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2004年12月28日

●佐伯啓思『人間は進歩してきたのか』

この前エントリーした『20世紀とは何だったのか』も、ひじょうに楽しめたので、さらに「現代文明論」シリーズを遡って「西欧近代再考」編へ。これまた、見取り図としては、ひじょうにわかりやすい。それ故の危うさもあると思うけれど。

「少々単純化していえば、キリスト教が西欧近代社会を生み出し、それを支えているにもかかわらず、近代の世俗主義、合理主義、自由への欲求、経済活動の活発化などは、宗教的な権威への信仰そのものを失わせるのです。」
「西欧近代は、人間の生や活動に、そして世界の認識において「確かなもの」を与える基軸を得ようとする「確実性の探求」と不可分です。しかし、その結果はというと、近代社会が成立し、それが進展すればするほど、生や世界観の「確かさ」は失われていく。こうして今日、われわれはニーチェの予言したとおり、ニヒリズムの到来の只中に生きていることになります。」
「われわれが未だにそのなかに囚われている進歩主義、そして西欧近代の普遍性という理念は、すでに一世紀前に破綻しているということで、その状況から、われわれは出発せざるをえないのです。」

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2004年12月27日

サーバーお引っ越し

事情あって、居候させていただいてたサーバーを引っ越し。ついでにMTも2.6から3.12へバージョンアップ。で、アーカイブのディレクトリ構造が変わってしまった。エントリーに直リンク張っていただいた方すみません。

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2004年12月26日

投稿者 esaka : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月21日

日韓FTA

「アジア型共同体への道」という20日に朝日新聞の記事から深川由紀子氏の「日韓FTA、突破口に」をメモ。

・日韓中の3カ国の思惑は複雑。
・中国は、日本とのFTAに強い意欲を示してきた。
・日本は、中国には慎重な姿勢だが、FTAで高い水準が可能な韓国を早くから重視。5年の対話を続けて03年末、ようやく正式交渉に入った。
・韓国は、対日貿易赤字の拡大を懸念して、反対世論が強い。
・日韓FTAの先行に神経をとがらせる中国は、韓国を取り込もうとするが、韓国の農産物関税は平均すると日本より高い。
・日本は、05年に日韓FTA合意を目指す。
・韓国は対日文化開放への懸念が杞憂に終わり、韓流ブームが起きる中で、日本との共存の可能性を考え始めた。
・FTAで日本が「対等な立場」を強調する半面、韓国側には経済力格差への配慮を期待する気持ちがある。これが「傲慢」「甘え」と映るすれ違いが続く限り、最後の感情論を超えられない。
日韓国交正常化40周年にあたる来年は、「日韓友情年2005」も企画されていて、さまざまなイベントが各地で催されるようだが、このところの韓国ブームは、何か過剰に仕組まれた文化交流という気がしてならない。その元になった「冬のソナタ」も、NHKがあの手この手のPRで煽りに煽って、ブームを作り上げたと感じる。(たぶん、予期していた以上の成果だったのではないか。今、NHKの不祥事が問題になっているが、番組構成の背後に何かの力を感じさせることが多いことのほうが問題だと思う)。その狙いが、FTAの締結というのでは国家間の交流の形としてあまりに歪だ。憶測だけど。

投稿者 esaka : 18:41 | コメント (2) | トラックバック

2004年12月18日

●佐伯啓思『20世紀とは何だったのか』

先日の『自由とは何か』が面白かったので、以前流し読みしたものを再読。

「抽象化され普遍化された自由や民主主義は、どうしても内容空疎にならざるをえません。それは普遍化されればされるほど、形式的なものとならざるをえない。・・つまり、ドグマとなってしまう。ここに、西欧近代の生み出した最大の価値が、二十世紀のアメリカを経て、普遍化されると同時に形式化され、その内実を失ってゆくという逆説をみることができる」
「アメリカ文明とは、本質的にニヒリズム文明なのです。神や共通善の代わりに、自由や民主主義という抽象的で形式的な理念を絶対的な正義に祭り上げる。そうすることで、この理念を、西欧という歴史的・文化的文脈から切り離して普遍化するのです。また、生活のさまざまな局面を技術化し方法化することで、これも普遍化してゆく。この脱文脈化、故郷喪失こそはニヒリズムにほかなりません。」
「重要なのは、ニヒリズムを克服するなどということではなく、まずは、現代文明はニヒリズム状態に置かれる以外にないと知ることです。そして、そのニヒリズム状態にあって、再び、よい生き方、人々との社交、生活を律する価値や倫理、それを模索する思想の準拠を探し求めること以外にありません。」
展開はダイナミックで面白いが、凄い結論。このあたり、よくわからん・・。

投稿者 esaka : 18:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月17日

石油生産、すでにピーク?

テレ東「ワールドビジネスサテライト」で、カスピ海とヨーロッパを結ぶパイプラインが完成間近という特集。その中で、コメンテーターのモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト、ロバート・アランフェルドマンが、「統計学的予測モデルによって、2003〜2009年に、石油生産のピークを迎える。だからすでにピークを迎えている可能性もある。さらに新たな油田が見つかっても、遅くとも2020年頃までにはピークを迎えるだろう。こうした原因もあって、原油価格は高止まりする、と考える。だから代替エネルギーへの技術開発に力を入れなければならない。」と言及。マスコミでこの手の話を聞いたことがなかっただけに驚く。
検索してみると・・アランフェルドマン氏は、モルガン・スタンレーの「グローバルマクロ経済レポート」で同じようなこと言っている。
まぁ、こうした‘限界説’は、ローマクラブの「成長の限界」をはじめとして、以前からたくさんあるわけだけれど、両極端に触れることなく、精査する必要があることは間違いない。

投稿者 esaka : 18:48 | コメント (1) | トラックバック

2004年12月12日

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投稿者 esaka : 16:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月11日

●佐伯啓思『自由とは何か』

「われわれ」は、宗教であれ、自由・民主主義であれ、神話であれ、科学であれ、国家であれ、「天」であれ、何かを信じなければならない。それも共同で信じなければならない。さもなければ行動に社会的な意味を与える価値の基準がなくなってしまうからである。とすれば、問題は、いかにそれらを信じるか、にこそある。

「信じること」のバランスをとるとは、「信じる」ことのこの両極端を排することによって、適切に「信じる」ことだ。ポストモダン的なシニシズムでもなく、超俗的なファンダメンタリズムでもなく、そのバランスをとること、そこにこそ適切な「信じること」がある。

 結局、「自由」にかかわるテーマは、その多層性において論じなければならない。これが本書で述べたかったことだ。現代のわれわれは、つい自由を「個人の選択の自由」として理解してしまう。しかしその背後には二つの次元がある。ひとつは「社会の是認」もしくは、「他者からの評価」であり、もうひとつは「義にかなう」という次元である。少なくとも、「自由」の観念は、この三つの層に重なりにおいて論じなければならないと思う。・・この背後にあるものをあえて排除しようとした点にこそ、現代の自由の混迷があるといわざるを得ないのである。

今、多くの論者が、さまざまな視点から「自由」をキーワードにして「現在」を語ろうとしているが、イラク問題、経済構造改革論議、酒鬼薔薇事件、援助交際・・から入って、“リベラリズムの系譜”に斬り込む流れは、読み物としてもひじょうに面白い。その視野もとても広いと思うが、他の論者との比較で、抜け落ちている点やアラも見えてくるのだろうが、とりあえず、思考の渦を楽しんだ。
ただ、「現代文明論」に続いて、こちらも大学での講義をまとめたもののようで、文体はわかりやすいが、全体の展開がやや混乱している箇所もある気がするのが残念・・かな。

投稿者 esaka : 21:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月08日

「ブログ巡り」を楽しんだら・・

朝日新聞のBe誌面「てくの生活入門 ブログ巡りを楽しもう」というコーナーで、このブログを紹介していただいたので、asahi.com経由でいらっしゃる方が増えている。多くは、ブログに関心を持ったり、これからブログを始めよう、と思っていらっしゃる方たちだろう。そんな方のために・・。
以前から、「ブログで何を書けばいいんですか」と訊ねられることがあるけれど、そんな時には、「ネットに上げた情報は、誰が見ていて、誰が欲しているかわからない。だから、どんな些細なこことでも、とりあえずネットに上げてみてはどうですか」と言っている。あなたのちょっとしたエントリーからどんなコミュニケーションが生まれるかわからないのだ。
その例として、家人のブログのこのエントリーを紹介したい。メキシコで有名な日本人は誰? ということで、40年前のテレビドラマ「コメットさん」を「Senorita Cometa」と言うらしいと書いたところ、メキシコやベネズエラから、スペイン語、英語入り混じった数百のコメントが寄せられている。そして、メキシコで、「コメットさん」のビデオを発売するためのメーリングリストが創られるまでに発展。最初は、ただ「Senorita Cometa」と、それも日本語でエントリーしただけなのに・・(^^;)。
こちらのエントリーもそうだ。映画「ラスト・サムライ」に出演していた俳優、小山田シンさんのことを「Shin Koyamada」とエントリーしたところ、世界中の小山田ファンの女性がアクセス。さらには、小山田シンさんの知り合い、という方からコメントや写真が送られて、他のファンに転送されている。
まさにインターネットならではの現象だ。あなたの一言を、誰が求めているかはわからない・・。

投稿者 esaka : 14:52 | コメント (2) | トラックバック

2004年12月07日

原田泉+土屋大洋編著『デジタル・ツナガリ』

パソコン通信からインターネットでのコミュニティの現在まで、さまざまな視点からその光と影を追う、という研究報告。個人的には、3章の「ネット・コミュニティにおける情報倫理」に興味を持った。現実社会といかに折り合いをつけていくのかという点で、この情報倫理の問題は、まさに激動のただ中。常に新たな事象が起きていることもあって、それを追ってフローな情報の渦の中を漂っていると、長期的な視点を忘れがちになる。その意味で、ここ数年の流れを書籍としてまとめることは意義があるのだろう、と思う。ただ、いただいた本なので言いにくいが、範囲があまりに広範なために、やや散漫な印象も。今や、ネットの動向=ネット・コミュニティの動向、ということもできるわけで、その全体像を追うというところに少し無理があったかも。

投稿者 esaka : 01:07 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月06日

食料自給率56%? 70%?

食料自給率に関して、記事2つ。
一つは、11月30日の「食料自給率、なぜか16%アップ」というもの。現在、日本の食料自給率は40%なのだが、「食べ残しや廃棄した食料を除き、消費者が実際に食べた食料の自給率は56%に達するという試算をまとめた」という。笑った。数字は、独り歩きするだけに、その中身に注意して使わないと危ない。今回の食料自給率も、「自給率を引き上げるために農業予算をさらに増額すべきだという農業団体や農林族議員らの主張には影響を及ぼしそうだ。 」というオチが付いていて、笑いを超えてもの悲しい。
16日の「続 食と農の再生」から。食料自給率は、カロリーをもとに計算していて、野菜はカロリーが低いし、花は食料でないので自給率に反映されない。だから、日本の農業の力を現す指標ならば、金額換算の自給率の方がぴったりくる、という。03年で、金額換算すると70%だ。
食料自給率が結局何を表すのか。それが低いとどうして問題なのか。そのあたりの視点がごっそり抜けたままの議論は滑稽だ。数字は、何かを表した気分にはなるが、使い方を気を付けないと、と自戒。

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2004年12月05日

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投稿者 esaka : 18:59 | コメント (0) | トラックバック