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2008年01月27日
●吉田智子『オープンソースの逆襲』
凄いタイトル、すごい表紙・・。
「日本でもオープンソースが注目され始めて5年以上の年月がたっていますが、中心となっている人はずっと変わっていないという現状があります。……
6年ほど前なら、中学や高校時代に自宅や学校のクラブでプログラムを書いていた経験のある大学生や、大学生になってからコンピュータを使うようになったけど、UNIX環境にどっぷりつかって、プログラムを書くことや、ネットワークを構築することに時間を費やしている学生に、頻繁に出会うことができました。しかしここ数年、そのような大学生は確実に減っています。」

う〜ん、どうなんだろう。ケータイからのネットアクセスが当たり前になっている若者にとって、PCの存在そのものが面倒なものになっている、ということはよく耳にするけれど、いっぽうで、Web制作に関わる若者は確実に増えているようにも思うが・・。また、
「日本発のオープンソースが少ない理由として、日本の若者の多くが、お客様文化の時代を生きていて、それに満足しているケースが多いことが考えられます。」
「プログラムは書くけど、公開したことがない日本の若手に、「なぜ公開しないの?」と聞くと、「恥ずかしいから」と答えます。その恥ずかしさとは、「身内とカラオケで歌うのはいいけど、駅前で歌えと言われると恥ずかしい」に相当するそうです。」
う〜ん・・。納得もできるけれど、多くの反論がありそうなことも予想がつく・・。
投稿者 esaka : 23:50 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月26日
「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」
以前、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはず、と書いたけれど、鴻上尚史が似かよったことを言っていたのでメモ。もう随分前(1月8日)の日経連載「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」から。
「社会の閉塞感が強まっている。『空気を読めない』という言葉が典型だ。空気を読むという行為は自分で自分に制約を課すこと。『世間体』の復活ということか、日本全体に内向きの傾向がみられる。……
もう一つの閉塞感は、日本人が結果平等への思いを忘れられないことからくる。……まじめに働いても格差は広がるという重苦しさに包まれている。そうした二重の閉塞感を和らげ、生きて行くことを楽にするのが文化の力であり使命だ。」
こうした閉塞感を多くの人が感じていて、それを分析することから脱出する手段を模索したり(たとえば、鈴木謙介『ウェブ社会の思想』)、直接的なサバイバル法?を提示したり(たとえば、梅田望夫『ウェブ時代をゆく』)と、さまざまな方向から論じられるようになっているが、その閉塞感はますます大きくなるばかり、というところか・・。
投稿者 esaka : 23:17 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月20日
●『我らクレイジー★エンジニア主義』
Tech総研のインタビューをまとめたもの。有名エンジニアに、その「技術」について聞くのではなく、これまでの人生、楽しみ、仕事観という視点で聞いているのが、ひじょうに面白い。

・大平孝之(プラネタリウム・クリエイター)
「エンジニアに必要なのは、まず社会のおける自分の位置づけや影響を認識することだと僕は思っています。自分の技術は何のためにあり、どう役にたつのか。何が判断材料の基礎となるべきか。その意味では、世に新しいものを生み出すだけが技術だけではありません。そでにあるものを守り、改良し、維持していく。そういう仕事にもとても大きな価値はあります。そうやって会社は支えられているからです。もっといえば、社会はそういう仕事で支えられているんです。」・清水浩(慶応大学教授、Eliica開発)
「技術とは、人間がラクをするものをつくることです。それに尽きると私は思っています。……人間の寿命が飛躍的に延びたのは、3つ理由があります。ひとつは医学の進歩。もうひとつは、栄養。そしてもうひとつが、ラクに仕事ができるようになったことです。」・苫米地英人(脳機能学者)
「会社の役に立つとか、世の中の役に立つとか、そんなことを考えたらダメなんです。面白いからやる、じゃないと。面白いことだけをやってる人が未来をつくるんです。あとはついていくだけです。
そう考えると、今は悲劇的状況にある。……要するにアメリカ人は考えるだけ。この情報植民地状態から早く独立しないと。
そのためには、利益がどうとか、特許がどうとか、ほざいてる場合じゃない。とにかくエンジニアが面白いことをやらないと。面白いと思っているパワーには、絶対にかなわないんだから。」
それぞれ凄い。以前アーティストが持っていたようなエネルギーとクレイジーさは、今は
突出したエンジニアこそが持っている性向のように思える。これもひとつの「いかに今を行く抜くか」に関する本、とも言えるけれど、あまりに壮快。
投稿者 esaka : 21:54 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月19日
●梅田望夫『ウェブ時代をゆく』
「現実の世界を眺めれば、「オプティミズムなんかどこから生まれるんだ」と言いたくなるほどの深刻な問題が山積である。ただそれを「絶望的だ」と言っているだけでは、エネルギーは身体に満ちてこない。……地球上はさまざまな矛盾や難題に満ちているが、それは過去から現在に至るまでずっとそうだったのであって、そう簡単に大きな破局を迎えたりはしない。人類の叡智をその程度は信頼してよいと思う。
私は、「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考えて生きてきた。そのことに後悔はない。社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびなければ何も始まらないではないか、いまもそう考えている。」

「いかに今を生き抜くか」を語ろうとする本が増えている・・。「個がいかにサバイバルすべきか」を考えるのは、とても重要だ。ここでは、今、メディアを表面的には支配している「環境」という言葉は、一回も?出てこない。たしかに声高に地球の未来と環境の将来を語る人々には、「個のサバイバル」面での危うさやもろさを感じることも多い。が、両極端にふれる言葉は、刺激的ではあるけれど、なにか居心地の悪さを感じてしまう・・。
投稿者 esaka : 21:53 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月08日
●鈴木謙介『ウェブ社会の思想』
ひじょうに楽しませてもらった。特に、個人的には、第二部へ入ってからの、展開のうねりは、心地いい。最後のまとめ部分は、背景として意識されているだろう知的バックグラウンドを共有できていないためか、やや唐突に感じられたけれど、それは、僕の個人的なことなのだろう。
今、日本の若者にの内面に何が起きているのか。その内面と、情報社会とはどう関わっているのか。そしてこれからどうなるのか、どうすべきなのか。
この点を語らせたら、当代随一だろう。そして、それが単なる批評に終わらず、人生論にも読めるのは、鈴木氏が、時代と並走しているからなのだろう。
「今回は、……、その未来像にいくばくかの「希望」を見出すことをひとつの目標に据えて執筆された。」
去年始めたウェブ雑誌のテーマを「アカルイ未来の創造力」としたけれど、マスメディアで流れる情報に右往左往したり、将来を過剰に絶望したりすることなく、現実の構造を見据えて、確実に一歩先に足を踏み出そう、というようなことを考えている人たちが、徐々に増えてきている気がする・・。
