« 2004年07月 | メイン | 2004年09月 »

2004年08月31日

●小田中直樹『ライブ・経済学の歴史』

『歴史学ってなんだ?』の前に書かれたこの本をようやく。
経済学をめぐっては、ずうっと教科書レベル抜け出せずに右往左往しているのだけれど、「<経済学の見取り図>をつくろう」というコンセプトは、全体を俯瞰して手っ取り早くわかった気になりたい僕にはもってこいだ。また、経済学の入門書だけれど、「教養としての経済学は、アクチュアルな問題に対処するためのツールです」という視線が、貫徹しているのも、多くの経済学入門書と一線を画すところ。「経済学史」という一見、「生きてない」知識の集積と思われがちな分野を、「使える」ものへと整理・再構成しなおす力は素晴らしいと思う。このあたりは、『歴史学ってなんだ?』に共通する視線。「教養」ってことですね・・。
分配、再生産と価値、生存、政府、効用、企業、失業、の7つの主題を追うことで、経済学の歴史がわかっるという全体の構成。クルーグマンの「経済にとって大事なことというのは、つまりたくさんの人の生活水準を左右するものは、三つしかない。生産性、所得配分、失業、これだけ」という言葉に目から鱗を落とした者としても、これはもう一つの教科書だな。
真ん中、読み飛ばしたので、またいつかゆっくり追おう・・。

投稿者 esaka : 18:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月27日

●西村清彦・峰滝和典『情報技術革新と日本経済』

ITは経済にどんな影響を与えるのか。以前から多くのことが言われてきたわけだが、欧米の分析を参考にしつつ、日本の状況を詳細に検証していて、これは決定的、という感じ。経済の専門的分析の箇所も多くて、けっこう読み飛ばしたけど。

「情報通信技術による広範囲にわたる生産性の上昇、いわゆる「ニュー・エコノミーの光」は、日本では今のところ幻にすぎないということである。それどころか、情報通信技術革新が、従来日本が優位にあったノウハウや人的資源の価値を低めることで、逆に生産性の上昇に好ましくない影響を与える「ニュー・エコノミーの影」が1990年代日本経済の多くの分野を覆っていた、ということである。・・ITに付随するモジュール化、コピーの容易さが、第二次大戦後の急速な日本経済の発展を支えてきた「ものづくり」、そしてそのもととなる長期関係のもとでの「ものづくり」の優位性を脅かしてきたのである。
 このことを頭に入れると、現在の「e-Japanで日本を変える」という構想は、残念ながら単純で貧困な発想ととられかねないことも明らかであろう。」
「1990年代日本経済の問題は、第一に従来国際競争力の強かった産業、とくに製造業の、その競争力の根幹をなしてきた「ものづくり」、「ひとづくり」の優位性がITの進展とともに低下したことがある。この優位性を再構築するか、あるいはITの進展により適合した「ものづくり」、「ひとづくり」「の体制を作り直す必要があり、政策もまたそれを後押しするものでなければならない。」
「・・第二の問題は、非製造業、とくに広義のサービス業においてITの生産性上昇をもたらしていない点であった。その典型が、・・ソフトウェア産業である。
 広義のサービス産業は、さまざまな形で中央・地方政府、そして政府関連組織を顧客としている。そして業務と組織もモジュール化がもっとも遅れているのが、政府および関連組織なのである。」

 

投稿者 esaka : 14:12 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月24日

●國領二郎『オープン・ソリューション社会の構想』

eジャパン戦略II の国領バージョン、という感じか。

「コンピュータネットワークによって散在している人間の知を結集させ、そこから生み出されるエネルギーを使って、日本に新しい未来への展望を開く道筋を論じたい」
その具体的なテーマとして、
1. 安全でありながら個人の創造性が活きる社会
2. 高付加価値産業育成による日本経済の活性化
3. バリアフリーで能力が活用される社会を作る
4. 環境と成長が両立する経済システムの構築
その範囲が広範なだけに、細部を詰めるというよりも、広い対象に向けての提案、という形。

個人的に面白く読んだのは9章の「知的協働の誘因設計」。情報財の収益モデルを考える上で「希少性」について考えるのだが、人間の認知限界を希少な資源とする話は面白い。この点を活用したビジネスがこれから活性化する気がする。

「情報量が増えれば増えるほど、人間の認知能力が希少な資源となってくる。収益モデルを構築する上で機械がボトルネックであった時代から、人間がボトルネックとなる時代への転換期を迎えていると表現していいだろう。
 認知限界に依拠する代表的な収益モデルとして、広告がある。・・
 残念ながら、過去数年の経験によって単なる既存の広告費用をネットに誘導する試みには限界があることが分かってきた。・・
 広告モデルではない、認知限界に依拠するモデルを構想することもできる。たとえば認知能力を大量に必要とするものに信頼がある。」

投稿者 esaka : 18:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月22日

いろいろあって、bl

sky040822.JPGいろいろあって、blogの更新を怠りがち。すみません、頑張りまつ・・。

投稿者 esaka : 17:37 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月15日

sky040815.JPG

投稿者 esaka : 18:52 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月13日

●五十嵐太郎『過防備都市』

「アメリカは過剰なセキュリティ社会に移行し、日本も追随している。・・こうした状況においていかに建築と都市の空間が変容するかを考察した。・・
 空間への意識が、監視、排除、防衛と強く結びつく。われわれは仮想の内戦状態に突入している。だが、セキュリティは、われわれを安心させるどころか、皮肉なことにかえって不安を増進させるのではないか。」
急増する監視カメラ、要塞化する学校、警察化する市民社会・・ここ数年で急激に変化した「セキュリティ社会」の事例を多数紹介。東浩紀氏の「情報自由論」と重なる視点が多いように思うが、あちらを思想編、こちらを事例編という対として読むとよりバランスがいいのかもしれない。

投稿者 esaka : 18:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月08日

sky040808.JPG

投稿者 esaka : 21:36 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月05日

●前川徹+中野潔『サイバージャーナリズム論』

去年の10月出版。気になりつつ・・ようやく。

「個人がウェブで情報発信することまでを含めて「ジャーナリズム」と呼ぶのは、やや定義が拡張すぎるという意見もあるだろうが、どこまでが個人による「報道」なのかを区別することは困難である。情報を発信している本人にそのような意図がなくても、インターネット上のウェブは不特定多数が閲覧できるものであることを考えると、既存マスメディア企業による情報発信と基本的に同じ行為であるとみなさざるを得ないのではないだろうか」
ネット上の‘ジャーナリズム’を語る時、まさにこの点がもっとも重要な点だと思う。それが進化・変化の途上にあるのでさらに面白いわけだが、変化の途上にあるものを論文などとしてまとめのは難しい。この本では匿名性の問題、著作権侵害の問題など、ここ数年の事件・事例を押さえつつ、広い視野で‘ジャーナリズムの現在’を網羅しようとしていていい。カメラ付きケータイの普及がもたらす影響なども、大仰に煽ることもないのもいいと思う。数年後に、また新たな事例をもとにした続編が読みたい。
「インターネットがジャーナリズムの世界でどのような位置を占めることになるのかは、情報の送り手側だけによって決まるものではなく、受け手側の姿勢によっても変わりうるだろう。いや、送り手側よりもむしろ受け手側がより大きな影響力をもっているのかもしれない。あるいは、インターネットの場合には、情報の発信者と受信者を区別できない部分があるので、インターネットがどのようなメディアに育っていくかは、すべてのインターネット利用者のメディア・リテラシーに委ねられているといってよいのかもしれない。」

投稿者 esaka : 22:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月02日

●『REVOLUCION!』

book0408011.JPGbook0408012.JPG
メキシコ帰りの家人から、なぜかキューバのポスターを集めた画集『REVOLUCION! CUBAN POSTER ART』をお土産でもらう。メキシコシティの空港の書店に中米繋がりってことで売っていたらしい(^^;)。
以前から、中国やソ連のポスターや看板の画集が好きだったのだ。共産圏のポスターには、メッセージをダイレクトに伝える独特の力がある。キューバのものは、今回初めて目にしただが、どれもユニーク。共産圏特有のモチーフや形式を踏襲しながら、中米独特の色彩を使っている。また70年代のものは、アメリカのサイケデリック系アートからの影響が感じられるのも面白い。一度、キューバに行ってみたい!

投稿者 esaka : 13:31 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月01日

sky040801.JPG

投稿者 esaka : 18:08 | コメント (0) | トラックバック