギー未来像を達成する鍵は、経済のソフト化など社会構造の変化とエネルギー効率の高い新しい技術の適用である。そうした変化を加速させるために、環境税やエネルギー税による社会的費用の内部化、エネルギー問題についての教育、エネルギー効率のよい技術を適用するための知識が重要であることを強調している。」
〜〜〜〜〜〜
まあ、環境問題もアレなわけだが、ここんとこのブッシュ周辺の騒ぎぶりは、これからの化石燃料供給の行方を考えざるを得ない。石油の埋蔵量に関しては、各種の見解があるけれど、関係者には埋蔵量の先行きが見えているからこそ、残り少ない石油(その利権)をめぐる奪い合いが激しくなっているとは言えないんだろうか。末端で石油をただ使用する側は、そのあたりは事情は見えないわけだけれど、供給する側は、ある種のパニックが起きているというようなことはないんだろうか。・・それはともかく、エネルギー供給の安全保障というのは、これまで以上に考える必要があると思う。
あとは、これが個人にどう影響をもたらし、この問題への自衛という考え方が可能で適当なのか、というところ。

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2003年05月25日

●岩井克人『会社はこれからどうなるのか』

「日本の「家」の場合、基本的に「家名」がつながっていればよかった。江戸時代の商家や武家においては、養子をとることにあまり抵抗がなかった。日本の「家」とは、たんなる人類学的な意味での家族ではなく、「法人」としての性格を色濃くもっていた存在であったことがわかる。」
「産業資本主義とは、結局、産業革命によって上昇した労働生産性と農村の産業予備軍によって抑えられた実質賃金率との間の差異性を媒介にして利潤を生みだす方法にほかならなかった」
「欧米の先進資本主義国において、農村共同体に滞留していた過剰な労働人口が枯渇し、もはや国内では安い賃金で労働者を調達できなくなり、国境を越えて、発展途上国に積極的に投資せざるをえなくなった。それが、貿易の自由化であり、資本移動の自由化であり、いわゆるグローバル化にほかならない。」
「ポスト産業資本主義とは、すべてが標準化されていく傾向の中で、差異化を創り出していかなければならない資本主義である。そのような差異性そのものとしてのブランド名や特許権やデータベースの重要性が急速に高まりつつある。
 おカネで買えるモノよりも、おカネで買えないヒトのなかの知識や能力のほうがはるかに高い価値を持ち始めているポスト産業資本主義においては、おカネの重要性が急速に下がっている。
「企業にとって、何よりも大切なことは、企業組織、企業文化をできるかぎり個性的なものにすることである。
「会社という制度が、オーナーや支配株主といったおカネの供給者の利益を増進するための道具から、逆に、専門経営者や熟練労働者の組織特殊的な人的資産をまさにオーナーや支配株主の簒奪から防衛する垣根へと変わりつつある。
「ポスト産業資本主義のなかで社会の専門家が進むにつれて、NPOの活動の範囲が広がっていくことを予感させる。日本的な会社と、株主そのものが存在しないNPO、とりわけ法人化されたNPOとの間には、見かけほどは大きな断絶があるわけではない。
「これからの会社においては、自分の都合で、しかもそれまで会社が働きながら得た知識や能力を活かすために、会社を離れていく従業員が増えていくことになるはず」
~~~~~~
アメリカ的な「株主主権」論から、個性的な人的資産を有効に活用するための組織デザインへ。前提となる「ポスト産業資本主義」という定義に疑問を感じつつ・・。

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2003年05月24日

●岩谷宏『Linuxの哲学』

「Linuxをマスターするための、唯一最大のコツ、それは失敗を含めて、あなた自身の体験の蓄積なのだ!あなたの唯一最大の強み、それは、あなたの体験の量である!
 そうやって、たっぷり時間をかけて、多様な体験を重ねたうえでの「あなた自身のLinuxシステムづくり」の過程には、一般的に、さまざまな「ものづくり」の過程に共通する苦労と楽しみがある。
 それは、Linuxそのものの起源である「自分たちが手作りするシステム」の精神と実践が、日本各地に転移し成長していく動きでもある。見方を変えて逆に言うと、オペレーティングシステム本体だけが、あのように共同オープン型で生成するだけでは、情報通信化社会の長期的な未来像として、それほど面白いものではないと言える。その精神と実践が、もっともっと多方面に広がってもおかしくない。
 Linuxに自主的に取り組むことによって、私たちは、Linuxカーネル(そしてGNU/FSFソフトウェア群)というタンポポから飛散する大量の種子のように広がり、地上に落ちて、オープンな共同体的手作りシステムを各地に根づかせ、育てていくだろう。今からLinuxに取り組むと、2〜3年後にはまさにあたな自身に、その実力がつくのである。」
〜〜〜〜〜〜
 岩谷氏が初心者向けにLinux解説書を書きたいらしい、という話は聞いていたが、こういう形になっていたのね・・。この序文で書かれている言葉は、コンピュータOSとしてのLinuxの価値という枠を超えて、社会にコミットする姿勢として、現在、そしてこれから意味を持つ、と思う。
 さ〜て、数年おきにやってくるマイLinuxブ〜ム(^^;)。95年頃にインストールに激闘して以来、何度か試すが、結局、日常的に使いこなすまでに至らず。MacOSXでのUNIXという選択肢もあるけれど、さて、今回はどうなりますか・・(^^;)。

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2003年05月23日

●小林正弥「丸山真男の思想的発展」

「戦争と敗戦後という状況の中にあって、初期の丸山の問題関心は、何よりも日本軍国主義ないし超国家主義の克服と戦後民主主義の形成にあった。1950年代に入って政治状況が激変すると共に、丸山の問題意識も変わってゆく。
 実践的公共哲学という観点からは、この時期の丸山の活動は、まさに公衆に語りかけることを目的としてなされているが故に、きわめて重要である。この公共哲学の中心は、平和論と民主主義論にある。この時期の政治的主題は、講話問題や安保改定問題といった安全保障問題にあったから、勢い丸山の議論も、非武装中立論や憲法論に置かれることになった。」
「思想的発展の全体を総括すると、丸山の学問的営為は、初期における戦争や日本ファシズムの体験から、生涯にわたってまさに「日本」という国民ないし国家の問題をあばきだしたことにある。それを克服するために、まず初期には主体的作為論を提示した。中期には戦後ファシズムの危険を憂慮し、ファシズム一般を生む「現代」の問題に対して、政治的変革のために、市民による実践的公共哲学を提起した。そして、後期にはこれらを実現する文化的変革=精神革命のために、古層論を展開したことになる。」

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2003年05月22日

●小林正弥「丸山真男と公共哲学」

「1980年代以来、丸山は、行動主義的・実証主義的政治科学からその「非実証性」を批判され、ポスト・モダン左翼から理性主義的・規範主義的姿勢や「健全なナショナリズム」の肯定を批判され、さらに新国家主義からその個人主義的な国家軽視の姿勢を批判されている。
 相容れないこれkら五種類の丸山批判、さらには戦後啓蒙や戦後民主主義の批判は、野合して、戦後の革新的公共哲学の権威を全面的に堀り崩す危険性を秘めている。残念ながら、この結果、戦後民主主義の知的影響力は近年とみに減少していると言わざるを得ない。」
「地球環境問題などが深刻な今日では、初期丸山の近代主義的な「自然/作為」観には問題が存在することは否めず、丸山における「自然」の観念を問い直すことは、地球的公共哲学の観点からは決定的に重要だとすら思われる」
~~~~~~
このあたり学習する必要があるのかないのか・・わかんないけど、とりあえず、とっかかり。

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2003年05月21日

●野口旭『経済対立は誰が起こすのか』

「貿易自由化を行えば一時的な「摩擦的失業」の発生は避けられない。しかしこのことは、自由貿易よりも保護貿易のほうが望ましいとか、「理論」から導き出される結論が無効だということを意味するものではない。なぜなら、貿易が制限されている状態と自由貿易移行後の状態を比較すれば、後者の経済厚生が前者を上回ることはあきらかだからである。貿易制限は、労働市場の構造的要因によって失業が解消できない場合などにおいてのみ許容しえる「次善」の政策にしかすぎないのである。
 問題の焦点が「失業」それ自体にあるのであれば、そこには貿易制限などよりもはるかに適切な政策手段が存在するからである。一国の雇用という点に関しては、特定の産業の貿易制限を行うか否かよりも、通貨当局により金利の上げ下げのほうが、よほど重大な影響を持つのである。」
 「日本の高齢化が進むということは、日本のマクロ的な貯蓄率は今後は確実に低下していくこと、そして、もしそれが民間国内投資や政府赤字を賄えなくなるまで低下すれば、日本の経常収支は赤字に転換することも意味している。」
〜〜〜〜〜〜
再チェ〜ック。やはりわかりやすいが・・。

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2003年05月20日

●ポール・クルーグマン『経済政策を売り歩く人々』

ichigo520.JPG「固定相場制を主張する人々の中には、伝統的な金本位制に似た制度への回帰を望む保守派もいれば、為替相場を投機的市場の手にはゆだねたくないと考えるリベラル派もみる。一方、変動相場制を擁護する向きの中にも、自国の経済運営を厳格な貨幣供給ルールに従わせるべきであると考えるマネタリストもいれば、時刻の完全雇用を追従するための裁量の余地を残しておきたいと考えるケインズ派もいた」
「アメリカは、二つの大きな経済問題を抱えている。生産性の低下と貧困層の増加である(ともに低い生産性の伸びと所得配分上の不平等の拡大が生みだした結果である)。」
「貿易戦争には2種類ある。一つは、保護貿易論者や戦略的貿易論者が主張しているように、われわれは常に戦っているという仮想上の戦争と、もう一つは、彼らの主張が通ってしまうことによって実際に起こるものである。
 ところがひとたび世界が「目には目を」式の保護主義の流れに巻き込まれてしまうと、そのダメージから立ち直るのには何十年もの歳月がかかることになる」
「ロナルド・レーガンは、強力で単純な考えの持ち主であった。つまり、大きな政府は嫌いで、税は低いほどよく、民間企業は低い税金に反応して、新しい繁栄の波に乗るべく企業活動に精を出すものだと信じていた。ジョージ・ブッシュは、外交や軍事戦略に関しては専門用語や略語を駆使して、その知識を披露する半面、経済学に関しては基本的なアイエディアさえ誤りを犯しがちであった。それとは逆に、クリントンは、経済の詳細について語ることを好んだが、語ることを好んだだけであって、実行に移すことはできなかった。」
「戦略的貿易論者の考え方はレーガン政権の勝利に対するリベラル派の反応として出てきたものであることは、ほぼ間違いないことである。実際、リベラル派の中には、1970年代に政策議論を席巻した新保守派知識人(ネオコンサーバティブ)になぞらえて、自らを「ネオリベラル」と称する人も出てきた。つまり当初より、戦略的貿易論者たちの登場は、政治の世界と密接なつながりがあったわけである」
〜〜〜〜〜〜
再チェ〜ック。今度は、政治と知識人の流れに関心を持ちながら。・・レーガン以降(それ以前も?そして、今も?)右に左に大きくぶれながら、ほとんど経済学的に誤った政策が行われている、ということか。アメリカのこの「ぶれ」を理解しないと、ただ「アメリカ」と批判していてもダメかね。

投稿者 esaka : 01:49 | コメント (0) | トラックバック

2003年05月16日

●アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考』

評判を小耳に挟んだので手にしたが、なんだか・・。僕が対象読者ではなかったのか、さ〜ぱり。な〜んも、ピンと来ず。それで?

投稿者 esaka : 23:03 | コメント (0) | トラックバック

●野口旭『ニュースの経済』

「ゴーンさんみたいな人が増えてくると、日本の経済全体は、落ち込んでしまうという可能性も強い。日本経済の良し悪しと企業の良し悪しは違う。これを「合成の誤謬」という」
「経済学を研究している人間がGDP至上主義というわけでは決してない。大事なのは、GDPではなく、個人個人の満足だ。GDPはひとつの指標にすぎない。」
「政治家や政治が問題にすべきなのは、必ずしもGDPそのものではない。GDP自体は結果であって、結局、われわれ一人ひとりが、本当に満足できる状態を、経済としてどうやって実現するかが大事。そこで最も問題視すべきなのが、失業だ」
〜〜〜〜〜〜
チョ〜基礎に帰って始めてみる。これはさすがにわかりやすいが・・。

投稿者 esaka : 02:15 | コメント (0) | トラックバック

2003年05月14日

●山形浩生『たかがバロウズ本。』

burrosghs.JPG久々?に渋谷へ。アジアの雑踏、を感じる。

「この本のテーマは、平たくいえば自由ってことだ。バロウズはどういうふうに不自由で、そこからどうやって自由を得ようとして、そしてなぜ挫折したか」
「カットアップなどの文体と、モラトリアムを貫徹したライフスタイル──両者の共通点は、その自由さの志向にある。そして、一方でそれは、他人のことを意に介さない身勝手さでもある。」
 「トニー・ターナーは1971年の大著「city of words」で、アメリカ小説を支配しているテーマの一つとして、自由であることを挙げている。そしてそのテーマを重視するあまり、アメリカの小説の多くは、ちょっとでも自由を脅かす可能性のあるものについて、えらく過敏になっているのだと主張している。そしてそれが高じてくると、この現実が実は何かに支配されているんじゃないかというオブセッションにつながる。」
 「文学的な「読み」というのは、一定のコスト制約の中にある。そしてそのコスト制約線は、モノを読む速度という人間の生物学的な能力と、そして経済力に規定されている。そのコスト制約が文学の(つまりそこから引き出せる価値の)限界だ。」
 「自由は、いろいろな「自由」のバランスとして存在する。そして「自由」というけれど、それは何からの自由なんだろうか。抽象的な、ふわふわした「自由」なんてものはない。自由はいつだって、「何かからの自由」だ。「何かをする自由」だ。いろんな自由がトレードオフ関係にあってバランスが必要なら、それぞれのバランスが実現するものは違う。人は何かを実現するために、あるものからの一層の自由を目指して、新しいバランスに移行しようとする、というのが正しい考え方だ。」
 「自由のバランスをかんがえなきゃいけない。すべてが完全にフリーではありえず、フリーなものとコントロールされているものとは相互に依存しあうことで、お互いに価値を高めあう。これはレッシグが「コモンズ」で論じている通り。自由であることに絶対的な価値はない。自由というのは、価値を創り出すためもツールの一つでしかない。」
「バロウズにあるのは、行き場を失った自由たちのブラウン運動だ。方向もなく、何かに向けて組織されるわけでもない、在る意味でまったく無駄な、浪費される自由質の散乱。」
〜〜〜〜〜〜
これはスゴイ。いやぁ、ビックリ。SF小説、バロウズ、クルーグマン、ハッカー倫理、レッシグ、シンクタンク的思考、啓蒙・・と、分散していたようにみえたこれまでの山形氏の活動がぎっちり凝縮。スゴイは。他の誰も真似できない‘文芸批評’。
そして、自分のかっての不明を恥じる。さらに、ちょうど、「自由」について考える機会が増えていたところなので、これまた、先に進まないと。

・・あらら、ようやく読んだ、と思ったら、昨日、全文ネットにあげられてたよ。偶然。

投稿者 esaka : 14:24 | コメント (0) | トラックバック

2003年05月13日

●東谷暁『日本経済「常識のウソ」』

むか〜し、誰かに薦められていたのを思い出し、ちょっと手に取る。
 前川リポートなんかも経済学的に間違いだったことはわかるけれど、そうした間違いが政府サイドから出されて、常識化した場合、経済学的には間違いだ、という批判で済むんだろうか。近頃も、アメリカの帝国化を牽制するために、米国債の保有を外交カードにせよ、なんていうことを言い出したり、イラク戦争を通貨戦争だ、という人もいる。そうした経済学的「非常識」に引っ張られる形で政策として実行されるケースもあるわけで、その場合、それを経済の視点からだけ批評するのは有効なんじゃろか、という疑問。

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2003年05月08日

●『地球家族』*

プロジェクトの実施方法 ピーター・メンツェル
「国連と世界銀行の協力により、居住地、住居のタイプ、家族の規模、年収、職業、宗教などから、各国における中流家庭を決定した。
世界の断面図を反映するものとして、30カ国と選択した。選択に際しては、以下の点に注意した。
・経済が急成長している環太平洋の国々
・アメリカ合衆国の旧敵国
・最近ニュースで話題になっている国
・標準的な比較のために有効な国
・何か学ぶべきものがある国や以前から行ってみたかった国

家族を選出するにはまだやさしい仕事で、もっと大変だったのは、貴重な所有物を戸外に出して世界の人々の目にさらすよう家族を説得することだった。取材家庭を選んだ後は、カメラマンが家の中に入って、家庭と生活をともにした。カメラマンは1週間家族と暮らして、66項目のアンケートから家族のデータベースを集めた。
アンケートの内容は、たとえば、
・家族のそれぞれがいちばん大切にしているものは何ですか?
・典型的な朝食の内容は?
・これまでに何か盗まれたことはありますか?
・1日に何時間テレビを見ますか?
・子供たちのために、どのような未来を期待していますか?」
〜〜〜〜〜〜
出版された1994年当時話題になったけれど、この本は凄いわ。
写真のタッチがやや好みではないのが残念だけれど、企画そのものが凄い。

投稿者 esaka : 03:25 | コメント (0) | トラックバック

2003年05月05日

●ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』

「人類史上もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で2000万人が命を落としている。1346年から52年にかけて流行した黒死病(腺ペスト)では、当時のヨーロッパの全人口の四分の一が失われ、死亡率70%mという都市もあった。」
「1519年、コルテスは、人口数百万人のアステカ帝国を制服するために、600人のスペイン兵士とともにメキシコの海岸に降り立った。スペイン側の勝利を決定づけたのは軍事力ではなかった。一人の奴隷が1520年にもたらした天然痘のおかげで、スペインは勝つことができたのだ。2000万人だったメキシコの人口は、天然痘の大流行で、1618年には160万人にまで激減していた。
 北米のアメリカ先住民は、ヨーロッパ人がやってきたときにはすでに、ユーラシア大陸の病原菌によって壊滅状態におちいっていた。当時のアメリカには、2000万人の先住民族が暮らしていた。コロンブスのアメリカ大陸発見以降、200年もたたないうちに、先住民の人口は95%も減少してしまったことが推定される。
 非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。しかしそのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌をとんでもない贈り物として、先住民に渡したからだったのだ。
〜〜〜〜〜〜
ツンドクしといた本にちょっと目をとおす。銃・病原菌・・それって今のこと?というわけで、「銃・病原菌・失速?」というクルーグマンのコラムを再チェック。

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2003年05月04日

●竹森俊平『経済論戦は甦る』

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「一般政府債務残高のGDP比140%、コールレート、ゼロ%という現状で、リフレを行うことは、前例のない実験である、「冒険」でもある。だが、デフレ・スパイラルを前にして「リフレ」を行わないで、「清算主義」を実行するというのは、大恐慌のときに大失敗以来、さほど前例のない実験であり、また別の意味での「冒険」である。
 つまり我が国は、どちらの道をとっても「実験」と「冒険」は避けれれない状況に追い込まれている。」
「日本の財政は、たしかに、90年代のパターンをいつまでも続けていくことは不可能であるし、「財政危機」が引き起こされる可能性が今日でもまったくないとはいえない。だが、そうかといって、「不況」にもかかわらず財政バランスを立て直さなければならないというところにまで追い込まれているわけではない。
 その理由は第一に、プライマリーバランスと一般債務残高の関係からみた90年代の財形経路は、このままでいけば、一般政府債務残高の現在価値を無限に発散させるようなものであるが、かといって、この理論的は予算制約は、きわめて長期について適用されるので、長期的にはバランスを立て直すチャンスはいくらでもある。
 また、第二に、一般政府債務残高がGDPの140%にものぼっているという事実や、国債の格付けが発展途上国並みに下げられているという事実は、我が国のように95%まで国内で消化されていれば、さしあたっては、さほど問題にならないだろう。
 しかし、すでに危機に瀕しているわけでなくても、今の財政の状況が、将来に混乱を生じさせる危機を持つことは間違いない。したがって、現在の「不況」から日本経済が離脱できたことがはっきりした時点で財政建て直しの方向に大きく踏み出すべきであろう。」
「アメリカ政府は対外債務のの実施価値を引き下げるために「ドル安」を導く政策を進めるのではないかという予想があった。また、将来の大幅な「ドル安」が予想されれば、国際取引では「ドル離れ」が始まるのではないかという懸念もあった。だが結局、「ドル離れ」はほとんど起こらず、90年代になるとアメリカの財政収支も黒字に転換している。
 つまるところ、通貨の増発によって財政危機を回避するという「ハード・ランディング」は、大多数の一般国民に大打撃を与えるので政治的には不人気である。政府としてはできるだけ避けたいところだろう」

「金本位制のもとでは、マネー・サプライの規模が拘束されている。世界経済において金本位制が維持されるかぎり、為替レートは公定相場の近傍の値をとり、安定的になる。高インフレ国に金流出の圧力をかけて、高インフレ体質を改めさせる効果もある。金本位制度のもとでは、物価水準が比較的安定していたといわれるのはこのためだ。
 しかし、緊急に財政支出を増やさなければならない場合、または国内不況が深刻な場合、政府はマネタリー・ベースを増大して、インフレを放置せざるをえないことがある。20世紀が進むにつれて、金本位制の存続が難しくなった理由はこれである。第一次世界大戦がその転換点だった。
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「不良債権」のところ意外は、とて~も、わかりやすい。こうして、論旨明快に「リフレ」の達成、量的緩和の重要性が説かれていて、多くのマクロ学者が同様の主張をしているにも関わらず、1930年代と同じ過ちを繰り返そうとする日銀。経済学的にどちらの主張が正しいか、というよりも、ちっぽけなメンツが最重要視されている気配。エコノミストの“政治”も怖い。
  個人的には、アメリカの債務残高やそのシステム、と、金本位制の意義、あたりに興味はシフト。

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2003年05月02日

●「ブラックジャックによろしく」

nisian428.JPG ご近所の喫茶店。老夫婦が自宅の庭に面した一階を改造し、週末だけ営業。のんびりしてていい。禁煙だし、手打ち蕎麦もおいしい。

『ブラックジャックによろしく』 1巻から5巻までまとめて読む。最初は、画に違和感があったが、物語の強さに引き込まれる。マンガという表現形式の強さをひさびさに感じる。日本のマンガ界そのものは、しばらく元気がなくなっていると思っていたが、少しずつチェックはしたほうがよさそう。時代がこれだけ不安定になってくると、エッジの効いたクリエイティビティが出てくるはずだ。ここで取り上げられている「医療」も、ちょっと前では、扱いに注意が必要だった世界だったはず。マンガ化にあたっては、実際はどんな裏があったのかはわからないが。近頃は、テレビでも盛んに扱っているし、何かの力を感じる・・。まぁ、勘ぐりすぎかも。病院の問題をめぐっては、以前、「用賀アーバンクリニック」に取材したが、あれは嬉しいショックだった。
テレビドラマのほうも、そのうち見よう・・。

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