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2008年06月22日
●岡本一郎『グーグルに勝つ広告モデル』
本のタイトルとは、かなりかけ離れた内容。だが、ビジネスモデルの変革を迫られる既存のマスメディアがどうしたらいいのか、という分析は、これまでありがちだったその危機を煽るものではなく、きわめて冷静。
既存マスメディアは、ネットの一般化で、対策を迫られているが、それは、ネット対テレビ:ラジオ:雑誌・・というようなものでなく、それぞれのメディアが、それぞれの特徴、特質をよ〜く考え直して、必要に応じて、ネットも使いつつ、新たなビジネスモデルを構築せよ、という至極まっとうな話だ。
そこで分けて考えるべきなのは、ネットかマスメディアか、ということではなく、例えば、ビジュアル×テキスト、ブランディング×情報量、ジャーナリスティック×エンタメ・・というような、流通するコンテンツの内容によって適した情報流通の選択がある、ということだろう。
すでに、ネットは、メディアの対立軸にあるのではなく、コンテンツ流通経路のひとつとして考えるべきものということだ。

で、この本のユニークなのは、マスメディアのビジネスモデル分析に終わらずに、マスメディアの意義についてまで、あえて踏み込んでいることだろう。
「言論機関には偶発接触性が求められます。たまたまニュースに出会う、ということが必要なのです。自分が望んでいない情報にも偶発的に出会うからこそ、自分と異なる意見を持つ人が世の中に多数存在することや、意識することのなかった暗黙の規範を学ぶことができるわけです。……
一方、インターネットメディアは自分が望む情報だけを効率的に収集してくれる機能をどんどん進化させています。……マスメディアが健全な民主主義を維持する最後の防波堤になるかもしれない、と筆者は考えています。」
このあたりは、キャス・サンスティーンの「サイバー・カスケード」を代表によく言われていること。また、
「情報は断片的に生み出されて編集され、プラットフォームに乗せる形に変換されて流通し、最後は貨幣と交換されるという、「知のバリューチェーン」ともいうべき経済システムの中で生み出されています。
ウィキペディアは、グーテンベルグからグーグルが登場するまでの「旧世界」がずっと発展させてきたこの「知のバリューチェーン」から、無料で情報という栄養をもらってコンテンツを拡充するという寄生虫のような構造で肥大化しています。
ここで問題になるのは、ウィキペディアがフリーであるがゆえに、強大な普及力を有しているという点です。そのため「知のバリューチェーン」を循環する経済価値が減少し、ウィキペディアが循環的に依存していた「信用できる」情報源が、事業運営上の深刻な困難を迎える可能性があるのです。そうなると、ウィキペディア自体も中長期的には生きながらえることができないでしょう。
……そもそもウィキペディアに記述されている「みんなの知恵」が、根源的には社会がコストをかけて育んできた知の基盤の拠って立っていることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。」
もう一つ、個人的関心が深い部分を引用。
「今現在、我々が持つクリエイターのイメージは、印刷物やテレビCMや番組といったある規定の枠組みの中で、ルールにしたがってコンテンツを作る職人、というものです。
しかし今後は、メディアの枠組みそのものを作っていく、そしてその枠組みが市場の文脈でどのような利用のされ方をするか素早くセンスして、枠組みとコンテンツの両方を進化させていく、といった能力が、クリエイターには求められるようになるのではないでしょうか。」
投稿者 esaka : 02:17 | コメント (0) | トラックバック
2008年06月08日
●高橋克徳 他『不機嫌な職場』
秋葉原で通り魔・・。ヒリヒリするような不満、不機嫌が社会に充満している・・。

この本の最後の部分から・・
「企業という場だけでなく、学校や家庭、地域社会など、多くの場で関係が希薄になり、お互いが関わりを持たず、孤立していく状況になってきている。その結果、隣の人が何をしているのかわからない社会になり、自分の鍵をしっかり閉めて、気をつけていなければ自分の身が守れない社会になりつつある。
いろいろなものが便利になり、一人ひとりは経済的に豊かになっても、いつも不安を抱えながら生きていく社会になりかねない。それでよいのだろうか。
協力し合うという行為は何も、ただ単にみんなで仲良くしましょうと言っているわけではない。また昔のように村社会をつくり、協力を強制することは難しくなった。いやゆる集団主義という形での協力関係は成り立たない。……
組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
そのためにまず、多くの人たちが疲弊し、場としたの魅力を失いつつある企業という場に、新たな協力関係を構築していく。その上で、さらに父親、母親として、あるいは世の中に関わる主体として、協力関係を実現していく。」
社会に不安と不機嫌が満ち満ちているように、家庭にも、そして、職場にも、そうしたエネルギーは伝播し、充満している……。そうした問題を組織・人事コンサルタントが、職場の問題として、真摯に問いただしている。
「人は多様である。いろいろな良いところを持っている。その良いところを認めてもらって嬉しくないはずがない。自分を認知してくれる、個人、組織、社会に対して人は好感を持つ。そして、その個人、組織、社会に対して、自分が何か貢献できないか、という前向きな感情を持つ。
しかし、今の会社の中では、社員はなかなか認知される機会がない。それは、会社の中の評価軸が「一軸」になってしまっているからだ。その一軸とは「業績」である。業績をあげた人は偉い、そうでもない人はそうでもない、という認知環境になっている会社が多いのではないだろうか。
・皆がやりたがらない仕事を引き受けてやった人
・部下の面倒をいろいろとみてやった人
・主張し合って譲らない人々の仲介役になって調整した人
・クレームにいつも向き合って対応する人
・元気に振る舞うことで、皆を明るい気分にさせてくれる人
など、会社には多様な能力が集まり、多様な協力があるからこそ、全体が上手く回っていく。……自分を認知しない個人、組織、社会に対しては、人を愛情を弱める。……
残念なことに、現代は認知飢餓社会である。」
長くなってしまったが、もう少し引用しよう。ここで語られるのは、日常生活の中で、あまりに当たり前とも思えることだけに、今の社会の混乱ぶりがわかるというもの。ちょっと前だったら、何を説教じみたことを・・と一笑に付されたかもしれないようなことが、なにかとても大切なことのように思える・・。
「当たり前のことだが、誰かに助けてもらったら、「ありがとう」と言うのは礼儀であり、人が気持ちよく生活していくための昔からの知恵である。しかし、こうした言葉を心から言えない人たちが増えているのも確かだ。……
感謝という行為は、援助行動を強化していくことにもつながる。特に、相手が喜ぶことが自分の喜びになっていく。こうなってくると、自発的な協力行動が生み出されていくことになる。相手の期待に応えよう、あるいは相手の期待以上の行動をしていこうという意識が出てくる。……
あなたは、この一週間で、心から「ありがとう」という言葉を誰かに伝えたことが何回あっただろうか。……ぜひ、ご自身に問いかけて欲しい。こうした感謝と認知をお互いに自然に伝え合うことで、援助行動や協力行動を当たり前の行動に変えていくことができるのである。」