2008年07月21日
●竹内一正『グーグルが日本を破壊する』
内容を確認せずに、タイトルだけで適当に手に取ってしまったのだが・・。一般向け新書とはいえ、これは2008年に出すべき本ではないのでは。新しい視点がほとんどない。一カ所、面白いデータがあったので、そこだけメモ。「東洋経済」06年5月13日号から。

「電通は、松下の二倍にも達しよかというとんでもない高給取りである、さらに22歳から59歳までの「生涯給料」で見ると、差は顕著だ。
・広告会社……電通 4億7000万円 博報堂 4億2000万円
・広告主……トヨタ 3億10000万円 松下電器 2億5000万円
そしてテレビ局は広告会社の上をいく。たとえばフジテレビの……生涯給料は5億7000万円である。……
給料の低い広告主が、二倍近い高給の広告会社を通して、二倍を超える高給のテレビ局に、年間二兆円もの広告費用を支払っているのが日本の広告業界なのだ。」
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2008年06月22日
●岡本一郎『グーグルに勝つ広告モデル』
本のタイトルとは、かなりかけ離れた内容。だが、ビジネスモデルの変革を迫られる既存のマスメディアがどうしたらいいのか、という分析は、これまでありがちだったその危機を煽るものではなく、きわめて冷静。
既存マスメディアは、ネットの一般化で、対策を迫られているが、それは、ネット対テレビ:ラジオ:雑誌・・というようなものでなく、それぞれのメディアが、それぞれの特徴、特質をよ〜く考え直して、必要に応じて、ネットも使いつつ、新たなビジネスモデルを構築せよ、という至極まっとうな話だ。
そこで分けて考えるべきなのは、ネットかマスメディアか、ということではなく、例えば、ビジュアル×テキスト、ブランディング×情報量、ジャーナリスティック×エンタメ・・というような、流通するコンテンツの内容によって適した情報流通の選択がある、ということだろう。
すでに、ネットは、メディアの対立軸にあるのではなく、コンテンツ流通経路のひとつとして考えるべきものということだ。

で、この本のユニークなのは、マスメディアのビジネスモデル分析に終わらずに、マスメディアの意義についてまで、あえて踏み込んでいることだろう。
「言論機関には偶発接触性が求められます。たまたまニュースに出会う、ということが必要なのです。自分が望んでいない情報にも偶発的に出会うからこそ、自分と異なる意見を持つ人が世の中に多数存在することや、意識することのなかった暗黙の規範を学ぶことができるわけです。……
一方、インターネットメディアは自分が望む情報だけを効率的に収集してくれる機能をどんどん進化させています。……マスメディアが健全な民主主義を維持する最後の防波堤になるかもしれない、と筆者は考えています。」
このあたりは、キャス・サンスティーンの「サイバー・カスケード」を代表によく言われていること。また、
「情報は断片的に生み出されて編集され、プラットフォームに乗せる形に変換されて流通し、最後は貨幣と交換されるという、「知のバリューチェーン」ともいうべき経済システムの中で生み出されています。
ウィキペディアは、グーテンベルグからグーグルが登場するまでの「旧世界」がずっと発展させてきたこの「知のバリューチェーン」から、無料で情報という栄養をもらってコンテンツを拡充するという寄生虫のような構造で肥大化しています。
ここで問題になるのは、ウィキペディアがフリーであるがゆえに、強大な普及力を有しているという点です。そのため「知のバリューチェーン」を循環する経済価値が減少し、ウィキペディアが循環的に依存していた「信用できる」情報源が、事業運営上の深刻な困難を迎える可能性があるのです。そうなると、ウィキペディア自体も中長期的には生きながらえることができないでしょう。
……そもそもウィキペディアに記述されている「みんなの知恵」が、根源的には社会がコストをかけて育んできた知の基盤の拠って立っていることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。」
もう一つ、個人的関心が深い部分を引用。
「今現在、我々が持つクリエイターのイメージは、印刷物やテレビCMや番組といったある規定の枠組みの中で、ルールにしたがってコンテンツを作る職人、というものです。
しかし今後は、メディアの枠組みそのものを作っていく、そしてその枠組みが市場の文脈でどのような利用のされ方をするか素早くセンスして、枠組みとコンテンツの両方を進化させていく、といった能力が、クリエイターには求められるようになるのではないでしょうか。」
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2008年06月08日
●高橋克徳 他『不機嫌な職場』
秋葉原で通り魔・・。ヒリヒリするような不満、不機嫌が社会に充満している・・。

この本の最後の部分から・・
「企業という場だけでなく、学校や家庭、地域社会など、多くの場で関係が希薄になり、お互いが関わりを持たず、孤立していく状況になってきている。その結果、隣の人が何をしているのかわからない社会になり、自分の鍵をしっかり閉めて、気をつけていなければ自分の身が守れない社会になりつつある。
いろいろなものが便利になり、一人ひとりは経済的に豊かになっても、いつも不安を抱えながら生きていく社会になりかねない。それでよいのだろうか。
協力し合うという行為は何も、ただ単にみんなで仲良くしましょうと言っているわけではない。また昔のように村社会をつくり、協力を強制することは難しくなった。いやゆる集団主義という形での協力関係は成り立たない。……
組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
そのためにまず、多くの人たちが疲弊し、場としたの魅力を失いつつある企業という場に、新たな協力関係を構築していく。その上で、さらに父親、母親として、あるいは世の中に関わる主体として、協力関係を実現していく。」
社会に不安と不機嫌が満ち満ちているように、家庭にも、そして、職場にも、そうしたエネルギーは伝播し、充満している……。そうした問題を組織・人事コンサルタントが、職場の問題として、真摯に問いただしている。
「人は多様である。いろいろな良いところを持っている。その良いところを認めてもらって嬉しくないはずがない。自分を認知してくれる、個人、組織、社会に対して人は好感を持つ。そして、その個人、組織、社会に対して、自分が何か貢献できないか、という前向きな感情を持つ。
しかし、今の会社の中では、社員はなかなか認知される機会がない。それは、会社の中の評価軸が「一軸」になってしまっているからだ。その一軸とは「業績」である。業績をあげた人は偉い、そうでもない人はそうでもない、という認知環境になっている会社が多いのではないだろうか。
・皆がやりたがらない仕事を引き受けてやった人
・部下の面倒をいろいろとみてやった人
・主張し合って譲らない人々の仲介役になって調整した人
・クレームにいつも向き合って対応する人
・元気に振る舞うことで、皆を明るい気分にさせてくれる人
など、会社には多様な能力が集まり、多様な協力があるからこそ、全体が上手く回っていく。……自分を認知しない個人、組織、社会に対しては、人を愛情を弱める。……
残念なことに、現代は認知飢餓社会である。」
長くなってしまったが、もう少し引用しよう。ここで語られるのは、日常生活の中で、あまりに当たり前とも思えることだけに、今の社会の混乱ぶりがわかるというもの。ちょっと前だったら、何を説教じみたことを・・と一笑に付されたかもしれないようなことが、なにかとても大切なことのように思える・・。
「当たり前のことだが、誰かに助けてもらったら、「ありがとう」と言うのは礼儀であり、人が気持ちよく生活していくための昔からの知恵である。しかし、こうした言葉を心から言えない人たちが増えているのも確かだ。……
感謝という行為は、援助行動を強化していくことにもつながる。特に、相手が喜ぶことが自分の喜びになっていく。こうなってくると、自発的な協力行動が生み出されていくことになる。相手の期待に応えよう、あるいは相手の期待以上の行動をしていこうという意識が出てくる。……
あなたは、この一週間で、心から「ありがとう」という言葉を誰かに伝えたことが何回あっただろうか。……ぜひ、ご自身に問いかけて欲しい。こうした感謝と認知をお互いに自然に伝え合うことで、援助行動や協力行動を当たり前の行動に変えていくことができるのである。」
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2008年05月21日
●細川敦『なぜ大人がDSにハマルのか?』
「DSが、活字というアナログ商品を、デジタル商品として成功させてといってよい。以前から、活字はいろいろな媒体でデジタル化されてきたが、デジタルのメリットを十分に活かしきれておらず、大きなヒットになることはなかった。……
そんな中、「脳トレ」が大ヒットしたのだ。「脳トレ」には、ゲームが持つインタラクティブ性を活かして、スコアアップによる「爽快感」と「上達感」を得る楽しみが付加されていた。デジタル化(ゲーム化)によって、付加価値が生まれ、それが多くのユーザーを惹き付けた結果である。
本をベースにDS用ソフトを開発し、デジタル化の恩恵を最大限に得られる実績を示したことで、多くの出版社が、自社コンテンツをDS用ソフトにしたいと思うのは、きわめて自然な成り行きである。」

これまで10年近く、いろいろなメーカーがてを出しては、なかなか成功しなかったe-bookが、DSの登場であっさりと覆されてしまった。文字認識が、ひじょうに優秀なので、ますます「学習」用途に使われていくはず。この本の最後にも書かれているが、あとはネットワーク化がどこまで進むかだが、ネットワークの部分を重視すると、かえってiPhoneなどと競合になってしまう気もする。
日本の家電メーカーができずに、Appleが成し遂げていて、成功している一つの要因に、搭載する技術を絞り込んで、インターフェイスをわかりやすくまとめる……ということがあると思うが、DSはその流れの中にある、とも言える。出自が、家電やPCでなく、ゲームなのがよかったのだろう。あとは、ソフト開発・販売がどこまでオープンにするか、というところかな。
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2008年05月20日
●兼元謙任+佐々木俊尚『「みんなの知識」をビジネスにする』
はぁ〜。いろいろあって、途絶えてしまった・・。久しぶりに、また本などの備忘録を再開。
あとがきに、この本の目的と内容がよくまとめられている。
「本書に収録した6つの対話でわれわれが考えようと思ったのは、集合知という漠然とした概念と、実際の「ものづくり」がどこでつながるかということだ。
もし集合知とモノがつながるのであれば、そのつながりの部分はどんな接着面になるのか。接着させるのはアーキテクチャーなのか、それとも人なのか。企業なのか、それともブロゴスフィアのような個人の集合体なのか。」
「今後期待される大きな流れとして、集合知ビジネスがコンテンツからプロダクトへと進むという、そういう方向性があるのではないかと考えているからである。そのあたりは2007年に日本語版が刊行された書籍『ウィキノミクス』にも詳しく書かれている。
われわれが考えているのは、こうしたビジネスを日本で実現していくためには、どのようなハードルが存在し、どのような可能性があるかということを浮き彫りにすることだ。」
「集合知はボランタリーな世界ではあるけれども、しかしそれをビジネス化することは決して否定されるべきではない。
……Web2.0の登場によってインターネットには巨大なデータベースが出現しつつある。このデータベースをどのようにして上手く有効利用できるような仕組みを作っていくのかということが、大げさに言えば今後の人類にとっての大きなテーマだろう。」

近年出された書籍の中では、ドン・タプスコットの『ウィキノミクス』は、ネット界の今後に、かなり重要な示唆を含んでいると思っている(以前のエントリー)。社会全体として進んでいる、オープン性、情報共有、という方向が、ビジネスにどう影響をもたらすかを描いたものだ。それはひじょうに面白いのだが、まだ、あやふやなところも多い。
今回の本も、まだ、はっきりとした結論を出すまでには至っていないが、『ウィキノミクス』から一歩踏み出し、日本ならではの『ウィキノミクス』を考えようということだろう。佐々木さんのブログの今後の展開に期待したいな。
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2008年01月27日
●吉田智子『オープンソースの逆襲』
凄いタイトル、すごい表紙・・。
「日本でもオープンソースが注目され始めて5年以上の年月がたっていますが、中心となっている人はずっと変わっていないという現状があります。……
6年ほど前なら、中学や高校時代に自宅や学校のクラブでプログラムを書いていた経験のある大学生や、大学生になってからコンピュータを使うようになったけど、UNIX環境にどっぷりつかって、プログラムを書くことや、ネットワークを構築することに時間を費やしている学生に、頻繁に出会うことができました。しかしここ数年、そのような大学生は確実に減っています。」

う〜ん、どうなんだろう。ケータイからのネットアクセスが当たり前になっている若者にとって、PCの存在そのものが面倒なものになっている、ということはよく耳にするけれど、いっぽうで、Web制作に関わる若者は確実に増えているようにも思うが・・。また、
「日本発のオープンソースが少ない理由として、日本の若者の多くが、お客様文化の時代を生きていて、それに満足しているケースが多いことが考えられます。」
「プログラムは書くけど、公開したことがない日本の若手に、「なぜ公開しないの?」と聞くと、「恥ずかしいから」と答えます。その恥ずかしさとは、「身内とカラオケで歌うのはいいけど、駅前で歌えと言われると恥ずかしい」に相当するそうです。」
う〜ん・・。納得もできるけれど、多くの反論がありそうなことも予想がつく・・。
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2008年01月26日
「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」
以前、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはず、と書いたけれど、鴻上尚史が似かよったことを言っていたのでメモ。もう随分前(1月8日)の日経連載「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」から。
「社会の閉塞感が強まっている。『空気を読めない』という言葉が典型だ。空気を読むという行為は自分で自分に制約を課すこと。『世間体』の復活ということか、日本全体に内向きの傾向がみられる。……
もう一つの閉塞感は、日本人が結果平等への思いを忘れられないことからくる。……まじめに働いても格差は広がるという重苦しさに包まれている。そうした二重の閉塞感を和らげ、生きて行くことを楽にするのが文化の力であり使命だ。」
こうした閉塞感を多くの人が感じていて、それを分析することから脱出する手段を模索したり(たとえば、鈴木謙介『ウェブ社会の思想』)、直接的なサバイバル法?を提示したり(たとえば、梅田望夫『ウェブ時代をゆく』)と、さまざまな方向から論じられるようになっているが、その閉塞感はますます大きくなるばかり、というところか・・。
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2008年01月20日
●『我らクレイジー★エンジニア主義』
Tech総研のインタビューをまとめたもの。有名エンジニアに、その「技術」について聞くのではなく、これまでの人生、楽しみ、仕事観という視点で聞いているのが、ひじょうに面白い。

・大平孝之(プラネタリウム・クリエイター)
「エンジニアに必要なのは、まず社会のおける自分の位置づけや影響を認識することだと僕は思っています。自分の技術は何のためにあり、どう役にたつのか。何が判断材料の基礎となるべきか。その意味では、世に新しいものを生み出すだけが技術だけではありません。そでにあるものを守り、改良し、維持していく。そういう仕事にもとても大きな価値はあります。そうやって会社は支えられているからです。もっといえば、社会はそういう仕事で支えられているんです。」・清水浩(慶応大学教授、Eliica開発)
「技術とは、人間がラクをするものをつくることです。それに尽きると私は思っています。……人間の寿命が飛躍的に延びたのは、3つ理由があります。ひとつは医学の進歩。もうひとつは、栄養。そしてもうひとつが、ラクに仕事ができるようになったことです。」・苫米地英人(脳機能学者)
「会社の役に立つとか、世の中の役に立つとか、そんなことを考えたらダメなんです。面白いからやる、じゃないと。面白いことだけをやってる人が未来をつくるんです。あとはついていくだけです。
そう考えると、今は悲劇的状況にある。……要するにアメリカ人は考えるだけ。この情報植民地状態から早く独立しないと。
そのためには、利益がどうとか、特許がどうとか、ほざいてる場合じゃない。とにかくエンジニアが面白いことをやらないと。面白いと思っているパワーには、絶対にかなわないんだから。」
それぞれ凄い。以前アーティストが持っていたようなエネルギーとクレイジーさは、今は
突出したエンジニアこそが持っている性向のように思える。これもひとつの「いかに今を行く抜くか」に関する本、とも言えるけれど、あまりに壮快。
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2008年01月19日
●梅田望夫『ウェブ時代をゆく』
「現実の世界を眺めれば、「オプティミズムなんかどこから生まれるんだ」と言いたくなるほどの深刻な問題が山積である。ただそれを「絶望的だ」と言っているだけでは、エネルギーは身体に満ちてこない。……地球上はさまざまな矛盾や難題に満ちているが、それは過去から現在に至るまでずっとそうだったのであって、そう簡単に大きな破局を迎えたりはしない。人類の叡智をその程度は信頼してよいと思う。
私は、「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考えて生きてきた。そのことに後悔はない。社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびなければ何も始まらないではないか、いまもそう考えている。」

「いかに今を生き抜くか」を語ろうとする本が増えている・・。「個がいかにサバイバルすべきか」を考えるのは、とても重要だ。ここでは、今、メディアを表面的には支配している「環境」という言葉は、一回も?出てこない。たしかに声高に地球の未来と環境の将来を語る人々には、「個のサバイバル」面での危うさやもろさを感じることも多い。が、両極端にふれる言葉は、刺激的ではあるけれど、なにか居心地の悪さを感じてしまう・・。
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2008年01月08日
●鈴木謙介『ウェブ社会の思想』
ひじょうに楽しませてもらった。特に、個人的には、第二部へ入ってからの、展開のうねりは、心地いい。最後のまとめ部分は、背景として意識されているだろう知的バックグラウンドを共有できていないためか、やや唐突に感じられたけれど、それは、僕の個人的なことなのだろう。
今、日本の若者にの内面に何が起きているのか。その内面と、情報社会とはどう関わっているのか。そしてこれからどうなるのか、どうすべきなのか。
この点を語らせたら、当代随一だろう。そして、それが単なる批評に終わらず、人生論にも読めるのは、鈴木氏が、時代と並走しているからなのだろう。
「今回は、……、その未来像にいくばくかの「希望」を見出すことをひとつの目標に据えて執筆された。」
去年始めたウェブ雑誌のテーマを「アカルイ未来の創造力」としたけれど、マスメディアで流れる情報に右往左往したり、将来を過剰に絶望したりすることなく、現実の構造を見据えて、確実に一歩先に足を踏み出そう、というようなことを考えている人たちが、徐々に増えてきている気がする・・。

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2007年12月25日
●橋本努『自由に生きるとはどういうことか』
はぁ〜、風邪で寝込んだ〜。とんでもな連休でした・・。
先週、こっちに少し書いたけれど、こちらでは、別のメモを。「自由論」というと、現代思想の最前線をフォローしたがる展開のものが多くて、思想の潮流そのものに、今やあまり関心を持てない者としては、とっつきにくくなるばかりだったのだけれど、これは、戦後日本社会のサブカルチャーに焦点をあてて、その時代時代での「自由」とは何だったのかを追う。パブリック・スクール型自由から、ロビンソン・クルーソー型へ、そして、60年代後半「あしたのジョー」の"真っ白な灰になる自由"、70-80年代の尾崎豊の"「仕組まれ自由」からの卒業"、90年代のエヴァンゲリオンの"ちっぽけな自分の肯定"、そして、21世紀は、創造階級と、日本の実態としての格差社会。背景には、オタクと新人類、オウム、ギークス……。その系譜は、とてもわかりやすい。わかりやすすぎて、単純かしすぎでは、と思うほどだ。一見唐突に見える最終章も、順に流れを追っていくと、きわめて自然に見える。

「私たちは、現在、「創造としての自由」をめぐって、次のようなジレンマに立たされているだろう。いっぽうでは「自らの潜在能力を最高度に実現せよ」とう時代の要請(イデオロギー)があり、他方では「潜在能力を開花させれば生計が成り立つなどと勘違いするな」という時代の現実がある。……
ウェブの世界で創造性を高めていくことは、「産業の要請」というよりも、「テクノロジ−の要請」であるといえるだろう。すでに一定の豊かさとテクノロジーを獲得した現代の日本社会においては、クリエイターたちの多くは低所得層に留まっている。もし私たちが、勝ち組の人ほど創造的だと考えるなら、それはまったく偏見であろう。……
勝ち組ほど創造的な人間というわけではないのであって、創造力と所得の関係を切り離して考えることができなければ、私たちの社会は息苦しくなるばかりだ。…… だから現代の自由論は、自由を促進するための、社会変革の問題を論じて行かなければならない。」
ここで言及されている「創造階級」の元になっているリチャード・フロリダ「クリエティブ・クラスの台頭」では、「アメリカでは現在、全米雇用人口の約30%にあたる3800万人の人々が「創造階級」に属しており、その富の総額は、全体の約47%を占めるという」。また、
「創造階級」「ボボス」「文化創造者」、そして「ロハス」。こうした新しい用語がとらえようとしているのは、90年代以降に台頭してきた、新しい成功者たちのライフスタイルである。アメリカでは、新しい成功者たちは、もはやこれまでの成功者たちとは異なり、きらびやかな顕示的消費を志向していない。むしろ彼らは、エコロジーの実践や、ハイ・カルチャーの受容、あるいは、脳と身体を鍛えるためのトレーニングといった、独自の生活実践(ライフスタイル)を切り開こうとしている。」
確実にこの流れはある、と思うのだが、現実の日本の社会を振り返ってみると、クリエイティブの評価という点では暗澹とすることが多いのも事実。
近頃、若者の間では、以前に増して「空気を読む」ことが仲間ウチで重要視されているみたいだけれど、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはずだ。まぁ、これは別の話ですね・・。
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2007年12月09日
●岡嶋裕史『構造化するウェブ』
とりあえず、メモだけ・・。
「ウェブ2.0はセマンティックウェブを理想型としながらも現実の技術に立脚している。誤解を恐れずに言えば、「使えそうな技術を寄せ集めて、できるところまでウェブを構造化しようとする気分あるいは雰囲気」がウェブ2.0である。
したがって、ウェブ2.0的な技術やウェブ2.0的なサービスは存在しても、ウェブ2.0の技術、ウェブ2.0のサービスというものは存在しない。ウェブ2.0は……技術的実態や機能的実態ではないのだ。」
あとがきから
「ウェブが十分に構造化されることにより、情報マイノリティが疎外される事態は回避することが可能である。むしろ、個人がコミュニティを形成し、既存のマス情報発信主体を脅かす大きな力を手に入れるだろう。情報の構造化は、個人が社会に対して持つ力を拡張するといえる。……
とはいえ、情報の構造化は個人が組織に勝利することを約束するものではない。……
ウェブの構造化は利用者にもウェブ利用方法の変化を促す。たとえば、ウェブの特徴の一つであった匿名性の高さはウェブの構造化が進展すると低くなる。」
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2007年08月11日
●イヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう』
パタゴニア創業者の自伝、経営論。内容はだいたいわかっていたつもりだけれど、やはり根っからの人が、好きほうだいしてきた人生には、とても力強く、そして爽やかでもある。それが、エコロジストだから、というわけでなく、どんな分野でも言えるのだろうが、創始者ならではの、わが道を行ってたどりついた自信のようなものの力か・・。

「私はそれまでずっと、企業家を自認するのをあえて避けてきた。私はクライマーであり、サーファーであり、カヤッカーであり、スキーヤーであり、そして鍛冶職人だ。ただ単に、私や仲間がほしいと思う性能のいい道具や機能的なウェアの製作を楽しんでいるだけ。……ところがいまや、所有する企業は多額の他人資本を受け入れ、従業員とその家族みんなの生活が、自分たちの成功にかかっていた。
自らの責任と金融債務についてじっくりと考えた結果、ふいに、自分が企業家であり、おそらくこれから長い間、企業家でありつづけなくてはならないことを悟った。……
しかし、と同時に、一般的なビジネス慣習に従っていては、決して自分は幸せになれないこともわかっていた。また、このゲームに勝つには、真摯な姿勢で取り組む必要があることも。……
また、いかに真摯に取り組んだとしても、一つだけ、どうしても変えたくないことがあった──仕事は毎日、楽しめなくてはならない。会社に来るときはウキウキと、階段も一段飛ばしで駆け上がるようでなくてはならない。一緒に働く友人たちには、好きな服装でいてもらう。誰もがフレックスタイムで働いて、波のいいときにはサーフィンを楽しみ、猛吹雪のあとはスキーで粉雪を堪能し、子供が病気になれが仕事を休んで看病する。仕事と遊びと家庭の境界線をはっきり引かないでおく。
一般的な慣習を破って自分なりの制度を打ち立てることは、経営の創造的な面であり、ひときは充足感の得られる仕事だ。」
環境問題への対応などは、ある種の原理主義に突っ走る危うさも感じるが、かつてはクライミング愛好者のはしくれだった者として、その心情の発端は、とてもよくわかる気がする。いい意味で、アメリカ西海岸のカウンターカルチャーの産物だろう。社員へのマネジメントなどは、googleなどにも大きな影響を与えているに違いない。
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2007年07月22日
●西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』
「ウェブ2.0は確かに一般ユーザーがウェブ上での活動に参加する道をひらきました。生産消費活動への一般人の参加がIT革命の眼目とすれば、大きな一歩といえるかもしれません。しかし、これがただちに皆でつくりあげる集合知を可能にし、民主的で平等な社会のベースとなる、というウェブ礼賛論には首をかしげる点が多々見られます。むしろウェブ情報検索が人々の思考能力を衰退させ、一過性的な主張に人々を同調させてしまう恐れもあることはすでに述べたとおりです。
それだけではありません。声高に語られるウェブ礼賛論のなかには、善意や平等主義というキャッチフレーズとはうらはらに、実は多様な次元での社会的格差をひろげる危険がひそんでいると考えられるのです。
まず言えるのは、中高年を押しのけようという排除意識・年齢差別意識です。……
これは元気のない日本の若者へのエールととることもできるかもしれません。……
しかし、率直に言って、この呼びかけは欺瞞です。……
日本のウェブ礼賛論者たちの本音は、巨利を得ている彼らのお仲間に入れてもらうこと、できればお裾分けにあずかることではないのでしょうか。
つまり、ウェブ礼賛論者たちは、中高年を排除するだけでなく、普通の若者たちを煽りたてながらも、裏ではひそかに、新たなアメリカ流の格差を日本社会に持ち込もうとしているわけです。その議論からは純粋な幼稚さも感じられますが、隠された意図は、中高年のかわりに自分たちが権力を握ることだという気がしてなりません。」

タイトルは、「ウェブ社会をどう生きるか」だが、一冊まるごとウェブ礼賛論批判。まぁ、普通に考えて、梅田望夫氏への強烈な批判と捉えていいだろう。確かに、梅田氏の一連の発言には、あまりのアメリカ テクノロジー礼賛ぶりと、若者への煽りに違和感を感じることもあった(『フューチャリスト宣言』については、こっちに書いています。)が、ここまで言うか〜、と。笑 確かに、こういう意見がしっかり表面されてこそ、バランスはとれる、という意味ではよかった。こういうことばかり言っているからこそ、日本のITは大した者を生み出さないんだ、というような反論があるのは、普通に予想されるところだけれど。
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2007年07月21日
●ロバート・スコーブル+シェル・イスラエル『ブログスフィア』
ロバート・スコーブルの本の存在をすっかり忘れていた。表紙とタイトルで、また柔なブログライフ礼賛かとしっかり手にしなかったのもいけなかった。実際にブログを執筆した当事者への豊富な取材を元に、企業とブログの関わりがしっかり書かれている。表紙の印象と違って、ビジネスブログのあり方を考えた本だ。

「結局、文化こそビジネス・ブログにまつわる判断の核だ。制限の多い文化を持つ企業は、ブログをすべきではない。抑圧的な体制下ではブログは難しい。……
例えばアップルやグーグルはもともと評判の高い企業だが、良き社員ブログに向いていない社風を持っているようだ。一方、マイクロソフトやサンのように非難を浴びながら企業で社員ブログが盛んであるために、社員への信用や彼らのやる気がうかがえるところもある。これまでの数年に、私たちはある潮目の変化を感じてきた。グーグルやアップルの企業文化に首を傾け、彼らのカリスマ的な経営者は同時に抑圧的でもあるもではないかとの疑問の声が、IT業界で高まっているように思うのだ。」
「本書の原タイトル『ネイキッド・カンバセーションズ(裸の会話)』としたのは、正当性こそがブログの本質であり、それが企業にとってこれまでにないコニュニケーションを実現すると信じているからだ。正当性がブログの決定的な特徴なら、信頼性はそのメリットだ。」
アップルやグーグルには、まったく同様のことを感じているのだが、スコーブルが元MSの社員だったことを考えると、その評価を鵜呑みにする受け取るわけにいかないのが残念。あと、共著となっているが、スコーブルともう一人のシェル・イスラエルの役割分担がどうなっているのかわかりにくくて、「ネイキッド・カンバセーションズ」という割に、筆者の顔をイメージしにくい。
しかし、去年の7月に出されたこの本も、表紙のデザインと打ち出し方が違えば、別の評価を受けていたんじゃないかな。
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2007年07月16日
●ドン・タプスコット『ウィキノミクス』
「ビジネスの世界に、新しい力が台頭しつつある。我々は、これをマスコラボレーションと呼ぶ。リナックス、マイスペース、ウィキペディアなどが頭に浮かぶだろうが、マスコラボレーションとはもっと遠くまで続く道である。人々が社会的なつき合いやエンターテイメント、革新、取引などをする新しい方法、自分が選んだピアツーピアのコミュニティ、自発的参加によるコミュニティで行う新しい方法なのだ。企業にとっては、顧客と協力して製品を設計し、組み立てる方法でもあり、また、ユーザー自身が価値創造の大半をしてしまえる場合もある方法である。……
経営者にとって最大の教訓となるのは、一体型で閉鎖的、社内にばかり目を向ける企業は死にゆく運命にあるということだ。どのような業界であれ、また、大企業であれ小企業であれ、社内の能力と小規模なビジネスウェブ・パートナーシップだけでは、もう、成長と革新に対する市場の要求に応えることは不可能な時代となった。……
企業経営者は、成功を手にするためには、ウィキノミクスを手本とし、その原理原則を自分のものとしなければならない。マスコラボレーションという新しい時代は複雑で不確実に見えるはずだし、コラボレーションやオープン性とは、科学技術というよりも芸術の世界に近い。リーダーは、コラボレーションの精神を培う必要がある。企業は、コラボレーション環境で生きていくために、いままでにない能力を身につけなければならない。……この能力が、今後、富の形成や成功の前提条件となる。」

IT業界のムーブメントに限られていた"web2.0"や"オープンソース"の前提、オープン性や情報共有が、ビジネス全体にどんな影響をもたらしているのかを、巨額をかけた調査によって、具体的事例とともに明らかにする。一部は以前から、モジュール化などで、現実化していたことではあるけれど、P&G、ボーイング、BMW、レゴ、IBMなど具体的な事例は面白い。まだまだ抽象的で、わかりにくい言葉も多いが、IT業界の枠を超えた視点、というところが重要だろう。これから数年間は、話題になりそう。
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2007年07月11日
●小山龍介『TIME HACKS!』
さまざまな時間管理の細かなノウハウが書かれていて楽しい。が、特に関心を持ったのは、その前提となる考え方の部分。時間と経験の価値の重要性に関しては、以前からときどき考えている(以前のエントリー)ので、興味再び・・。

「時間を投資する、と考えるとそのリターンは、時間ではありません。お金と違って、時間を投資しても時間が増えて戻ってくることはありません。時間は投資すると、さまざまな別の形になって返ってくるもの。……ビジネスに現場におけるリターンの大部分は、「お金」と「経験」、「信用」です。」
「新規事業のお手伝いをしているときにいつも言うのが、「やるリスクよりも、やらないリスク」。やらないことで失ってしまう利益を考えた場合、やってみて小さな失敗をすることなんて、リスクでもなんでもないんです。しかも、失敗した後には学びがある。経験になる。時間を投資して得られる経験。個人の場合でも、投資のリターンとしての経験に着目することで、時間のとらえ方ががらりと変わります。」
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2007年07月10日
●赤池学『自然に学ぶものづくり』
2005年の「愛・地球博」展示のための調査成果でもあると言えるのだろうか。視野は壮大だが、描かれているのは、日本の具体的な研究例ばかり。凄い。

「千年持続学は、植物力、昆虫力、微生物力の高度開発を重視している。私たちが「生命学」と呼んでいる、動植物資源の未解明な機能性開発研究や用途開発である。生物資源は、いうまでもなく環境負荷が小さく、使いようによっては、石油資源以上の機能性をそこから引きだすことができる。なぜなら、生物資源は、生命誕生から四十億年の進化の中で磨かれてきた「時を経た技術」であるからだ。」
「こうした自然に学ぶものづくりが拓く未来は、いうまでもなく環境技術にとどまらない。自然に学ぶ技術は、たとえば人工物がもつマシンインターフェイス、自然が持つネイチャーインターフェイス、人間のヒューマンインターフェイス機能を確実に結びつけていく。……
たとえば、自然の情報をセンサーで捉えて、光ファイバーで大量高速伝送し、分子メモリなどの巨大記憶システムに蓄え、自然の反応によっては必要に応じて、人工物の挙動を制御する。こうしたシステムができれば、人工物もまた自然界の中に組み入れられて、宇宙、地球、生物、人間、人工物がひとつの調和のとれた生態系を構成することになる。」
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2007年07月09日
TVブロス「ネット探偵団」に・・
そういえば・・「TVブロス」の6月9日号「ネット探偵団」で取材していただきました。聞き手は、川崎和哉さん。ありがとう。長文が、こちらのウェブに掲載してある。

Posted by esaka : 14:31 | Comments (0) | TrackBack (0) | memo
2007年07月08日
●岡嶋裕史『iPhone 衝撃のビジネスモデル』
先週、こっちに「iPhone は、鎖国状態で、繁栄を謳歌していた日本のケータイ業界にとって、通信事業者の縛りを最小限にするオープン化へ向けた”黒船”となる予感。」と書いたところだったけれど、この本の中にも同じ表現があってビックリ。

「最初に市場に投入される第一世代のiPhone は、GSM方式をサポートするので、すぐに国内で使えるわけではない。・・しかし、これが投入されたときの国内市場への影響は計り知れない。
iPhone のインターフェイスがあれば、そこで展開できるサービスの種類は飛躍的に増大し、キャリア間の機能差異も端末側で吸収できるようになる。……
iPhone のタッチパネルはどんなキー配列も模倣することができる。ハードウェア的な問題さえ解決してしまえば、各キャリアが要求するソフトウェアを組み込んで切り替えるのは、楽ではないにしろ、ハードルの低い作業である。
つまり高度な機能を持つハイエンド機でありながら、キャリア依存性が低い製品にできるのだ。携帯電話がキャリアに従属するのではなく、より個人に帰属せしめる嚆矢となる。……
iPhone は、世界と隔絶した通信方式という鎖国状態で、各キャリア、各メーカーが比較的仲良くやってきた日本の携帯電話市場にとっての黒船である。もはや鎖国はありえないし、ユーザもそれを望んでいない。」
「携帯電話網にもオープン化の波は押し寄せている。MVNOに代表される新規通信事業者の参入障壁に低減と、オフィシャルでない携帯サイトの爆発的な増大などがそれだ。
キャリアの世界に競争原理が導入されるのはいいことだと思う。そうであればこそ、販売奨励金などのビジネスモデルも変わるし、利用者はより低価格なサービスを享受することができる。」
iPhone 発売前に出された本、ということもあって、インターフェイスとweb2.0的な話が多いが、携帯電話の今後に関する限り、木暮祐一『電話代、払いすぎていませんか?』と視点は重なるところが多い、と言っていいだろう。MVNOも増えてくる気配だし、日本でiPhoneが発売されるこの1年の間で、キャリアがどう動くかみもの。
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2007年07月01日
●三木義一『日本の税金』
ミクロなライフハックが自己啓発なら、マクロのライフハックの一部は、「税金」に行き着く・・という考えで、税金問題勉強中。

「毎年の税制改革に対するマスコミの取り上げ方は、税の財政面や経済面への効果ばかりに着目し、税制改正が法律改正であり、憲法問題でもあることをまったく意識していない。そのため、技術的な問題に目を奪われ、税制改革がもたらす私たちの生活への影響が憲法の理念からみて望ましいことなのかどうか、ほとんど検討されてこなかった。その背景には、裁判所が租税立法に広範な立法裁量を認めてきたため、不公正な税制が放置されてきたことも影響しているかもしれない。」
「税制のあり方を、経済学や財政学の問題としてだけではなく、憲法の問題として受け止め、何のために誰から税金を取り、何のために使うのかを確認しよう。そのことによって、私たちの自由と権利は大きな影響を受けるからである。……税制は一見技術的かつ難解で、市民が発言しにくいように思われがちだが、税制によって影響をうけるのは私たちの生活である。消費税を上げる前に、市民の常識と憲法という観点から税制を再検討してみよう。それが、21世紀の税制改革の第一歩である。」
Posted by esaka : 15:24 | Comments (0) | TrackBack (0) | book / kei-zai
2007年06月30日
●伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』
オウムのことを考えるのは、ほんとうに気が重い・・。事件から時間がたつほど、苦痛になってくる・・。この本の感想を考えるにも、エネルギーが必要だ。ただ、自分のためのメモ。

「「われらが内なるオウム」。それに恐れることなく向き合うこと。かつてではなく今、そして未来のために、知らずして病んでいるかもしれない「私自身」の治療のために何が必要なのか。」「カルト教団にマインドコントロールされたからといって、幼少期からの本質的な価値観が変化するとは思いにくい。オウムの死生観は竹に接がれた木のようなものだと俺には思えてならない。
「普通の日本人」である豊さんも、ほかのすべての人々も、60数年前までの日本人と同様、普通にマインドコントロールにひっかかりやすい。実際いろいろなものに引っかかった。」「私は21世紀に入って得られたさまざまな新手法や知見を用いて、豊田の、そしてオウムの事案をどう扱うべきか、最高裁でなされるチェックにあわせる形で、解き明かせねばならないと考えた。また、「情動」に流されるのではなく、立ち止まって振り返り、理性をもって善後策を組み立てることがいかに可能か、根拠に基づいて示すべきだとも考えた。」
「一連のオウム事件から10年以上の月日が流れ、おぞましい印象ばかりが残って、具体的な記憶が風化している今日こそ、過ちを経験した人間自身からの「引き返せ、取り返しのつくうちに」という言葉が、もっと広い層の「わたしたち」みんなに、もっと形を変えて、もっと言葉を変えて、つねにつたえられてゆくべきだ。それらを確実に生かし、犯罪を防止してゆかねばならないだろう。」
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2007年06月27日
●キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
・・というわけで(笑)、D・カーネギー『人を動かす』の次は、またアマゾンのオススメに従って、これまた大ベストセラー。85年に出された本だが、出版サイドとしては、タイトルからしてチェスターフィールドの『わが息子よ、君はどう生きるのか』がイメージされていたに違いない。
著者は、このとき60代半ばのカナダ人で、公認会計士として働いた後、化学事業など7つの会社をつくって成功させ、息子が17歳の時から、その息子に会社を譲る20年後まで、折に触れて息子に書いていた手紙をまとめたもの。

「人がみにつける特質のなかで、第一に威力を持つのは、もちろん知識だが、第二は正しいマナーである。私の見るところ、実業界に入る際、こも種の準備を半分しかしない人が非常に多い。……
実際にはマナーとは何なのか? ただ、まわりの人々に対する心遣いではないだろうか。まず「ありがとう」がある。」
「このごろ、ことに若者のなかには、人生に意味を見出すことのできない不幸な人々が多い。おそらく、その原因の大部分は目標の欠如だろう。目標がなければ、それを達成する喜びを感じることもない。……
フランクル博士は著書『医師と心』のなかで、私よりもずっと的確にこういうことを述べている。彼の幸福の定義は達成感である。何もしないで幸福になれるとは、自分でもなかなか信じられない。もちろん、健康とすばらしい家族に恵まれている点については別である。幸福は無から作り出せるものではない。あるいは君をとり囲む生活の基本でさえある物質からつくり出せるものでもない。フランクス博士の言うとおり、私たちが真の幸福感を味わうのは、自分自身に定めた何らかの目標を達成したときである。裏庭の掃除をするといった単純なことでも、仲間からひとかどの地位に選ばれるといった名誉なことでもいい。幸福は誰かを助けることかもしれない。……幸福は何かをすることである。」
なんといいますか・・照れるほどに真実一路。チェスターフィールドといい、この本といい、欧米のエリートには、何か親が子にこうした倫理を文字にして託する文化があるのか?とさえ思えてしまう。
わずか数メートル離れた同僚にも、IM使って会話するという職場もあるようだが、そうした過去に培われたコミュニケーション作法、ワークスタイルの基本や、道徳、倫理といったものの断絶には、デジタルツールが助長している面も確実にありそうで、そうした今だからこそ、こうした言葉が新鮮なのだろう。
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2007年06月25日
●今一生『親より稼ぐネオニート』
株取引、不動産投資、さらにこの本では、アフィリエイト、古本のせどり、などの不労所得によって同世代のサラリーマンの年収を超えてしまった人たちを「ネオニート」という"成功者"として紹介。

「趣味に一生浸っていたい「エヴァ世代」の若者たちが自ら働く(=働きたくないときは働かないで済む)という生活を実現させたければ、会社に雇用されることばかりを考えるのではなく、自営か起業の道を真剣に考えるしかないのだ。」
「ニートがそのままで生き残れる選択肢は、もうない。自殺するか、「内戦」の果てに親を殺すか、小遣いをせびる子に手を焼いた親のほうがわが子を殺すか。本当にそんな結末しか待っていないのだ。……
では、唯一の救済策=自営業を始めるには、何からとりかかればいいのか。それは、「現在の自分でも難なくできる程度の技術で一番になれる市場」の発見だ。……
自分よりレベルの低い人を想像できれば、他にも多くのサービスを続々と生みだせる。携帯メールの使い方を教えるだけでも感謝されるかもしれない。」
巻末につけられた三浦展×門倉貴史×今一生 の鼎談から。
門倉 「現在、ニートの人たちの多くは、将来の希望をまったくなくしてしまいました。「ニート」と定義される人の中からネオニートのような勝ち組がいるという事実は、彼らを労働へと動機づけていくという意味で、非常に重要な意味を持つと思います。
きっかけが不労所得であっても、そこから人脈・社会性が形成され、働くことの価値を見いだすようになることは十分考えられることではないでしょうか。」
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