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2009年04月19日

●色川武大『うらおもて人生録』

・・ということで、阿佐田哲也より純文学色が強い本名・色川武大 名義の本をいくつか読む。その中では、『うらおもて人生録』が楽しめた。

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西部邁による文庫版の解説から。

「・・は、非行の天才の手による劣等生向けの教育書である。……著者の「どろどろの体験」にさりげなくもとづきながら、劣等生が「生きていくうえでの技術」を「自分なりのセオリー」として「身体にしみこませる」ことができるように諄々と説いている。……「人間なり、世間なりのレベルは手ごわい」こと、そして「真実というものは、二律背反の濃い塊りになっている」こと、これらの事柄を知るのは魂の技術によってであり、ひとたびこの技術を習得すれば、劣等生にも非行者にも魅力的な人生がありうるのだと著者はいう。
 魅力とは「自分が生きているということを、大勢の人が、なんとか、許してくれる」ようにさせるような力量のことである。好むと好まざるとにかかわらず勝負を基調にする世間において、ひとます敗者の地位にある劣等生は、優等生には易いこの許しを獲得するために、悪戦を強いられる。迂回、沈潜、飛翔をとりまぜて動員しなければ、「これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核」としての「フォーム」に達することができない。この「たたかいのしのぎ」を教えてくれたのは、著者にあっていうまでもなく博打場である。
「運の通算はゼロになる」こと、そうであればこそ「運をロスしない」こと、「大負け越しになるような負け星をさけていく」こと、つまりは「九勝六敗ぐらいの星をいつもあげる」こと、こうした様々なセオリーを、「原理原則は愛嬌のないものだ」と知りつつ、わからなければならない。……「苦を自分でひろっていく」こと、「ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくい部分を守り育てていく」こと、つまり「洗練された欠点」を身につけることが大事であって、負けまいと踏ん張ってばかりいれば、怪我をする。
 しかし、・・非行者はどうすれば「わかる」のであるか。実行はむずかしいが、その原理は簡単である。当たり前のことを憶えていればよいのである。「大勢の人たちに関心を持つ」こと、・・そしてなによりも、「人間とは愚かしくも不恰好なもなり」と知ったうえで、「大勢を好きになることで、自分の感性の枠を拡げる」ことを忘れなければよいのである。
 「人を好きになること、人から愛されること」、著者の味わってきた熾烈な人生のしのぎは会いを前提にしている。照れ性の著者にかわって照れずにいえば、人生のうらおもてに愛をつらぬけ、これが本書の主調音である。・・・・
 人生論はいまどきの流行ではない。いわゆる「知」とかが人生や体験をこのうえなく侮蔑し、人生なしの芸術、体験なしの知識が言葉のショー・ウィンドウに並んでいる。今の時代の優等生とは、このガラスのなかの陳列競争の勝者ということであり、これが時代の本線である。著者は劣等生にたいして、「本線とはちがうコースがみつかるといいんだがね」と静かに誘いかけている。」

 経験に裏打ちされた、ひとつひとつの言葉の重みに驚く。単純な言葉の裏に、そこまで至った経験の熾烈さを想像させて圧倒される。近頃は、MBA出身者などによるライフハック的仕事術が大流行りだが、あの薄っぺらさが際立つ。こちらこそ、まさに真のライフハックと言えるかもしれない。

投稿者 esaka : 2009年04月19日 01:19

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