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2005年10月22日
大航海NO.56 「インターネットの光と闇」
(ブログとかじゃなく)あえて「インターネットと社会」を論じようとする雑誌企画は、目にすることがほとんどなくなっているが、今回の企画はひじょうに面白い論文が多い。ビジネス面での喧噪に巻き込まれた混乱を越えて、ネットをどう捉えるのかということが、日本の学術界でもようやく充実し始めているのかもしれない。対談:斎藤環×鈴木謙介、佐藤俊樹、北田暁大、荷宮和子、浅野智彦・・。
ネット利用が人々にもたらす影響を語ろうとすると、世代的な感覚の違い、理解度の差も大きいので、(大学入学時から充実したネット環境が備えられていた第一世代)20代の感覚を十分、感覚的に理解しつつ、言葉で伝えることのできる鈴木謙介氏などの活動は、これから重要になってくるんだろう。
斎藤環氏×鈴木謙介氏の対談での 若者論は、へぇ〜と驚くことしばし。
荷宮和子「ネットの持つ力の限界」からメモ。
「つまるところ、ネットでアクティブな層に人気のある「M2的なるもの」=「自身の既得権益を守らんがために、あるべき理想に唾棄し、自己の浅ましさを黙視し、現実を肯定せんとする態度」がまきちらすものとは、洗濯機の中でかきまわされ、やがては下水道に流されていくべき「汚水」でしかないのである。
「だって、いろんなところから汚水はいっぱい出てくるんだもん、仕方ないじゃん!」
そう言って、次から次へとあふれ出してくる汚水をそのまま放置していれば、やがてそこは、人が住める場所ではなくなるだろう。
汚水は処理して浄化されるべきである。」
語り口は過激だが、「現実主義」の台頭と「理想論」の衰退の流れは、ネットの興隆とタイミングが重なっていて、気になっているところ。
投稿者 esaka : 2005年10月22日 19:54
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